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第ニ十話




 冬が終わりに向かうと共に桜前線が北上し、開花予測日が情報番組で予報された。その予告通り、三月末の昨日、標本木に咲いた五輪のソメイヨシノの花が、近付く春を知らせた。

 世間は春の訪れを喜んだ。しかし、ジュリウスだけは時間に取り残されたように、季節の移ろいに気付かない。

 空も、海も、生活サイクルも、何も変わらない。例え何か一つでも変化していたとしても、気付かない。

 次の季節には、行けない。

 ここに来るまでに、花を枯らせてしまった。綺麗に咲こうとしていた、大切だったかもしれない花を。

 でも、何で枯れてしまったのか、わからない。

 わからないから、次の季節には行けない。




 四月間近の金曜日。パエゼ・ナティーオの一日は、今日も何事もなく終わろうとしている。

 閉店時間の夜七時が近付き、ラジオを止めた客がいない店内を少し早めに掃除し始めていた。

 すると、閉店五分前。ドアベルが、客の来店を知らせる。


「スミマセン。もう閉店時間なんデスが……」


 ジュリウスは断ろうとした。しかし、客の顔を見て言葉が止まってしまった


「こんばんは」

「海貴也サン……」


 来たのは、仕事帰りの海貴也だった。ジュリウスは驚いた。


「また、時間無視しちゃいましたけど……いいですか?」

「……ドウゾ」


 二人共、ぎこちない表情だ。

 閉店時間よりも色々断りたい理由はあったが、ジュリウスは海貴也を招き入れた。

 海貴也は何時も座っている窓際ではなく、今日はキッチン前のテーブルを選んで座った。

 ジュリウスはオーダーも取らずにキッチンに入り、カップとソーサーを用意して温かいミルクティーを淹れる。

 海貴也にミルクティーを出したジュリウスは、時計の針が七時を過ぎていたので掛け看板をひっくり返し、入り口の照明だけを消した。

 海貴也は、とても久し振りなジュリウスが淹れたミルクティーの香りを嗅いだ。前回来たのは何時だったろうと懐かしむように、砂糖を入れたミルクティーを一口飲んだ。

 何だか、ホッとする。不思議と肩の力も抜けていく。


「……久し振り、ですね」

「……そう、デスね……」


 ジュリウスは、窓側のテーブルの拭き掃除の続きをしながら、背を向けて相槌をする。

 目は合わせられなかった。それは、海貴也も同様だった。


「最近、残業とか色々あったりで、ちょっと取り込んでたんで」

「……もう、来てもらえないのかと思いマシタ」


 率直に、何故来たのだろうと思った。もう来る筈がないと思っていた。


「………スミマセンデシタ」


 ジュリウスはポロリと溢した。「え?」と聞き返す海貴也は、丸まったジュリウスの背中に視線を移した。


「黙って国に帰ってしまった上に、大事なことを秘密にしてイテ……」

「それはもういいんです。謝らなくても。……と言うかジュリウスさん。その秘密のことなんですけど……」


 海貴也が話を切り出そうとすると、ジュリウスはそれを遮り「ゴメンナサイ」と再び謝罪の言葉を吐いた。そして背中を向けたまま、今の思いを吐露し始める。


「海貴也サンを、傷付けるつもりはなかったんデス。 黙っていたノハ、そんなつもりじゃないんデス。デモ、誰にも言いたくなかっタ。隠して生きていきたかったんデス」

「ジュリウスさん……」

「周囲と違う自分が本当は嫌デ、昔を思い出したくなくテ。誰にも話さなくていいナラ、秘密にしていきたかったんデス。デモ、傷付けるなんて思わなくテ……。本当にゴメンナサイ」


 手にしているふきんを強く握り締めると、滲み出た水滴が指の間から流れた。

 ジュリウスが、そんなに気が咎める思いでいたとは知らなかった。彼には一切悪気はなかったんだと、海貴也はその患難した声色で理解した。

 駅前で会った時、ジュリウスは何かを言いたげにしていたのを思い出した。あの時は自分と『違う』という事実から、顔を合わすのも避けたいと感じていた。だから、彼が言おうとしていたことにも耳を貸さず、突き放してしまった。

 寒空の下で、ジュリウスは何時から待っていたんだろう。きっとあの時も、自分の身体のことで何か言おうとしていたんだと、その決断を無下にしていたんだと、海貴也は今更気が付いた。


「……謝らなきゃならないのは、オレの方です。ジュリウスさんの気持ちも考えずに、強引に干渉しようとしてすみませんでした。この前も、折角会いに来てくれたのに避けちゃって……。傷付きましたよね」


 寧ろ傷付けていたのは自分だと伝える海貴也の謝意に、ジュリウスはそんなことはないとかぶりを振った。


「私、嫌われたんだと思ってマシタ。アノ日も、心配してくれた海貴也サンを追い返してしまったシ。ダカラ、来なくなってしまったんだト……」


 なおも自責するジュリウスに、そうじゃないと海貴也は慌てて訂正を入れ、自分の中にいた悪い虫の所為だったと弁明する。


「でも、多分もう大丈夫です。酷い態度取って、ごめんなさい」


 海貴也が重ねて謝罪し頭を下げると、気掛かりだったことが互いに解消し、やっと二人は視線を交わした。

 海貴也は安心してもらおうと微笑むが、そろそろと視線を向けるジュリウスはまだ浮かない面持ちだ。


「あ。暫く来なかったのは、悩んでたのもあるんですけど、調べてたことがあったんですよ」

「調べものヲ?」

「アルビニズムについて何も知らなかったので、調べてみたんです。有間さんから、どういうものかをちょっとだけ聞いたんですけど、ちゃんと知ろうと思って」


 海貴也は話しながら、通勤用のトートバッグから、本や紙の束を挟んだクリアファイルをテーブル上に出した。それは、アルビニズムに関する著書や、ネットで調べた関連記事、日本のアルビニズムの人のブログ記事などだった。

 ジュリウスとの繋がりを絶てないと悟り、再び目を向けるのは怖かったが、彼の身体に起きていることや境遇に向き合ってみようと決起した。そして、仕事以外の空いた時間はパソコンの前に貼り付き、本屋や図書館で関連書籍を探したりしてできるだけ調べた。


「そうだったんデスね……」


 意想外だった理由とテーブルに広げられた証拠に、抱いていた不安は杞憂だったのだとジュリウスは安堵した。


「一応ですけど、アルビニズムのことがわかりました。

 ───医学的には先天性白皮症と言って、生まれつきの遺伝子疾患なんですね。メラニン色素が普通の人よりも少ないから、肌や体毛の色が薄くて、髪の毛はプラチナブロンドとか金髪で、肌も白い。中には、皮膚の下の血液が透過して薄ピンク色に見える人もいる。目の色も、赤とか淡い青になる。あと、メラニンが少ない所為で紫外線の影響を受けやすくて、日焼けには気を付けなきゃならない。それと羞明で、視力も悪い。視力は、眼鏡やコンタクトで少しは矯正できるけど、限界がある。そして、症状は進行しないけど、治すことはできない。

 ───ですよね」


 広げた資料には殆ど目をやらず、海貴也は短期間で得た成果を披露した。が、すぐに自信がなくなって目線を資料に落とした。


「……本当に、調べてくれたんデスね」


 これまで関わった人の中で、こんなに真剣に自分を知ろうとしてくれた人は家族以外にいなかった。海貴也のひたむきさにジュリウスは感動し、素直に嬉しかった。

 調べた海貴也は、その見た目とのギャップにやはり衝撃を受けた。アルビニズムの人の人生や、置かれる境遇。周囲が無知ゆえの冷遇───。様々な記事を読んでいるうちに、ただ生きることの苦労を垣間見た。


「それで……調べていて、気になったことがあるんですけど……」


 海貴也は本題を切り出した。今日はこの為に来たのだ。ジュリウスの過去を、本人から直接聞いて理解する為に。

 来る前に、それを聞こうか聞くまいか、必要以上に干渉してもいいのか迷った。また彼を傷付けはしないか。過去を聞き、もしも推測通りだった時、今度こそ本当に彼を避けはしないかと。

 だが、ここで一歩踏み入れるのを躊躇ってしまえば、本当のジュリウスを知ることはできない。


「ジュリウスさん、オレに触られるの嫌がってましたよね。それってやっぱり、体質が関係してるんですか?」

「……ソレハ……」


 ダメ元で問うと、やはりジュリウスの表情は曇り、顔を逸らされた。

 調べると、ある地域に生まれるアルビニズムの人と、ジュリウスの身体的特徴が酷似していた。彼の身体の傷と、触れられることへの拒否反応。ネットの写真や動画で目にした彼らや彼女らを観ると、ジュリウスが重なって見えた。そして、ある可能性を推測させた。


「……実は、ある事柄に行き当たってから、ジュリウスさんとどう付き合って行けばいいのかわからなくなりました。オレには無理だと思って、もう付き合うのをやめてしまおうかとずっと悩んでました……。今までのオレだったら、関係を切ってた。けど、それはできなかった。ジュリウスさんともう会わない選択は、できなかった」


 だから考えた。これからも、ジュリウスと付き合って行く方法を。こんな自分でも彼をできるだけ受け入れて、そこから何ができるのか。

 突き放さず、近付くことを怖れず、おずおずとでもあるが手を差し伸べる。そこから始めようと。


「話したくないとは思います。オレも本当は、言わせるのはどうかと思ってます。でも、知りたいんです。ジュリウスさんのことを、ちゃんと」


 まだ自分の推測が当たるのが怖い。ジュリウスに言わせようとするのは、卑怯だと自覚している。それを責められたとしても、ジュリウスが抱えるものをほんの一部でもいいから共有したい。向き合う為に。




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