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第二話




 幸せな時間から、スマートフォンがアラーム音で呼び起こす。少ししっくりこない空気の中、まだ慣れない部屋で、身体に馴染んだベッドで海貴也は目覚めた。


「…さむっ」


 冬だから当然、朝は寒い。気温は一桁。

 海貴也はベッドに入ったまま、リモコンで暖房の電源を入れた。暫く掛け布団に包まり、うっかり二度寝をしながら部屋が暖まるのを待って、ようやくベッドから出た。

 今日の予定は、転居届けなど諸々の手続きと必要な日用品の買い出し。移動と買い物の荷物が多い今日は、車で出掛ける。

 朝の情報番組を観ながら、トーストと温かいスープで朝食を摂り、身仕度を整えると、アパート脇の駐車場に停めてあるマイカーの軽自動車で出掛けた。手続きのはしごを済ませると、帰り道で寄った隣町のホームセンターで、カラーボックスを二個と不足している日用品を購入した。

 その翌日に残りの荷物の整理を済ませて、取り敢えず引っ越しの片付けは完了した。


「片付け終わったら、お腹空いてきたな」


 時計を見れば、午後の一時を過ぎたところ。すぐ食べられるのはカップ麺だが、それだけでは腹は満たされない。しかし食材も大して揃っておらず、有り合わせのもので一品作れるほど料理は得意ではない。なら、おかずは冷凍ものにしようかと考える。


「それか、コンビニあったよな。確かスーパー行く途中に……」


 スーパーへの道すがらにコンビニがあったのを思い出すが、その途中に寄ったあのカフェのことも思い出した。

 撮った写真を見ては、出会った彼のことを思い出した。機会があれば、また行きたいと思っていたが。


「今日もやってるかな」

〈あ。でも一昨日行ったばっかだし、また行くのも……〉


 行ったのは二日前。行ったばかりなのに、こんなに早くまた行くのはどうかと考えてしまった。

 これまで行きつけと言える店はあったにはあったが、常連だと思われるのはどこか恥ずかしくて嫌だと思うタイプだ。“たまたま”職場が近いから寄るだけだったり、“たまたま”他に行く宛がないから仕方なくその店を選んでいるのであって、常連になろうと思って行っている訳じゃない。───と、本当は思っている。

 けれど、思い出したら行きたくなってしまった。


〈まぁ……別にいいのか。おかしくないよな〉

「……天気も良いし、散策ついでに行ってみようかな」


 外を見て適当な理由で決めた。天気も良く、今日は少し暖かくなると天気予報でも言っていたので、腹ごしらえをしに行くことにした。

 中継地点のお寺で、特にお参りすることもなかったけれどまた本堂で手を合わせて、林の道に入って行く。平均気温より暖かい日だったが、日陰の小路に入ると二度ほど低く感じた。


〈何かこういう道って、ちょっとメルヘンぽいな。森の道を抜けたら妖精たちの国だった、みたいな〉

「……もしかして、一昨日のは夢だったりして」


 何の特徴もない、平凡な町。なのに、お寺の敷地を通って突然現れた異国のような世界。まるでおとぎ話にでも出てきそうな景色に、同じ人間とは思えない姿の店員。もしかしたらこの道は、現実世界と別世界を結ぶ秘密の道で、目に見えない何者かのイタズラで連れて行かれたのか。もしくは、本当は全部が白昼夢だったのでは?と考えてしまった。


〈それとも。場所も場所だし、あの世とか……〉

「流石にそれはないか」


 自分の妄想に流石に一笑した。けれど、心に夢心地の名残がある。

 あっという間に、薄暗い一本道を出た。そこには、一昨日と同じ風景の中に、記憶の中と同じカフェもあった。


「良かった。夢じゃなかった……」

〈あの外人さん、今日もいるのかな〉


 心の何処かでまたあの彼に会えることを少し期待しながら、カフェの扉を開けた。またベルが鳴り、落ち着いた空間が目に入ってくる。


「イラッシャイマセ」


 出迎えてくれたのは、また彼だった。一度見た姿だったが、二度目も海貴也の目は驚いてしまった。

 ジッと見つめる視線は気にならないのか、彼はまた「お好きな席にドウゾ」と言い、海貴也は一昨日と同じ席に座った。彼は先日と同じようにメニューの案内を終えると、持っていたふきんでテーブルを拭き始めた。客もいなかったので、軽く掃除をしていたようだ。


〈どのサンドイッチにしようかな。ハムサンドか、たまごサンドか、コロッケサンドか……〉


 今日は食事に来たので、フルーツサンドを含む四種類あるサンドイッチの中からたまごサンドを選び、レアチーズケーキみかんソースも注文することにした。飲み物は、またミルクティーを頼んだ。

 コーヒーも甘くすれば飲めるが、どちらかと言うとミルクティーの方が好みで、女子っぽいと大学生の時にイジられたこともある。それを気にして、一週間コーヒーだけを飲むというチャレンジをしたこともあるのだが、どうしてもミルクティーが恋しくなってしまい、途中で挫折してしまった。

 結局、好みは変えられず。コーヒーを飲むことはあっても、月に一回あるかないかだ。最近は特に、とある理由があって余計に避けている。


「お待たせシマシタ。ミルクティーと、たまごサンドと、レアチーズケーキデス」


 オーダーを持って来た彼は、「ごゆっくりドウゾ」と柔らかく微笑んだ。やっぱり彼の顔を見られなかったけれど、またテーブルを拭き始めた背中は見られた。

 初めからモデルのような細身の印象だったが、改めて見ると、筋肉が少なく肉付きも薄い体躯たいくだと見受けられた。洋服で隠れている腕も足も、さほどたくましい作りではなさそうだ。

 これ以上彼に気を取られる前に、海貴也は腹を満たすことにした。まずは、分厚いたまごサンドを大口を開けて頬張る。


〈うん、美味しい。たまごが厚焼きだから、食べ応えがある。食パンも少しトーストされてるんだな〉


 甘めの味付けの厚焼きたまごが挟まれたボリューミーなサンドイッチ二切れを、あっという間にペロリと完食し、続いてデザートのケーキに手を伸ばす。


〈これも美味しい。レアチーズケーキにみかんのソースって、合うんだ。甘さも控えめで丁度良い〉


 みかんの酸味と甘さがうまく全体をまとめていて、さっぱりとした味になっている。お腹が空いていたおかげで、店員の彼を気にすることなく食事が進み、ケーキも瞬く間に完食してしまった。


〈美味しかったー〉


 テーブルの拭き掃除をしていた彼は、何時の間にか観葉植物の手入れを始めていた。空腹が満たされた海貴也はリラックスしながら、その視線はまた自然と彼に向かっていた。そんなつもりはないのに、無意識に目がいってしまう。何故だか気になってしまうのだからしょうがないと、今度こそバレないように飲んでいる振りをする。

 彼は葉に付いたホコリを、一枚一枚優しい手付きで撫でるように拭き取っている。植物だからと雑に扱わず、ちゃんと命あるものとして優しく接するその仕草から、その人となりが僅かながら窺える。接客の所作しょさも無駄がないところを見ると、経験を積んでいるのだろうと想像できた。


〈今日、お店にいるの一人だけなのかな。一昨日も、他の店員さん見なかったよな。休憩中かな〉


 二人しかいない店内は、ラジオから静かに流れるジャズしか音が存在していない。窓の向こうの海は、きっと波音を立てて気を引こうとしていて、周りに立つ植物たちも葉音で曲を奏でているだろう。けれど、そんな賑やかさを全て遮断し、海貴也と彼がいる空間は無駄な音がない。


〈話、してみたいな……。話し掛けてみようかな……〉


 彼への興味が冷めない海貴也は、近寄り難い見目に更に興味を湧かせた。自ら店員に話し掛けるなんてほぼないのに、この衝動は何処からくるのだろうと、頭の片隅で不思議に思った。

 今なら他の客もいないし、邪魔が入ることはない。話し掛けるなら、忙しくしていない今がチャンスだ。しかし、生まれつきの大人しい性分が出しゃばってきて、コミュニケーションを取りたい意思を後ろから引っ張って邪魔をしてくる。

 どうしようと心の中で格闘していると、観葉植物の手入れを終えた彼が海貴也のテーブルに近付いて来た。また見ていたのがバレてしまったと焦った海貴也は、何か言われてしまうかもと慌てて視線を伏せた。


「お皿、下げマスね」


 けれど想像していたことではなく、彼は空いた食器を下げに来ただけだった。海貴也は、ドキドキした胸を撫で下ろした。

 海貴也に一言掛けた彼は、サンドイッチとケーキが乗っていた皿を重ねて、またキッチンに戻ろうとする。その時、折角彼の方から来てくれたのに、この一瞬のチャンスを逃してはいけないと、海貴也の中の小さな積極性が叫んだ。

 飲むものは女子っぽいが、これでも男だ。彼がキッチンに引っ込んでしまう前に、海貴也は思い切って声を掛けた。


「あ……あのっ」

「ハイ?」


 話し掛けられると、彼は海貴也に振り向いた。けれど、自分で呼び止めておきながら、彼と視線が交わるとすぐに目を泳がせ、「あっ。えっと……」としどろもどろになる。

 何を話すかを全く考えていなかった、完全な見切り発車。勢い任せになるものじゃない。


「あの。そのー……」

〈ヤバい。何を話したらいいんだ?えっと。えーっと……〉


 そもそも、彼の容姿を見るしかできなかったのだから、話し掛ければ緊張するくらいは想像できた筈。なのに、そんなことを考える暇すら無視して声を掛けてしまった、無計画な海貴也。

 そんな自分の計画性のなさには無自覚だったが、無言の時間が流れるのを避ける為に質問を考えた。聞きたいことはいくつかあった筈だ。テンパる頭に水を掛けたつもりになって、海貴也は言葉を引っ張り出した。


「あっ。……名前。お店の名前。何て言うんですか?」


 しょうもない質問だが、一応気になっていたことだ。


「『パエゼ・ナティーオ』デス」

「えーっと。英語、ですか?」

「イタリア語デス。『故郷』という意味がありマス」


「そうなんですか」と相槌を打ち、変な間が生まれる。海貴也は、質問一つだけでは割りに合わないような気がして、その僅かな間を埋めるようにもう一つ聞いた。


「それと……名前。店員さんの名前を、聞いてもいいですか?」

「エッ。……私の名前…デスか?」


 何も考えずに出た、見切り発車第ニ弾。尋ねられた彼は、少し困った顔をした。緊張している海貴也でも流石に微妙な表情の変化には気付き、失礼だったとすぐに自覚した。


「あっ。す、すみません。不躾ぶしつけでしたよね。いいです、やっぱ。ごめんなさい」


 店に来たのもまだ二度目で話したのも初めてなのに、名前を知ろうとするなんて何を考えているんだと、海貴也は反省した。何時もなら、友達が相手でもこんな急いた行動はしないのに。

 すると。


「……ジュリウス、デス」

「えっ?」

「私の名前は、ジュリウスと言いマス」


 不快に受け止められたかと思い落ち込んだが、以外にも答えてくれた。


「…ジュリウス、さん……」


 海貴也が顔を見上げ復唱すると、ジュリウスは口角を少しだけ上げて、迷惑ではなかったことを表情で言ってくれた。

 彼がキッチン内に戻って、皿を洗い始める音がすると、海貴也は小さく息を吐いた。


〈何か、凄く緊張した……。他にも気になることあるのに、何でお店の名前なんか……。まぁ、間違えて覚えても失礼だし。でも、名前まで教えてくれるとは思わなかった。良い人なんだな〉


 初対面のキラキラな印象からちょっと話し掛けづらいと思っていたが、少しだけ会話をしてみて優しそうな人柄が見えた。こんな挙動不審な客のどうでもいい質問にも、快く受け答えしてくれた彼に、悪い印象は抱かなかった。

 無事にジュリウスと初コミュニケーションが取れたことで緊張も解れ、そのあとはゆったりミルクティーを飲みながら過ごした。

 時々、こっそりジュリウスに視線を向けながら、店に来て約一時間。そろそろ帰ろうと思い会計をお願いしたところ、千三百円と言われた。


「あれ。そんなに安かったっけ?」


 支払おうとした海貴也はふと、独り言を口にした。


「チーズケーキとミルクティーを、七百円のケーキセットにしたノデ」


 海貴也が、ケーキのセットメニューがあるのを知らなそうだと気付いて、ジュリウスがそう教えてくれた。その方が、バラバラで頼んだ場合の金額よりも安くなる。


「あ。そうだったんですね。ありがとうございます」


 お礼を言うと、「いいえ」の代わりに彼はまた柔らかな微笑みを返した。正面から初夏の高原の風を受けた海貴也は、癒されながらまた正視してしまいそうになった。


「アリガトウゴザイマシタ」


 ジュリウスに見送られて、海貴也は店を出た。入れ違いで、ママ友らしき女性三人がしゃべりながら店に入って行った。振り返ると、海貴也の時と同じように迎えるジュリウスが少し見えた。

 気になっていたジュリウスと初めての会話ができて、海貴也は浮かれた。ちょっとだけ浮かれたけれど、店を出る直前からまた別のことが気になり始めていた。


〈あの人、あんな目の色だったんだ……。明るすぎる肌の色とは正反対で、暗い茶色だった……〉


 初めて会った時から、緊張で目を見ての会話ができなくて気付かなかった。金髪だから碧眼だと思い込んでいたが、想像していなかった色が以外だった。

 その褐色の瞳が何だか物悲しく、哀感を滲ませているように見えて印象的だった。

 ふいに、強い海風に煽られた。でも、さほど冷たく感じなかったのは、温かい上着の所為だろうか。




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