壱之弐 『運命の出会い』
さて、『地獄行鑑別人』の採用試験に無事合格した鬼貫八曜礼文であったが、ここで彼の生い立ちに触れよう。
否、生い立ちという程立派なものは、この男子のこれまでの道程には無かった。
故に、単なる『来し方』と言い換えよう。
十六年前のあの日は……卯月の八日。
奇しくも釈迦の降誕と日を同じくして産声を上げた、この長ったらしい名の男子――鬼貫八曜礼文――は、まだ只の鬼貫礼文だった。奇妙な『八曜』なる仮名は、その父母の付けたものではない。
実はこの『八曜』が為に礼文は地獄界において、所謂VIP扱いで、衣食に困窮せず暮らしてきた。地獄に堕ちた者どもからすれば、それはやはり特別だろう。
そもそも、礼文が地獄に堕ちたのは、その生が神の怒りに触れたためである。
破戒僧の父と鬼女たる母。その愛の結晶が祝福されようはずもない。
しかし、許された。
それは父の命と母の記憶を投げ出した上で、礼文を地獄へ堕とすという、余りにも苛烈な結論を神が受け入れた結果でもあった。
父は間際に礼文の体中隅々まで、経文を施している。
それは透明なる墨を以って為されたが、不思議な事に神の咎を受けてはいない。
実はその墨は、外法を極めたとある僧が、その身を墨に化生したといういわくの物であったし、書かれた文字はこの世界の何処にも存在しない奇妙な文字だった。
神の目にはただ一か所、その丹田にある『八曜』の字が見えるのみであった。
父が神を出し抜いたのか、神がたった一つ慈悲を下されたのか、それはわからない。
ただ先に触れたとおり、この『八曜』の謎が幼き礼文を救う羅針盤となるのである。
話を戻そう。
地獄に堕ちた赤子の礼文は、しかし、閻魔大王によってその地獄入りを固く禁じられた。
理由は簡単である。
地獄とは、現世において悪行を為した者の霊魂が導かれる世界――。
当の礼文は、悪行を為してはおらず、霊体でもない。その上閻魔は、神の言いなりになる事が無性に腹立たしかった。
だから、拒否した。しかし――。
閻魔大王は礼文の身に、『八曜』の文字を認め、ある記憶を手繰り寄せる。
それまでもが父の計略だったと考えるのは、考えすぎだろうか。
その記憶は遥か昔のこと。
人の身でありながら神も鬼たちも辿り着けない虚無世界に行き、まさに神鬼の能力を得たある男の話である。
その者は、人の世の理を超えた自身の能力を、『八曜術』と名付けていた。
そして、さんざんに無法を尽くした挙句、自らの能力に溺れ、異界へと堕ちていった。
もし、この礼文なる赤子の丹田が抱える『八曜』の二文字が、あの能力へとつながる鍵となるなら、地獄で飼っていても損はしない。
閻魔はある意味、運命の出会いを果たしたのである。
地獄に住まうようになってから、礼文は『八曜』と呼ばれるようになっている。
たった一人の付き人(鬼)を除いて誰一人近づかない毎日は、礼文になんの成長も与えなかった。無論、閻魔大王の指示である。
閻魔は礼文に並々ならぬ異質さを感じていたが、その異質を他力によって汚される事を恐れていた。もしも礼文が、あの八曜術の男と係わりがあるのなら、ソレは虚無からやってくる。能力の容れ物たる礼文は、空っぽのままにしておいた方が都合がいい。
だが心配せずとも、礼文はいつまでたっても言葉を発せず、動作は緩慢で愚鈍そのもの。
地獄界にかろうじて存在する、簡単な礼儀作法すら覚えることはできなかった。
ただ、優しかった。
花を愛し、風の音に耳をすまし、地獄に不似合いな眼差しで遠くを見ていたりする。
そんな礼文を慕って、時に哀しき魂たちが寄り集まる夜もあった。
そんな暮らしが十六年。
そろそろ閻魔の礼文への興味も、薄れようという矢先。
今、礼文は『地獄行鑑別人』として、人間界に戻ろうとしている。
父が居るだろう。母も何処かに在るだろう。
神の目に触れれば消滅は免れぬし、『八曜』の謎の事もある。
しかし、当の礼文はそんなことは考えもしていない。
今のところ感じているのは、自分の前に立ち、しきりに喚いている女子への、とても不思議な感情。
「いいこと? 人間界ではあたしに馴れ馴れしくしないでよね!? あたしはあんたのお目付け役。存在の重さがそもそも違うんだって、忘れない事よ? いい!?」
閻魔の孫娘、鏡花は言葉ほどに険しい表情はしていない。
その身はすでに、人間界で入学する予定の『安養院学舎高等部』制服を着ている。
紅潮した頬の鏡花が、いったい何に浮かれているのか礼文にはまるで分らなかった。
ともあれ、二人は地上へと歩を進めた。