逝き様
スオウに導かれて、サクラは〈花玲苑〉の中心にまでやってきた。
そこには人が多く集まっていた。これだけたくさんの人がいったい、どこから出てきたのかと不思議にすら思えた。
「この里の者全員が集まっているのですよ」
「……なにかあるの?」
「それが私の仕事ですから」
そう言って、スオウは集まりの真ん中へと向かっていった。
彼女の顔は変わらない。しかしその目が少し細められているのを見逃さなかった。
集まりは円状になっていて、真ん中はぽっかりと空いている。
歩み出たスオウを避けるように人は動き、道が空いた。
そして、その中央にはうな垂れた男と、その男を捕らえる二人の人物がいた。
悲壮な顔を浮かべる男の姿に、胸を痛めた。少し痩せ細っている、どこにでもいそうな人物。何かあったのか、それともこれから何か起こるのか。
サクラが視線を向けていると、スオウが少しだけ振り返って、笑った。大丈夫だ、と言っているようにも思えた。
「この者、アジサイの罪状を読み上げる!」
アジサイの横に居た者が言った。
罪状、ということは、アジサイは何か悪いことをしたのだろうか。
そしてサクラは理解する。これはアジサイの処刑なのだ。
スオウをもう一度だけ見た。彼女はいたって平然としている。
ただその手が刀にかかっているのを見逃さなかった。
「一、妻帯の身でありながら気を移したこと
一、気を移した相手の住居へ侵入したこと
一、あまつさえ個人の物品を盗難したこと」
読み上げられた罪状を聞いた者たちはみな、ため息とついた。
口々にあれこれと言った。小さな声で上手く聞き取れはしなかったが、スオウは気が気ではない。
その程度、と言ってはいけない。彼が犯した罪は悪である。
一方で、よくある話でもあった。記憶のないサクラが言っても説得力はないのだが、少なくとも自身の中ではそういう風にアジサイのことを思った。
「よって、この者は『枯れた』のである!」
聞き覚えのある言葉が、まったく違う意味で使われたような気がした。
枯れる。それは花の終わりのこと。
この者は終わったのだ、と宣言されたのだ。
男の顔面がいよいよ蒼白になった。
「まだ、まだだ。終わってない、おれは、枯れてなんかない!」
その声には誰も聞く耳を持たなかった。
みなが好き勝手に、アジサイを非難した。
ひどいやつだ。残された者のことを考えろ。妻のある身だろうに。かわいそうに。いまは子を孕んでいるそうじゃないか。決して許されない。
美しくない。
再び、人々は道を作った。今度はボタンの屋敷から、死装束のような白い衣を纏った者たちが現れる。それぞれ手には鈴と弓を持っている。
ゆっくりと歩いて、距離をとりながらもアジサイの周りを取り囲んだ。
手にしたものを鳴らす。しゃん、と鈴の音。びん、と弓の音。
鳴らしながら、くるりくるりと、アジサイの周りを歩いていく。
いやだ、いやだと、なんどもなんどもアジサイは繰り返し言った。
それでも容赦なく人々は彼を攻め立てる。白装束の者たちも、音を鳴らすのをやめない。
びくん、とアジサイの体が跳ねた。
白目を剥いて泡を吹いている。死んだのか、と思うが、喉がかすかに動いている。
おぞましい光景であったが、そこで終わらなかった。
アジサイの体がぼろぼろと溢れていく。その破片は花びらであった。紫陽花の花びらだ。
中から出てきたのは、真っ黒な体だ。
顔はもはや誰なのかわからない。かろうじて顔だとわかるくらいで、個性をすべて削がれているという印象を抱いた。身体もそうだ。中から出てきたにも関わらず、少しだけ膨らんでいるようにも見え、元の形を止めていない。
そして、それは立ち上がった。低い唸り声をあげて。
その瞬間を誰もが見ていた。彼を責め立てていた者たちは口を閉ざす。
スオウが刀を抜いた。
じっと、化け物になったアジサイを眺めている。その瞳は空虚だった。がらんどうになった目に、ただ美しくなくなってしまったその者を収めている。
なんの感情も伺わせない。むしろ、感情を抱かないようにしているようにも思えた。
そこでようやく、刀を構える。見たことのない構えであるが、ものの扱いが違うように、人によって違うものであるのかもしれない。あるいは、人を相手にするのか、化け物を相手にするのかによって、変わるものなのかもしれない。
ともあれ、スオウは構えた。切っ先を相手へと向け、刀を地面に水平に構え、肘を折りたたむ構えである。
彼女が大袈裟に呼吸をし、整えているのがわかった。口の開閉が見てわかるほどである。
アジサイの姿がさらに変わっていく。身体から突起のようなものが生え始めた。
見るのも悍ましい姿だ。もはや元の姿を思い出すこともできない。
そしてその怪物は、スオウに目を向けた。彼女の姿を捉えると、顔を憎悪に歪ませる。
ぎりり、と歯の音すら聞こえてきそうであった。
「危ない!」
そう叫んだときにはもう、アジサイだったものはスオウへと飛びかかっていた。
大きく腕をあげて、拳を叩きつけようとしている。腕は膨張して、槌のようにも見えるほどであった。
叩き潰すつもりなのだ、とすぐにわかる。スオウは小柄な少女であるが、たとえ大柄な男性がその対象になっても、潰されてしまうのは目に見えていた。
しかし、スオウは動じない。まるで彼女の周りだけ、時が止まっているような感覚さえする。
特に刀は微動だにしなかった。呼吸によってわずかに身体が揺れるも、刀だけは地面に水平になったまま動かなかった。
そして、わずか二呼吸の後に、スオウは動いた。
最初はゆらりと。ゆっくりと動き始める。身体を前に乗り出して、一歩を踏み込んだ。まるで隙だらけだ……と思うのも一瞬だった。
その一歩が再び地面についたとき、彼女は豹変した。
まず、手首が返される。刀は向きを変え、切っ先は斜めに地を向いた。突きの構えから斬る構えへと変わっていく。
それとともに踏み出された二歩目は、まるで地面に触れていないかのようであった。軽くつま先で、叩いただけのようにも見えた。
姿が消えたかのように見えた。刀が閃いたのを見たはずであるが、振り抜かれたと気づいたのは、刀がスオウの身体を挟み対の位置にあったからだった。
アジサイだった化け物は、胴を両断されて地面に倒れた。どすん、と音を響かせて。
その身体は斬られた端から花びらへと変わっていく。
歓声が湧いた。悪が滅びたこと、そしてスオウの活躍へだった。手を叩き、口には喜びの言葉を乗せていた。
サクラはそれを呆然と見ていた。
圧倒されていた。そして恐れていた。
いま、人が死んだのだ。確かに一人の人がいたはずなのに、その人がいなくなったのに、喜ぶ人たちをこそ恐ろしく思った。
「サクラ」
声をかけられる。
スオウが側にまで寄ってきていた。刀を納めて、微笑んでいる。先ほどまでの無表情はどこかへと行ってしまっていた。
「これが私の仕事。理解できた?」
美しくなくなってしまったものを斬る。それこそが彼女の仕事であった。
剣の腕前もさることながら、スオウの真の武器はその冷徹さなのだろうと、なんとなく思った。
サクラは口ごもりながら、どう言ったものかと戸惑う。
「その……なんていうか」
偽らざる本心を言うべきか、それとも取り繕うべきか。
ここにいる者たちの言う「美しい」というものを理解することができないでいた。
下手なことを言ってしまえば、自分もアジサイと同じようになってしまうかもしれない。
だから、本当に思ったことを言おうと思った。
「綺麗だった。スオウが」
「え……?」
「すっごくかっこよかった、んだと思う、うん」
サクラがそう言うと、スオウは戸惑ったように頬を染めて、笑った。