段落の作法か、必須だな。
私だ。校正者の南条だ。
諸君の会社に、新人社員は入ってきたか?
何? 新卒を入れる余裕などない? フッ、それはそれで仕方がないな。
それでお前のところはどうなのか、だと? フッ、聞いて驚け。
何を隠そう、今年、私の校正係にも待望の新人社員が入社してきたのだ! フハハハ!
しかも女子社員だそうじゃないか……。フッ、腕が鳴るというものだ。
一体、何の腕が鳴るのかだなど、空気が読めん質問をしてくる奴は、大人のビジネスパーソンとして失格だな。ともあれ、基礎研修の終わる日が待ち遠しいというものだ。
ただ、彼女が生まれた年、私がすでに大学生だったというのは、厳然たる事実ッ……!
果たして新入社員と話を合わせられるのか、今はそれが気がかりだな。
「おっ、南条君。この得意先の文章なんだけど、君はどう思う?」
む。新入社員との年の差で悩む私に話しかけてくるのは……上司の坂本さんではないか。
彼は私の一年先輩だが、校正者としてのキャリアはあまり積まずに管理職になった人だな。校正者は職人であれというポリシーがある私とは、馬が合わない方の人間だ。
しかし、性格によって職務内容には向き不向きがある。私も大人だからそれくらいはわかるぞ。彼と私とでは方向性が違った、ただそれだけの話だな。
「これですか。ちょっと見せてください……」
ふむ、これは得意先の社内報だな。自前で作るところが多いが、こうして外注してくれるというのは、印刷会社として非常にありがたい。
記事内容としては、春のイベントに対する一般社員からの投稿記事のようだが……。
――ぬうッ! こ、これはッ?
段落がバラバラ……ではないかッ!
一字下げをしている行があるかと思えば、天ツキ(字下げをしないこと)で始めている行もある。どちらかに統一するならまだしも、これはあり得ん。
会葬礼状や新任の挨拶など、段落を変化させて書く書式もあるにはあるが、社内報の投稿記事に、そんな原則が通用するはずがなかろう。
「……坂本さん、これは段落がおかしいですね。でも勝手に修正するわけにはいきませんので、指摘するだけにとどめては?」
「ああ、そのことだけどね。先方から『文章を変えない程度なら、修正して可』というお墨付きをもらっているんだ。君ならどう直すかと思ってね」
「――なるほど、そういうことでしたか」
確かに、作業指図書には、そんなことが記載されているな……。
この原稿をまとめた担当者は、よほど、組方原則に自信がない人物とみえる。
ちなみに、だ。組方原則というのは、書籍や商業印刷物を発行するときに欠かせない、ルールのようなものだ。組方ルールだとか、組版規則だとかの名前で、出版社ごとに決められているようだ。しかし、一般的なルールもあるぞ。
組方原則には、常用漢字とか現代仮名遣いとかにはありがちの、政府が決めたガイドラインのようなものはないが、日本工業規格(JIS)で決められた『日本語文書の組版方法』という標準規格があるのだ。
――天下のJISであるぞ、皆の者ッ! 頭が高い、控えおろうッ!
「それでだ、南条君。今度入ってくる新人のために、組方原則についての資料を作ってくれないか? 日頃から原則にうるさい君に適任だと思うが、どうだい?」
「――わかりました。今月末までにまとめておきます」
ううむ、私としたことが、面倒くさい仕事を請け負ってしまったものだ。それでなくても、ここ連日は残業続きだというのに……。
いや、しかし……。これは新入社員との会話に役立つネタだな。これなら、私でも若い人間と話を合わせられるかもしれん。
よし、今回からは諸君を練習台に、組方原則について語らせてもらおうじゃないか。
まずは、得意先の社内報でも取り上げた、段落についてだな。
この作法を知っていれば、少なくとも読みやすい文章だという評価はもらえるだろう。
段落というのは、この小説でもやっている通り、行の始めに一字分下げることだ。下げる幅も、日本語であれば全角一字分と決められている。
改行されたら一字分の空きを入れる――という癖を、普段から作っておけば大丈夫だ。なに、心配はいらん。すぐに慣れるだろう。
しかし本当に難しいのは、カギ括弧や括弧で始まる、会話文や心情表現の行だな。
全角の括弧類はおよそ、半角分後ろに下がって作られている。そうすれば、次に続く文字にくっつくからな。
そのためなのか、会話文や心情表現の括弧類には、行頭の全角空きを入れないというルールになっているのだ。
さらに会話文から普通の文に戻るときだが、改行していても文章は切れていないというわけで、一字下げをしないで行頭から始めるらしいな。要するにこういうことだ。
私だ。校正者の南条だ。
「あっ、南条さん。チーっす! 元気ぃ?」
と、どこからともなくチャラい声がした。
――今、後輩の清水君がチャラい挨拶をしたように聞こえたが……。うむ、幻聴だろう。
では最後だ。普通の文章でカギ括弧が行頭に来る場合は、どうするか?
ううむ、難しい課題だ。
先にも言ったが、括弧類は半角分の空きを含んでいるからな。これが前提になる。
列挙するなら、1、半角分詰めて普通の段落と同じ空きになるようにする、2、全角分詰めて、半角分だけちょっと下がっているように見せる、3、何もせず全角空きを入れる――この場合は全角プラス半角なので広い空きになる……だ。
――わからんか。うむ、私にもよくわからん(ニヤリ)。
いろいろ並べたが、まあ要するに、「カギ括弧が行頭に来ても一字下げはする」というのは変わりがないようだ。
どれだけ下げるべきかについては、出版社の決まりがあるはずだ。作者の側で希望があれば聞いてくれる……と思うぞ。ではまたな。