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しぇ、しぇーき……言えんわ!(怒)

 私だ。校正者の南条だ。

 何? 毎日が深夜帰宅で、身体が持ちそうもないだと?


 ふん。若いくせに何を甘いことを言っておるか。

 私などは毎日、深夜帰宅だ。立ち飲みで飲んどるからな。下手すれば午前様だ。


 何しろ私は一年前、会社から遠い場所に引っ越したからな。午後八時まで飲んでいようものなら、それだけで十時過ぎだ。

 通勤に二時間もかかる田舎に住んでいるだけあって、帰るころにはもう、街中まっくら闇だ。どうだ、すごいだろう!(ドヤ顔)


 いちばん近いコンビニでも、徒歩で十五分もかかる場所だ。しかもそのコンビニも、急坂の下ときたものだ。

 したがって、不便で不便で仕方がない。近くのスーパーは午後九時で閉まってしまうしな。


 ――何だと? それならどうしてお前は、これほど不便になることがわかっていながら、わざわざそんな田舎に引っ越したのだ、だと?


 フッ。作者よ、リア充の貴様には、もはや死んでもわかるまいよ。


 電車の音もエンジン音も、話し声すら聞こえてこない夜、ひとりで過ごすことの素晴らしさがなッ!(滂沱の涙で鼻息噴出)


 かつて私も若いころ、故郷から出てきて都会に住んでいたことがあった。都会の文明と便利さにそそのかされてな。


 ――だが、現実はどうだ。


 深夜でも幹線道路からトラックのエンジン音が鳴るし、時たま暴走族どもがマフラーなしで迷惑走行をやりよる。

 そして午前四時半ともなれば、近くの線路から聞こえる、始発電車のけたたましい走行音でムフフな夢を破られる毎日だ。


 山も海も見えず、見える空はビルとビルとに切り取られた範囲だけ。

 互いに関心のない他人同士が行き交い、何かに追われるように、足早に過ごす日々……。


 私はもう、そんな都会の生活に飽き飽きしたのだ!

 コラっそこ! 断じて、断じて年のせいなどではないぞ!(赤面)


 古い言葉だが、「吾唯(われただ)足知(たるをしる)」という言葉がある。

 中国の古典『老子』に由来するそうだが、仏教の経典が由来だという説もある。


 まあ要するに、物質的に満ち足り、便利であることがすべてではない。貧しく不便であっても、今ある環境で満足することで、精神的に豊かになれる。そんな意味だと私は思っている。

 都会では何でも買えて、どこにでも行けて、カネもたくさん稼げる。だが君はその引き替えに、人として何か大事なものを失ってはいないだろうか?(急接近)


 さあ、未来ある若人よ。地方に移住せよ! そして地方の力となれ!

 田舎はいろいろと不便だが、心は豊かになり、穏やかに過ごせるぞ!(顔近)


「あのー、南条先輩? 一体誰とお話ししてます? でも私ぃ、まだ東京に出てきたばかりでぇ……。田舎の話はちょっと……」


 ――ぬぅッ! そ、その妙に鼻が詰まったような、独特なアニメ声はッ!


 そういえば今日は、営業との外回り同行研修から戻ってきた新人の早坂君への指導が、再開される日だったな。

 校正者が外回りなど、時代は変わったものだ。私が新人だった頃に、そんなものはなかったぞ。ちょっと悔しいではないか。


 まあ、それはそれでいいのだが、また例によって今回も後輩に、私と作者との語らいを聞かれてしまうとは……。

 この私としたことが、一度ならず何度も同じ過ちを犯すとは……ふ、不覚ッ!


「う、うむ。近ごろ深夜帰宅が続いたせいか、少し幻聴を聞くようになってな……。ところで、今日の課題は何だったかな?」


「あー、忘れてましたねぇ? 今日はデジタルを使って効率よく校正を進めよう、という話をする予定だって、先週言ってたじゃないですかぁ?」


「ああ、うむ、そうだったな。言っておいたテキストエディタは、もうインストールしたか?」


「もうとっくに入れてあります。起動までして、ずっと待ってたんですよ?」


 ううむ、最近の新人は押しが強い……。特にこの早坂君は……。

 いいや。これはおそらく、私が疲れていたせいかもしれん。


 何しろ昨日は日曜日だというのに、午前一時まで作者と、国際政治に関する激論を戦わせていたからな。


 作者の奴は、もう少し経過を見ようだなどとヌルいことを抜かすが、私は断固として、一刻も早く事を進めるべきだと感じていてな。

 その手始めとして、大型巡視船に十五センチ砲を積んでだな、日本海や東シナ海をだな……。


 ――はッ! 私としたことが、つい日本の近海防衛について夢中になってしまった! ふう、いかんいかん。


「よし、早坂君。きみは今までに、テキストエディタというのを使ったことがあるかね?」


「テキストエディタというと、ウィンドウズの『メモ帳』みたいに、横書きの文字しか入力できないやつですよね? 文字を打つなら『ワード』みたいなワープロソフトを使っちゃいますので、そういうのはあまり使わないです……」


「まあ、アプリケーションをプログラム言語から組むエンジニア以外は、ほとんど使わないだろう。だがこれからはIT化の時代だ。校正者もデジタルで文字を扱うことで、驚くほど仕事がしやすくなるぞ。今日の課題はそんな話だ」


「校正者もデジタル……。ほぇ~。な、なんか斜め上の話になってきたですぅ~」


 さすがの早坂君も目を回しているようだが、むしろそれが、当然の反応だろうな。


 校正者というと仕事場では赤ペンと色鉛筆を握りしめて、調べ物は本棚にズラリと並んだ辞書や用語集に首っ引きになる……。今でもそんなイメージが定着している職業だ。


 だがIT化の波は着実に、校正の世界にも浸透してきている。これはまぎれもない現実だ。


 とりわけ文書の中から特定の文字を検索したり、抽出したりする作業では、校正者が何十人束になったとしても、コンピュータの処理能力には到底及ばなくなっている。


「では早坂君、問題だ。このテキストエディタの検索機能を使って、今そこに表示されている文書の中から、電話番号だけを抜き出してみてくれ」


「電話番号、ですかぁ。う~んと、じゃあとりあえず、東京の市外局番『03-』で検索してみたら……」


「ん? 本当にそれでいいのか? その方法だと……」


「あにゃー。やっぱり。東京の市外局番しか検索できないですぅ……。頭に『TEL』とか付けてくれないとぉ……」


「早坂君、それは別に、そうと決まっているわけじゃないからな。しかもその検索方法だと、『会員番号003ーXXX』というものまで検索できてしまうぞ?」


「あ、そうかぁ。ふみゅう……。どうしよう」


 ――うぬぅ、彼女の○学生のようなアニメ声は、どうにかならんものだろうか。いちいち萌えてしまうではないかッ!(悶絶)


 あ、いや。それはさておき。


 こうした条件付きの文字を検索する場合には、もっと効率のいいやり方がある。

 特定の文字列を記号で表現する手法、「正規表現」を用いる方法だ。


「では答えだ。検索窓に『0\d{1,5}-\d{1,4}-\d{4}』という文字列を入力して、『すべてを検索』のボタンを押してみてくれ」


「えー……。これって、プログラム言語ってやつですよね? 文系の私には無理なんですけど」


「まあ、プログラム言語の一種と言えなくもないが、実際はその一部でしかないぞ。さあ、入力したらボタンを押してみてくれ」


「うーん、これは難しい世界に入っちゃったかも……って、ふおおおッ?」


 まったく、いちいち得体の知れないリアクションだな。

 うむ、まあ、そこがまた彼女の魅力なのだがなッ!(心の中でガッツポーズ&落涙)


「す、すごいですぅ! 東京の03どころか、文章中にある電話番号は全部検索できちゃったんですけど!」


「どうだ、すごいだろう? これが例の、しぇ、しぇ、しぇーき……」


 ――うぬうッ! どうしても「正規表現」がうまく発音できんッ!

 信州人だけではなく、関東人はサ行に弱いのだッ! 信州は関東ではないがな!(クワッ)


 おい、コラそこッ! 蔑むような薄目で、クスクス笑うんじゃないッ!(赤面)


「あ、それって『正規表現』ですよね。営業の斉藤先輩が言ってました。南条先輩はどうしても最初は発音できない、とも」


「ぬう、あいつめ……。来週会うから、その時何としても立ち飲み屋の隠しメニュー『ザ・ゴッド・オブ・イカ焼き』をおごらせてやるからな……」


「な、なんですか、その大げさな名前のイカ焼きは……」


「知らんのか。要するにイカ焼きの神だ。雑誌でも『今そこにある伝説』だと取り上げられていたぞ?」


「イカ焼きの神……」


 ――まさに読んで字のごとくだ。あれを一口食せば、たちまちイカ焼きの新天地が広がるというのに……。


 ふむ、まあいい。話を本筋に戻そうか。

 では読者諸君にだけ、正規表現の奥深さを語って聞かせることにしよう。


 正規表現というのは、言うなれば、文字を集合的に扱うために生まれた定義づけのようなものだ。

 文字を集合的に扱うことができれば、処理速度の向上に繋がる、というわけだな。


 例えばあるプログラムの中で、英数字だけを緑色で表示するという命令をするとしよう。


 英数字というのは、アルファベットと数字のことだ。ひと言でそうくくられるが、大文字と小文字を区別するならば六十二文字にもなる。

 それを一文字ずつ、個別に指定することもできる。しかしとても非効率的だし、プログラムそのものも、恐ろしく長いものになってしまうだろう。


 そこで正規表現だ。英数字は正規表現だと、[a-zA-Z0-9] だけで表現できてしまう。

 ここでは角括弧を使って、六十二文字をひとまとめに表現しているわけだな。


 要するに正規表現というのは、特殊な意味を持つ記号と文字とを組み合わせて、特定のルールに当てはまる文字を定義してしまおう、という考え方だ。


 特殊な意味を持つ記号とは言っても、一般的によく見る「¥」や「+」などといった記号を、先頭に付けたり、囲んだりして使うだけだ。覚えれば簡単だぞ。

 たとえば正規表現として使うときだけ、「^」は行頭、「$」は行末を示す記号に変わる、といった感じだ。


 テキストエディタというツールの中には、この正規表現を検索や置換で利用できる機能が備わったものがある。多くは有料だが、無料でも入手可能だな。

 最近では、ワープロソフトでも使えるようになっている。最新のものを持っているなら、試してみてもいいだろう。


「……というわけで、今回は検索のやり方だけを取り上げたが、置換で使うと、もっと便利で有効に使えるぞ。校正の業務には必要ないがな」


「えー? でもそれって興味あります。私、文章書くのが苦手なので、便利な置換の一例でもいいから、教えてくださいよぉ」


「ううむ、そうだな。この前の早坂君の研修レポート、段落の一字下げが、入っていたり入っていなかったりしていた。あの空きを、まとめて入れたいとは思わないかね?」


「えっ……ありゃー。それはすみませんです……。でも、それならいっぺんに入れる方法を、是非教えてください!」


「簡単だ。検索する文字の欄に『^』と入力してから、置換する文字の欄に『\x{3000}』を入力して、『すべてを置換』をやってみるんだ。『\x{3000}』が難しいなら、直接、全角のスペースを入力してもいい」


「はい、それじゃ。ポチッと――ふおおおッ?」


 いちいち早坂君のリアクションが大げさだが、やむを得んな。(訳知り顔)


 この正規表現は、行頭を示す「^」と、全角のスペースを示す「\x{3000}」を組み合わせたものだ。すべての行頭に全角空きが入るぞ。

 物書き諸君、この便利な正規表現を是非試してみてくれ。


 ただし空行や、行頭にカギ括弧が入った行でも空きができてしまう。

 回避する方法もあるが、今回はここまでだ。注意して使うのだぞ。

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