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色調の修正指示は、慎重にせよ!

 私だ。校正者の南条だ。

 何? 駅でスマートフォンの画面を見ながら歩く連中が多くて、困っているだと?


 うむ、それは確かにそうだ。あれで人混みの中を歩かれたら、周囲を歩く者としてはたまったものではないからな。

 画面をのぞき込んでいると、どうしても歩行速度が鈍るからな。そういう連中は邪魔以外の何物でもないな。


 そういえばある時期、某ゲームの影響で、歩きスマホどころか運転スマホをやり出すバカが増えたな。諸君は当時の騒ぎを覚えているかね?


「ポ○モンGO 歩きスマホで あの世へGO」などという流行語(スラング)も囁かれたものだ。


 さらに運転スマホで脇見運転したあげく、交通事故を起こす大バカも続出して、某ゲームに対する非難の嵐が全国的に吹き荒れたものだが、最近はあまり聞かなくなったな。

 まあ私から言わせれば、ゲームが悪いなどというのはお門違いもいいところだ。公共のルールを破ってまで、のめり込む奴がバカなのだ。


 何? そう言うお前も公園で、某ゲームにのめり込みながら歩いたせいで、幼児の三輪車にぶち当たりそうになったことがあるじゃないか、だと?


 うるさい、黙れ作者。

 どこから見ていたかは知らんが、あれ以来私は心を入れ替えて、歩きスマホを一切しないことに決意したのだッ!(クワッ)


 一度危ない目に遭って悟りを開いた私は、今でも駅で歩きスマホをやっている奴とは、ひと味もふた味も違うのだぞ。フフフ……。


 ――何? そういうのは、自分の力で悟りを開いた者だけが言えるセリフだろう、だと?


 ええいッ、黙れ作者! そうやって上から物を言うのはやめろと、何度言ったら分かるのだッ!

 もともと歩きスマホをする習慣のなかった貴様などに、スマホ依存症の気持ちが分かってたまるものかッ!(白目で号泣)


「……おーい、南条さ~ん。聞いてます? あ、また例の守護霊ッスかぁー? あらら、号泣までしちゃって……」


 ――ぬぅッ! そ、その朝っぱらから妙にチャラい声はッ?

 さっきCMYKの意味が言えずに追い返した、後輩の清水ではないかッ!


 うぬう、抜かったわ。よりによってこいつにまで、作者との語らいを目撃されてしまうとは……。


 チャラい行動が生きる糧になっているこいつのことだ。もう明日中には、私が守護霊と熱く語る危ない変人だという噂が、社内を駆けめぐっていることだろう。

 くぅっ、男・南条、一生の不覚ッ……!


「まあいいッスけどね。そりゃ南条さんの問題で、俺っちには関係のないことッスから」


 なん、だと……? 清水、お前……。


「そんなことより南条さん、この色校戻りを見てくださいよ。何書いてあるんだか、さっぱりなんスよね~」


 フッ。そんなことより……か。

 まあこいつにとっては、私が朝から作者と激論していることなど、関心事ではないのだろう。仲間意識から、見て見ぬふりをしてくれているのかもしれんな。


 ふむ、その礼というわけではないが、今度の金曜日、一緒に街に繰り出してやろうとするか。

 どのメニューも二百九十円の立ち飲みだがな。イカの一夜干しが絶品だ。


「色校戻りか。それも深井に直させる案件だな。わからないのは、文字に関する修正以外のことか?」


「そうなんスよ。特にこの『ネムい』っていうのとか……」


「――何だ! 清水ッ! まだ朝っぱらだぞ! 今からもう眠いとは何事だッ!」


「あー、違うッスよ。この指示のことッス。あ、お約束あざっす」


 ううむ、何だ? うまく手玉に取られたような、この敗北感は?

 どうもこいつの行動や言動には、私をいじって遊んでいるような感じがあって気に食わんのだが……。


「俺が眠いんじゃなくて、この写真に『ネムい』って書いてあるんス。一体何がネムいのか、俺っちにはさっぱりで……」


「うむ、どれどれ……。ぬう、確かに、写真に丸囲みしてあって、そこに『ネムい』と書いてあるだけだな」


 ――ぬ? 何だ作者。私が清水に「眠い」の意味を解説してやれ、だと?


 いちいちタイミングよく出てくる奴だが、まあいい。今回も私の豊富な知識を披瀝してやるとするか。感謝するがいいぞ。


 今ではほとんどお目にかからないが、フィルムカメラが全盛だった頃はよく見かけた。

 そう、あの時はまだ、二十一世紀には入っていなかったな。


 写真家や製版屋の専門用語として、現像した写真のピントが合っていない、もしくは輪郭がぼやけているなどという場合、「眠い」という言葉が使われていた時期があった。

 今では写真をデータでやり取りするが、当時はネガフィルムやリバーサルフィルムのままで支給されていた。それをフィルムスキャナというものでデータ化し、DTPに使っていたのだ。


 今のデジタルカメラには手ぶれ補正機能があるが、そんなものがない当時、手ぶれした写真を製版の段階で直させることがよくあった。


 現在は安価な写真加工ソフト(フォトレタッチソフト)が出回っていて、ぼやけた写真も個人のパソコンで簡単に直せるようになったが、あの当時のフォトレタッチソフトは高価でな。十万円くらいするのが当たり前だった。しがない写真家ふぜいには、直すことすらできなかったのだ。


「……というわけで、『眠い』というのは、写真や画像のピントが合わずに、ぼやけた状態のことだ」


「ああ、そういうことッスか……。でも、一番よくわからないのが……」


「何だ? まだわからないことがあるのか?」


「いや、わからないのはこの指示ッス。『ネムい』って書いてくれたのはいいッスけど、その状態をどんな風に直せばいいのか、具体的に書いてくれてないんスよね」


 ぬぅッ……。そう言われてみれば、確かにそうだな。

 特に色調に関する指示を曖昧にすると、トラブルの原因になりかねんな。


 文字の修正であれば、もし意味不明な指示があったとしても、前後の指示や文脈などから、ある程度意味を推測することは可能だ。


 しかし写真やイラストの色調に関しては、指示した者が自分で直さない限り、好みが完全に満たされるとは限らない。

 その結果、納品後に「色が薄い」「少し青い」といったクレームになってしまう。清水が言いたいのは、そういうことなのだろう。


 眠い画像をハッキリしたものに修正するには、フォトレタッチソフトのシャープネスという機能が有効だ。その中でも業界標準になっている「フォトショップ」というソフトだと、「アンシャープマスク」という機能を使えば、誰でも簡単に直せる。


 だがその「アンシャープマスク」にしても、「適用量」やその「適用半径」、そして「しきい値」などといった数値で細かく設定できる。

 つまりどのように直すべきか、しっかりとした指標がない限り、修正する者の好みが優先されてしまう。その分、依頼者の好みとは乖離していってしまうわけだな。


「つまりお前が言いたいのは、どうやって修正すべきかの見本が欲しい、ということか?」


「まあそれが最高なんスけど、ちゃんと言葉でわかるように書いてくれてもいいッスね。『服と草原の境目がハッキリするように』とか、『この人物の肌を鮮明に』とか……」


「ふむ。それは一理ある。振り返ってみればわれわれ校正者も、修正する者がわかるよう、具体的な指示を書くように努力しなければならんな。ん?」


「あ、やだなぁ……。そ、その話は別として、こういう曖昧な指示の場合は、どう直させたらいいッスかね?」


「ううむ。具体的な指示がない以上、どう直すべきかはこちらの裁量でしかない。できる限りのことをして、先方には再色校を提出するしかあるまい」


「やっぱり、そうッスか……」


 印刷物の色調を重視する依頼元であれば、色校を何度取ってもいいだろうとは思うが、色校もタダではない。どちらかと言えば高価な方だ。今や依頼元の大多数は、色校すら取らないのが現状になっている。


 ただ、印刷屋としては色調にかなり気を配る。依頼元には色校を見てもらいたいものだ。


 もっとも効率的なのは、実際の印刷機で色校を刷ってみる「本機校正」だ。これも高価ではあるが、より完成形に近くなるので、試行錯誤をする回数は確実に減らせるだろうな。


「仕方がない。清水、上がった色校を営業に送るときに、本機での校正について申し送っておけ。色調優先で予算がある得意先なら、こちらとしても絶対、その方がいいからな」


「りょーかいッス。……ところで南条さん? 今までもこの仕事、一生懸命校正してきたんスけどねぇ?」


「……何が言いたい?」


「だって、今さら本気になれって。それってちょっと失礼じゃ――」


「バカもん! 『本気』ではなく『本機』だッ! 本機校正はマジ校正のことではないぞ!(怒)」

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