三点リーダーか。悩ましい問題だ
私だ。校正者の南条だ。
さて前回から始まった縦書きの作法についてだが、まず読者の諸君に、私から質問がある。
――「ワープロ専用機」と称するものを、諸君は知っているかね?
平成生まれだと、知っている方が少ないかもしれない。パソコンになりきれない電子辞書のようなもので、文書の作成に特化していた。
キーボードがついていて、パソコンのように文字入力ができる。電子タイプライターと言った方が早いかもしれんな。
ワープロ専用機が全盛期を迎えたのは、今から二十年以上も前の話だ。
ちょうど、例のPC-98シリーズと、ウィンドウズとの過渡期に当たる時代だ。
私はその当時、大学生でな。いろいろと青春に思い悩んだ時期だった。
言っておくがな、こんな私にも、若き青春に身を焦がした年代もあったのだぞ。
おいコラそこ。学生運動や安保闘争みたいな青春ではないぞ。……一体君らは、私を何歳だと思っとるんだ。
その当時は各メーカーが開発にしのぎを削っていてな。「文豪」とか「書院」とかのワープロが特に有名だった。
ちなみに、私は「オアシス」ユーザーだった。親指シフトというのは使えなかったがな。言わば私は、「オアシス」でキーボードの使い方を覚えたと言っても過言ではない。
何? どうして今さらそんなことを聞くのか、だと?
まあいい、最後まで聞け。
ワープロ専用機というのは日本で開発されただけあって、縦書きというのが普通にできた。
その頃、画面上で縦書きをすることは当たり前だったのだ。
ワープロ専用機は画期的な機械だった。プリンターも付いていて、入力したものをその場で印刷することもできたのだ。縦書きもその優れた機能のひとつだった。
しかしいつしか「ワード」なる舶来のソフトウェアに押される形で、ワープロ専用機は今世紀初頭までに市場から消えてしまった。
それ以来、日本人は、もっぱら横書きで文章を書くようになってしまった。
一太郎のような、縦書きに特化したワープロソフトも頑張ってはいるのだがな。
横書き主流になってしまったのは、舶来のソフトに影響されたからに違いない。縦書き文化を愛する日本人としては、忸怩たる思いではあるが……。
「えー、南条さん。今どきワードはビジネスの必須テクじゃないッスか。今さら何言っちゃってんスかぁ?」
「――うるさい、黙れ清水。一太郎ユーザーでもある私の前で、二度とその名を出すんじゃないぞ。いいな?」
まったく、無神経にもほどがある。こいつには今度、徹底的に一太郎の優位性を刷り込んでおかねばならんな……。給湯室でな。フフフ。
「んで、南条さん。もうとっくに始業時間ッスよ。取りかかる前に、縦書きのルールを教えてくれるんじゃなかったんスか?」
おお、もうそんな時間になっていたか。
後で質問攻めが来るのは面倒だ。仕事を始める前に教え込んでおくとするか。
「うむ……いいだろう。例えばこの作業指図書の中で、わからない用語はあるか?」
「ああ、わからないっつーか、不思議だったのは、『!』や『?』の後ろには全角空きを入れるところッスかね。どうしてわざわざ、そんなことを……?」
確かに、どういう理由でそうなったのかを説明しなければ、彼も納得しないだろうな。
私も少々気になっていた時期があったので、あらかじめ調べておいたのだ。
「まあこれは一説だが、日本語以外の言語では、『!』や『?』は終止符の代わりとして用いられる。つまり必ず文章の最後に置かれる記号、ということだな。だが日本語には、そういった制約はない。文中でも使える。終止符であるはずなのにな」
そうなのだ。「!」や「?」は本来、終止符なのだ。
欧米では、終止符の次の文が始まるとき文頭を大文字にしたり、やや空きを広くしたりするが、日本語で用いる際にその風習だけが残ったのだろう。
「――はあ、そりゃ確かに、疑問文はそこで終わらないと、先に進まないッスね。でもよく考えてみりゃ、日本語って『!』や『?』がなくても、文脈で通じますよね。強調する意味はあるんスかね?」
……うむ、こいつなかなか考えよる。フッ、しかしそう来なくてはな。
「そうだな。比較的新しい記号なのかもしれん。段落を入れるならいいが、次に続く文と連続しないようにという配慮で空きを入れることになったのだろう。欧米的な文末記号の名残だ。『!』や『?』の後には、句読点を入れない理由もわかるな?」
「あー、何となく。句読点入れたら二重になって無駄ッスもんね。でも無駄と言えば、どうして三点リーダーとかダッシュ……じゃないダーシは無駄に二文字分なんスかね? 誰が決めたんスか?」
この男――痛いところを突いてくるな。フッ、まあいい。
「三点リーダーについては明確な規定があるわけではないが、大手出版社や新聞社などではそうなっている。ダーシが二文字分なのは、ハイフンや音引きと混同されないためという配慮が考えられるがな」
これについては、昔からの業界内で慣習的なものがあるのだろう。
表現が自由である以上、自分の好きに書けばいいという考え方があるのも、わかる。
しかし私は文章をチェックする際、三点リーダーやダーシは二文字分であるのが文章作法だと教わった。誰が決めたかわからないが、これは動かしがたい事実だ。
それが実質的に慣習となっている以上、どこかに文章を応募するのであれば、「別に自由なんだから、三点リーダーは一個でいい」などと我が道を貫くことは得策でなかろう。
「うーん、何だか曖昧ッスねえ。それにいちいち三点リーダーなんかじゃなくても、中黒三つでいいんじゃ……」
「中黒はあくまで中黒だ。それは正しい使い方ではないぞ。しかしそれはあくまでこちら側の論理だ。指図書に指示されていない限り、中黒は中黒のままで行くぞ」
「ああ、それはもう……。それに三点リーダーやダーシは二文字分って指示されてるッスよね。指示されたこと以外はしないのが校正のモットー……ってやつッスよね?」
うぬう、いちいち癇に障る言い方だが、言っていることに間違いはない。
――と思ったら、向こうから気が弱いDTPオペレーターの深井君が来るではないか。
「あのう、ちょっといいですか? 南条さん……」
「――ああ? 何だ深井ッ! いま清水と話しているところだッ!」
「ひいい! ご、ごめんなさい! は、話の後でいいですからあぁ!」
――おっと、つい普段の調子になってしまった。
これでは後輩いじめだとかパワハラだとか言いふらす、作者の思うつぼだ。自重せねば。
「いや、済まなかった、深井。清水、もう私が言いたいことはわかったな?」
「あ、もう大丈夫ッス。それじゃ仕事に入りますんで。俺っちはこれで……」
……ぬぅ、捨て台詞がまるで江戸時代の町人だぞ、清水。後で正しい言葉づかいを教え込んでやらねばな。給湯室でな。フフフ。
「それで深井、お前が聞きたいことはなんだ? この仕事に関連することか?」
「あ、はい。この『数字ハ漢数字』というルールが、どうもわかりにくくて……。縦書きで使う漢数字のルールがあるんですか?」
――そうだな、オペレーターからすれば、アラビア数字をいちいち漢数字に直すのは、面倒なことだろう。
今回はもう紙幅がないからやめるが、次回は漢数字の扱い方を伝授してやろう。
読者諸君も、刮目して待っているがいい。さらばだ。




