ブラジルW杯&ワールドキャノンマキシマム編
2014年の、5月。
都内会場にて。
サッカー協会の、プロジェクトメンバーが発表する会場に、報道陣が陣取っている。
司会「これから、ファンタジスタ発掘プロジェクトの、2014最終候補者メンバーの発表です。」
発表会場は、期待に胸を膨らませる。
「21歳。Jリーグ誕生日生まれ、大学サッカーで揉まれた、旭ジェイ(あさひ・じぇい)。」
「20歳。フットサル・ビーチ・ストリートスタイル・セパタクローを制覇して、各日本代表になって、満を持してサッカーの世界に挑戦する、東條昇。」
「17歳。ブラジルサッカーに憧れて海を渡り、ブラジルのクラブの、コリンチャンスとプロ契約をしたことで注目された、ブラジル人の血が入るハーフの、逆輸入選手の、百武夢彩。」
「15歳。イタリアのクラブの、ペルージャで監督を務めている、牧島将氏からの紹介で、今年トップチームに昇格した、イタリア人の母親と、日本人の父親を持つ、天才児、ユーギ・グランディーニ。」
「14歳。あのストリートファンタジスタこと、代表専任選手の、倉木飛馬を父に持つ、横浜フェニックスの下部組織に所属して、今年1軍に昇格した、ミレニアムファンタジスタというあだ名を持つ、倉木風馬。」
司会「以上、5人が、発掘プロジェクトの最終メンバーです。この最終結果を、現代表監督の、ザックローニ監督にも伝達して、彼らのプレーを見てもらいますので、その時はよろしくお願いします。」
このプロジェクトで、日本代表候補として発掘された結果を、電話で伝えられた坊主頭の倉木風馬は、喜ぶ。
そのことを、父親の飛馬に伝える。
風馬「やった父さん、僕、発掘プロジェクトに選ばれたよ! 旭ジェイさんと、東條昇さんと、百武夢彩さんと、ユーギ・グランディーニさんと一緒に、ザックローニ監督の下で、プレーをするんだ。」
飛馬「んっ、ユーギ・グランディーニ!? ま、さか…。と、とりあえず風馬、良かったな。」
発掘プロジェクトメンバーの、代表入りテスト当日。
トライアウトに参加するために、緑のフィールドがある施設に、プロジェクトメンバーと、マスコミが駆けつけた。
最終メンバーに残った5人は、みんなで励ましている。
「みんな頑張ろうぜ! 俺たち5人、全員で日本代表に選ばれようぜ!」
ユーギ「ガンバろう?」
日本語がまだ理解できないユーギに対して、風馬が英語と、ジェスチャーで、通訳する。
風馬は、発掘されたプロジェクトメンバーと顔を合わせて、なぜかユーギ・グランディーニだけは、家族みたいに感じました。
風馬「(なぜだろう?)」
数人の報道陣が、プロジェクトメンバーたちを取り上げている。
特に風馬は、父親が有名な、日本代表専任選手ということもあって、フォーカスされている。
そこに、代表監督の、ザックローニが登場した。
ザック「君たちは、とても良いものを持っている。しかしいきなり代表入りは難しいだろう。このきっかけで、少しでもフル代表に近づける機会になれば、この舞台を作ってもらった人たちも報われるでしょう。それでは、テスト練習を始めてください!」
倉木風馬たちは、自分の持てる力を、発揮した。
このプレーを見て、ザックローニも目を細める。
テスト後。
報道陣が、各メンバーにインタビューをしている。
記者「旭ジェイ選手、あなたが生まれた誕生日は、サッカー界では特別の日です。なにか運命的なものを感じていますか?」
旭「そうですね。自分は大学に進学して、遠回りしたけれど、大学で成長した姿を、親父や、お袋に見せたいですね。」
記者「東條昇選手、あなたはサッカーから派生したスポーツを制覇したあと、今回、レギュラーフットボールに挑戦したきっかけはなんですか?」
東條「俺は完璧主義者なんでね。サッカー界を全てコンプリートしようと思ったからさ。」
記者「百武夢彩選手、あなたはブラジルの名門クラブのコリンチャンスに所属していますが、ブラジルと、日本との違いはなんですか?」
百武「私は、W杯に、出たい。だから、ブラジルよりも、楽な、自分の、先祖の、セレソンを、選んだ。ブラジルとの、違いは、絶対に、負けないという、ハートだ。」
記者「ユーギ・グランディーニ選手、あなたは中畑英寿選手が所属していた、ペルージャの選手ですよね。欧州でプレーをしている、日本人選手をどう思いますか?」
ユーギ「ワタシ、日本語、わかりませーん。」
記者「そ、そうですか……、ちなみに、あなたの日本人の父親ですが、今回、発掘されたことについて、どう思っているのでしょうかね?」
ユーギ「チチオヤ? チチオヤは、倉木飛馬です!」
この爆弾発言に、その場にいた人たちは驚いた。
風馬「か、隠し子発掘…!?」
この事実は、日本全国に報道された。
その頃、倉木家では、険悪な空気が流れていた。
あかね「あんた! 隠し子って、どういうことよ!」
飛馬「ちょうどあかねと、別れていた頃なんだって!?」
あかね「あの子の年だと、どう考えても付き合っている頃じゃないよ!? それになんで今まで隠していたのよ!」
飛馬「いや、いつか言おうと思っていたよ……。」
あかね「あんたね、他にもまだ隠し事あるでしょ? 今それを全部白状しなさい!」
飛馬「わかったわかった、もうブラジルで点を取るから、許しておくれよ!?」
あかね「点を取ったって、事実は変わらないのよ!」
ブラジルW杯の、日本代表発表会。
人々が待ち焦がれる、W杯フィーバーが始まる、通例行事の、蒼き侍メンバーの発表です。
その席に、ザックローニが座った。
マスコミ連中が、強烈なフラッシュを焚き始めた。
司会「只今から、ブラジルW杯の、日本代表選手を発表します。それでは、ザックローニ監督、どうぞ。」
ザックローニが、メンバー表を、読み上げる。
1番 河島永嗣31歳。スタンダールリエージュ(ベルギー)所属
2番 内畑篤人26歳。シャルケ(ドイツ)所属
3番 酒海高徳23歳。シュトゥットガルト(ドイツ)所属
4番 本畑圭佑28歳。ミラン(イタリア)所属
5番 永友佑都27歳。インテル・ミラノ(イタリア)所属
6番 森繁真人27歳。東京シティ(日本)所属
7番 近藤保仁34歳。ヴァモス大阪(日本)所属
8番 清竹弘嗣24歳。ニュルンベルグ(ドイツ)所属
9番 丘崎慎司28歳。マインツ(ドイツ)所属
10番 香山真司25歳。マンチェスターU所属
11番 柿坂曜一朗ザクラ大阪(日本)所属
12番 東川周作浦和ブラッドダイアモンズ(日本)所属
13番 小久保嘉人32歳。川崎フロンティア(日本)所属
14番 青川敏弘28歳。サンフォルッツァ広島(日本)所属
15番 昔野泰幸31歳。ヴァモス大阪(日本)所属
16番 山田蛍23歳。ザクラ大阪(日本)所属
17番 長谷別誠30歳。ニュルンベルグ(ドイツ)所属
18番 小迫勇也24歳。1980ミュンヘン(ドイツ)所属
19番 井野波雅彦28歳。ヴィバ磐田(日本)所属
20番 祭藤学24歳。横浜ユナイテッド(日本)所属
21番 酒海宏樹24歳。ハノーファー(ドイツ)所属
22番 吉畑麻也25歳。サウサンプトン(イングランド)所属
23番 権畑修一25歳。東京シティ(日本)所属
0番 倉木飛馬33歳。無所属
ザックローニ「私が選んだ日本代表は、4年間、同じ目標に向かって挑戦してきたメンバーだ。私は23人、全員純日本人を選んだ。半分ドイツ人の血が入っている酒海高徳も、日本生まれだ。君たちに受け継がれた、日本人魂を見せてくれ! 君たちは何も恐れることはない。自分たちのサッカーをすれば、必ず1次リーグを突破することができる。さぁ世界に、日本人の攻撃的なサッカーを、世界に表現しようじゃないか!」
再び、W杯日本代表に選出された、倉木飛馬。
しかし息子の、風馬は選ばれなかった。
しかも、ファンタジスタ発掘プロジェクトのメンバーは、一人として選ばれなかった。
発表会見会場で、ザックローニの選手選考の基準を、記者から問われる。
記者「今回選んだ選手の中で、ベテランと呼ばれる選手が二人います。最年長の34歳の近藤保仁選手と、無所属の33歳の倉木飛馬選手です。近藤選手は、日本の所属クラブでプレーをしていますが、倉木飛馬選手に関しては、無所属なので、日本トップクラスのコンディションを保っているのでしょうか?」
ザックローニ「心配ない。彼はプロフェッショナルだ。何度か直接会って、飛馬くんの状態はチェックしている。年齢的なことも問題ない。ベテランは走れないという人もいるが、若手だって走らない選手もいる。必要なものは、外見ではなくて、質だ。まだ彼は現役を続行できる。私が続投しているかはわからないが、4年後も楽しみなんじゃないですか?」
記者「今回のメンバーの中には、途中で流れを変えるような、自分が引っ張ってやろうというような、魂を受け継いだ選手がいないという印象です。知は、キング知は呼ばないのですか!?」
ザックローニ「私は彼のこともチェックしている。まだブラジルW杯は始まっていない。三浜知良選手も、ブラジルに帰る可能性は、0パーセントではない。」
この蒼き侍の発表を受けて、息子の風馬が、父親に激励する。
風馬「父さん、おめでとう。また出場して、5大会連続出場記録を作ってね。」
飛馬「風馬、残念だったな。しかし君は、4年後は18歳だ。また必死に練習して、成長すれば、お前は必ず選ばれる!」
代表専任選手の倉木飛馬は、国内合宿地の、鹿児島県の指宿市に飛んだ。
思い起こせば、いつも決意を固めるのは、飛行機の中だった。
今日も妙に、機内は落ち着く。
マスコミや、ミーハーファンや、野次馬たちが、合宿所に詰め寄せている。
今回のチームには、戦術担当コーチとして、凩忍工は参加していない。
凩は、技術委員長として、ブラジルからチームに帯同する。
それだけ、ザックローニを信頼していて、緊急登板は必要ないと判断していた。
凩「万端にするには、何事も、準備は、もうこれで良いという上限はない。よし、じゃそろそろ行くか……」
合宿地には、ブラジルW杯特別コーチ陣が、出迎えてくれた。
ザックローニ「紹介しよう。彼らが臨時特別コーチだ!」
そこにはブラジルから帰化した元日本代表選手と、日本人のレジェンドが勢ぞろいしていた。
ブラジルからの帰化選手
DF担当コーチ 田中マルクス闘利王
サイド担当コーチ 四都主
MF担当コーチ ガモス瑠偉
FW担当コーチ ロピス・ワグナー
Jリーグ創世記のキング知世代の日本人レジェンド
DF担当コーチ 海原正巳
サイド担当コーチ 都波敏史
MF担当コーチ 南澤豪
FW担当コーチ 高森琢也
アタランタ五輪世代の日本人スター
DF担当コーチ 中東永輔
サイド担当コーチ 三浜淳宏
MF担当コーチ 後園真聖
FW担当コーチ 大倉隆史
ザックローニ「2014年ブラジルW杯は、日本人にとっても、これまでの集大成の大会になる。全員の力を結集して、日本人の底力を発揮して、ブラジルにぶつけよう。さぁ、国内合宿を終えたらアメリカに飛ぶぞ。そしていよいよブラジルに降り立つ。そこまでに、最高の準備をしようじゃないか!」
ザックローニ監督は、この代表チームに、将来を見据えて、風馬たち、若手のファンタジスタ発掘プロジェクトメンバーを連れて行くことにした。
これは若手が成長していくことにもつながるし、実際、南アフリカW杯では、香山がサポートメンバーに加わり、その経験もあって、逞しい選手に成長した。
ザックローニジャパンは、この合宿で、フィジカル面を鍛え抜いた。
選手のピークをもっていく、そのピーキングが、この合宿から始まっている。
この指宿合宿で、飛馬は、見国高校出身で伝説的プレーヤーだった、『アジアの大砲』と呼ばれた、先輩で臨時コーチの、高森琢也の下に行き、挨拶をしました。
飛馬「高森先輩! 俺は今回もW杯代表戦士に選ばれました。見国高校出身の代表として、ブラジルに爪痕を残します!」
高森「そうか、飛馬くんも、もう33歳か……、私は高校からサッカーを始めて、いろんなサッカー道を歩んできた。今は監督業をやっているよ。ブラジルW杯は、我々、日本を代表して戦ってきた者にとっては、集大成になる大会だ。W杯を知り尽くしている君の経験が、世界のドアを開く鍵になるだろう。私は今は、長崎県民として、長崎に誕生したJリーグクラブの、長崎ヴイスリーの監督を務めている。もし君さえよかったら、代表専任選手という枠を越えて、コンディションを保つためにも、J2だが、我がヴイスリーに入ってくれないか? 我々は常に、扉のドアは開いているよ。」
飛馬「そうっすか、考えておきます。」
ザックロー二ジャパンは、アメリカに渡り、自分たちよりも格下と思われる相手と調整試合を組んで、良いイメージで、ブラジルW杯初戦を迎えようとした。
フットボーラーは、長時間の移動は慣れっこだ。
様々な環境が、戦士たちを待ち構えている。
そしてブラジルに降り立ち、本当に強い相手と戦わないまま、初戦のコートジボワール戦に向かっていった。
ここまでは順風満帆。
ザックローニの日本代表が、本当に史上最強ならば、それを試合で証明せよ。
そこについにあの男が、日本代表チーム入りする。
それは、キング知だった。
プロがない日本から、ブラジルに渡り、プロになって、日本に逆輸入した選手。
今大会は、ブラジルで開催されるということで、サッカー親善大使の三浜知良が、代表に呼ばれた。
ラストピース。
日本代表の、魂の象徴。
三浜知良「W杯が、今回はブラジルで開催されるということで、日本代表に、魂を入れるためにやってきました。いつ自分が出ても良いように、スパイクだけは持ってきました。」
みんなの期待を集めた、集大成のW杯が開かれようとしている。
そこに倉木飛馬がいる。
そしてアシストメンバーとして、息子の風馬も帯同だ。
凩も、日本代表チームに合流した。
ブラジルの合宿地。
人も、人種の坩堝で、陽気な人も多い。
料理も、スパイスが効きすぎた味もある。
しかしこの交流で、環境に適合して、楽しむのも、フットボーラーとして高みを登るためには必要なことだ。
緑が残る、落ち着いた空気の外を、何気なく飛馬が散歩していると、監督のザックローニがいた。
ザックローニ「なんだ、飛馬くんか…。飛馬くん、ガッツァ監督は、イタリアで元気にしているよ。」
それを聞いた飛馬は、ザックローニ監督に聞いてみる。
飛馬「ザックさん、僕がお世話になったガッツァ監督もそうですが、イタリアの、コベルチャーノからは、良い監督がどんどん出てきます。監督にとって一番大事なことは、何ですか?」
ザックローニ「それは難しい質問だね…。ただね、私は信念を曲げずに今までやってきた。そのせいで、監督を解任されたことも度々だ。ミランの時の、オーナーのようにね。でもね、どんな人でも信じることだよ。自分が選んだ選手を、信じてあげることだよ。いつも期待するプレーをしてくれる選手ばかりじゃない。でもね、この商売は、たまに打った手が当たることがあるんだ。その時は嬉しいなんてものではないよ。言葉に表せるものじゃない。その時に、信じて良かったと思えるんだ。どんな世界でもそうだが、人と人との繋がり合いだ。どんなオーナーでも、どんな選手でも、自分だけは信じてあげることが大事だ。それが私が今まで、目立った選手経験もない中で、ここまで監督としてやってこれた秘訣だね。」
飛馬「俺はこのあと、監督も視野に入れて活動していこうかと考えています。そのために名将のザックさんの采配も、勉強したいと思っています。このW杯で、優勝するためには、どんな秘訣が必要だと思いますか?」
ザックローニ「私は優勝を依頼されていない。私は目標を設定しない。一部の選手は、優勝を口に出しているが、私は一つ一つの試合を、どうやって勝つかだけを考えている。初戦のコートジボワールは手ごわいぞ。チームとしてスムーズにはいっていないが、とんでもない選手がいる。2戦目のギリシャも、先制点を取るまでわからない。3戦目のコロンビアは、エースストライカーのファルガオがいないだけが救いだ。彼らは今大会の、ダークホースだ。しかし飛馬くん、勝利を信じるんだ。決して諦めるな。そしたら、サッカーの神様も見ていてくれるだろう。この世界は、信じた者は、いつか報われる。イタリア代表も、2002年は韓国に敗れた。しかし4年後、その悔しさをバネにして、2006年は優勝した。信じている限り、サッカーは続くんだ。」
アルベルト・ザックローニ。
彼は信念を曲げない男だ。
そして周りの雑音を、受け付けない。
決してブレない監督だ。
彼は日本代表監督就任後、一気に世代交代を図った。
その改革のさなか、結果度外視で、若手主体で臨んだ2011年アジアカップで、いきなりの優勝。
準決勝戦の、韓国戦では、リードした点を守ろうと、イタリア人監督らしく、4バックから、3バックに変更という守備を固める采配を起用した。しかし韓国の勢いに負けて、延長戦終了間際に同点に追いつかれる。
しかしその後の、韓国とのPK戦で競り勝つ。
そして決勝戦の、オーストラリア戦。
日本は延長戦で、李正成のボレーシュートで先制する。
そのリードを、決してブレないザックローニは、定石のように、4バックから、3バックにするというイタリア的な守備的な采配で、守り抜いて、1対0で勝利する。
ピーーー ピーー ピーー
日本は再び、アジアを制覇。若手主体のメンバーで、ザックローニがアジアチャンピオンに導いた!!
ザックローニは、韓国戦の反省を生かして、方向性を変えず、イタリア的なサッカーで、いきなり結果を残す。
W杯予選の、北朝鮮戦に敗れるまで、16戦無敗神話を記録。
しかもその試合は、既に突破を決めたあとで、試合に出れない若手を成長させるために、1・5軍主体で戦った結果だった。
不敗神話が崩壊しても、ザックローニは恐れてはいなかった。
積極的に若手を起用して、ただ日本を強くする挑戦を諦めていなかった。
ザックローニは、日本代表に、イタリアの、引いて守ってカウンターで勝つというサッカーを演じさせて、アルゼンチンや、フランスや、ベルギーにも勝てることを証明した。
今まで、アルゼンチンや、フランスや、ベルギーに対して、勝ちに導くことができる監督なんていなかった。
しかしザックローニは、日本を一段階上のチームに導くために、攻撃を重視するサッカーに進化させた。
しかしその間、コンフェデレーションズカップでは、ブラジルと、イタリアと、メキシコと対戦して、合計9失点を喫する。
しかしザックローニは、歩みをやめずに、日本人の潜在能力を信じた。
ザックローニは、日本に、引いて守ってカウンターだけではなく、攻撃的に自分たちで主導権を握るサッカーで、日本をまた一歩進化させた。
日本でも、引いて守ってカウンターだったら、強豪国にも勝てることを証明した。
しかしそのサッカーには、限界があるのだ。
チームがもう一皮剥けて進化するには、他動的ではなくて、自動的に、自分たちで試合を作る必要がある。
試合に勝つには、必然的に複数点を取る必要がある。
サッカーでは、守備を固めて1点差を守って勝つというのは、不確実である。
サッカーでは、1点差では何が起こるかわからない。
だから強いチームは、必然的に複数点を取れるチームだ。
他動的な、引いて守ってカウンターでは、複数点を、必然的に起こすことは難しい。
だから確実に勝つためには、自分たちで試合を支配して、ゴールを決める攻撃的なサッカーをしなくてはならない。
だからザックローニは、日本代表を、攻撃的なチームへと進化させた。
ブラジルW杯前まで、31勝11引き分け11敗の結果を残して、ザックローニは日本代表史上最高監督との呼び名を獲得した。
その肩書きを引っさげて、ブラジルW杯に臨む。
ブラジルW杯の日本の初戦。コートジボワール戦のスターティングメンバー。
ザックローニは、スタメンを発表した。
河島
内畑 森繁 吉畑 永友
山田 長谷別
丘崎 本畑 香山
小迫
これがザックローニの4年間の集大成。
このメンバーで、世界と戦う決断をした。
サポーターも、腹の底から声を出す、応援の準備はできた。
ピーーーー 日本の初戦。ブラジルW杯の開幕です!!
日本代表は序盤、緊張か、フィジカルを酷使した影響なのか、体が重く、キレがなく、動けていない。
会場は暑く、湿度が高い。
コートジボワールは、日本が前回大会で、フリーキックで2点を取ったからか、危険な位置でフリーキックを与えるファウルを犯さない。
だから名手の見せ場がなかった。
お互いにゲームを作る中、日本に最初のシュートチャンスが訪れる。
スローインからのセットプレーで、左サイドの永友から、中央に折り返すボールがキター!
そこにトップ下の、本畑が待ち構えているー!
本畑が左足を振り抜いたー! 決まったー 日本が先制!
2大会連続で、本畑がファーストシュートでゴールを記録ー!!
日本が先制したことで、日本がリードを守ろうと、試合の大半を守備的な姿勢で臨むことになった。
それが功を奏し、コートジボワールの単調な攻めを、日本はうまく対応する。
そのまま前半が終了。
後半の開始。
コートジボワールは、トップ下の本畑にマークを付けた。
日本のフォワードは、小迫。
この試合も、フィジカルが弱いので、前線でタメを作れない。
スピードもないので、決定的なチャンスまで至らない。
メンタルも弱いので、体を張って味方からのパスを、俺が受け取るという意志も見せない。
だから小迫は、オリンピック世代の時に、五輪代表から漏れた。
その当時からの課題を、全然解決することができていないまま、日本代表に呼ばれて、W杯で先発させてしまった。
前線の本畑にマークが付けられて、小迫も機能しないから、前線でタメを作ることができなくなった。
そのことで、後方から攻撃参加することができなくなり、一方的にコートジボワールの攻めを喰らう時間帯がある。
以前の本畑は、滅多に倒れずに、ボールを失わなかったのに、コンタクトですぐに倒れて、ボールを失うことが多くなった。
その流れを変えようと、ザックローニは、展開役の近藤を、54分に、長谷別に代えて投入する。
しかし追加点が奪えない。
通用しなかった小迫に代えようと、小久保を用意し出すザックローニ。
コートジボワールは、イタリア人が作った日本のディフェンスを崩せない。
日本の強みである左サイドを消すために、コートジボワールは意図的に、永友と、香山が担当する日本の左サイドを中心に攻める。
すると日本の左サイドは、自分たちが担当するエリアを警戒するあまり、攻め上がりにくくなるのだ。
しかし攻めあぐねた末に、この男が登場する。
コートジボワールの、ドログパだ。
彼の登場で、空気が変わった。
後半の62分。
ドログパ投入。
その2分後。
必要以上に守備的になった香山が、日本のディフェンスライン近くまで下がって守備をしている!
おーっと、香山が担当するコートジボワールの右サイドバックである、オーリエールが攻撃参加してきたー!
香山がマークをしに行けていないー!
ドログパの起点から、右サイドのオーリエールにボールが渡ったー!
オーリエールが中央にクロスを上げる!
そのボールに、ポニーが飛び込んだー!
入ってしまったー! 日本ゴールにボールが入ったー!
日本が同点に追いつかれてしまったー!
この同点ゴールに、用意していた小久保投入を、ザックローニは一旦、躊躇する。
それはサッカーの法則で、点が決まったあとの数分間は、点を取り返そうと流れが変わり、盛り返すからだった。
ザックローニは、小迫交代を躊躇して、小久保投入を待った。
しかしその2分後。
再びコートジボワールのオーリエールが攻め上がったー!
またしても誰もマークが付いていない状況だー!
右サイドからクロスを上げるー、今度はシェルビーニョが頭で合わせた!
河島が取れない!? あーまた入ってしまったー!
日本は逆転されてしまうー
日本は修正できないまま、逆転弾を喫してしまう!!
シェルビーニョの66分のゴールから、ザックローニは67分、冴えない小迫に代えて、小久保を投入。
小久保は、同点のイーブンの守りではない、相手がリードした守備を固めるゴールから、得点を決めなければいけないという、ミッションが難しい戦場に送り出された。
同点のままだったら、彼の攻めが活きたかもしれない。しかし送り出されたのは、相手が守備を固めたあとだった。
ここが、ザックローニジャパンの、ターニングポイントだった。
コートジボワールは攻撃的すぎるチームで、守備役と、攻撃役の比率が、6:4だったのにも関わらずに、日本戦は守備も重視する、8:2に変わっていた。
本来、コートジボワールは、攻めたら後ろには6人しか残らない、守備を重視しないチームだった。
そこがコートジボワールの弱点だった。
しかしこの試合は、コートジボワールがリードしたことで、後ろに人数をかける戦い方に変えてきた。
日本の守備役と攻撃役の比率も8:2だ。
その流れのまま、決定打が出せない日本代表。
日本は点を取るために、前線の形を、センターFWに本畑・トップ下に香山・左ウイングに小久保・右ウイングに丘崎という、ポジションチェンジをしてみる。
日本は調整を失敗したからなのか、走りきれない。
パスミスも目立ち始めて、得点チャンスまで持ち込めないシーンが続く。
日本は決定的なチャンスを生み出せないまま、86分に、香山に代えて、柿坂に命運をかける。
日本は終盤になり、センターバックの吉畑を前線に上げて、吉畑に後方から、簡略してロングボールを送るという、パワープレーに打って出た。
しかし柿坂に、仕事を果たせるようなチャンスは巡ってこずに、試合終了。
日本はブラジルW杯の初戦で、コートジボワールに逆転負け。
日本のブラジルW杯2戦目。ギリシャ戦のスターティングメンバー。
河島
内畑 吉畑 昔野 永友
長谷別 山田
小久保 本畑 丘崎
小迫
ザックローニは、コートジボワール戦で調子が悪かった小迫を信じて、2戦目でも起用。
コートジボワール戦で警告をもらったセンターバック陣は、核の吉畑を残して、森繁から、昔野に変更した。
そして左ウイングの香山を休ませて、小久保を先発から投入。
そして右サイドに据えて、本来右サイドだった丘崎を、左サイドのウイングで起用する。
ザックローニは、今まで積み重ねてきた、本来の形ではないやり方を、本番で使ってきた。
あとは変更なし。
日本は1戦目で逆転負けを喫しているだけに、このギリシャ戦では、勝利が必須だった。
一方、ギリシャは、この試合が開始される前に、コートジボワール対、コロンビアが行われて、コロンビアが勝ったために、この試合で引き分けても、最終戦でコートジボワールに勝てば突破できるという、望みがあった。
さぁ、歴代最強の力を見せつける時だ。
両チームのメンバーは、試合開始のホイッスルを待った。
ピーーーー 日本対ギリシャの開始です!!
日本は序盤、積極的に攻め始める。
それに対してギリシャは、引いて失点をせずに、カウンターで得点を狙う戦法を取ってきた。
ギリシャの守備役対、攻撃役の比率は、9:1だった。
それだけ守備に重きを置くチームということで、ボールを保持していない時には、ほぼ全員が下がって守備をするという、リトリートを採用していた。
この試合でギリシャは、日本のトップ下の、本畑に特定のマークを付けなかった。
ギリシャは、日本のフリーキックを警戒せずに、危険な位置でもファウルを犯してきた。
試合は、日本が優勢のままゲームは進む。
その流れの中、前半の38分。
象徴的な、想定外の事件が起こる。
ギリシャのボランチのキャプテンのガツラニスが、2枚目のイエローカードをもらって、退場処分になる。
これにより、ギリシャは、引いて下がって自陣ゴールを固めた。
完全に引き分け狙いの、あわよくばカウンターで1対0で勝つという戦法に偏った。
ギリシャは、前線に1人残して、残りの8人は引いて守る。
ここがギリシャの、ターニングポイントだった。
日本は、一人少なくなった相手に、即座に押し込めて点を取るという形を施行しなかった。
これをやれば、連続して、一方的に攻め続けられるという形だ。
しかし日本は、すぐさまそれをやらなかった。
試合は、攻める日本に、守るギリシャの構図。
そのまま前半が終わる。
後半が開始する。
後半開始直後から、近藤を、長谷別に代えて投入する。
近藤保仁は、1979年生まれの、黄金世代最後の生き残りだ。
彼もこの大会を、集大成と位置づけていた。
日本は、ザックローニの助言が有り、後半開始直後から、相手を押し込める形を施行してきた。
それにより日本の攻めに行く回数が増えた。
一方、ギリシャは、相手のミスが起こらない限り、日本のゴール前まで進んで、得点するという可能性が低くなった。
しかし日本のFWは、背が低い。
日本はサイドからクロスを上げるが、相手ゴール前の中央のFWに渡る前に、背が高いギリシャのDFに阻まれる。
後半の57分。
ザックローニは、小迫を諦めて、小迫に代えて、満応じして香山を投入する。
しかし日本は、中央に鍵をかけるギリシャのゴールを開けられない。
日本は、サイドからクロスを上げるくらいしか、攻め手がない。
そのまま時間だけが過ぎる。
日本はシュートチャンスがあっても、とりあえずシュートという選択肢がない。
W杯に出場している他の国の選手は持っているのにもかかわらずだ。
日本人は未だに、選択肢の上位に、シュートよりも、より確実な味方へのパスの方が、高い。
だからシュートチャンスにシュートを撃てば可能性があるのに、チャンスを逃していた。
そんな中、押し込めているポジショニングをとっていた右サイドバックの内畑が、67分。相手ゴール前までに侵入する。
浮かしたボールが右サイドの内畑に渡ったー!
内畑が、ギリシャディフェンスラインとゴールキーパーとの間にグランダーのボールを送る!
逆サイドでゴールがガラ空きだー!
そこに小久保が詰めているー!
頼む小久保ゴールを決めてくれー!
あー!外したー!!
小久保は、ゴール前に持ち込むまでは良いのだが、最後の決定である、フィニッシュの精度がない。
その課題は、4年前から同じで、Jリーグ得点王という結果を残した今でも、変わらなかった。
ザックローニは、今の攻め方を続けていたら、いずれゴールは割れると判断した。
そこでラストピースを送り出す。
倉木飛馬だ。
後半の80分。
最後の10分間に、全てを託す。
与えられた時間は残り少ない。
しかし飛馬は、諦めてはいなかった。
ザックローニは、自分が送り出したメンバーを信じた。
丘崎に代えて、倉木飛馬を投入。
これにより、倉木飛馬はW杯5大会連続出場の記録を更新する。
飛馬への、観客の大声援が、心の底から震わせる。
しかしギリシャの壁は厚い。
決定的な場面も作らせてもらえなかった。
結局日本は、引き分け狙いに修正したギリシャの壁を破ることはできなかった。
そのまま試合終了。
この引き分けという結果により、日本が1次リーグを突破するには、日本の最終戦のコロンビア戦では、絶対勝利が必要になり、おまけにギリシャが、コートジボワールに勝たなければ可能性が低いという状況に陥った。
日本のブラジルW杯の3戦目。コロンビア戦のスターティングメンバー。
河島
内畑 吉畑 昔野 永友
青川 長谷別
丘崎 本畑 香山
小久保
日本が決勝トーナメントに進むには、必ず勝利が絶対条件だった。
1戦目と、2戦目では、日本の本来の攻撃サッカーを披露することはできなかった。
だからこの3戦目にかかっている。
誰も夢を諦めてはいない。
W杯史上最強の日本なら、コロンビアに勝ってやれ!
ピーーーー 日本対、コロンビア戦のキックオフです!!
日本は序盤から、積極的に、コロンビアゴールを攻め立てる。
日本はこの試合は、良いサッカーを披露していた。
日本が圧倒的に、ボールを支配する。
しかしコロンビアは、カウンターを狙うチームでもあった。
この試合では、コロンビアの特定の選手が、本畑をマンマークしてきた。
日本の守備役と、攻撃役の比率は、いつもの8:2。
コロンビアの守備役と、攻撃役の比率は、前線に3人残す、7:3だった。
しかし日本代表は、1戦目と、2戦目が嘘みたいに、アグレッシブに攻めて、非常に魅力的なサッカーを展開する。
やはり、一部の選手が公言していたように、日本代表は優勝を目指していた。
つまり、初戦にピークを持ってこずに、後半にかけて調子が上がってくるように調整していた。
優勝候補は、初戦にピークを持ってこない。
この試合は、みんな走れていた。
この状況に陥ってしまったのは、やはりピーキングを間違えたのだ。
この試合、日本はこんなにも素晴らしいサッカーができるのだということを、証明した。
しかし先制したのは、コロンビアだった。
前半の15分。
日本は前掛りになって攻め上がるー!
しかしボールはコロンビアに渡っーた!
日本のディフェンスは手薄だー。
ボールを持っている選手に対して、ニアにナナメに入り込まれたー!
ペナルティエリア内に、侵入を許したー!
昔野頼む、止めてくれー!!
ピーーーーー!
なんだこの笛は?
PKか? PKだ!? なんてことだPK献上!!
これでドイツW杯から、3大会続けて、日本はPKを与えてしまうー!
PKをけるのは誰だ?
グアドラードだ。
頼む河島! 何が何でも止めてくれー!!
ピーーーーーー!
入ってしまった!?
日本は、コロンビアに先制点を許してしまう!!
日本はその後、諦めずにコロンビアゴールに襲いかかる。
コロンビアは、ベストメンバーから、8人も入れ替えたメンバーだった。
しかし2軍が出場しても、強さは変わらない。
日本はコロンビア相手に、攻めあぐねる。
先発で起用された香山は、まずシュート力がない。
良いコースに飛ばしても、威力がないから、ゴールキーパーに遮られてしまう。
自身が所属するビッグクラブでも、結果が出せないのはそのためだ。
しかし日本は諦めなかった。
さぁ、時間は、前半が終了しようとしています。
日本は食らいつけ!
まだ時間はある。同点に追いついたら、あと1点だ!
他会場では、ギリシャが、コートジボワールをリードしているぞ!
本畑がボールを持ったー!
クロスを送る!
中央には、ダイビングヘッドの丘崎だー!!
決まったー!!
妙技ヘッドで同点弾ー!
このまま前半が終わる。
運命の後半戦が始まる。
同点に追いつかれたコロンビアは、後半開始直後から、この男を送り出す。
ハメズ・ロドリゲスだ。
コロンビアの司令塔。
エースストラーカーのファルガオはケガでいないが、その代わりにコロンビアには、この至宝のハメズ・ロドリゲスがいる。
後半開始後。
流れは選手交代をしたコロンビアに傾く。
その流れを、日本は返すことができない。
それが必然だったかのように、得点が生まれた。
日本は前掛りになっている!
ゴール前で一瞬の隙が芽生えたー!
ジャクソン・マルディネスがそのチャンスを見逃さなかったー!!
ゴール!!
コロンビアが突き放す!!
後半の62分。
ザックローニは、ハメズが攻撃を組み立てているので、マークを付けるように、ボランチの青川に代えて、山田蛍を投入する。
すかさず後半の69分。
疲れが見え始めていた香山に代えて、柿坂を投入。
勝負に出た!
そして試合は、スコアを除けば、一進一退の攻防が続く。
日本は積極的に攻めて、コロンビアはカウンターで突く。
その流れの中、コロンビアに3点目が生まれる。
日本の陣地には、数人しかいないぞ!
キター! ジャクソン・マルディネスだー!
マルディネスがシュート!?
いやこれはフェイントだー!
釣られた内畑!
正確なボールが、日本のサイドネットに突き刺さったー!!
コロンビアが3点目!!
この得点で、日本代表の気持ちがなえた。
その得点後、後半の85分。
些細な期待を抱きながら、この試合では覇気を示していた香山に代えて、清竹を投入。
その後、後半の90分。
前掛りの日本の裏を突いたーハメズ・ロドリゲス!
吉畑をかわし、ゴールキーパーと一対一だ!
思わず河島が前に出るー!!
しかしハメズのループシュートが、ふわりと日本ゴールネットに吸い寄せられたー!
あー、日本が失点! 痛恨の決定的なゴールを決められたー!!
そして、日本の気休めのようなゴールチャンスが舞い降りる。
日本は前線に人を集めている!
次につながるシュートを決めてくれー!
あっ柿坂がすり抜けたー!
ゴールキーパーと一対一だー!
ここで決めてこそ真のエースだ! 柿坂!!
あーゴールキーパーが弾いた!!
ピーーー! ピーー! ピーー!
試合終了。
日本がコロンビア相手に、4失点!!
日本の集大成の、ブラジルW杯が終わったー!
世間から、歴代最強と謳われた日本代表のみんなは、今大会も目標には届かずに、夢やぶれて、呆然としている。
試合終了後のピッチで、予選まではレギュラーで出場していた、横浜ウイングスの同僚の近藤保仁が、悔しさをにじませながら、立ち尽くしていた。
その近藤に、飛馬は歩み寄って、声をかける。
飛馬「近藤さん、俺たちの世代は、このブラジル大会を、集大成に位置づけていた。だからこそ、この段階でブラジルを去ることは、受け入れがたい。でも俺は、次の大会も目指してますよ。だから近藤さんも、代表を目指してください。」
近藤「飛馬ちゃんは変わってないね。ウイングスで会ったときから、目指している次元が違う。俺は今まで、一歩づつ階段を登って、ここまでたどり着いた。でも飛馬ちゃんは、階段を二段飛びしてる。17才でW杯代表に選ばれた時なんか、3段くらいとばして飛んで、俺たちのとこから、遠く離れた存在になったもん。」
二人は固い握手をして、次の大会もこのピッチに残ることを、誓い合った。
ここからは、技術委員長として、チームに帯同した凩忍工の戦術レポートです。
2014ブラジルW杯で優勝したのは、ドイツだった。
今までのサッカーのジンクスが破れて、南米で開催されるW杯で、初めて欧州の国が優勝した。
南米開催のW杯で優勝するのは、決まって南米の国だったからだ。
これで、3大会連続で、欧州勢が、W杯で優勝することになった。
これは、欧州には優秀な人材が流れ着くから、その影響で、自国にいる若手が成長する。
そうやって育った選手が、欧州の国を世界のトップに導くのだ。
今もこの好循環は続いており、代表も、クラブも、欧州が世界のトップを維持している。
2006年ドイツW杯では、逆転負けしたのは、オーストラリア戦と、ブラジル戦の、日本だけだ。
しかし今大会は、8試合も逆転負けが起こる大会になった。
1次リーグでは7試合。決勝トーナメントでは堅くなり、1試合のみ。
それはどの国も、点を取るパターンを持ったことと、どの国もサッカーが鮮麗されてきたから、守りながら点も取る方法を身につけてきたからだ。
それと開幕戦で主審を務めた日本人の東村主審が、手を使った些細な小競り合いでもPKを与えたことで、DFが手を使う厳しい競り合いができなくなって、得点が増えたことも関係していた。
日本は、グループステージ最下位で終了する。
他のアジア勢も、未勝利でどのグループでも最下位という結果に終わった。
それはアジアは他の大陸よりも、楽なW杯予選だと言われる。
だから他の大陸よりも、高いレベルで競い合わずに、切磋琢磨していない。
それがアジアの弱体化につながったと分析している。
今回は、日本を研究して、どこも要注意人物のトップ下の本畑に、厳しいマークを付けていた。
しかももっと研究してくる相手は、ボランチの司令塔の展開役の、近藤にもマークを付けてくる。
つまり昔で言うと、中畑を中心にしてチームを作るのならば、相手はその中畑にマークを付けるだけで、日本の攻撃を沈黙させることに成功するのだ。
相手は研究をしてくるのです。
だからチーム作りは、相手が研究してきても、通用するように作らなければならない。
もはやW杯は、相手を研究しないで、自分たちのサッカーだけをやって勝てる相手は存在しないということだ。
今大会は、日本の失点パターンである、セットプレーの時に、体格で競り負けて失点するという場面はなかった。
しかしスタミナが切れ始める70分すぎに、プレスが効かなくなって、そのうちに点を入れられるという病気を改善することができていなかった。
日本代表は、引いて守備を固めれば守り抜ける。
カウンターサッカーなら、良い結果を出せることは証明した。
しかし前からどんどんん攻撃的に行って、スタミナが切れ始める70分すぎに、裏を突かれて失点するというパターンは、改善されていなかった。
今回の日本代表は、DFが、味方にボールを跳ね返すという戦術がなかった。
だから相手がボールを送ったら、セカンドボールを日本の選手と競い合えた。
他の国では、送ってきたボールを、DFが味方に跳ね返してボールを保持するという戦術を持っていた。
だからあらかじめ、ボールを争っている地点から、縦に人を配置すればよいのだ。
なぜならば、人は前を向いている方角にボールを飛ばそうとするから、ボールは争っている地点から、縦に移動するからだ。
それと第2次岡畑監督時代は持っていた、味方がサイドでボールを持っていたら、ニアにナナメに入ってボールをもらうという動きが、約束事としてなくなっていた。
これはスペインのクラブの、バルセローナで連動してやっている約束事だ。
これがあったら、効果的に相手を崩していけていた。
バルセローナではその後、ボールを受けた選手に、サイドバックもオーバーラップしてきて、ナナメに移動した選手のもといた場所に移動して、再びボールをもらうという動きをして、パスコースを作り出しながら、着実に相手ゴールまでボールを運んでいるのです。
今大会では、ずっと3バックを採用したメキシコと、チリと、オランダと、コスタリカと、ウルグアイは、全て決勝トーナメントに進んだ。
もはやこの時代は、最終ラインは5人以上で守らなければいけないということだろう。
守備を固くして、カウンターという戦術が、3バックを採用した国が得意な戦法になった。
だから日本の中にもある、3バックにしてしまうと、5バックになってしまうというのは、サッカーを知らない人が言うことだ。
サイドを徹底的に突いてくる現代サッカーでは、最終ラインは5人以上で守らなければいけない。
だからザックローニも、日本の雑音を受け入れず、3‐4‐3が機能するまで続けて、4バックと、3バックを、柔軟に併用することも必要だった。
ザックローニ監督は、序盤のアジアカップを制した時のメンバーを信頼して、日本代表のメンバーは、固定化されていた。
しかし終盤では、ちゃんと実力がある若手を代表に呼んで、確実に出場させていた。
しかし、それが終盤だったことで、チームの連携面を作るのに、時間が足らなかった。
ザックローニの、選手起用の基準は、常に実力で判断していた。
若手への投資や、名前がある選手の経験などは、判断材料にはせずに、出場する選手は、現時点での実力だった。
だから、これから活躍しそうな若手を投資として使わずに、期待に応えてくれた、信頼している古株を使っていた。
実際に、たまに期待の若手を使ってみても、いつも出場している選手と比べたら、やっぱりいつも使っている選手の方が、良い働きをしていた。
やはりザックローニの基準は、その時点での実力だった。
終盤になって、現メンバーよりも、実力が高い若手をレギュラーで使い始めたが、若手を信頼して、本大会に臨んだが、結果が出なかったから、再び、信頼して、結果を出してきた古株を選んだ。
もっと時間があったら、その実力では上の若手を、レギュラーに据えて、結果を出すまで、経験を積ませることができただろうに。
今回の戦犯を見つけるなら、A級とまではいかないが、B級戦犯として、小迫勇也だ。
もし時間が戻るというのなら、コートジボワールに同点に追いつかれた時に、変えたら結果は違っていたかもしれません。
コロンビア戦でPKを与えたことで、日本はドイツW杯から、3大会連続でPKを与えてしまっている。
それは世界のトッププレーヤーと、一瞬の身体能力の差で、国内ではボールを取れていたという感覚で対応した結果、遅れてしまって献上するというパターンだ。
日本人選手は、決して荒くない。
しかしこれが連続すると、1失点は計算の中に入れてチームを作らなければいけなくなる。
ゴール前で、相手に、意図的にゴールキーパーの範疇に、楽にシュートを撃たせるという、イタリアの守り方も、ディフェンスのプログラムに組み込む必要があるかもしれませんね。
そして同組で、決勝トーナメントに進んだのは、コロンビアと、ギリシャだった。
結果的にギリシャは、日本戦で退場者を出した時に、守りを固めて、引き分けに持ち込んだことが、ターニングポイントとして、名采配になった。
今大会の日本代表は、前評判は高かった。
本大会まで、国際試合を5連勝して乗り込み。
それだけに国民の落胆ぶりはしょうがない。
しかし方向性は間違っていない。
ザックローニのチームは、歴代最強だ。
初戦で負けたことが全てだっただけだ。
それは2006年の、ドイツW杯と同じだ。
ドイツW杯から、3大会連続で経験している近藤は言った。
「今大会は、8年前と似ている。」
ドイツ大会を、マスコミでは、選手たちの仲が悪かっただとか、コンディション調整を失敗しただとかと総括されているが、初戦のオーストラリア戦で負けたことが響いたのだ。
逆転負け
引き分け
大量失点
日本は勝利が絶対条件だった。
初戦の負けを挽回しようと、無理矢理にでも攻めに出る。
だから後ろに穴が開く。
だからカウンターが響く。
次々に失点する。
この状況は、サッカーの普遍的なテーマとして、不利を強いられる状況なのです。
ピーキングを初戦にもってこれなかった結果が、終盤になって響いた。
大会終了後。
倉木親子は海岸にいた。
周りは外国人ばかりなので、日本の有名人に、呼びかける人もいない。
親子でW杯代表を目指す、倉木親子が、ブラジルの海岸沿いの砂浜で、海を見ながら、悔しさを固めて決意する。
飛馬「風馬、これがW杯だ。そして俺たちが生きる戦場だ。」
風馬「うん、僕も必ずこのピッチに立ってみせる!」
日本代表が、ブラジルから空路で日本に戻ってくる。
帰りの機内では、みんなが意気消沈している。
誰もが、うつむき加減で帰ってきた。
空港にいたものは、その勇者たちを、温かく拍手で迎え入れた。
みんなわかっていた、今回の結果だけが全てではない。
みらいにつなげることのほうが、大事だということを。
後日。
日本サッカー協会から、ザックローニ監督が、代表監督を辞任することが発表された。
そのニュースを、マスコミや、サポーターたちは、当然のように受け入れる。
ザックローニ監督本人も、正式に日本代表監督を退任することについて公言した
。
ザックローニ「今回の戦術や、選手選考は、私が全て決めた。その手法に対する結果の責任を、取りたい。」
ザックローニ監督が、母国イタリアに、空路で帰る日。
空港には、大勢の人たちが行き交っている。
みんなに愛されたザックローニ監督が、イタリア行きの、飛行機に搭乗しようとした時、サプライズで、主将の長谷別と、内畑が、お別れのお見送りにやってきた。
それを見たザックローニ監督は、涙を流した。
ザックローニの戦績は、30勝12分け13敗。
この経験は、必ず糧になる。方向性は間違っていなかった。ただ結果だけが、ついてこなかった。そういう時が、サッカーには必ずあるものだ。あなたは間違いなく、日本歴代最高監督だった!!
イタリア行きの飛行機は、ゆっくりと進み出し、日本を押し上げたように、高みへと消えていった。
ブラジルW杯後の日本。
日本サッカー協会の報告会。
日本代表チームの、監督のザックローニや、責任者のスタッフたちが、日本サッカー協会が入る建物に呼ばれた。
この報告会は、非公式で行われている。
そこには、技術委員長の、凩忍工が、妙な笑顔で出迎えてくれた。
凩「君たちはよくやったよ。まぁ、とりあえず入ってくれ。」
この惨敗したあとなのに、技術委員長の凩の態度が、妙に不気味だった。
ブラジルW杯の報告会の席には、サッカー協会の会長の、川渕三郎の姿もあった。
凩「まぁまぁまぁ、とりあえず飲み物を用意したから、休憩しながらでも飲んでください。」
責任者たちが勢ぞろいした中で、サッカー協会会長の川渕三郎が、口を開いた。
川渕「んんっ、まぁ、今回の結果は、予期した良い結果ではなかったが、日本の全体のサッカーへの人気を考えると、W杯の結果というのは、非常に影響するものだ。もうすでに、メディアでは我々への批判的な記事が載っている。結果的に、頭がはげている監督はグループステージを突破できなかった。はげていない監督は、周囲のプレッシャーを感じないのだろう。しかしそれは結局、負けたからなのだ。イタリア人のザックローニ監督は、歴代で最高の成績を収めてW杯に乗り込んだ。しかし本大会の成績が悪かった。大本番だけが悪かったのだ。方向性は間違っていない! ブラジルだって、今でも語り継がれて、歴代最強と言われるのは、1982年のスペイン大会の、ジッコさんが引っ張っていた黄金の4人の時の、ブラジル代表だ。しかしその年、ブラジルはイタリアに敗れて、優勝していない。つまりサッカーは、内容でも強いチームが、必ず結果を残すスポーツではないのだ。ブラジルW杯で優勝したドイツは、大金をかけて若手育成システムを見直して、整備して、優秀な若手が出てきたことで、代表チームも強くなった。ボールを確実に繋ぐサッカーは、どのスタイルよりも、勝利に導くことができる方程式だ。これは日本も真似をするところである。だからサッカー協会会長の私が選ぶ次期日本代表監督は、ブラジルW杯で見た方向性で決める。。だから次回のロシア大会では、君たちは、日本の将来を背負っていると考えてプレーをしてくれ。2015年の2月には、日本サッカー協会会長選があるが、今回もワシが選ばれるだろう? まぁ、アキーレ監督からは、非常に良い感触を得ているとの報告が伝わってきている。君たちはその監督の下で頑張ってくれ!」
その会長の言葉に、微妙に反応する凩忍工。
凩「あなたが会長でいられればの話ですがね……。」
川渕「っなぬ!?」
この殺伐とした空気の中、ブラジルW杯の報告会は終わった。
しかし凩忍工の最後の発言だけが、気がかりだった。
こちらは凩の自宅。
飾り物もなく、サッカーだけに打ち込んできたなりの、質素な屋敷だ。
凩は、自宅で、サッカーの師匠である、長崎県の大嶺忠敏監督に、電話をした。
大嶺忠敏監督は、今でも地元長崎で、威厳を感じさせながら、高校サッカー界で、子供たちを指導している。
凩「もしもし、大嶺さんですか……? あっ、はい、単刀直入に言います。今の日本サッカー界の方向性、間違っていると思いません?」
大嶺「私も、それを感じる。大野伸二率いる、1979年組のゴールデンジェネレーションが、ワールドユース決勝に勝ち進んだ成功例に寄り過ぎてしまって、時代の変化を感じることができずに、徐々にズレて行っている感がある。日本のサッカー界は、外国人の開拓者たちによって、世界でも希な急成長をしてきた。しかし国力を上げる若手育成の基準が、強い子とか、速い子が評価されずに、単に技術があるだけの、周りに害がない、こなせる子が集合している。その証拠に、若き日本代表が、ワールドユースに参加することができていない。それはサッカーがうまい子ばかりが集められて、サッカーで勝てる子を選ぶという優先順位が低くなったからだ。私が指揮していた頃と違って、若き世代が、韓国に勝てない。私のサッカーが、時代遅れだとか、高校レベルでしか通用しないなどと、主張していた連中が、協会の内部に入って、お偉いさんになった。しかしそんな連中が作ったサッカーが、日本対策を仕掛けてくる相手に、逆に対応できていない。U‐17の監督の、吉竹博文監督は良い。スペイン人監督の、クアルディオラに近い、全員10番サッカーで、世界に通用している。この監督は良い。しかしU‐20の監督がダメだ。このままでは、日本の若者が国際経験を積めないことで、その弊害が、日本A代表に影響するかもしれん。日本の方向性を決めるのは、協会の内部にいる君だけだ! 君が信じた方向に進みなさい。」
凩「わかりました。参議院選に出馬したことがある大嶺さんのアドバイスが聞きたかったんです。師匠の、その言葉を待っていました。僕はもう、準備万端です。僕は出馬します! それでは、夜分遅く、すいませんでした…。」
翌朝。
テレビや、新聞の一面に、技術委員長の凩忍工の顔が映り出された。
『凩忍工技術委員長が、2015年の2月に公選される、日本サッカー協会会長選に立候補!!』
このセンセーショナルなニュースが、日本のサッカーファンに駆け巡った。
凩のコメント。
「私はフランスW杯から、戦術担当コーチとして、今回の日本代表の試合を見て、私は気づきました。根本的な問題を解決するには、日本サッカーそのものの構造を変えなければいけないと思い知りました。これ以上の成長をするには、構造を変えないと、積み上がっていかない。ステップアップしないということが、今回証明されました。構造改革は、現会長では無理です。奇しくも今回の会長選から、FIFAの指導もあり、一般の方も投票できる、会長選に生まれ変わりました。つまり、日本国民にも投票いただいて決めるという、国民投票が行われます。これは日本サッカーを変えるチャンスです。だから私が、日本の明るい未来に導くことを保障します!」
凩忍工の、22の改革案がこれだ。
○日本代表のカラーを、空に白
○日本サッカー代表を、ノンスポンサーにする
○日本代表に、後援会を新設
○日本代表戦を、スカパーで有料放送化
○海外に、集合キャンプ地を設置
○代表戦のライジングカップと、ゴールネーションズカップを創設
○にわかファン規制法を施行
○サッカー界から、フジテレビを排除
○選手育成部門の拡充と、監督育成部門の拡充
○コーチライセンスの戦術部門の創設
○学校ユース世代の、1校2チーム制の必須化
○全国48代表の秋の全国ユース選手権に、中学生世代などのチームを16チーム増やして、大会の階級を最上位化
○全国48代表の春の全国大学年代選手権を創設して、Jリーグのサブや、サテライトでくすぶっているプレーヤーの最高の大会を新設
○2オン2フットボール大会を創設
○フットラック大会部門と、フットボックス大会部門を創設
○Jリーグ後に、ジパングステージ進出制を導入
○Jリーグを、夏休み開幕~5月閉幕に移行
○Jリーグの、カップ戦を一つに統合
○Jリーグに、アルゼンチン・ブラジル枠の新設
○Jリーグに、芸術点を導入
○Jリーグのオールスター戦をクリスマスに行い、現日本代表と対戦
○日本サッカー協会会長選の、国民投票
凩「私が会長になったら、これらのプロジェクトをもとに、改革します!! このプロジェクトに魅力を感じない方は、私に投票していただなくても結構です! 我々の仕事ぶりにご満足いただけない方は、どうぞ他の候補を応援してください! 私は、会長職を透明化して、日本サッカーを国民のものに取り返します。国民の意志を、反映します。だから現日本サッカー協会会長の、川渕会長が座っている椅子を奪うために、私に力を貸してください!」
凩「私は、日本代表の色を、青から空色に変更します! 私が日本代表のカラーを、白を基調にして、空と日の丸の赤に変えたほうが良いというのは、色の力という魔法があるからです。青と赤のダービーで勝率が良いのは、ユニホームが赤のチームなのです。20パーセント程度の差が生まれるというデータもあるくらいです。だからユニホームの色が赤のチームに、サッカーの強豪チームが多いのです。色には魔法が宿る。赤色のチームは、審判が無意識に、有利な判定を下しやすい傾向があるそうです。そして相手チームは、エネルギーがある赤色という威圧感を感じながらプレーを強いるのです。そして自分たちが着ている青色は、鎮静色なので、赤色のチームは冷静になりながら、落ち着いてプレーができるからです。これは心理学上、効果があるのです。日本も長年、隣の韓国に負け越しています。それは色も関係しています。そこで私は、日本代表のカラーを、空に白にしたいと思います。」
凩「私は、日本サッカーの象徴である代表を、ノンスポンサーにします! いま日本では、サッカーに期待する企業の声が殺到しております。しかし代表のスポンサーを、限られた数社に決めてしまうと、サポートしてくれる企業が残ってしまいます。そして代表がスポンサーを募ってしまうと、同じサッカーの、人気が少ないと言われるJリーグに流れなくなってしまいます。これではいけません! そこで代表をノンスポンサーにしたら、サッカーに流れるはずのお金が、Jリーグのクラブまで流れるという循環を生み出すことができるのです。そこで代表を、ノンスポンサーにします。その代わり、代表も資金がほしいですから、後援会を作るのです。日本国民にカンパしてもらって、サポートしてもらう新しい代表ソシオ式を作るのです! 会費を払えば、正しくあなたは日本を支えている。これで正式に、我らの代表と呼べるのです!!」
凩「私は、日本代表戦を、地上波だけではなく、衛星放送でも継続して安定的に放送したいと思っております! そのためにスカパーさんに、担当してもらいたいと思います。地上波では、サッカー文化が整っておらずに、見苦しい思いをした経験がある方も、多数いらっしゃいますでしょう。しかしもう安心してください。経験豊富なスカパーさんに任せておけば、あなたのサッカーライフも、充実するでしょう。衛星放送だから、見逃しても安心。再放送が充実しており、全ての代表戦を安定して放送することを約束します。それに日本の一部の地域の方も、衛星放送ならカバーされて、問題なく視聴することができます。2002年の日韓W杯で導入された、スタジアムの上空から、俯瞰した画像で見れるという『タクティカル映像』が、貴方を待っています。イングランドのサッカーは、迫力があって、臨場感があるかもしれない。だからイングランド人は、ピッチの間近で見る。しかしイタリア人は、スタジアムの上から、俯瞰して見ているのです。それがイタリアと、イングランドの戦術の差なのです。ちなみに、日本代表後援会員は、会費を払っているので、無料で視聴することができます。しかし基本視聴料はかかります。」
凩「私は、日本代表を、もっともっと強くするために、海外に集合するスポットを作ります! 海外組が集結するキャンプ地を作り、そこで試合や、練習や、戦術確認等をする施設を作ってはどうかと考えております。そのキャンプ地は、FIFAのお膝元の、スイスが適当だと思っております。海外組、主に欧州組がキャンプを張って、サッカー協会の職員も利用する施設を作って、日本代表に時間を与える機会にして、代表をもっと強くすることを約束します!」
凩「私は、日本人選手が、もっとビッグクラブに移籍するために、ライジングカップを創設します! ライジングカップとは、今現在、欧州のビッグクラブが、日本のマーケットを狙って来日して、Jリーグのクラブと対戦しております。その対戦相手を、日本代表にしてはどうでしょうか? つまりライジングカップとは、日本代表と、欧州のビッグクラブと対戦する大会なのです! この大会で活躍したら、もしかしたらビッグクラブからオファーがくる大会になるかもしれません。そしてゴールネーションズカップは、日本と同じようにフットボールを、サッカーと呼ぶ、大陸に分かれた国々を集めて、2年に1回開催する大会です。そのメンバーは、日本・アメリカ・アイルランド・南アフリカ・ニュージーランド・フランス領ギアナです。各大陸ごとに開催権を持ち回りにして、試合によって日本の現在地が分かる大会にします。各大陸の気候や、風土や、特色を経験することにより、W杯がどの大陸で開催されても、予習できるような機会にします。」
凩「私は、W杯のスタジアムに入ってくるにわかファンを、規制したいと思います! W杯を見るには、資格が必要なのです。それが2002年に、問題になりました。そこで私は、日本に分配されるチケットを、サポーター席に優先して分配して、一般席は、そのあとに配分したいと思います。これは真のサポーターを守るためです。一般の方々からは、おしかりの返事が来るかもしれません。しかしこれは、今までの経歴を判断した結果なのです。W杯を、サッカーを信仰してきた者が見られなくて、にわかファンが見られるということになったら、不平等になってしまう。これは、サッカーを支えてくれるサポーターを守るために、判断した結果です。W杯が見たいなら、あなたも真のサポーターになりましょう!」
凩「私は、にわかファンを規制すると同じように、フジテレビも規制したいと思います! フジテレビは、民放各局の中で、一番サッカーに貢献してこなかったテレビ局です。それなのに日韓W杯の時に、一番視聴率が見込めるロシア戦を、クジで担当することが決まりました。しかしそれでは、今までサッカーに貢献してきたテレビ局がないがしろにされます。そんなことは、凩政権では通用しません! 今までも問題放送を繰り返し、反省の姿が全く見えてきません。フジテレビは結局、視聴率が取れなかったら、撤退するのです。中畑英寿選手が引退して、日本代表の視聴率が取れなかった時代に、案の定、フジテレビはサッカーから身を置いていましたよね? だからサポートする意思がないのなら、W杯の放送担当からも、外れてもらいましょう!」
凩「私は、日本の底辺の拡大と、その底辺から高いピラミッドを立てることを約束します! 日本の若きフットボーラーを成長させるために、今よりもっと子供たちの育成部門を拡充させて、監督になりたいと指導を受けている、未来の監督候補たちも、応援します。そして今まで重要視されていなかった戦術部門を創設して、技術も、フィジカルも、メンタルも、戦術も養われた、若き日本代表を、爆発的に作り出したいと思います!」
凩「私は、学校年代の、1校1チーム制を廃止します! 1校からは、1チームしか大会に出場することができないとなると、スタメンで出れない子供たちが、成長することができなくなり、腐っている現状を打破するために、必ず2チーム以上は、大会に参加できるようにします! これによって、もしかしたらプロに入れたというような子供たちの、可能性を守ります!」
凩「私は、ユース年代の最高の大会を創設します! いま高校年代では、冬の大会として、全国高校サッカー選手権が絶大なる人気を誇って存在しております。しかしこの大会は、常に首都圏で開催されます。だから首都圏勢が、国立をホーム化して、決勝戦は百パーセント首都圏勢が勝っているのです。見国高校対、市立船柱高校戦の年から、決勝戦を成人式に延長しました。その年は、市立船柱が勝ちました。しかし同じ年のインターハイは、長崎で開催されました。見国は準決勝で市立船柱と対戦しましたが、今度は江戸の敵を長崎で討って、そのまま見国高校は、優勝しました。ホームでは勝率が高くなるのです。見国対市立船柱戦から決勝戦が成人式に延びましたが、例年のまま冬休み期間内で決勝戦を行っていたら、間違いないという確率で、見国高校が勝っていた。見国高校が、毎年長崎で戦っていたら、今よりももっと勝率が高くなっている。つまり、首都圏勢が優位になる大会よりも、価値が高い大会を作ることで、地方でも平等に戦えるような大会を作ることが目的です。そして全国選手権は、Jリーグの下部組織は参加することができません。そこでこの年代の最高位の大会を秋に新設して、価値を最上位化します。その大会には、48の県予選を勝ち抜いた高校か、Jリーグユースのチームが参加します。そして選ばれた中学年代の学校チームや、中学年代のJリーグ下部組織が16チームも参加して、飛び級で経験できる大会にします。つまり高校生だけではなく、実力に応じて、飛び級でも一番強いチームを決める大会にします! 開催期間は、秋のシルバーウィーク。この大会は、ユース年代の最上位の大会にして、日本の子供たちのレベルを、数段階引き上げて、実力がある選手を育てるようにします。」
凩「私は、大学サッカーにも光を与えます! 今は人気が乏しい大学サッカー。しかし今でも、大学から、Jリーグに入る優秀な選手は数多くいます! そこで前出の高校年代と同じように、48の県予選を勝ち抜いた大学勢に加えて、選ばれた16のJリーグサテライト組や、サブ組や、高校年代のチームも入れて、学生年代で、最強のチームを決める大会を新設します! そしてこの大会の価値を上げて、誰もが憧れる最高位の大会にします。開催期間は、ゴールデンウィーク。決勝戦は、Jリーグの試合が終了した、翌週の週末に行われる、ジパングカップの決勝戦の前座試合に行います。だから諦めずに、Jリーグ入りを目指してください!」
凩「私は、2オン2フットボールという、私が考えた競技の大会を開きます! 2オン2フットボールというのは、ハーフコートで、攻め側の二人が攻めて、守り側の二人がゴールを守るという競技です。それを攻守繰り返して、数多くゴールを決めた方が勝ちになります。この競技によって養われるのは、日本人が苦手にしている、シュートと、ドリブル力です! この二つの要素が、日本が世界大会で実力を発揮できない要因なのです! それを競われることで、日本人の弱点である、シュート能力や、ドリブル力が向上させます!」
凩「私は、フッラック部門と、フットボックス部門の、大会を開きます。フットラックとは、12人で、陸上競技場で行われるスポーツで、エリアはトラックの内側です。ゴールは今の位置に置いて、アイスホッケーのように、ゴールの裏を回れるようにします。そして足を使わなければ、オフサイドは適用されないとして、ペナルティエリアには入れないとした、私が作った競技です。それとフットボックスは、7人で行われる競技で、金網とか、壁に覆われた空間で、ゴールの穴だけが空いています。その穴に入れたら得点になります。しかしこの競技、アメリカンフットボールや、ラグビーに近くて、プロテクターを付けて参加する、力任せにゴールを狙う格闘技に近い、私が考えたスポーツです。それぞれの大会を創設して、国際大会を開き、新しいサッカーの部門を日本が先導して作ります!」
凩「私は、Jリーグの構造を変えます! J1の数を、12にして、J2は、16にします。そこでの順位に応じて、次に進むステージが変わります。ホーム&アウェイをこなしてから、順位が決まり、そこから新しい、ジパングステージに入るのです! ジパングステージは、上位から、ファイナルステージ・プレミアステップ・ヘブンズリーグ・サバイバルグループに分かれており、成績が良かったら、来季少しでも高い位置でスタートできます。J3で上位に入ったクラブは、サバイバルグループに進みます。そこでJ2勢と対戦します。そこで勝ち上がれば、来季J2でスタートすることができるのです。そうやって今までのJリーグで起こっていた、競争原理が働かない中位争いを減らして、どの1試合も無駄にできない、全ての試合が白熱したジパングリーグにすることを保障します!」
凩「私は、Jリーグの開幕時期を、夏休みから開幕して、5月に閉幕するという、ヨーロッパのスケジュールに合わせます。国際的なスポーツであるサッカーは、日本だけが独自のスケジュールでやっていたって、良いマッチメイクや、国際大会への入り方がしずらいのです。そこで日本のカレンダーに合わせて、夏休みから始まり、冬のウインターブレイクが入って、暑くなる前の5月に閉幕するという季節に移行します! 日本の北国では、雪が降るからといって反対する人もいますが、雪が降ったら、大事な試合が必ず中止になるわけではないのです。このシーズンにズラしたら、夏・秋・冬・春という全ての季節を体験できます。それにより、気候を言い訳にしない選手を作り出すことができるのです。それに私のJ3案は、J3だけは、3月に開幕して、11月に閉幕するという従来のシーズンなので、北国のこともサポートできています。そしてシーズンをズラす最大のメリットとは、プロ野球との開幕時期をズラすことによる、Jリーグの露出を増やすことにあります!」
凩「私は、Jリーグ勢が参加する、国内カップ戦も、構造改革します! いま天皇杯と、Jリーグカップの二つありますが、これを一つに統合して、価値を高めます! だから今後は、Jリーグの方を重視して、カップ戦はサブで戦うという構図を、撲滅します! その分、統一カップ戦のスポンサーになっていただく企業にお願いして、統一カップ戦での賞金を、魅力ある金額にします。その名称は、ジパングカップ。そして優勝チームにACLの出場権を与え、もうカップ戦は軽視するという構図を改革します!」
凩「私は、Jリーグに、優秀なアルゼンチン選手を迎え入れます! フットボーラーは欧州を目指す。サッカー強豪国で、欧州の国ではない国が、ブラジルと、アルゼンチンです。だからブラジル人と、アルゼンチン人は、日本を経由して、欧州に挑戦するという選手もいます。今は、ブラジルとは強固なパイプを結んでいます。今度はアルゼンチンです。そこでJリーグに、外国人枠とは別に、ブラジル・アルゼンチン枠を設けます。それによってアルゼンチン選手を獲得して、今よりもっとJリーグを発展させます!」
凩「私は、Jリーグのサッカーを美しくあり続けさせます! サッカーは美しい方が良い。そのサッカーに憧れて、少年少女のテクニック面が向上するのです。そこでJリーグに、芸術点を導入します。いま日本では、勝ち点の次に、得失点差で順位を付けますが、そこをJリーグは、勝ち点の次に、今まで貯めてきた芸術点で判断するのです。どちらがより美しかったか? これによりJリーグは、世界中の国々が憧れる、魅力的なサッカーをする国として認知されるのです。」
凩「私は、Jリーグにオールスター戦を実施させて、その試合を、クリスマスに開催します! 参加チームは、Jリーグ勢の、人気投票で上位になったJリーガーです。選手も、監督も、戦術も、ファンが選んだ形で戦うのです。夢が叶う聖夜に、みんなの願いが形になるのです。その対戦相手は、なんと現日本代表です! 日本代表の強化試合にもなるのです。もしかしたらオールスター戦で活躍することで、現日本代表監督に見初められ、代表入りする選手も出てくるかもしれません。」
凩「私が日本サッカー協会会長になったら、これらの公約を必ず守ります! マニフェストを達成できなかったら、即刻会長を辞めます。だから私に、日本を変える力を貸してください。私は、決して諦めなければ、夢は叶うという社会を実現したい。サッカーは人々を幸せにする。この改革案で、日本に最先端のフットボール環境を、世界で初めて実施することを約束しましょう!」
この新進気鋭の、凩の乱の後、現会長の川渕三郎会長は、
川渕「ふんっ! 凩ぐらい蹴散らしてやるわい!! たかだか戦術担当コーチで名を馳せただけの、サッカー漫画家出身のくせに! 40代程度の技術委員長の若造が、わしを倒せるとでも思うなよ!」
そして2014年の7月。
日本サッカー協会は、日本代表監督に、正式に、メキシコ人の、アキーレ監督と契約することが決まった。
アキーレジャパンの誕生です!!
明けて2015年。
日本代表監督に就任した、メキシコ人の、アキーレ監督が、以前、勤めていたスペインのクラブで、八百長に加担した疑惑が持ち上がる。
そして、スペインの当局が、正式に、アキーレ監督を、告発する。
その告発状が、スペインの司法で受理された。
裁判所で受理されたことにより、アキーレ監督は、被告の立場になる。
日本サッカー協会は、これに難色を示す。
日本のメディアは、このことを大々的に報じた。
そしてマスコミの標的は、アキーレ監督を任命した、日本サッカー協会会長の、川渕三郎の任命責任にまで及んでいた。
2月には、サッカー協会会長選を控えていた、川渕会長のイメージにとっては、深刻な大打撃だった。
2015年2月。日本サッカー協会会長選投票日。
今回の会長選から、コンビニでの投票や、ネットでの投票が受け付けられて、若者たちも関心を寄せる、サッカー協会会長選ムーブメントが起こっていた。
50代以上の方は、W杯を日本に招致した実績を持つ、現職、川渕三郎を支持していた。
しかし40代以下の方は、圧倒的に、新進気鋭の凩忍工支持者だった。
奇抜な案と、歯に衣着せぬ発言をする、独特な人格が話題になり、中畑英寿が救世主として日本に現れた頃のような、新しい時代を予感させた。
日本人は、若くして台頭する型破りな人物が、好きですからね。
日本の物語作品は、大抵、型破りな主人公が、画期的に勝利を物にする。
編集者の、日本の独特の普遍的なテーマに沿って、日本の作品は作られているからだ。
だから、型破りな中畑英寿が登場した時に、これは日本サッカー界の主人公だと、こぞって中畑が日本で一番うまい選手かのように報じた。
実力では、大野伸二の方が上なのにもかかわらずだ。
これを凩は狙った。
これは凩の、立候補表明式に、日本国民に植え付けた、イメージ戦略が功を奏した。
熱狂的支持者によって、求心力を得た凩は、翌朝の投票結果を、唾を飲み込みながら待ち焦がれた。
発表は、日をまたいだ翌日の深夜に、インターネットテレビの特別番組で放送される。
川渕三郎は、自宅のリビングで、ワイングラスを手に、パジャマ姿のままで発表を待つ。
豪華な装飾品で飾られている、川渕の自宅では、デカい画面に、映像が映し出された。
その画面から反射した自分の姿は、どこかしら自身を失っていた様子が映し出される。
川渕「そんなわけがない…、ワシは日本にW杯を持ってきた男だ。時代はまだワシを欲している。それがきょう発表されるわけだ。いつもこうやって、ライバルに打ち勝ってきただろう。ワシの時代はまだ終わっとらん!! それをサッカー漫画家ごときに、打ち砕けるわけが……、」
発表会見が始まる。
みんな、番組をモニターの前で注目する。
司会者「これより、日本サッカー協会会長選の、投票結果をお知らせします! 投票結果1位、当選したのは、45歳新人の、凩忍工氏です!! 新人の凩忍工氏が、前職の川渕三郎氏を、大差で破りました。圧倒的な人気です! もう一度繰り返します。新人の凩氏が、圧倒的な投票枚数で、前職の川渕氏を、大差で引き離しました!!」
自宅で、ワイングラスを零す川渕前会長。
川渕「あっ、とうてき、だと…。」
これにより、凩忍工が、日本サッカー界最高の指揮権力を手にする。
それを自宅で、凩がテレビで確認した。
自宅の電話や、携帯電話は、報道陣の取材依頼で、鳴りっぱなしだ。
凩「よし! 勝った。ついにここまで上り詰めたか、終わった……、いや、これからが始まりだ! 私は自分の信条がブレた時、いつも初心の、桃源学園で教わったことを思い出そうとする。あの子達は諦めなかった。諦めたら負けだ。今回も、諦めなかったから勝てた。サッカーは勝った方が勝利になる。私は自分の正義のために、プロジェクトを成功させるために、身を粉にして働く。まずは、告発状が受理されて、トルシエールや、ジッコや、ザックローニが獲ってきたアジアカップを獲れなかった、成績が不振のアキーレ監督を更迭し、新しい監督を招聘する。候補はいくつか持っている。ブラジルW杯で、下馬評が低かったアルジェリアを、ベスト16に導いた、ボスニア・ヘルツェゴビナ人の、ハリルボジッチには、一目を置いている。協会が出せる報酬額の上限と、現在の未就任の立場を考えれば、彼が適任だ。そう、全ては日本の勝利のために。」
その後、アキーレ監督は、日本サッカー協会から、日本代表監督の契約の解除がなされる。
そして2015年の3月に、正式に、日本代表監督に、ハリルボジッチ監督が就任する。
日本は新たに、舵を切った。
ザックローニでもできなかった決勝トーナメント進出を、今度こそ果たしてくれ、ハリルボジッチ。
そして我らの日本代表。
人が生き、生まれ変わりながら、サッカーは続く。
ストリート・ファンタジスタ番外編
~ワールドキャノン・マキシマム~
見国高校サッカー部で、二人だけ、坊主に反対して、ロン毛を貫いた選手がいる。
一人目は、本編の主人公である、倉木飛馬。
そして、もう一人は、ワールドキャノン・マキシマム編で登場する、花丸剣山である。
時代は、倉木飛馬が登場してくる、12年前に遡る。
1987年、夏。
大嶺忠敏監督率いる、見国高校サッカー部は、全国高校サッカー選手権を初制覇するために、模索していた。
監督の作った、鬼のような練習量。
その厳しさに、ついていけない部員も目立ち、春から冬になるにつれて、退部者が増えてくる。
その練習の合間に、天才ドリブラーの、長井秀樹が夢を語る。
長井「やっぱ、今、世界のサッカーの中心地は、イタリアだよ。世界中の優秀な選手たちが集まってくるんだ。そしたら、監督も優秀だろうな? セリエAか、俺も行ってみてぇーな、イタリア。知ってます将先輩? イタリアのフィレンツェにある、コベルチャーノってところは、トレーニングセンターなんすけど、監督もライセンスを取得しに、サッカーを習う学校があるんですって、そこではさ、監督として、自分が理想にするチームを作るんすけど、その戦術や、作り方を見て、学校の先生が判断して、そのチームに対して、点数をつけるらしいんすわ」
牧島将「えっ、イタリア人って、そんなことしてるん? そこを強みにして、競争に勝っていこうとしているんだな、選手としても、監督としても、世界最高峰リーグなんだな」
見国高校サッカー部の、大嶺忠敏は、足らないピースを探していた。
大嶺「昨年は、全国高校サッカー選手権に初出場して、決勝まで勝ち進み、東海大二高校に負けはしたが、準優勝した。今年のチームは、去年と比べても、各選手が目標に向かって、急激に成長して、今年こそ、優勝を狙える。特に2年生になった、長井秀樹はキレキレだ。今年の冬は、東海大二高校に、雪辱を果たせるだろう……、が、しかし、あと一つ、このチームには、何かが足らない。そう、私が、見国高校に赴任する前の、2年生まで教えた島原中央商業学園の子達が、一年後の1984年に、冬の選手権で両校優勝した時も、赴任した後の見国高校にも、ターゲットマンという、背が高い選手がいた。特に見国に来て、2年生の時から指導した、高森琢也君は、彼が小学生からサッカーをしていたら、確実に世界に出て行くくらいの逸材だった。3年生はいなくて、春から、秋に変わろうとしていた時には、サッカー部には、高森しか残らなかった。しかし高森はよく耐えてくれた。その結晶が、去年の初出場で、いきなりの準優勝だ。今年は雪辱を果たさなくてはならない。その為には、高森君くらいの、背が高い動ける選手が欲しい……、あの子には期待していたが、サッカーに必要な、忍耐力がなかった。無かったら、ほかで探すしかない」
大嶺監督は、見国高校の、校内を捜索していた。
そして、一人の男に目星をつける。
大嶺「あの子は確か、3年生のディフェンダーの、牧島将君の、1年生の弟……。身長は、187センチメートル程か、春から選んだ部活は、確か、バスケットボール部。身長は申し分ない。あとはサッカーセンスだけ。よし勧誘しよう!」
大嶺監督は、牧島弟を口説く。
大嶺「君は、サッカーに興味はないかい? バスケも面白いが、サッカーも面白いぞ。うちは、君も知っているだろうけど、昨年の全国選手権で、準優勝した。君がサッカー部に入部したら、エースストライカーの極意を教えてあげよう。スターになれるかは、君次第だ!」
牧島透「兄がサッカーやっているんですよね。3年生までには、冬の選手権で優勝したいと言って。でも、今、バスケやっているんで、考えときます、先生!」
大嶺監督は、職員室に帰る途中。
大嶺「あの子は、将君と一緒で、図体はデカいのに、態度は大きくない。非常に素直なお子さんだ。親御さんの教育がしっかりと、行き届いているのだろう。もしサッカー部に入部したら、フォワードの候補として育てよう。もし使い物にならなかったら、ゴールキーパーという選択もある」
大嶺監督が、校内の通路を歩いていると、体育館の裏で、生徒たちが堂々と、タバコを吸っていた。
大嶺「これはいけませんね。(しかも彼らは、辞めていった元サッカー部員たちじゃないですか……)」
大嶺監督が注意に行くと、見覚えがある3年生の姿がありました。
大嶺「こらこら、君たち、未成年がタバコを吸ってはいけないでしょうが!?」
不良生徒「やべぇ、大嶺だ!? すいませんでした!」
タバコを吸っていた不良少年たちは、あまりの厳しさに音を上げた、元サッカー部員たちだった。
不良少年たちは、厳格な監督の登場で、沈黙しています。
しかしその中で、一人だけ、リーゼント頭をした、191センチメートルの大男の生徒だけが、大嶺監督を、睨みつけています。
大嶺「おやおや、君ですか。花丸君。噂をすればなんとやらですか、高校生が、タバコを吸ってはいけないというのは、わかりますよね? これはゲンコツものですよ」
しかし花丸剣山は、タバコの火を、地面でねじり消し、ガンをたれて発言します。
花丸「おいは、そがん思わんけんね。アメリカは、自己責任の国ばい。年齢なんて、関係ないたい、先生」
大嶺「花丸君、ここは日本ですよ。特に君は1年生から、サッカー部員として、3年生まで、育てていきたかった。まさかあの程度で、音をあげて、こんな風になっているとは思いませんでした。君の身長で、あのサッカーセンスを持っていたら、アジアの大砲と呼ばれている、高森琢也君を超えることも、できたでしょうに。君のお母さんはお元気ですか? もう君は3年生だ。今からでも遅くない。サッカー部に戻って、全国大会を目指しませんか? そうすれば、サッカーの道で、就職もできるかもしれない。しかし今この国の、サッカー人気の乏しさを考えると、保証はできませんがね」
これにも、花丸は、恨み節のように、反発します。
花丸「おいは、すぐに、試合に出れると聞いとったばい。1年生だからって、試合に出れんかったら、ゴールキーパーやれって言われて、おいは、守りは好きじゃなかったと! アジアの大砲なんて、知らんたい!」
大嶺「去年は、冬の選手権では優勝することができなかったが、夏のインターハイでは優勝したよ。しかし本番は、冬だよ。そのために、君の元チームメイトたちは、一生懸命練習している。君のクラスメイトの、牧島将君だって、キャプテンとして、チームをまとめているよ。その中に、期待していた君の姿がなくて残念だ。君も、もう一度、サッカーと向き合ってみないかい? 夏のインターハイは、順調にいっている。また優勝できたら、冬に勢いに乗れる。もし、私の手で、初優勝が勝ち取れるなら、君に頭を下げても良い。どうだ? 夢を持って、その夢を、叶えようとしないか? タバコを吸っていたって、夢は叶いませんよ。ほっほっほっほっ」
ちょうどそこに、理科の顧問のサッカー部の副監督の、小西監督が、不良生徒を叱りに来る。
小西「おい! お前ら、何やってんだ!? 停学になりたいんか!!」
191センチメートルの、花丸を含めて、不良生徒たちは、ずらかる。
不良生徒「やべぇ、小西も来たぜ!? 花丸やばいって、行くぞ!」
花丸たちが去った後。
小西先生と、大嶺監督は、話し合います。
小西「大嶺総監督、彼らの親が悪いのですかね? それとも、社会が?」
大嶺「少年たちは、探しているのですよ。大人の道を」
小西「大人になれば、掴めるのですがね……」
大嶺「彼らには正解がわからない。しかし大人になった私たちも、実は正解を知らない。だからどれが正解だなんて、誰にもわからないのです。しかし、彼らにとっては最善の答えがあります」
小西「それは、見つかったんですか?」
大嶺「えぇ、私は見つけましたよ。一日で二人も」
小西先生は、静かに微笑む。
ずらかった不良生徒たちが、愚痴る。
不良「大嶺先生に誘われたって、戻るかよな、花丸?」
花丸「あ、あぁ…、」
1987年の、夏のインターハイは、見国高校は準優勝する。
その時の試合を、全生徒が、教室で視聴することになる。
それは、3年B組の、牧島将と、花丸剣山も、例外ではなかった。
実況「見国高校、惜敗ー!! 決定力の差があらわになったー!!」
これを、真剣な表情で観返す牧島将。
その教室で、巨体の男が、思わず席を立ち、激しく苛立つ。
花丸「何やってんだよ!!」
この花丸のあまりの剣幕に、クラスメイトは引く。
この空気を、花丸は察する。
花丸「あ、ぁっ、いや、おいは……」
この様子を、牧島将は見つめる。
その日の放課後。
サッカー部キャプテンの、牧島将が、クラスメイトの、花丸剣山に、声をかける。
牧島将「なぁ、花丸君、1年の夏までは、サッカー部だったよね? どうして辞めちゃったの? その体を持っていたら、もったいないよ。確かに大嶺監督の練習は厳しいよ。でもそれだけ、俺たちに愛情をかけているという裏返しだよ。花丸君も知っているでしょ? 大嶺先生は、島商でも、冬の選手権は優勝する前に転勤になったけれど、インターハイは優勝させているんだ。あの先生についていけば、絶対間違いないって! 今年のチームは、ゴールキーパーと、センターフォワードが弱い。先生のサッカーだったら、ゴール前に君みたいな背が高い選手がいないと、サイドからのクロスが有効ではない。中盤には長井秀樹がいる。俺の弟の、透がゴールキーパーに入って、花丸君が、フォワードに入ったら、絶対優勝できるよ!」
花丸「悪い、おいはもう、サッカーに興味はなかけん」
牧島将「興味なかったら、なぜ負けた時に、あんなに興奮してたの?」
花丸「ぅぅん、今更、戻れんたい……」
そう言って、花丸は、悲しそうな顔をして、学校から下校していった。
カレンダーは暦をめくり、季節は秋に変わっていた。
水道から勢いよく出てくる水が、温さから、冷たさに変わる頃です。
全国高校サッカー選手権の県予選決勝が迫っていた。
今年の県決勝戦のカードは、見国高校対、3年前まで大嶺監督が指揮をしていた、島原中央商業学園。
同じ島原半島にある高校同士の対決だ。
その決勝戦は、見国高校の学生全員が、応援するために、やってきていた。
3年B組の、花丸も、例外ではなかった。
スタジアムの最前列に陣取る花丸。
試合を開始する、キックオフのホイッスルが鳴り響いた。
見国高校には、牧島将が主将として、ディフェンスラインの、3バックの、中央を任せられている。
将の指示に、見国の守備がかかっている。
その4番の背番号の上には、『MAXIMA・M』と、ネームが入っていた。
その後ろには、最後の砦である、ゴールキーパーのポジションに、将の弟の、牧島透が立ちはだかる。
187センチメートル巨体は、ゴールマウスを塞ぐ。
見国のディフェンスは、牧島兄弟に託された。
試合の展開は、一方的な見国のペース。
しかしなかなか、点が取れない。
中盤の、長井秀樹がチャンスを作るのだが、それをフォワードが決められない。
サイドから高いクロスが上がっても、フォワードに身長がないから、島商のディフェンダーに弾き飛ばされる。
そのまま、タイムアップの時間が迫り、見国応援団は、ハラハラの心境。
もうロスタイムに時間に入った。
このままでは、不確実なPK戦に突入しようとしていた時に、ついにこの男が立ち上がった。
花丸「何やってんだ、FW陣! そうじゃなか、タイミングよくボールに、最高到達点に合わせるったい! このままじゃ、全国に行っても、優勝なんて夢物語りたい!」
みんなの気持ちが一つになった時。
試合終了前のラストプレーで、見国高校が、コーナーキックを取った。
ディフェンス陣も、相手ゴールに詰め寄る。
実況「さぁ、これがラストプレーです! 見国の長井秀樹がボールを蹴ったー、そのボールは島商ゴールに襲いかかるー、誰かが頭に合わせたー、あっ、入ったー!! 見国高校が先制!! そのまま、試合終了のホイッスルが鳴り響くー! 今年の長崎県の代表も、見国高校に決定ー!!」
花丸「うぅおおぉぉぉぉお!!」
見国高校の応援スタンドは、歓喜に沸き返る。
その中の誰よりも、花丸は歓喜の雄叫びを上げていた。
最後にゴールを決めたのは、牧島将だった。
将は、もみくちゃにされる。
将は、応援席の、花丸に向かって、ピースサインを送る。
牧島将(次はお前の番だ!)
見国高校サッカー部は、雪辱の冬に臨むために、猛特訓していた。
そこで副監督の小西先生が、大嶺監督に催促する。
小西「総監督、やはり今年のチームは、最後の高さが足らないと思います。187センチのメートルの透を、前線に使うとか、サイドからのクロスは、高さではなく、速さを求めるべきかと、それが県予選で明らかになったかと……」
大嶺「それならもう、手は打ってありますよ」
1987年の大晦日。
全国高校サッカー選手権の会場。
見国高校の、1回戦の試合会場の控え室で、今にも獲物に襲いかかろうとしている目をした選手たちに、大嶺監督が諭す。
大嶺「君たちは、選ばれてこのピッチに立てる。みんなこのピッチに立つことを、目標にして練習してきた。出たくても、出れない子達がいる。それを噛み締めてプレーしなさい。
会場は首都圏なので、うちの学生たちは応援には来てないが、全校生徒全員が、君たちを応援していると思いなさい。さぁ、優勝旗を、長崎に持って帰ろうじゃないか!」
サッカー部員「おおおおぉぉぉぉおお!!」
見国高校は、1回戦から順調に勝ち上がる。
ディフェンスは、牧島兄弟。オフェンスは、天才ドリブラー長井秀樹が引っ張る。
その活躍は、郷土の島原にも伝わる。
この頃の日本では、サッカー人気はないが、高校サッカー人気は高く、テレビでも毎試合中継されていた。
不良グループ。
不良「今日の、俺らのサッカー部、すごかったな、花丸?」
花丸「あ、あぁ、」
不良「花丸もさ、サッカー部を続けていたら、あの全国大会に出れてたんじゃないの? でも今更、サッカー部に戻れと言われても、戻るわけないよな、花丸?」
花丸「あ、ああ、……、おいさ、中学ではバレーボールしとったとっさ、全国大会の決勝まで進んだんやけど、決勝戦の前に、喧嘩事件をおこしたったい、そいで学校に停止処分を食らうはずが、おいが出場停止になるっちゅう条件で、学校自体は出場できたっさ。ばってんそのまま、決勝で負けたっさ。そいがあったけん、もうおいは、真剣になることできんとたい」
不良「花丸にも、そんなビッグストーリーを隠し持っとったとはな。それがなかったら、世界にデビューしてたりしてな、はははは」
花丸「……でも、おい、用事ば、思い出した。ちょっと行ってくるわ」
不良「行ってくるって、何処まで行くの?」
花丸「東京」
見国高校は、大嶺監督を信じた選手たちが、快進撃を演じる。
一試合、一試合、時間と、機会を大事にしながら、勝ち上がっていった。
気づけば頂点の手前。
2年連続で、決勝戦の舞台に立つ。
相手は、去年と同じ相手。
雪辱の、東海大二高校。
決勝戦当日の、控え室。
見国高校のサッカー部員たちが、武者震いを起こしている。
その若武者たちに、大嶺監督が、説く。
大嶺「君たちは、どこの学校よりも、サッカーの打ち込んできた。もちろん、東海大二よりもだ。彼らは、静岡代表だけあって、全員が技術を持っている。しかしだ、我々にはスピードがある。そのスピードだけだったら、高校一だ。今年のチームは、最後まで、ラストを飾る選手が揃わなかったが、そこがなくても、総合的に相手よりも上だ。この試合に勝てば、君たちがチャンピオンだ。その夢を、叶える資格が、君たちに与えられた。この最後の試合に勝つか、負けるかだけで、君たちの行方が変わる。人生は競争だ。さぁ、勝者になろうじゃないか。それが、前回、同じ相手に負けて、君たちにたった一つ欠けた、ラストピースだ!」
その控え室に、一人の男が駆けつける。
花丸「おいにも、参加させてくれさ!」
牧島将「花丸君……」
花丸は、見国高校サッカー部員の前で、熱弁する。
花丸「おいは、1年でサッカーば、辞めてしまったけど、サッカーがしたかとさ。ずっと、ウズウズしとったとさ。また、みんなとボールば、繋ぎたかとさ。だけん、おいも、混ぜてくれんね? 混ぜてください! 先生、お願いさ。おいの、一生のお願いばしよっとさ! おいも、みんなと、サッカーばしたかとさ!」
小西「総監督、残念ながら、彼には参加資格がありません」
大嶺「ありますよ」
小西「ぇっ!?」
大嶺「小西先生、ちゃんと、メンバー表を見てください? 控えに、ちゃんと、彼の名前は入れておきましたよ」
小西「本当だ、花丸剣山と、書いてある……、あの時、総監督が言っていた手とは、このことだったのか!? 一人削ってまで、この子に賭けるとは…、」
大嶺監督は、花丸の下に詰め寄って、確認します。
大嶺「準備は出来てますか? あなたはタバコも吸っていて、ろくに運動もせずに、心肺機能が戻っていない。センスはあるが、いきなりの実践に、対応できないかもしれない。それでも君は、試合会場で、恥をかかない気持ちは整っていますか?」
花丸は、自信たっぷりな表情で応える。
花丸「はい、先生! 自分、天才なんで」
最後に大嶺先生は、こう言って、花丸をベンチ要員に送り出した。
大嶺「君は秘密兵器だ。我が校のラストピースである」
決勝戦の試合は、ボールを上手く繋ぐ東海大二が試合を優位に進めるが、見国高校は、牧島兄弟を中心に守りぬく。
しかし肝心の、見国の攻撃は、司令塔の長井秀樹を抑えられたことで、不発。
スコアは0対0で、時間は後半戦。
そこで、大嶺先生は、最後の望むにかける。
大嶺「花丸君、出番ですよ」
花丸は、勢いよくウォームアップジャージを脱ぎ捨てて、全国注目のピッチに降り立つ。
花丸「はい、先生! 花丸見参!!」
全員坊主の見国高校の中で、一人だけリーゼント頭の選手が登場すると、余計目立った。
注目されることが、病みつきになるような性格の花丸は、ピッチに送り出されると、水を得た魚のように、緑のキャンパスの上で、躍動する。
実況「こんな初登場の選手が、見国にはいたのですね。まさに怪物、その高さは超高校級。秘密兵器が姿を現しました!」
そして後半の試合終了間際。
0対0の、同点の状況で、牧島将が、東海大二からボールを奪う。
そして中盤の長井に、ボールを預ける。
その長井は、ドリブルで相手を切り崩す。
しかしさすがの東海大二は、中央を固めて、長井をサイドのタッチラインに追い込むディフェンスを敷く。
それによって、長井はドリブルで、サイドに追い込まれた。
しかし。
実況「サイドに流れた長井秀樹がクロスを上げたー。しかしこのボールは高すぎる……いや、一人、待ち構えている選手がいたー! それは花丸だー、花丸剣山が、巨体を空に浮かしたー! 誰も彼の絶対的な高さにはついていけないー! 高い打点で強引に、ボールに頭を合わせたがー!!」
花丸は、強靭な身体能力で、体をバネのようにしならせて、思いっきり頭を振り落とした。
花丸「おいは、世界の大砲たーい!!」
『パッサッ』
「うぅぉぉおおぉぉぉぉぁ!!」
花丸は、ヘディングゴールを決めて、拳を高々と上げる。
見国イレブンみんなが、花丸の下に集まる。
実況「ゴール、ゴルゴルゴルゴル、ゴール!! 見国の先制ゴール! これで試合が決まったー!」
試合は、このまま、見国がリードを保って、勝利する。
1987年の、全国高校サッカー選手権は、大嶺監督が率いる、見国高校が初優勝した。
この大会のMVPには、ディフェンスリーダーの、牧島将が選ばれた。
しかし決勝戦の、影のMVPは、間違いなく、秘密兵器・ラストピース・天才・世界の大砲こと、花丸剣山だった。
選手権が終わり、花丸には、サッカー界からスカウトが来なかった。
彼の高さは魅力的だが、あまりのスタミナのなさが、ネックになった。
それと、協調性。
周りに合わせる能力がないと、判断された。
しかし、注目されることに快感を覚えた彼は、大嶺監督のつてで、海外に挑戦することにした。
大嶺監督の代名詞の、放り込みサッカーの本場、イングランド。
両親は離婚して、母親一人に育てられた剣山は、母親の「どの世界でも良い、有名になりなさい」という、教育方針から、反対されずに、逆に援助を受けた。
花丸は、海を渡った。
それを知った牧島将は、触発される。
牧島将には、大学と、社会人から、スカウトが来た。
しかし、牧島将は、選手の現役を断る。
牧島将「自分の実力はわかっている。選手として長井秀樹よりも下だから、ディフェンスに下がった。しかし、自分のチームに、安定感があるゴールキーパーと、戦術を確実にこなせるフォワードが入っただけで、見国高校は変わった。それが、一サッカー人として、戦術に興味が湧いてきた。俺は、将来的には監督をやりたい。大嶺先生のような、立派な監督になりたい。大学に進んで、日本で教員免許を取得しようとも考えたが、日本にいたら、小さな人間にしかなれないと思う。花丸君みたいに、世界で活躍するという夢を目指したい。そこで私は、イタリア語をマスターして、コベルチャーノに挑戦します!」
牧島将も、海を渡って、イタリアに挑戦することになる。
イタリア行きの飛行機の中で、イタリア語の辞書を引き、思いを巡らせる将。
見国高校サッカー部の掟である、坊主頭から、いがぐり頭に伸びた将は、イタリア本土の土を踏み、やる気が出る。
その足で、フィレンツェへ。
イタリアサッカーの総本山である、コベルチャーノも門を叩く。
支配人「ようこそ、カルチョの国へ。君はここで、最先端の戦術を学ぶのだ」
牧島将は、ここでサッカーのメカニズムや、人心掌握術や、練習メニューや、戦術作用効果などを、きっちりと基礎から、徹底的に叩き込まれる。
サッカー後進国の、日本では、得ることができないような、斬新な知識ばかりだった。
当時、イタリアでは、アリーゴ・ザッキ監督が、現代では、近代サッカーと呼ばれることになる、現実的サッカーで、イタリアのみならず、欧州を席巻していた。
その緻密なサッカーが、コベルチャーノでも教材として取り上げられるくらい、世界のサッカーは、この時に、戦術の分かれ目になった。
世界を制したザッキのサッカーを、牧島将は、現地で、直接、肌で感じて、運良く吸収することができた。
その歴史的な現場に、牧島将は立っていた。
実技の授業で、ゲーム形式の試合をすることになり、将は見国高校の、お馴染みの黄色と青のストライプのユニホームを纏うことになる。
そのユニホームを見た、イタリアの生徒たちからは、
イタリア人「パルマのユニホームにそっくりだな、横縞を、縦縞にしたのかい将?」
牧島将「これは、日本でも、将来、子供たちの憧れの象徴になるユニホームだ」
イタリア人「それにしても、将の名前、MAXIMA・M~マキシマム~(最大限)じゃないか?」
牧島「そうだ、俺のエンジンは、いつでもマキシマムだ」
そこに、コベルチャーノの教員がやって来る。
教員「あぁ、牧島! この前の、お前の理想のチーム、60点だから」
イタリア人「あっはっはっはっ、将、60点しか取れなかったのかよ!?」
牧島将「ぅるせー!」
そのころ、イングランドの、花丸から、牧島将に、手紙が届く。
花丸『~将君へ、将君は、夢のイタリアで、元気にしていますか? 私はイングランドで、悠々自適な生活をしています。ここで選手生活を送っていたら、すべてが競争で、生き残るには、他を排除して、勝ち続けなければいけないことを、思い知らされます。それでも元気にやっています。私が所属しているクラブは、あともうちょっと勝てば、1部リーグに参加できます。そしたら、メディアにも露出して、有名になって、人気者になれるはずです。そしたら、W杯に出場することができないことで、人気が出ない日本のサッカー界を、変えることが出来るのではないかと、思っております。将君は、指導者になるために、孤軍奮闘していると聞いています。そこで、もし私が所属しているクラブが、1部に上がったら、是非、我々のクラブで、監督を務めてもらえないでしょうか? 将君の戦術眼なら、きっと良い指導者になれると思います。それに、世界の中心地のイタリアで、サッカーを学んでいるわけですから、クラブを正しい方向に進められると思います。そこで提案ですが、同じ海外で生活している者同士、今度、食事でもどうですか? クソ不味いイングランドの店の中でも、美味しい日本食を出す店を見つけたのです。お互い、故郷が恋しくなる頃ではありませんか? それでは、お返事待ってます。花丸剣山より~』
この手紙が届いた1週間後。
二人は、イングランドで会う約束をした。
しかし。
その待ち合わせの場所に向かう途中。
花丸剣山は、交通事故に遭う。
半身不随。
これでもう、サッカーができない体になった。
事故を聞いた牧島将は、病院に駆けつけた。
その惨劇の様を見た牧島将は、泣きながら、花丸に語った。
牧島将「な、なんで、花丸君が……、こんな目に遭うなら、俺は監督だから、体を使わない俺の方を、神様は選べばよかったのに……」
しかし花丸、諦めていません。
花丸「なに悲観して泣いとっとたい。おいは、また挑戦するったい。サッカーの誕生の地、イングランドの1部リーグに…、なぁ、将君、日本にもプロリーグができるのって、いつ頃やろか? 立ちたかぁ、知り合い達が駆けつけた、超満員の国立競技場の、緑のピッチに、おいはまだ、立ちたかとよ……」
牧島将「そ、そんな体で、できるわけがな……」
花丸「そんな弱気な指導者は、優秀な監督にはなれんばい。大嶺先生だったら、そがんこと言わん。おいは、大丈夫。自分、天才なんで!」
花丸剣山という、フットボーラーが、日本のサッカー史上に、名前が刻まれていないのは、この事故が起こったからだ。
サッカー人気が乏しい日本でも、海外でも、無名のまま、彼のサッカー人生は終わった。
しかし、現在になっても、彼の生き様は、諦めていない。
日本のキング知が、今でも現役なように、花丸剣山というサッカー選手も、世界のどこかのリーグで、事故からのリハビリを終えて、再び、全ての人々が酔いしれる、緑のキャンパスに立とうとしているのだ。
ストリート・ファンタジスタ番外編
ワールドキャノン・マキシマム編は、これで終了です。