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ストリートファンタジスタ  作者: 窪良太郎
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南アフリカW杯

 ~そして4年後の、2010年、南アフリカW杯。


 数々の報道陣が、会見室に集められた。

 ここで日本サッカー協会から、何かしらの発表があるからだ。

 そのニュースを聞き逃すまいと、報道陣が準備している。


司会「今回、日本代表が4連敗して、南アフリカW杯を迎えることになったということで、再び技術委員長兼任で、凩忍工(こがらし。にんく)委員長が、戦術部門担当コーチを務めることを発表します! この人事は、川渕三郎会長の指示ということで、凩委員長は、協会から送り込まれた形になります! 凩委員長は、サッカー漫画家から協会に引き抜かれた人物で、あの見国高校の大嶺忠敏監督からの推薦で、戦術担当部長に任命された経歴のお持ちの方です。凩委員長、何か一言?」


 南アフリカの地に送り込まれた凩は、壇上でマイクを渡されて、熱弁する。


凩「ご紹介にあずかりました、戦術担当部門兼任コーチの、凩忍工です。みなさんもご存知のとおり、今回、日本代表が4連敗いたしました。日本代表が4連敗したのは、ちょうど私が代表のスタッフに入った時の、フランスW杯直前の、調整試合のユーゴスラビア戦から、フランスW杯本大会の3連敗を喫した年以来です。私が、初めて日本代表チームの戦術担当スタッフとして、参加した時のことです。当時の監督も、岡畑武史おかはた・たけし監督でした。前日本代表監督のオムシ監督が2007年の年末に倒れ、その後を継ぐ形で、現在、代表監督に就任しているのが岡畑監督です。そういえば岡畑監督は、1997年に鴨周かも・しゅう監督が更迭された時にも、緊急登板でした。今、私は、その時期にダブった感じを受けます。今回は、本大会で3連敗しないように、私の戦術で、日本代表を立て直して、勝たせたいと思います!」


 2010年の日本代表は、セルビア戦と、韓国戦と、イングランド戦と、コートジボワール戦に敗れて、南アフリカW杯を迎える。

 緊急事態ということで、凩が、協会から派遣されたということです。


 特にライバルの韓国戦で、日本代表の問題点が明らかになった。


 韓国は日本を研究してきて、日本のボランチの、ゲームメーカーの近藤保仁に、トップ下のバク・チソンがマークしてきた。


 近藤は、相手にマークを付けられると、何もできないタイプのゲームメーカーだ。

 この日韓戦では、パスミスを連発して、ボールを失い、体を張るディフェンスもできなかった。

 やはり近藤は、相手が研究してきて、マークを付けられると、中畑英寿のように、振りほどくことができないので、大きな穴だ。


 その点、大野伸二は、かわすことができるタイプの司令塔だ。

 しかし岡畑監督は、今回、大野を呼んでいない。


 韓国のバク・チソンは、イングランドのマンチェスターUの選手だ。

 そのバク・チソンは、チャンピオンズリーグの、イタリアのミラン戦で、司令塔のビルロをマークして、何もさせなかったことで結果を出した。

 そのビルロ封じで、今回は近藤を封じ込めたということだ。

 その年の試合から、相手チームが研究をしてきて、ボランチの近藤にマークを付けに来ているかをチェックしているが、マークを付けられる試合になると、決まって近藤は、本来の働きをすることができていないのである。




 凩は、現日本代表をチェックして、日本サッカー協会の川渕会長に、現状を報告する。凩「味方のことは批判したくありませんが、岡畑監督は、W杯で戦うような、強い相手には通用しない選手を、南アフリカに連れてきてしまった。オムシ監督の時は、ジョフ勢を中心にする、『ただ走るだけで下手くそな選手』を選んでいた。だから選手選考が酷すぎたので抗議していたが、岡畑監督も酷い。オムシ監督のお下がりを使っているようなものだ!」


凩「特にゲームを作る役割の選手の質が悪い。近藤保仁だ。彼は日本では評価されているが、近藤に海外からの魅力的なオファーが届かない。つまりそれが、世界の評価だ。近藤ほど過大評価されている選手は少ない。国内では、中畑英寿が日本の顔なのかもしれないが、世界では大野伸二が日本の顔として紹介されているようなものだ。未だに日本でプレーしているということは、それだけの選手としてしか見ていないということだ。日本では評価されているが、世界では通用しない選手はまだいる。中町憲剛なかまち・けんごうと、谷野貴章やの・きしょう。そして駒原友一こまはら・ゆういちだ。中町憲剛は、大野伸二を一回り小さくした近藤保仁を、さらに一回り小さくしたような選手だ。谷野貴章は、ただ背が高い選手が欲しかっただけで、選ばれた選手だ。そして駒原友一。彼が監督から評価されている理由がわからない。理解不能だ。技術も乏しい。フィジカルも弱い。メンタルも弱い。おまけに背が低い。こんな選手は、奈良橋以来だ。」


凩「仕方ないが、このメンバーの中で、使える選手だけで戦うしかない……。まだですか? 彼の復帰は? ……、えっ、説得させるために、真崎秀斗に頼んでいるのですか! これは期待できますね。こちら南アフリカで待っていますんで、よろしくお願いします。はい、失礼します。」

 ここは、倉木飛馬の横浜の自宅。


 そこに、先輩の真崎秀斗が、飛馬の代表復帰を説得に来ていた。

真崎「なぁ、飛馬。岡畑監督は、お前がプレーしたいなら、W杯の日本代表の枠を空けているって言ってるんだぞ。飛馬にはその期待に応える義務がある!」


飛馬「真崎さんにそう言われても……。俺はもう引退宣言したもんで、男に二言はないっすよ。」


真崎「あの大野伸二が、W杯のメンバーに呼ばれない以上、お前しか4大会連続出場を果たせる選手はいないんだ!」


飛馬「先輩にそんなこと言われなくてもわかってますよ!」


真崎「なぁ飛馬。お前は本当は出場したいんだろ? またリベンジしたいんだろ? サッカーを好きだという気持ちに、嘘はつけないだろ? 俺も日本代表として、W杯のピッチに立つのが夢だった。しかしその夢は、今回も叶わなかった。それを今、お前には叶えられるのだよ! W杯に出場したいと思っている奴らなんて、いっぱいいるんだよ。そいつらの分まで、夢を叶えてくれよ!」


飛馬「別にその夢を叶えるのが、俺じゃなくても良いんじゃねーの? ほかの選手が叶えれば済む話なんじゃねぇのかよ!」

 

 その言葉を聞いていた妻のあかねが、隣の部屋から、堪らず出てきました。


あかね「あんた!! あの時の気持ちを忘れたの!? ストリートゲームで勝った時の、プロになる前の、『絶対誰にも誰にも負けない!』っていう、あなたしか持っていない気持ちを忘れたの? あのイタリアで試合に出させてもらえなかった時だって、忘れてなかったことを、確認できたのに……。私、今まで、ずっと我慢してきたけど、それだけは忘れていないと思っていたわ。あの子、風馬にも継ないでいって、親子で日本代表になるって、ずっと言ってきたじゃない!? 親子で同じピッチに立つのが夢だって、よく話していたじゃない!? そのために毎日、風馬と一緒にサッカーボールを、追いかけてるじゃない!!」


 この重苦しい空気を感じ取ったのか?

 10歳になった息子の風馬が、部屋の入ってきて、父親に尋ねました。


風馬「パパどうしたの? ねぇ、パパはボクとサッカーをやるときは、あんなに上手にボールを動かせるのに、もうお外でサッカーをやらないの? まだパパはできるよ! だから待っていて、ボクが次のW杯で、代表メンバーに入るまで、パパも代表で待っていて!」


飛馬「…風馬……。」

司会「あらためまして、2010年度、FIFA南アフリカW杯の、日本代表メンバーを発表します!」


GK部門

1番 楢浦正剛ならうら・せいごう。名古屋ドルフィンズ

2番 安部勇樹あべ・ゆうき。浦和ブラッド・ダイヤモンズ

3番 駒原友一こまはら・ゆういち。ヴィバ磐田

4番 田中マルクス闘利王とうりお。名古屋ドルフィンズ

5番 永友佑都ながとも・ゆうと。東京シティ

6番 内畑篤人うちはた・あつと。鹿島ユニコンズ

7番 近藤保仁こんどう・やすひと。ヴァモス大阪

8番 松海大輔まつうみ・だいすけ。グルノーブル

9番 丘崎慎司おかざき・しんじ。清水キングダム

10番 中町俊輔なかまち・しゅんすけ。横浜ユナイテッド

11番 玉畑圭司たまはた・けいじ。名古屋ドルフィンズ

12番 谷野貴章やの・きしょう。新潟スワン

13番 石政大樹いしまさ・だいき。鹿島ユニコンズ

14番 中町憲剛なかまち・けんごう。川崎フロンティア

15番 昔野泰幸むかしの・やすゆき。東京シティ

16番 小久保嘉人こくぼ・よしと。ヴォワイヤージュ神戸

17番 長谷別誠はせべつ・まこと。ヴォルフスブルク

18番 本畑圭佑ほんはた・けいすけ。CSKAモスクワ

19番 森元貴幸もりもと・たかゆき。カターニア

20番 稲元潤一いなもと・じゅんいち。川崎フロンティア

21番 河島永嗣かわしま・えいじ。川崎フロンティア

22番 外澤祐二そとざわ・ゆうじ。横浜ユナイテッド

23番 河口能活かわぐち・よしかつ。ヴィバ磐田


0番 倉木飛馬くらき・ひゅうま。無所属     


 倉木飛馬は、再びW杯の舞台で戦うことを決意した。 

 この倉木飛馬という英雄の復活に、日本のサポーターは色めき立つ。

 と、同時に、W杯メンバー入りできなかった英雄たちもいた。


 倉木飛馬が現役復帰した!

 大野伸二がメンバーに呼ばれず、W杯連続出場が途絶える!

 怪物・平谷相太が選ばれず!

 河口能活がリーダーとして代表入り!


 現役に復帰した倉木飛馬は、すぐさま戦いの場である、南アフリカに飛んだ。

 飛馬が飛行機に乗っている時に、久し振りの試合が待ち遠しくて、体中から、シャンパンが沸くような感情を抑え切れていません。

 その表情は、決意に満ちた、闘う男の目に変わっていました。


 そして戦場に舞い降りた飛馬は、現地で報道陣に対して、復帰会見を行った。

 無数の日本の報道陣が、会見場の椅子に座った飛馬に対して、フラッシュをたいている。

 飛馬は、一瞬バツが悪そうな顔をしたが、自分が戦場に戻ってきた事情を、正々堂々と説明する。


飛馬「私はみなさんもご存知のとおり、一度サッカーを辞めました。私は、宣言を果たせませんでしたが、一度失敗したとしても、チャンスがあるのなら、男はやらなければいけない時があると思うのです。有限実行できなかった私を、世間は馬鹿にするのかもしれません。しかし、もう一度チャレンジすることが、男には許されていると思います。」


記者「現役に復帰するという意志を、固められた最大の要因は何ですか?」


飛馬「今、中畑英寿さんがサッカー界から抜けて、日本のサッカー界が盛り下がっている現状に、危機感を覚えたからです。2008年の北京オリンピックでも3連敗して、チームの格の、トップ下で使われた、谷田博之たにだ・ひろゆき選手が、フランスW杯の時の、錠彰二じょう・しょうじさんみたいな使われ方をしていました。1戦目と、2戦目では、90分間使われたが、3戦目では使えないと判断されて、途中交代されていた。私の経験が活かされて、助言ができれば、こういう悲劇を生ませないようにすることができると思います。」


記者「現役に復帰するということを決めたのは、いつですか?」


飛馬「今回の代表のスタッフでもある、コーチの牧島将まきしま・まさるさんから要請を受けたときです。そして直前に、真崎先輩と、妻のあかねに説得を受けたからです。あと息子の風馬に、偉い父親の姿を、焼き付けて欲しかったからです。だから代表に復帰することを決めました。夢を諦めなかったら、必ず叶うということを、子供たちに証明したい! 私、倉木飛馬は、代表専任選手として、2010年の南アフリカW杯に参加します!!」


記者「代表のスタッフに、あの技術委員長の、凩忍工氏が復帰すると発表されましたが、今回の代表に、どんな影響を与えると思いますか?」


飛馬「それはわかりませんが、彼は戦術部門担当コーチです。監督ではありません。」


 ここで記者会見が終わりました。

 英雄の復活に、4連敗して迎えるW杯に、一筋の光が差し込んだ。








 倉木飛馬が日本代表チームに合流した日に、選手だけで集まって、ミーティングを行なった。

 一色即発のムードの中で、一人一人が、あからさまに自分の主張をする。

 その場で、一人の選手が、口火を切って主張し出した。


「今までの戦い方では、世界を相手に通用しない! それがこの4連敗が証明している。まず守備ブロックを作るために、前線の選手でも下がって、ボールを奪って保持してから、攻め上がって欲しい!」


「急にそんな方針転換をしないで、今までやってきた戦い方を貫き通して、前線からでもボールを奪いく、どんどん前からプレスに上がるサッカーで、どこまでやれるか勝負しようよ!」


「でも今現在、W杯で対戦する強豪相手に、一番可能性が高いサッカーをした方が、勝つ確率は高い!」


「自分たちの攻めに行くサッカーを貫いて負けたら、どこが通用して、どこが通用しなかったかが解る。守備的なサッカーでは、通用しなかった部分しか解らないものだ! 結局自分たちのサッカーを捨てて、勝てば何でも良いのか!」


「俺たちは、前半は良いサッカーができる。しかしスタミナが切れる、70分過ぎに失点する。結局今までのサッカーでは、70分間しか通用しない! 戦い方を変えてでも、今勝たなきゃ日本のサッカー人気が低迷してしまう!」


「下がって守備をして、勝てる保証なんてどこにもない! 相手に先制されたら、ますます不利になる!」


 こんな殺伐とした空気の中で、センターバックを務める闘将の、闘利王が叫んだ。


闘利王「俺たちは下手くそなんだ! 下手くそには、下手くそなりの戦い方がある。まずは、前線から積極的にボールを奪いに行くのは止めて、引いて自陣の守りを固めよう。相手がある程度攻め上がってから、ボールを奪いに行って、チャンスになったらみんなで攻め上がろうじゃないか!」


 このミーティングで、日本代表は、現状を踏まえ、攻守にメリハリがある、『全員攻撃・全員守備』を掲げる、良いチームへと進化していった。





 2010年、南アフリカW杯が開幕しました。

 日本は初戦の、アフリカ大陸にある、カメルーンとの対戦に向けて、準備を進めています。

 日本代表チームには、見国高校で監督をしていて、シドニーオリンピックでも監督を務めていた、牧島将氏がフル代表の副監督を担当していました。

 牧島将副監督は、髪型をセンターで分けていて、知的な感じのメガネの奥から、鋭い視線で、睨みを利かせている。


 その代表のキャンプ場で、凩忍工戦術部門担当コーチが、4連敗した理由を説明します。

凩「いいかみんな、代表が連敗したのは、新しいことにチャレンジしたからだ! まず4‐4‐2から、4‐3‐3にシステムを変えたことによって、慣れていない部分があった。しかしそれは挑戦したからであって、君たちの能力に問題があったわけではない! 戦術的には、2トップから、1トップに変えたことで、1トップが孤立していた。1トップは、相手からしたら、2人よりも1人少ないので、守る側としたら簡単だ。FWは2人以上いないと、攻撃が機能しない。だから連敗していた時は、1トップに絡んでくる人数が少なかったんだ。だからみんな、これからは、1トップ+αとして、αにどんどん入っていこう! そこでダブルウイングシステムだ! 3トップのサイドを、常に相手の最終ラインに張らせる。そのために、サイドバックは高い位置に保って、ウイングをサポートする。それがダブルウイングシステムだ!」


牧島「……、」


凩「その、サイドのトップのウイングには、松海と、小久保を推薦する。そして1トップには、本畑佳祐を抜擢する!」


 この大抜擢に、名前を聞いた周りはどよめいた。


 そして凩は、代表に要らない選手を宣告し出した。

凩「倉木飛馬選手に関しては、試合感が戻るまでベンチにいて良い。しかし現段階では、世界を相手に通用しない選手が存在している。それが、楢浦正剛。駒原友一。近藤保仁。中町憲剛。谷野貴章。以上が現段階では力不足の選手たちです。ですので今名前が挙がった人達は、もっともっと練習して、また次回、代表に呼ばれるように頑張ってください。以上!」


 それを聞いた牧島副監督は激高する。

牧島「俺たちの仲間に、要らない選手なんているか!!」


 それに対して、凩は堂々と反論します。

凩「いいえ、彼らは世界では活躍することができない選手たちです。俗に言う、イタリアでは成功することができない選手の一人です。」


牧島「イタリア…‥、」

 牧島は、激しく歯を噛み締める。



 この凩と、牧島の対決により、その場は静まり返る。

 これを境に、凩と、牧島のあいだに、大きな溝が生まれる。

 これから、凩と、牧島の確執が生まれることになった。

 この日の練習はこれで終わった。

 凩の提案をどうするのかは、日本代表監督の岡畑武史が決めることだった。

 ついにこの時が来た。

 日本対、カメルーン戦が始まる。

 南アフリカに集えし、24人の蒼き侍。

 そのカメルーン戦の先発メンバーがこれだ。


      河島

駒原  外澤  闘利王 永友

      安部

   長谷別  近藤

松海    本畑   小久保


 この日の日本代表の先発メンバーの中で、2006年のドイツW杯の、オーストラリア戦の先発メンバーだった、『ジッコの恥さらし軍団』は、外澤と、駒原だけしか残っていなかった。

 そして全日本代表メンバーで、オムシ監督からのお下がりではなかった選手が、石政大樹と、永友佑都と、長谷別誠と、玉畑圭司と、丘崎慎司と、森元貴幸の6人だけだった。

 しかし、オムシ監督が監督を務めていた、悪評判が高かったジョフ勢からは、オムシ監督時代の元ジョフ所属として、安部勇樹しか生き残らなかった。

 そしてオムシ監督に気に入られて、ほぼ全ての試合に出場させていた、浦和の鈴森啓太すずもり・けいたは、能力通りに選ばれなかった。


 ジョフ勢は、高いスタミナで、スピードある速さは出せるが、技術が伴ってなく、問題視されていた。

 オムシ監督は、選考基準をその2Sにしたが、余りにも時代が早すぎた。

 永友佑都みたいな選手が、2Sを兼ね備えている代表的なプレーヤーです。

 後にこの2Sを基準にして、旋風を巻き起こす監督が現れることを、オムシ監督はテレビの前で祈っている。

 


 GKには、河口能活でも、楢浦正剛でもなく、若武者の河島永嗣にゴールマウスを任せることにした。

 河島は、神懸かった時の河口ほどではないが、河口の本能的なセンスと、楢浦の安定感を兼ね備えた新守護神だ。

 河島は、いつも眉間にシワを寄せていて、厳しい表情をした、短髪の選手である。


 右サイドバックは、磐田の駒原友一。

 凩から戦力外通告を受けた選手だ。

 身長が低くて、身体能力も低い、クロスが得意と言われている選手だ。


 右サイドのバックアッパーとしては、若手で、鹿島の瞬足のイケメンの、内畑篤人が控えている。


 左サイドバックには、日本の要である、永友佑都。

 無尽蔵のスタミナで、フィールドを駆け巡る、身長が低い選手だ。


 左サイドバックのバックアッパーは、守備のマルチプレーヤーである、昔野泰幸が控えている。



 センターバックには、不動の二人。

 ボンバーヘッドの外澤祐二と、ブラジルからの帰化選手である、闘将の、闘莉王だ。

 二人とも長髪で、背が高い日本の壁だ。


 センターバックのバックアッパーは、鹿島の巨壁である、石政大樹が控える。



 ディフェンシブハーフには、アンカー(錨)の役割として、安部勇樹をおいた。

 安部は守備のオールラウンダーで、パスセンスがある仕事人だ。


 そのバックアッパーとしては、W杯経験者の、稲元潤一が控えている。


 その前のポジションの、センターハーフには、ゲームキャプテンを任せられた、長谷別誠と、ゲームメーカーの、近藤保仁がいる。

 長谷別は真面目な選手で、根っからキャプテンに向いている性格の選手だ。

 近藤は、凩から戦力外通告を受けた、黄金世代の司令塔だ。

 二人はチームの司令塔として、豊富なスタミナと、戦術眼で、チームを動かす。


 そのポジションの、バックアッパーは、パスが正確で、ミドルシュートが得意と言われる、身体能力が低い、中町憲剛だ。

 中町憲剛は、凩から戦力外通告を受けた選手だ。



 3トップのサイドであるウイングには、右にドリブラーの、松海大輔と、左に見国高校出身者でW杯戦士になった、小久保嘉人をおいた。

 二人とも、技術を活かしたスピードが得意の選手だ。


 ウイングのバックアッパーには、日本のファンタジスタである、中町俊輔と、長身なのにスピードがある、新潟の谷野貴章が控えている。

 谷野は、凩から戦力外通告を受けた選手だ。



 最後に、センターフォワードには、中畑英寿2世として、世間から注目を集め始めた、本畑圭佑を使った。


 本畑は本物の選手だ。

 中畑英寿との決定的な違いは、人に合わせる能力を持っているところだ。

 本畑は、中畑英寿が持っていない、相手をかわす能力や、柔らかさを持っている。

 そこが、決定的に違う部分だ。


 凩から直接、大抜擢を受けた選手だ。

 本畑は、歯に衣着せぬ発言と、傲慢な態度で、カリスマ性を秘めて、日本の救世主と期待された存在である。

 

 本来は、センターフォワードの1列後ろでプレーをしていた選手だが、岡畑監督から、1列上げて、フォワードとして、送り出された。

 今まで結果が出ていなかったので、コンバートして、攻撃のタクトを変える、大博打だった。


 センターフォワードのバックアッパーには、イタリアのカターニアで成功したが、それからあまり成長していない、森元貴幸と、前回のW杯で得点して、スピードがありながら技術もあるイケメンの、玉畑圭司と、日本のエースとして期待されていた、ダイビングヘッドが持ち味の、丘崎慎司が控えている。


 丘崎は、本戦直前まで期待されたが、それに応えることができず、センターフォワードのポジションを奪われた選手だ。





 この彼らを束ねるのは、軍将である岡畑武史監督。

 メガネをかけて、実直な、意外と背が高い監督だ。


岡畑「今まで我々は、イングランドのように、高い位置からでもプレスをかけて、スペインのようにボールをキープすることによって、相手に攻めさせない、ボールとゲームを支配するサッカーを志していた。しかし今私が、日本の代表監督としてこのチームを勝たせようと考えたときに、理想を捨ててでも、可能性が高いサッカーを目指す方が、勝利する可能性が高いと考えた。格下のチームが、格上のチームと戦う時に使う戦法として、イタリアが使っているような、得点を奪われないために、ボールを奪われたら、引いて守備ブロックを作って、ハエがたかるようにボールを奪い返す、リアクションサッカーに変更します。」


岡畑「リアクションサッカーは、引いて下がった分、相手のゴールにボールを運んでいく時間がかかって、その間に、攻めが相手に遮断される。それにリアクションサッカーは、相手が攻めてきてくれないと、こちらのカウンターという攻撃が発動しない。なので相手に先制されると、攻めてきてくれないので、攻撃の形を発揮することができなくなる。もともとリトリート戦術は、私がフランスW杯の時に導入した。しかし「点が取れない」とか、「守り一辺倒でつまらない」とか、「守備を固めるのに何の意味がある?」などとこき下ろされた。しかしリトリート戦術は、現代ではどのチームも導入している戦法だ。私が、今いるメンバー(食材)に合わせて、チーム(味)を作るとき、現状を踏まえた戦い方に変える。押し込まれても、相手に点を与えないサッカーを、粘り強くやっていこうじゃないか!」


 最後に岡畑監督は、選手たちにこう伝えました。

岡畑「このW杯でベスト4に入るために、人生を犠牲にしてでも、日本代表のために、命懸けで戦う覚悟を持っている奴だけ残れ。さぁ、W杯の始まりだ!」




 いよいよ日本対、カメルーン戦のキックオフが迫ってきました。

 スタジアムには、たくさんのサポーターが、ときはまだかと待ち望んでいる。

 そんなスタジアムの空気の中で、両チームの選手たちが、準備運動しに現れます。

 その中の一人の選手が、W杯で叫びます。


「俺にもう一度、W杯を戦うチャンスをください!!」

 その選手は、日本のユニフォームを着た坊主姿の選手です。

 それを見たサポーターが騒ぎ出す。


 あの坊主姿の選手は誰だ?

 見たことない顔だな?

 でもユニフォームを着ているよ?

 背番号が0番……?

 ひょっとして、……倉木飛馬!?

 見国高校時代でも髪を切らなかったのに!?


 なんとあの長髪を貫いていた、倉木飛馬が、頭を丸刈りにして、坊主頭になっていたのです。

 飛馬は成長して身長は180センチメートルあるイケメンで、あの岡畑監督にも長い髪を切れと言われていたが、坊主頭にしたら、男らしくてイケメンなのです。


飛馬「なんか頭が、寒みぃな。」


 この飛馬の潔い姿を見た日本のサポーターたちも、一様に気合が入りました。

 サポーターの興奮が、絶頂に高まっています。

 両サイドの応援が、風のように巻き上がった。

 そして日本の、南アフリカW杯の初戦の、カメルーン戦がキックオフされました。

 さぁ、日本の南アフリカW杯が開幕です!!

ピーーーーーー!


 日本は初めて、W杯で、ウイングを配置して戦った。

 日本が採用したウイングは、相手がボールを保持している時は、引いて守備に戻る。

 だからトップの本畑を除く選手は、引いて守備をするので、守備役の選手が9人で、攻撃役の選手が、本畑1人だ。

 つまり守備役と、攻撃役の比率が、9:1である。


 この数字は世界でも主流で、南アフリカW杯に出場した多くの国は、守備役と、攻撃役の比率が、9:1とか、8:2が多かった。


 しかし欧州のスペインのウイングは、攻撃力が下がるので、リトリートせずに、前線に残って、張っていた。

 だからスペインも3トップなのですが、守備役と、攻撃役の比率は、7:3だ。

 これは日韓W杯の時の水準に近い。

 日韓W杯の時は、7:3とか、6:4が多かった。


 そして対戦相手のカメルーンの比率は、7:3だった。

 カメルーンのフォーメーションは、日本と同じ4‐3‐3。

 しかし日本と違うところが、ウイングが、スペインと同じように、ボールを保持されていても、引いて守備に戻らないところだ。


 日本は下がる分、攻撃力は下がるが、守備力が上がる。

 カメルーンは下がらない分、攻撃力が上がるが、守備力が下がる。

 これが日本と、カメルーンの、3トップの違いです。

 これが試合に表れる。



 カメルーンの中で最も警戒するべき選手は、右のウイングにいる、エドーである。

 イタリアのインテルでプレーをしているエドーだけは、アフリカ人の中でも、ヨーロッパナイズドされた、特別な選手だ。


 ほかのアフリカ人のFWは、大雑把で、ゴール前でアバウトなプレーをするのだが、エドーだけは、ゴール前で集中力を切らさず、大事な場面で、確実に仕事をこなし、決定的なチャンスをものにする。

 だからイタリアでも成功して、欧州チャンピオンズリーグの決勝という大事な場所でも、点を決める結果を残したアフリカ人だ。


 エドーは子供の頃に欧州にわたり、貧困層から、サッカー選手として成り上がった選手だ。

 その過酷な経験が、アフリカ人らしくないプレーに繋がっているのだろう。


 しかしそのエドーを、3トップのセンターではなく、センターから離れた、右サイドで使ってくれたことが、日本としてはありがたかった。



 日本は、カメルーン相手に、リアクションで、カウンターを狙うサッカーで臨んでいた。 日本は、カメルーンがある程度攻めてきてから、チーム全体でプレスをかけるサッカーをしていたが、トップの本畑は、前線から積極的にプレスをかけていた。


 カメルーンは、前線からプレスをかけて、ボールをつなぐサッカーをしていた。


 日本の3トップは、流動的にポジションチェンジをしながら攻める。

 しかしカメルーンの3トップは、ポジションを固定して攻めていた。


 そして前半の、32分。

 日本はチャンスとみるや、前線に人をかけて、相手ゴール前に6人もの選手が攻め上がるシーンを作り出すことができた。

 これは、日本は引いて守るだけではないぞ、というものを見せていた。

 しかしこのシーンでは、点は生まれなかった。


 そのすぐあと、前半の、39分。


 日本の右サイドの、松海が、中央にクロスを上げたー!

 中央には3トップの、本畑と、小久保が待っている!

 あーボールが抜けたー。そのボールはファーサイドに陣取っていた、本畑に届いた!

 本畑は冷静にボールを自分の位置にトラップしたー! 頼む本畑決めてくれー!

 キター! 本畑がゴールに押し込んだ! 日本が先制!


 なんと日本はこの試合での、ファーストシュートで、ゴールネットを揺らした。



 戦術的には、4バックというのは、サイドチェンジされると、逆サイドに大きな穴が空きやすいのです。

 日本は意図的に、右サイドから攻めていた。

 するとカメルーンは、どうしても、そちらをカバーするために、攻められているところにスライドする。

 するとスライドした分、もともと逆に位置取っていたところに、スペースが生まれる。

 そこが、本畑が陣取っていた、ファーサイドのポジションなのです。

 本畑は、そこでフリーになって、ボールをゴールに押し込んだというわけだ。


 日本は1点をリードして、前半を終える。



 カメルーンの守備方式は、あまりガツガツとチェックしてこないので、日本の選手は楽に前を向くことができた。

 そして審判の笛の基準は、ちゃんとファウルをとってくれるので、日本向きのジャッジでした。



 カメルーン戦の後半。

 日本が先制したことで、カメルーンは1点でも取らないと、価値点1すら獲得することができない。

 だからカメルーンは、必死で日本ゴールに迫った。

 すると守備役の選手でも、自分が担当するエリアから、離れて攻撃参加する。

 するとカメルーン陣地に、攻撃参加した分、担当しているエリアに、スペース(穴)が生まれる。


 そこを日本が突いた。

 日本が先制したことで、カウンターが通用して機能した。

 日本の攻撃は、好循環と化した。

 これが、リアクションサッカーの最大の魅力だ。



 日本の右ウイングの松海がバテてきた。

 そこで岡畑監督は、後半の79分に、松海に代えて、丘崎をピッチに送り込む。

 丘崎は、日本のエースと期待されて、岡畑監督に信頼された選手だ。


 そして今度は、左のウイングの、小久保の動きが悪くなってきた。

 そこで岡畑監督は、後半の82分に、あの選手をピッチに送り込むことを決めた。

 坊主頭の倉木飛馬だ。


 倉木飛馬の出番に、日本の観客の歓声が沸く。

「うオオォォォおおぉお!!」

 異様なスタジアムの空気の中で、倉木飛馬が、見国の後輩の小久保に代わって、フィールドに舞い降りた。

 これで飛馬の、W杯4大会連続出場の記録が更新された。



 日本は、ホームではないW杯の試合で、初めての勝ち点3である、勝利が目前となっていた。


 後半の、88分。

 ゲームキャプテンの長谷別に代わって、稲元を投入した。

 守備を固める目的で、試合を終わらしにかかったのである。


 さぁ、日本はW杯の初戦での、初めての勝ち点3迫ってきました。

 審判が笛を口にくわえたー!


ピーーー! ピーー! ピーー!


 試合終了!

 日本は白星スタート!

 日本は1対0で、カメルーンに勝利した。






 現地で日本代表をチェックした凩は、日本サッカー協会に戦績を報告した。

凩「本畑は、不慣れなポジションながら、1トップとしての重責を全うして、確実に仕事をしてくれた。本畑のゴールがセットプレーでのゴールではなく、流れの中でのゴールだったということが、攻撃が機能していた証拠だ。」


凩「そして松海を先発させたのが大きかった。松海は、日本選手の中で、一番給料をもらっている選手だ。それが世界の評価だ。松海は、中町俊輔よりも上だ。そして小久保はキレはあったが、最後の決定力さえあれば良いのだが……。」


凩「ゲームメーカーの近藤は、今回はパスミスをしなかった。しかし近藤封じとして、マークがつくと、フィジカルが弱いので、簡単にパスミスを連発するぞ! 近藤ほど過大評価されている選手も珍しい。近藤は日本では評価されているが、海外移籍した経験がない。魅力的なオファーが届かないのだ。それが世界の評価だ。近藤を軸にすると危ないことになる。」


凩「ゲームキャプテンの長谷別と、安部は、今日も走っていた。走った距離を計ると、結果的に上位にランクインするだろう。」


凩「左サイドの永友は、今日もアップダウンを繰り返して、働いてくれた。別次元のプレーを見せている。しかし永友は背が低いので、できれば4バックのサイドではなく、もう1列前で使ってあげたい。」


凩「センターバックの外澤と、闘利王は、不動だな。オウンゴールをせずに、二人のコンビネーションで相手の攻撃をせき止めていた。」


凩「GKの河島は、最初はどうなるものかと思っていたが、スーパーセーブを連発してくれた。これからはもっと良くなるだろう。」


凩「問題は、右サイドバックの、駒原だ。彼は練習では上手いのかもしれない。しかし私は、彼が本番で活躍したところを見たことがない。今日もそれを見せてはくれなかった。彼は代表に選ばれているのだから、テクニックはあるのかもしれない。しかしフィジカルと、メンタルが劣っている。しかも背が低い。彼が代表に選ばれて、先発で使われている理由がわからない。彼を擁護する人たちは、彼は正確なクロスを上げれると言うが、私はそれを試合で見たことがない。あったとしても1、2点だ。これは出場時間に比べて、非常に少ない数字、結果だ。逆に、彼が失点に絡んだシーンは、何度も見たことがある。ドイツW杯の時の、オーストラリア戦がそれだ。本番のW杯の時だけではなく、親善試合で何度も証明されてきたことだ。ザックローニ監督の不敗神話を途絶えさせた北朝鮮戦でも、競り負けて失点の原因になったのは、駒原だ。」


凩「岡畑監督は、本番では使えない選手を、南アフリカに連れてきてしまった。つまりイタリアでは通用しない選手だ。テクニック・フィジカル・メンタルの3つの要素が、バランス良く備わっていないと、良い選手とは呼ばない! 中町俊輔は、テクニックは申し分ない。しかしフィジカルと、メンタルが劣っている。彼はイタリアで成功したが、波があるので、良い選手とは呼ばない。練習でいくら上手くても、それを本番の舞台で発揮しなければ何の意味もない。本番というプレッシャーがかかっている試合でも、いつも通りに、動じずにプレーをすることができるかだ。それができないと、結局その程度の選手として判断される。それが、テクニックが劣る選手でも、サッカー選手として活躍することができている理由だ。イタリアのような本番の舞台で、強い相手にも確実に通用してこそ、真の一流選手というのだ。そこで活躍することができるか? できないか? で世界の評価が決まってくる。」


 凩の、日本サッカー協会への報告が終わった。

 日本本国は、南アフリカW杯の初戦で勝利したことで、国中がサッカーに熱狂していた。 次は2戦目のオランダ戦が待っている。





 日本は、オランダ戦に向けて準備しています。

 2010年の南アフリカW杯は、白熱した試合が、順調に行われています。


 日本代表への期待が高まる中で、第2戦目のオランダ戦がやってきました。

 日本は、優勝候補のオランダと対戦します。

 この日の日本の先発メンバーは、初戦のカメルーン戦と同じメンバーです。

 良い流れの時は、何も変えない。

 岡畑監督は、このメンバーを信じていました。

 サポーターも、蒼き侍たちを信じてました。


 さぁ、日本対、オランダのキックオフです!


ピーーーーー!


 オランダは試合開始直後から、攻撃的な意識で攻めてきました。

 優勝候補は、立ち上がりで先制点を奪って、そのリードを活かして、試合を優位に進めるのです。

 それに対して日本は、きっちりと守備ブロックを作って対応した。


 オランダのフォーメーションは、日本と同じ、4‐3‐3。

 しかし日本と違うところは、中盤がダブルボランチで、その前にトップ下の、スナイテルを置いているところだ。


 オランダは、積極的に前線からプレスをかけてきた。

 日本は、リアクションサッカーで応じる。


 オランダの守備役と、攻撃役の比率は、8:2だ。

 1トップの、ファン・べルシーと、トップ下の、スナイテルを残す。

 日本がボールを保持したら、ウイングも含めて、8人が下がって守備をするという形だ。

 審判の笛の基準は、きちんとファウルをとってくれる、日本向きのジャッジでした。



 試合を優位に進めたのは、ボールを支配したオランダ。

 オランダは、攻撃的に攻める意識の分野と、ウイングを使ってゲームを組み立てる戦術の分野で、終始ボールを支配した。

 

 そしてオランダのプレスは、日本の1トップの本畑に、前を向かせない、的確にガツガツと行くディフェンスをしていた。

 だからこの日の本畑は、確実な仕事をさせてもらえずに、不発だった。


 日本の攻撃は、カウンター頼みだった。

 オランダが攻め上がった分、裏にできる空いたスペースを、日本は使って攻めていた。 しかし度々にしか訪れない貴重なシュートチャンスを、小久保が決定的なシュートを撃てずに沈黙。

 小久保の課題は、最後のフィニッシュの精度だ。


 前半はオランダが攻めるが、日本のディフェンスは、オランダ相手に決定的な場面を作らせずに、シュートらしいシュートを撃たせずに終わらした。



 0対0で迎えた後半。

 オランダは先攻することができなかった前半の流れを払拭しようと、後半開始直後から、猛攻を仕掛けた。

 日本は自陣に押し込まれて、ボールを支配された。

 攻め上がることで、最終ラインも押し上げたいが、オランダに必勝法の、押し込まれる形を取られていたために、ボールをオランダゴールに押し上げたいが、距離が長いので、ボールを運んでいる途中で、オランダ相手に攻撃が遮断された。


 その日本が最終ラインを押し上げられないような、オランダの攻めが優勢な構図のまま、悪い流れを払拭することができずに、日本は後半の8分に失点する。


 スナイテルの強烈シュートー!

 ボールはゴールの正面に飛んでいったー! 河島弾け!

 あ~河島痛恨! 新型ボールを弾き返すことができなかった!

 オランダが先制!


 猛攻を10分以上耐え続けると、守備が安定する。

 しかし日本は、後半開始直後から、10分も持たなかった。



 サッカーには、点が入る時間帯がある。

 それは前・後半の、開始10分間。

 これはチームとしてやろうとしていることを確認した後に、戦術として作戦を実行するからだ。

 監督の指示で、統一された攻めが的中する。

 これで日本は失点した。


 そして点は、試合が終了する前の、10分間にも生まれやすい。

 これはリードされている側が、1点でも取り返そうとして、自分が担当する守備のエリアから離れてでも、攻め上がろうとするからだ。

 しかしなりふり構わず攻め上がるから、逆に後ろに穴が空いて、そこを突かれて失点するというパターンが多い。


 ほかに点が生まれる時間帯は、点が生まれた直後の10分間。

 点を入れられた側は、1点でも取り返さないと、勝ち点1すら手に入らない。

 だから点を取られた側は、メンタルが『攻める』に変わるのです。

 サッカーは、メンタルが変わるだけで、点が生まれる。

 それがサッカーには、メンタルが重要だという意味だ。



 それはこの日の日本もそうだった。

 日本は失点直後から、前線に人数をかけて、オランダゴールを攻め立てた。

 しかしこの日の日本は、失点直後から、10分間に点を入れ返すことはできなかった。

 日本の攻めは、テクニックがあって、キープ力があるので、右ウイングの松海サイドから攻めていた。

 しかし攻撃を組み立てていた松海はスタミナが低いので、岡畑監督は後半の64分に、中町俊輔と交代させた。

 中町俊輔は、フィジカルと、メンタルが低いので、波があって、常に強い相手に通用する良い選手とは呼ばない。


 負けている側の岡畑監督は、後半77分に、点を取るために、小久保と、長谷別に代えて、玉畑と、丘崎を同時投入した。

 玉畑は、結果的にゴールを決めていたという印象がある、結果を出せる選手だ。

 そして丘崎は、日本のエース候補として、こういう試合でゴールを決めなければ評価されない。


 展開は、攻める日本に対して、守りながら、日本が攻めてきたその裏をつくオランダという構図。


 そして何度か訪れる、そのオランダのカウンター攻撃を、新守護神の河島が、なんとか神懸かり的スーパーセーブで防ぐ。

 河島は、河口の本能的なセンスと、楢浦の安定感を兼ね備えている。

 もはや安定感だけの楢浦には、出番がなかった。


 岡畑監督は、日本が、いつものリスクを負わない攻めを繰り返していたので、ピッチサイドに行って、失点するリスクを冒してでも、攻め上がるように指示していた。




 日本対、オランダは、もう試合終了間際に迫っていました。

 すると日本の最終ラインの闘利王が、前線に攻め上がって、パワープレーの様相となっていた。


 闘利王が後方からのロングボールを頭で落としたー!

 あー! そのラフなボールを追いかけて、走り込んだのはエース候補の丘崎だー!

 丘崎決めてくれー! あ~外したー!


ピーーー! ピーー! ピーー!


 試合終了。

 日本対、オランダは、0対1で、オランダが勝利する!

 日本は負けるような相手ではないオランダに、名前負けした!



 これで日本は2戦を終えて、勝ち点が3。

 そして第3戦目に相手であるデンマークは、カメルーンに勝って、同じ勝ち点3。

 しかし得失点差で、日本はデンマークを上回った。

 だからオランダ戦で、河島のビッグセーブがなかったら、得失点差で並んでもおかしくはなかった。


 日本は第3戦目のデンマークに、引き分けても、決勝トーナメントに進出することができるという有利な状況になった。

 日本は南アフリカ大会で決勝トーナメントに進出したら、ホームではないW杯では初突破することになる。





 日本対、デンマーク戦は、日本時間では深夜のキックオフ時間になる。

 しかし日本のサポーターは、魂を込めた応援を繰り広げていた。

 人々の期待は、南アフリカに注がれた。


 もうすでに、オランダは決勝トーナメントに進むことが決まって、カメルーンは敗退することが決まっている。

 果たして日本と、デンマークの、どちらが決勝トーナメントに進出するのか?

 命運をかけた、魂のデンマーク戦が、主審の笛の音とともに始まった。

 さぁ、日本対、デンマーク戦の、キックオフです。


ピーーーーー!


 デンマークが決勝トーナメントに進むには、レギュレーション上、最低でも1点は取らなくてはいけなかった。

 だからデンマークは、この試合では、攻撃に比重を置いた。

 だからデンマークの、守備役と、攻撃役の比率は、7:3だった。

 本来ならば、デンマークの比率は、9:1だった。


 今までの形と違うのは、3トップのウイングが、相手がボールを保持している時は、下がって守備をしていたのだが、日本戦は、下がらず前線にウイングを残しているところが違っていた。


 デンマークのフォーメーションは、4‐2‐3‐1。

 4バックに、中盤はダブルボランチで、その前にトップ下を置いていた。

 前線は、1トップのペントナーに、サイドのウイングが絡んで、攻撃力を上げる3トップを形成していた。


 デンマークのファーメーションを、4‐2‐3‐1と表記したのは、サイドのウイングが、ボールを保持している時は3トップを形成するのだが、相手がボールを保持しても、引いて守らないので、ちょうど2列目の、トップ下と同じポジションに陣取っていたからだ。

 正確に表記すると、こうなる。


 デンマークの攻撃は、その3トップで実行する作戦だった。

 しかし日本相手に、そう思惑通りにはいかなかった。


 そして日本のフォーメーションは、良い流れの時は、何も変えないということで、いつもの4‐3‐3と思いきや、この日のスタートは、デンマークと同じ、4‐2‐3‐1だった。

 先発メンバーは同じだが、岡畑監督は奇襲作戦として、フォーメーションチェンジしていた。


 日本がいつもの違うところは、安部の1ボランチのところを、安部と近藤のダブルボランチにして、トップ下に小久保をおいたところだ。

 そして右サイドのウイングに、長谷別をおいて、左サイドのウイングには、松海をおいた。

 1トップは変わらず、本畑を起用した。


 奇襲作戦は、本畑と、トップ下の小久保で、縦の関係の2トップにして、最終ラインの4人と、その前のダブルボランチと、ウイングの2人が、4を作って、4と4の、2ラインを作った。

 4と4のブロックを作ることによって、4‐4‐2という形に変化させたのだ。


 しかしこの布陣は、あまり機能しなかった。

 いつものやり方とは違う形にして、選手たちが混乱して、うまく回らなかった。

 岡畑監督はそれを悟ると、開始10分ほどで、元の形に戻した。



 そしてデンマーク。

 実はデンマークも、意表を突いて、選手たちのポジションをチェンジしていた。

 いつもはトップ下でプレーをするドマソンを、左サイドのウイングに据えて、右サイドのウイングだった、ロンメタールを、トップ下にコンバートしていたのだ。


 デンマークのこの奇襲作戦は、うまくいった。

 デンマークはこの奇襲作戦で、日本がフォーメーションを4‐3‐3に戻して、安定感を保つ開始10分すぎまでに、試合を優位に進めた。


 特に右ウイングに据えられたドマソンが、自由なポジションをとるので、だれがマークをしに行くのかが、はっきりせずに、フリーの状態を作らせていた。


 本来ならドマソンには、1ボランチの安部が担当すればよいのだが、この日は近藤とのダブルボランチに変更していたことで、どちらが担当で、マークをする側だということが決まっていなかった。

 それにドマソンは、本来トップ下でプレーをするはずの選手でしたから、右ウイングで自由にプレーをしていたことで、それに対応することができなかった。


 しかしデンマークの奇襲作戦で、ドマソンが、日本のゴール前で、誰もマークがついていないフリーの状態で、ボールに触らせるという、危ない場面で失点しなかったことが幸いだった。 

 そのデンマークの奇襲作戦も、開始して10分が過ぎたあたりに、元のフォーメーションに戻してくれた。

 つまり右ウイングでプレーをしていたドマソンが、トップ下に戻り、トップ下でプレーをしていたロンメタールが、右ウイングに戻ってくれた。




 開始10分が過ぎ、日本の守備も安定しかけて、これからはドマソン相手に、フリーの状況で、危険なエリアでボールを触らせるという場面は、作らせなかった。


 ドマソンは、フェイエノールトで大野伸二と一緒にプレーをして、UEFAカップを制した選手だ。

 そのドマソンは、流動的に動いて、相手のマークを外して、巧みにポジションを取る危険な選手だ。

 しかし日本は修正したことにより、守りの人数をかけて、トップ下から流動的に動く要注意人物を、自由にさせず、対応することができていた。



 そして前半の、17分。

 日本にゴールが生まれることになる。

 日本はフリーキックを獲得する。


 このエリアは、本畑の射程圏内だ。本畑が左足を振り抜いたー!

 無回シュゥゥゥート! 決まったー! ブレ球が落ちて、ゴールのファーサイドネットに突き刺さったー!

 日本が先制!



 これでこの試合で勝たなくてはいけないデンマークは、最低でも2点が必要になった。

 これでデンマークは、必然的に攻め上がる。

 しかしその攻め上がった分、担当者がいなくなって、空いた後ろのスペースを、日本がカウンターで突いた。

 その状況が続く、前半の28分に、デンマークのセンターバックの選手が、小久保にラフプレー。

 絶好のポジションで、フリーキックを獲得した。

 そしてその選手には、イエローカードが提示される。


 再び訪れた、フリーキックのチャンス。

 先ほど、フリーキックを叩き込んだ本畑の左足に、注目が注がれる。

 しかし、本畑のゾーンで、デンマークの壁も、本畑のシュートコースを隠した作り方の中で、再び本畑が蹴ると思いきや、今度は、空いていた右のコースを、右利きの近藤が狙って振り抜いた。


 フリーキックの地点には、本畑と、近藤の二人がいる!

 いや、今度は近藤だー! 決まったー!

 日本は直接フリーキックで追加点! 日本の2点は、飛び道具の直接フリーキックだ!


 時間は、もう前半の30分を刻んでいた。

 近藤はまんまと、空いていた右のコースから、直接フリーキックをねじ込んだ。

 この2点目は大きかった。


 つまりこの時点で、デンマークは、最低でも3点が必要だった。


 するとデンマークは、2点目を入れられた直後の34分に、ダブルボランチの一角を外して、FWを投入した。

 つまりそのFWと、ペントナーの2トップ関係にしたのだ。

 デンマークは、フォーメーションを変えてでも、点を取りに来た。


 しかしこの交代を期に、デンマークのディフェンスは、ザルになった。

 デンマークは、前線に人をかけた分、守備に穴ができた。

 それによって、日本のカウンターが、ますます通用した。

 そしてその流れのまま、前半は終了する。



 主審のジャッジは、厳しく笛を鳴らす基準だった。

 特に日本の遅延行為に厳しく、前半のうちに、近藤と、永友に、遅延行為でイエローカードを提示した。



 そして後半。

 デンマークは、日本に対して激しいプレスをかける。

 しかし1トップの本畑は、確実に仕事をして、難なくボールをキープする。

 その1トップにボールが収まるので、日本は安心して、後方から飛び出してきて、攻め上がることができていた。


 デンマークの攻めは、前線に集まらせた選手に向かって、後方からシンプルに、ロングボールを送るという、パワープレーに打って出た。

 しかしデンマークの1トップである、長身選手のペントナーは、本当の舞台では役に立たない。

 ペントナーの所属クラブは、イングランドのアーセナル。

 そこでのプレー通り、大したことがない。

 技術がないのだ。


 それはオランダの、ファン・ベルシーも同じだ。

 彼もアーセナルに所属している。

 日本戦でも、ファン・ベルシーは出場していた。

 しかし彼の印象が全くない。

 すなわち、その程度の選手ということだ。

 ペントナーと、ファン・ベルシーの評価は、日本戦の働きを見れば良い。

 強い相手には通用しない、本当の舞台では活躍することができない、能力が低い選手だ。

 それは見たらわかる。

 それ以上の説明のしようがない。

 最小公倍数だ。

 それが評価の仕方だ。



 後半の、74分。

 日本は、いつものようにバテてきた松海を下げて、丘崎を投入した。

 そして試合は、後半の残り10分まできた。


 デンマークは、パワープレーを仕掛けて攻めるが、日本はしっかりと最終ラインを高く保って、決的的なチャンスを作らせない。

 しかしその状況の中、長谷別がペナルティーエリア内で、痛恨のファウルを犯す。


 長谷別が相手選手を手で押したー!

ピーーーー!

 あ~っと、笛が鳴った! ん、これはPKの笛だ! これはデンマークの選手の倒れ方が良かった!

 これでデンマークに、PKでの得点のチャンスを作らせたことは間違いない!

 キッカーはドマソン! 対する門番は、河島!

 二人とも、目で睨みつけたー!

 ドマソンが右足を振り抜いたー! あっ、これを河島が反応して弾く!

 あ~しかしこぼれ球をキッカーのドマソンが、ゴールに押し込んだ!

 ゴール! ゴール! デンマークが1点返したー!


 この失点後、岡畑監督は、予防のために、守備の選手たちに準備をさせた。


 デンマークに1点は返されたものの、まだ日本がリードしていて、余裕があった。

 そして日本は、攻め上がって手薄になった、デンマークのディフェンスを突く。


 後半の、87分。

 日本のカウンターが、ゴールという形になって表れた。


 本畑が飛び出したー! 相手は本畑にマークに行く!

 本畑はトリッキーなプレーで前を向く! 敵は相手GKしかいない!

 本畑は、ボールをフリーの味方に渡したー! 丘崎だ!

 丘崎はボールを無人のゴールに入れ込んだー! ゴール!

 日本は3点目!


 これで勝負あった。

 しかし岡畑監督は、冷静に勝負に徹して、3点目の直後に、守備を固める。


 後半の、88分。

 ウイングの小久保に代えて、ディフェンスのマルチプレーヤーである、昔野を、左サイドバックに投入した。

 そして左サイドバックだった永友は、1列前に上がってプレーした。


 そしてロスタイム。

 時間稼ぎと、守備を固めるために、近藤に代えて、稲元を投入した。


 そして試合終了のホイッスルが鳴り響くことになる。


ピーーー! ピーー! ピーー!


 試合終了。

 日本はデンマークを撃破して、決勝トーナメントに進出することが決まった。

 日本は、第一関門を突破した。

 この結果に、日本本国では、様々な声が寄せられていた。


 岡ちゃん、批判してゴメンね!

 自分の信念を貫いた岡ちゃんは偉い!

 有言実行男の本畑やった!

 W杯で勝ったことで、サッカー人気を復活させた!

 4年後も岡ちゃんで行こうよ!


 日本代表の、決勝トーナメント進出に、日本中が盛り上がっていました。

 日本代表は、先発で出場する11人だけではなく、ベンチのスタッフを含めて、一つの集団として良いチームとなっていた。



 その日本代表チームに対して、戦術部門兼任コーチの、凩がねぎらいのコメントを送った。


凩「君たちはよくやった! 私の助言を受け入れたからだ。次の決勝トーナメント一回戦の相手が、パラグアイに決まった。次のパラグアイ戦も、システムを変えずに戦おう! しかし先発メンバーの中で、変えたい選手がいる。それは、駒原だ。」


 この言葉に、副監督の牧島将が噛み付いた。

牧島「まだそんなことを言っているのか! 俺たちのチームに、必要がない選手なんていない! 私はイタリアのコベルチャーノで、監督ライセンスを取るためにサッカーを勉強した。自分のチームメイトに、要らない選手と宣告して、チームの和を乱すなんて、言語道断だ!!」」


 しかし凩は、動じることなく、自分の意見を堂々と発する。

凩「いや、私は責任の所在を、はっきりさせているだけです。次のパラグアイは、日本を研究してくる。その時に、日本の穴とみられてはいけない! パラグアイは、確実に研究してきて、日本の持ち味を消そうとしてくる。つまりイタリアのような戦い方だ。駒原を変えなかったら、大変なことになる!」


 このまま、険悪な雰囲気のまま、日本代表チームは、決勝トーナメントのパラグアイ戦に突き進むことになる。

「今の俺たちに倒せない相手なんていない! 目標にするベスト4まで、みんなで突き進もうじゃないか! オオォォオォォォおお!」






 日本対、パラグアイ戦のキックオフが、もう迫っていました。

 日本の岡畑監督の決断は、良い流れの時は、何も変えない。

 日本の先発メンバーが発表されて、今まで通りのメンバーで臨むことが発表されました。

 日本も、パラグアイも、ベスト16の壁を突破したことはなかった。

 日本の野望をかけて戦う、珠玉のパラグアイ戦が開始します。

 日本初のベスト8を夢見て、世界中から南アフリカに集まってきた。

 さぁ、日本対、パラグアイ戦の、キックオフです!


ピーーーーー!


 サッカーは、いつもと違うやり方で戦うと、いつもどおりの力を発揮することができずに、負けてしまうことが多い。

 それがデンマーク戦の、開始10分間だ。

 岡畑監督は、チームをイジらなかった。


 しかし4試合同じメンバーで戦う分、先発メンバーの疲労が蓄積していた。


 パラグアイのフォーメーションは、4‐3‐3。

 日本と違うところは、中盤がダブルボランチで、その前にトップ下を置いているというところだ。


 日本本国では、パラグアイは日本と同じフォーメーションだ。と報道されていたが、正確にはその部分が違っていた。

 しかしフォーメーションが近いなら、ミラーゲームと言って、マッチアップするポジションが重なり、試合の進め方も近くて、より良い選手を置いていたほうが、勝つ試合になりやすいものだ。


 そしてパラグアイの守備役と、攻撃役の比率は、8:2だった。

 本来のパラグアイの比率は、日本と同じ、9:1だ。


 しかしこの試合では、パラグアイの右サイドのウイングで使われている、ザンタクルスが、担当する右サイドを攻められても、スタミナが低いので、下がって守備をしないものだから、8:2になっていた。


 だからパラグアイは、日本にボールを持たれている時には、3トップの右サイドのザンタクルスと、中央のFWが残って、2トップを形成していた。


 そして守りは、4バックと、ダブルボランチと、トップ下と、左のウイングで、担当していた。

 だから8:2。

 

 しかしそのザンタクルスが、下がって守備をしないところに、日本のチャンスが眠っていた。

 つまりザンタクルスが引かないのなら、左サイドのウイングの小久保と、左サイドバックの永友が攻め上がれば、相手はパラグアイの右サイドバックしかいない。

 つまり永友が攻め上がれば、通常の2対2の関係ではなくて、2対1の数的優位な関係を作れていたのだ。


 そこにパラグアイのスキがあった。

 しかし岡畑監督は、意図的にそちらサイドを攻めようという、作戦は実行させてはいなかった。


 日本の守備役と、攻撃役の比率は、従来通りの9:1だ。


 日本の戦い方は、ボールは相手に持たせるが、要所要所は守備ブロックを作って守る。 そして相手にスキができたところで、一気にカウンターで攻め上がるという作戦だ。


 日本も、パラグアイも、前線から積極的にプレスをかけていた。


 前半で、ボールを支配したのは、パラグアイだった。


 日本は引いて、4バックで守る。パラグアイは、3トップで攻める。


 ここで算数になる。


 パラグアイは3トップで、押し込んで、攻めているから、フィールドプレーヤーの10人から、3トップを引くと、7人になる。


 そして日本は、4バックで引いて守っているから、フィールドプレーヤーの10人から、4バックを引くと、6人になる。


 つまりボールをあまり争っていない、両チーム全体の、最終ラインと、最前線を除くと、ボールを争っている地点では、パラグアイの方が1人多いのだ。

 つまりボールを争っている地点では、パラグアイが7人いて、日本が6人いるから、その争っている地点で、パラグアイが1人多いので、パラグアイがボールを制した。


 サッカーでは、フォーメーション上、時々この算数を行うことでわかりやすくなる。(数字上)



 この試合の主審の笛は、少々なことではファウルを取らない、日本に不向きなジャッジだった。



 パラグアイは、前半で、自陣の最終ラインで、ミスを連発する。

 これがW杯のピッチに潜む、魔物の仕業だろう。

 日本はそのミスを突いて、前半のうちに決定的なチャンスを何度か作る。

 しかし前半にあったそのチャンスを、日本はものにできない。


 前半の展開は、ボールを保持しているが、あまり決定的な場面を作れないパラグアイに対して、ボールは保持されてはいるが、決定的なチャンスを作り出しているのは日本という展開だ。


 そしてパラグアイの狙いは、日本の穴である、駒原サイドを攻めてきた。

 パラグアイは、意図的に日本の右サイドを集中的に攻めてきた。

 パラグアイは駒原を弱点と見て、パラグアイの左サイドのウイングの選手を、駒原のサイドに張らせていた。


 しかし、その駒原に張り付かせていたパラグアイの選手の質が悪くて、日本の脅威にはなっていなかった。

 駒原は、その選手には、安定して対応していた。


 そしてほかにも、日本を研究してきたパラグアイは、日本がデンマーク戦で2発も直接フリーキックを叩き込んだことで、危険なエリアで、相手にフリーキックを与える、ファウルを犯さなかった。

 だから日本は、絶好の位置でフリーキックをもらうということはなかった。


 しかしこれは、日本の選手にとっては、絶好の位置で、あまりパラグアイの選手から、プレッシャーをかけられることはない、というチャンスだったのです。


 これは日本を研究してきた結果です。


 しかしパラグアイは、特別、近藤にマークを付けてこなかった。

 これは意外だった。

 日本を研究するまでもなかったという意識と、研究する時間が少なかったのでしょう。 しかし近藤は、マークを付けられると、何もできないタイプのゲームメーカーだから、過大評価するには、注意が必要だ。


 これがサッカーの世界の研究の結果だ。


 試合は膠着状態のまま、運命の前半を終える。



 選手たちはロッカールームに引き上げる。

 そこで岡畑監督は、もう一度選手たちに訴えかけた。

岡畑「いいか、この試合は長丁場になる。些細なことで勝負がつく可能性があるから気を付けろ。君たちには、武士道という、古から脈々と受け継がれた、侍の魂を持っている。もう一度自分たちを信じろ。君たちはどの国よりも、W杯に向けて意識してきた。練習してきた時間は嘘をつかない。今までこの大会に打ち込んできた先輩たちの分まで、想いをぶち付けるんだ。我々の目標はもっと上だ。これは武器がない戦争である。この戦いに勝って、ベスト4まで突き進むぞ!」



 そして後半が開始した。

 後半もボールを支配したのは、パラグアイだった。

 パラグアイは押し気味に試合を進める。


 しかしパラグアイは、あえて攻撃的に攻めなくても良い。

 それは点をリードされていないからだ。

 だから無理やりにでも攻め上がって、その分、後ろに生じる穴ができない。

 つまり、カウンターを狙う日本の攻撃は、パラグアイ戦では機能しなかった。


 パラグアイは後半は、最終ライン間でも、冷静にボールをつないで、ミスを犯さなかった。


 しかし逆に、日本が後半は、相手ゴールまでにボールを運んでいる間に、ミスを連発して、パスが成功していなかった。


 後半の展開は、パラグアイがボールを支配している通りに、パラグアイが多くのチャンスを作り出していた。

 日本の攻めは、パラグアイの守備が良いので、相手ゴールまでにボールを運べない。


 しかしその中でも、1トップの本畑は、確実に1トップとしての仕事を、着実にこなしていた。

 そしてGKの河島は、良い時の河口には及ばないが、この試合で神懸かり的スーパーセーブを連発していた。



 後半の60分。

 パラグアイは、駒原サイドを攻めるために、攻めあぐねていた選手から、パルデスに交替して、左サイドに置いた。

 これで余計に、パラグアイの攻めが活性化する。

 このパルデスの効果的な攻めに、日本の右サイドは苦慮する。


 この試合の構図は、攻めるパラグアイに対して、守る日本だ。


 後半の65分。

 日本はいつものように、バテた松海に代えて、丘崎を投入する。


 そして岡畑監督は勝負に出た。

 後半の81分。

 1ボランチの安部に代えて、中町憲剛を投入したのだ。

 その中町憲剛は、ボランチではなく、トップ下に入る。


 そしてボランチは、近藤と、長谷別のダブルボランチにした。

 日本はフォーメーションを、4‐3‐3から、4‐2‐3‐1に変えたのだ。


 そしてこれが合図になり、今まで引いてカウンターを狙っていた日本が、最終ラインも押し上げて、積極的に攻め始めたのである。

 前線からでも、どんどんプレスをかけて、パラグアイを押し込めようとした。


 これが岡ちゃんの秘策。最初から練られた作戦だった。



 しかしこれに対して、パラグアイは一向に怯まない。


 そして試合は、90分が経った。

 お互いにゴールが生まれないまま、どっちつかずの展開で、90分が終了する。



 日本は延長戦前に、ベンチもスタッフも含めて、大きな円陣を組んだ。

「俺たちも戦っている! さぁ、世界をあっと驚かそうじゃないか!」



 延長戦に突入です!

 延長戦からは、気持ちと気持ちの問題。

 ここまでくると、戦術も、フォーメーションもぐっちゃぐちゃ。

 どちらが勝ちたいと思っているかで、勝敗が決まる。


 選手たちからは大粒の汗が。

 みんな気力で走っている。

 魂と、魂いのぶつかり合い。

 これが国と、国との戦争だ。



 延長戦の前半が終わると、岡畑監督は、疲れてきた小久保に代えて、玉畑を投入する。

 しかしそれでもゴールは奪えない。

 日本中の期待は、彼らに託された。

「ニッポン! ニッポン!」


 日本のサポーターは、深夜になっても応援を止めない。

 すべては勝利のために!


ピーーー! ピーー! ピーー!

 これで延長戦も終了した。

 日本対、パラグアイ戦は、どちらも1点を奪えずに、PK戦に突入する。

 PK戦で、運命の決着をつけることになりました。



 ゲームキャプテンの長谷別は、PK戦で初めに蹴る順番を決めるコイントスを行った。 そのコイントスで選ばれたパラグアイは、PK戦を先攻で蹴ることを選んだ。


 勝利の女神は、パラグアイに微笑んだ。

 なぜならば、PK戦は、先攻が有利なのです。

 先に蹴って、PKを成功させたら、後攻の方は、必ず決めなくてはいけないというプレッシャーがかかってしまって、心理的に不利になるのです。


 だから先攻が、有利だ。

 これがPK戦の法則だ。




ピーーー! ピーー! ピーー!

 駒原が外したー!

 日本は3人目が失敗して、パラグアイは全員成功させたー!

 パラグアイのキッカーは、GKの河島の手にすら弾かせてもらえない、完璧なPKの成功のさせ方で、圧倒的なPKの技術の差が出たー!

 GKの河島は、手にすら触らせてもらえないPKの決め方をされたー!

 パラグアイが圧勝して、日本はPK負け!

 試合終了! 日本は夢のベスト4に届かずー!




 日本代表チームは、ベスト16で敗退した後に、空路で日本に戻ってきた。

 日本中が、侍たちの帰還に、総出で待っていた。

 その日本代表チームを、日本人は温かく迎え入れた。


岡ちゃん、おめでとう!

本畑、ありがとう!

日本代表バンザイ!


 日本でのパラグアイ戦の平均視聴率は、57・3パーセントをマークして、以前日本人は、サッカーを捨ててはいないことを証明した。


 選手たちは、心地よい達成感を感じながら、母国へと帰還した。

 その中には、坊主の笑顔の飛馬の姿があった。

 飛馬の顔は、引退した大会とは違って、晴れやかな優越感に浸っていました。


 それは日本が、サッカーフィーバーに酔いしれている頃であった。

 その数日後。

 日本サッカー協会内で、南アフリカWの総括が行われた。

 

 そこに、日本代表チームの、副監督の牧島将と、倉木飛馬が呼ばれた。


 この総括を担当するのは、日本代表チームの戦術部門兼任コーチとして参加していた、凩忍工技術委員長だ。


凩「え~、私が今回の、南アフリカW杯の総括を担当する、凩忍工こがらし・にんくと申します。え~、結局、南アフリカW杯で優勝したのは、スペインでした。スペインのようなポゼッションサッカーが、世界を制したということは、日本にも良いお手本になるので、サッカー界にとっても良かった結果でした。スペイン代表の関係者には、祝福を送りたいと思います。」


凩「さて先程の、我が日本代表チームですが、目標にするベスト4には届かなかったものの、最低限の目標である、決勝トーナメントへの進出を果たしました。これは素直に、喜ばしい結果だと思います。この素晴らしい結果によって、日本のサポーターにも、感動を与えられたと思います。さて、飛馬選手。前回のW杯では、惨敗するという、非常に残念な結果に終わりましたが、今回のW杯では、日本の課題であるフィジカルと、戦術面に関して、世界でも通用するということを、自覚できたのではないでしょうか?」


飛馬「はい。一選手としては、セットプレーで、フィジカルが劣る日本人が、力負けして失点するという場面は、作らせなかったと思います。フィジカル面の課題は、今大会では、結果的に解決することができたと思います。そして戦術面ですが、日本は初めて、W杯でウイングを採用して戦うことができました。韓国なんかは、日本がウィングを導入するずっと前から、ウイングを使って危険な攻めを繰り返してましたからね。そのサイドのウイングから攻撃を組み立てて、効果的な攻めを構築することができたと思います。それが戦術的に、数多くのチャンスを作り出せた要因だと思います!」


凩「我々もそばで見守っていて、日本は初めて、やり尽くして、悔いが残らない敗退の仕方をしたと思います。最後に飛馬選手、あなたは前回のドイツW杯で、サッカー選手からの引退宣言をして、公約を守れずにお辞めになりましたが、今回も目標には届きませんでした。しかしこれからも、走れる限り、サッカー選手を続ける意志はあるのですね?」


飛馬「はい。代表専任選手として、頑張りたいと思います!」


凩「さて、サッカーには、唯一の正解(答え)はないと言われる。我々日本人には、様々な問題(課題)が存在した。日本人はその問題(課題)の、解き方を知らなかった。正解(勝利)に導く、方程式システムの、解き方(戦術)が分からなかった。しかし今ようやく、日本人も、課題(問題)の、解き方(戦術)を、覚え始めたと思います。つまり戦術として、相手に有効な、攻め方と、守り方の知識を増やしたということです。」


凩「しかし南アフリカW杯を目指した当初は、日本はオムシ体制でした。教訓は1回だけで良いものだ。トルシエール監督は、独裁で『フラット3』があった。ジッコ監督は、丸投げで、『自由なサッカー』があった。そしてオムシ監督は掲げた。『人もボールも動くサッカー』。それがオムシ監督の代名詞だ。オムシ監督のサッカーには、走らないファンタジスタは要らない。だから天才の大野伸二であろうと、走らない選手は代表に呼ばなかった。オムシ監督には、明確な方向性があった。」


凩「以前日本は、バレーボールの世界一の国だった。もちろん男子バレーも、ミュンヘンオリンピックで金メダルを取って、世界中に日本のバレーは知れ渡った。しかし今はどうだ? なぜ日本は、世界一の座から転げ落ちたのか? それはジッコ監督もおっしゃっていた通り、世界との体格の差です。バレーボールは、体格の差が如実に出る。フィジカルの差を、日本人の強みである、技術で補いきれなくなったからだ。だから日本は、バレーボールでブラジルに抜かれた。だからオムシ監督は、フィジカル面で勝負するのではなくて、日本人の短所ではなく、長所を活かしたサッカーで勝負していた。それがオムシ監督が最初に行った、ブラジル化からの、日本化です。」


凩「しかしオムシ監督は日本化と言っても、日本人が世界レベルと比べて劣っている、シュートと、ドリブルを挑戦して、失敗するところを認めないところは、間違いだ。これからもどんどん、シュートと、ドリブルで挑戦しなくてはならない。結果的にゴールを奪うために、何度も何度も、日本人が苦手にしているシュートと、ドリブルを積極的にチャレンジしなくては、世界標準に追いつけない。相手の守る側としたら、シュートと、ドリブルで仕掛けられると、それをも、守る側の選択肢として考えなければいけないから、厄介だ。バレーボールでも、今世界レベルに到達するために、積極的にサービスエースを狙っている。それで外したとしてもだ。日本人は確実にコートに入れるサーブを狙ったほうが、リスクが低いと考えるが、世界トップに追いつくためには、失敗したとしても、通用するところと、通用しないところがはっきりとするから、型にはまらない世界レベルの選手を育てるために、積極的に挑戦させている。今、日本のサッカー界では、可能性があるなら、積極的にシュートを放て、と教えている。しかし今、ブラジルでは、シュートを枠内に放たなければ、可能性がないのだから、『シュートは枠内に入れろ!』と教えている。それが世界基準だ。これが今の、日本と、ブラジルとの差です!」


凩「オムシさんは2007年のアジアカップで、自身が監督を務めていた、ジョフ勢を中心にする、ただ走るだけで、技術がないレベルが低い選手たちを起用して、準決勝で敗退する。3位決定戦でも、韓国に勝てずに、4位でフィニッシュした。ジョフ勢を中心にした、オムシ監督の選手選考はヒドかった。オムシ監督は、代表を私物化していた。その時に発した言葉が、『個の成長なくして、チームの成長なし』だった。オムシ監督は、アジアカップでの失敗で学んで、次の大会の、オーストリアで行われた、3大陸トーナメントから、やっと実力がある選手を呼び始めたのです。そこで呼ばれたのが、松海大輔とか、稲元潤一らの海外組です。中町俊輔と、松海大輔の共存。小久保の招集。それら実力がある選手たちが、融合して、進化した。ここでやっと、ジョフ路線が修正されて、方向性が正しくなった。しかしオムシさんは、日本人の能力を引き出して、強いチームへと育てていた矢先、病気で倒れる。オムシジャパンで一番印象的な試合は、2007年の9月に行われた、3大陸トーナメントでのスイス戦だ。スイスは、ヨーロッパの中でもトップクラスの実力を持っていて、中盤にはあの、インラルがいた。そのスイス相手に、4対3で勝ったのだ。W杯で優勝したスペインに、唯一勝てた国は、スイスだけなのです。スイスは、スペインと同じくらい強いといっても過言ではない。日本は、そのスイスに勝ったのだ。オムシ監督は、アジアカップまでの選手選考を変えて、技術がある選手を呼んで、使った。しかしオムシ監督の評価は、倒れるまでの仕事を基準にしなければいけないから、必然的に悪くなりますよね。近年稀に見る、悪い監督でした。選手選考の悪さに尽きる。これから良くなろうとしていただけに、残念です。」


凩「2007年。そのオムシ監督の跡を引き継いだのが、2度目の緊急登板になった岡畑武史監督です。実に9年ぶりの、代表監督への就任だった。しかし岡畑監督は、選手選考の基準を、またアジアカップに戻した。就任当初で選んだメンバーは、オムシさんのお下がりだ! その最初のメンバーで、W杯本戦まで生き残った選手は少ない。それくらい、オムシ監督が起用した、ジョフ勢を中心にした選手たちは、能力が低かったということだ。サッカーでは、自由と規律のバランスをとることは難しい。それがトルシエールと、ジッコだ。しかし岡畑監督は、『全員攻撃・全員守備』を掲げて、2度目のW杯で、雪辱を果たした。」


凩「第2期・岡畑ジャパンで一番印象的な試合は、2008年の5月の行われた、キリンカップでの、パラグアイ戦だ。奇しくもW杯で負けた国だった。感想は、ようやくマシなチームが出来上がった、という内容だった。日本で行われた試合だからといって、南米の国に勝つことはとても難しい。しかしこの試合では、日本は長年の課題である、強い相手にも、前線でボールをキープする、というところが出来ていた。この試合で、出来上がっていた。試合は0対0の引き分けに終わって、日本では全く評価すらされていなかったが、私は大評価します! 日本人は一体何を見ていたのでしょうか? 内容は、南米の国相手に、終始日本がボールをキープして、相手にボールを渡さなかった。そしてなにより、日本のアタッカーが、パラグアイ相手に、前線で体を張って、タメを作ることができていたのだ。前線でボールをキープすることができていたのです。今までの日本なら、前線の選手はプレッシャーをかけられると、すぐに周りの味方にパスを出したり、コンタクトを避けるように、ワンタッチだけで、パンパンとボールを叩いていた。それに前線の選手は、体で負けてボールを失っていた。しかしこの日は、ドリブルを仕掛けて、後方から味方がオーバーラップしてきて、相手の空いたスペース(空間)に走りこんで、味方にかかるプレッシャーを、分散させていた。」


凩「そうすることで、タメが作れるのです。前線でボールを保持すると、相手がマークしにくる。その地点で、相手が2人以上マークをしにくると、数的不利の状況に陥る。しかしそこに、味方がオーバーラップして、攻撃参加すると、その選手にもマークをしに行かなければいけなくなります。この状況を作り出したら、マークが分散するのです。相手のマークが緩むと、マークする人数が減って、数的不利の状況から、数的同数の状況に変わる。するとボールを保持していた選手は、楽にキープすることができるのです。この瞬間、タメが作れるというのです。このメカニズムを、この日の日本は実践していた。技術がある選手を起用したことで、プレッシャーがかけられていても、ボールをキープすることができていた。」


凩「日本のサッカー経験者は、みんな『技術が足らない選手を、そもそも代表には呼ぶな』と言っている。それは日本人が、資源が乏しい国ながら、技術力で、世界2位まで上り詰めたからだ。日本人は確実に計算することができる技術という要素を、数学の答えを求める方程式に当てはめて使う。日本人は、勝利に導く過程で、試合を優利に進めることができる、ボールを支配する技術を基本にして、試合を優位に進めて、勝とうとしている。技術とは、本番のプレッシャーがかかった試合でも、確実に実行することができる要素だ。確率が高いから、計算できる。それによって監督は、チームで行いたい戦術を実施することができる。サッカーは、局面局面は1対1だ。技術がある選手は、確実にボールを繋ぎ、相手にボールを渡さない。1対1で勝てる確率が高いから、シュートまで持ち込む可能性が上がる。だから技術がある選手スターを多く揃えているチームが、通常通りの、優位な試合の運び方をすることができて、勝利に値する。だから日本人は、科学的に計算ができるように、そもそも代表には、技術がある選手の中から選んで、技術が足らない選手を呼ぶな、と言っている。気持ちは読めなくても、技術は確実に読めるからだ。代表はその国の、国民性を表している。」



 凩の総括は、敗戦したパラグアイ戦の感想に及んだ。

凩「さて私が、パラグアイ戦を見た印象としては、日本人のメンタルの弱さが、浮き彫りになったと思います。パスミスを連発して、相手ゴールまでにボールを運べない。サイドからも良いクロスが入らない。決定的な場面で、ボールを枠の中に入れられない。PK戦で負けたのも、メンタルが影響しています。PK戦では、選手たちのメンタルが、非常に高い割合で表れますからね。パラグアイの選手たちは、非常に冷静で、GKの河島選手はノーチャンスでしたよね。しかし日本は、3人目が失敗した。試合で一番活躍した選手が、PKを外してしまうというのは聞いたことはあるが、試合も悪くて、PKも外すというのは、あまり聞いたことがない。南アフリカW杯のA級戦犯は、駒原だ!」


凩「PK戦で露呈した通り、日本人選手のメンタルが弱いのは、愛があるムチを打ち役割の、評論家や、サポーターが、ミスをした選手を追求するという、プレッシャーをかけないからだ! それに監督にも圧力をかけない。だからなぁなぁで済ます。だからメンタル的に成長しない。しかし逆に言うと、自由にやれて、型にはまらない選手が生まれやすい。それが日本の文化だ。」


凩「海外ではそのプレッシャーが大きい。海外でプレーをしている日本人選手は、そのプレーに対するプレッシャーを、常に受けている。つまりドンマイ、ドンマイだけでは成長しないのだ。しかし成長した分野もあった。先程の、フィジカルと戦術面もそうだが、日本人の病気である、シュートチャンスの場面で、シュートを撃たないということを、あまり感じずに見ていられた。それは相当、岡畑監督が、選手たちに、意識付けした結果でしょう。むしろ逆に、ゴール前でシュートよりも、パスを繋いだほうが、確実にシュートを放てると感じたほどだった。」


凩「さて、2010年の南アフリカW杯で優勝したのは、スペインだった。スペインは王者のサッカーをしていました。ボールをポゼッションして、ゲームを支配する。チーム全体を押し上げて、相手を押し込める。すると相手チームは引かされているので、ボールを前に運んでいるあいだに、攻撃が遮断される。つまり攻撃が最大の防御という戦い方だ。」


凩「日本がモデルにしているスペインと、日本が違うところは、パスをつないでボールを保持して、試合を制するという哲学は同じだが、極端に違うところが、ドリブルを仕掛けながら、攻めるというところが違う。スペインの選手の優先順位では、相手ゴールまで迫る時には、パスよりも、ドリブルの方が優先順位が高い。スペインの選手たちは、ドリブルで、できる限り相手ゴールまで持っていく。そしてコースがなくなった時に、初めてそこでパスに切り替える。しかし日本人は、ドリブルよりも、パスの方が優先順位が高い。だから日本と対戦する相手は、こちらがプレッシャーをかけたら、パスを出してくれるので、ドリブルされて突破されるという恐怖感がない。だから、安心してボールを回させられる。こちらはちゃんと守備ブロックさえ作っていたら、次のパスを出した選手に、マークをつけるだけで良いという、守り方さえしていれば対応できる、と考えている。だから日本人は、もっと松海のような良いドリブラーを育てなければいけないのだ。」


凩「さて、今回のW杯では、ほとんどのチームが、4バックを採用していた。3バックで、決勝トーナメントに進出したのは、メキシコと、チリだけだ。そしてほとんどの国が、4‐3‐3というフォーメーションを採用していた。つまりそれが現代サッカーの最新版である。そしてどのチームも、日本も採用した、前線からプレスをかけて、ボールを失ったら、ほぼ全員で引いて守るという、リトリートを採用していた。」


凩「それはイタリアの戦術のように、個々の力では勝てなくても、集団として戦って、試合に勝つという戦い方だ。格下のチームでも、格上のチームに勝てる戦法である。だから守備役と、攻撃役の比率は、8:2とか、9:1が多かった。日韓W杯の水準では、6:4とか、7:3が多かったのにもかかわらずだ。しかし優勝したスペインは、リトリートを採用していなかった。3トップは前線に残して、残りの7人で守るという、7:3の比率だった。現代では、攻撃的に前線に3人も残しておくと、相手にとっては脅威だ。しかしそれは、後ろの7人で守れるという、高い守備力が求められる。そうしないと現代では、守備の人数が少なくて、失点することにつながってしまう。いくら前線に攻撃的な選手を残していても、失点してしまっては意味がないですからね。スペイン人はあまり体が大きくない。それでもW杯を制した。日本はスペインをモデルにして、2014年のブラジルW杯を目指しましょう!」



 凩の演説が終わると、会場から拍手がこだました。

 これで凩の、南アフリカW杯の総括が終わった。


 会はこのあと、ファンタジスタ発掘プロジェクトの、現状の報告と、次期日本代表監督の人選にまで及んだ。


 日本サッカー協会は、次の日本代表監督には、日本人を推す声が上がった。

 日本の監督界の未来のためにも、日本人監督を育てなければいけないということで、日本人に要請するという意見があった。

 そこで南アフリカW杯で、副監督を務めていた、牧島将氏を、監督として昇格させる声が上がった。


 そこで日本サッカー協会は、日本人監督なら、牧島監督を推す意見で全会一致した。


 その声に、牧島監督も乗り気である。


 牧島将氏は、この会の中で、自分のサッカー哲学を披露した。

牧島「もし私が日本代表監督になったなら、まず世代交代を行う。GKは河島に任せて、右サイドバックには、内畑を起用する。左には不動の永友を使って、センターバックには名古屋の吉畑と、闘利王を組ませる。その4人で、4バックを形成する。中盤は3枚。ディフェンシブハーフに昔野を置いて、その前に、本畑と、あの大野伸二を復帰させて、起用する。この2人の天才に、司令塔としてゲームを作ってもらいたい。そしてFWは3トップ。右に松海を置いて、左には香山真司を置く。そしてセンターには、エースに台頭した丘崎を使いたい! ほかにも平谷相太ひたたに・そうたや、ヴァモス大阪の最高傑作である、宇佑美貴史うゆみ・たかしや、U‐17W杯で、悪い状態のピッチの中、ブラジル相手に唯一通用することになる、新潟のユースの、河口尚紀かわぐち・なおきらには期待している。日本人はピッチの状態が悪いと、とたんにいつもどおりのプレーができませんからね。」



 この構想を聞いた凩は、牧島将氏に対して、声をかけました。

凩「非常に興味深いですね。牧島監督なら、理想的な、良いチームが出来上がりそうですね。この凩も、戦術兼任コーチとして、力を貸しましょう。私の構想にある4トップを、牧島監督のもとで実現してもらいましょうか!」


 しかし牧島は、突っぱねた。

牧島「君の力は必要ない! 私は私のやり方でチームを作る。私のスタッフは、私に選ばせてくれ! 凩君、君は理想論者だ。理想だけでは、良いチームは作れない。チームは生き物だ。君が主張していることは、机上の空論だ!」


 これに対して凩も、堂々と反論する。

凩「いいえ、そんなことはありません。私の戦術通りに、選手が駒として動いてくれたら、きっと勝てます!」


牧島「それならば、君が監督をやったら良い。君の戦術とやらで、世界を制したら良いではないか?」


 両者の議論は、平行線を辿ります。

 このまま、2010年の、南アフリカW杯の総括が終わった。








 後日。

 次期代表監督候補の、牧島将は、ブラジルW杯を目指すチームの構想を語った。

牧島「日本は大国と比べたら、小さな国だ。しかし日本人は、技術力を活かして、世界第2位の経済大国にまで、上り詰めた。技術力だけで、世界と戦って通用した。だから日本人本来が持っている、脈々と受け継がれた潜在能力を引き出して、チームを作る。目標は、世界第2位以上の、W杯の決勝進出と、優勝だ!」


牧島「スタッフのコーチ陣には、元日本代表選手を起用する。ディフェンダー・ミッドフィルダー・サイドプレーヤー・フォワードの出身者を揃える。コーチは全員で12人だ。その人材は、Jリーグ開幕世代の、元日本代表キャプテンの、海原正巳うなばら・まさみと、中盤の全力プレーヤーの、南澤豪みなみざわ・つよしと、サイドのスペシャリストである、都波敏史つなみ・さとしと、アジアの大砲と呼ばれた、高森琢也たかもり・たくやだ。彼らの経験を、現役選手にコーチしてもらう。そしてその次の世代で活躍した、万能プレーヤーの中東永輔なかひがし・えいすけと、カミソリドリブラーの後園真聖うしろぞの・まさきよと、サイドを支配していた三浜淳宏みはま・あつひろと、ガラスのエース、大倉隆史おおぐら・たかしもコーチとして呼ぶ。さらに、ブラジルからの帰化選手もコーチとして迎え入れる。選手兼コーチとして、DFの闘将、闘利王とうりおと、蹴道士こと、ガモス瑠偉るいと、サイドのスペシャリスト、四都主よんとすと、そしてロピス・ワグナーだ。」


牧島「我々はW杯に挑戦した先輩たちの魂を受け継ぎ、集大成として、ブラジルW杯を目指す! この最強スタッフで、世界と勝負する! 選手たちにはこのことを伝えたい。私のチームで戦う以上、W杯で優勝するために、全てを失ってでも、勝ちたいと思う奴だけ集え。まずその意志を確認したい。その気持ちを見せてくれない選手は、どうぞ去って行ってもらっても構わない。そして残ったものだけで、世界をあっと驚かせる。それが私の、蒼き侍の基準だ!」


 最後に、牧島将は、最終兵器の登場をちらつかせた。

牧島「私には秘策はある。あの三浜知良みはま・かずよしを代表に呼ぶ。キング知を代表に入れて、W杯に出場させる! 彼が出てきたら、日本人観客が総立ちになるだろう。苦しい時や、きつい時、日本の魂を一体化させる仕事が必要になる。その時に為には、キング知が適任だ。知には、空気を変える何かを持っている。サッカーなんて、戦術や、フォーメーションで語られる時があるが、試合終盤になってくると、勝ちたいという一心で点を取りに行く。そうなったらシステムなんてぐちゃぐちゃだ。そこで誰にも負けずに、相手に絶対に勝ちたいという気持ちが試される。キング知はそれを持っている。それに知っている。もしキング知が、W杯で気持ちで点を取るようなことがあったら、それはキング知の力だし、日本も盛り上がるだろう。」


 このサプライズの発表に、日本中が色めき立つ。


 キング知が、ブラジルW杯の代表入り内定!

 日本サッカーの集大成として、レジェンドたちを代表のコーチ陣に任命!

 牧島監督の目標は、W杯の決勝に進出して優勝!

 日本代表監督は、日本人でいこうよ!


 しかしこの発表の時に、牧島将には、もう一つのオファーが届けられていた。

 この魅力的なオファーが、牧島を悩ませる。



 なんと牧島のもとには、日本での仕事が評価されて、イタリアのクラブである、ペルージャから、監督就任のオファーが届けられていたのだ。

 ペルージャは、平塚ポセイドン(当時)から、中畑英寿を獲得したクラブだ。


 現在ペルージャは、イタリアの2部リーグである、セリエBに所属している。

 サッカーの監督を志す者として、世界最高峰リーグの、イタリアで監督をすることは憧れなのだ。


牧島「これは日本人にとっては、画期的なことだ。よし、決めた!」



 2010年の、南アフリカW杯が閉幕して、2ヶ月が経とうとしていた。

 なかなか決まらない人選について、日本のサッカー評論家たちが、サッカー協会を批判している頃でした。

 日本中を熱狂させた、W杯の余韻に浸っている中で、次期日本代表監督が発表されました。


 2010年の8月。

司会「次期日本代表監督に就任することが決まって、サインをしたのはこの方です。イタリア人の、アルベルト・ザックローニ氏です! どうぞ登場してください!」


 なんと、岡畑監督の後任に指名されたのは、あのイタリアのミランで、スクデットに導いた、ザックローニでした。

 マスコミのカメラが、日本の新監督を狙う。

 ザックローニ監督は、非常に穏やかな性格で、柔らかそうな表情をしているが、実は芯が強い監督です。

 優しそうな目をしているが、実は瞳の奥は勝負師の目をした、白髪姿の男だ。


 ザックローニは自己紹介した。

ザック「私の名前は、アルベルト・ザックローニです。イタリアで、サッカーの監督をしていました。日本に勝つための哲学を教えたいと思います。つまり戦術です。以前、日本のJリーグにも、ガッツァ監督というイタリア人が、横浜ウイングスの監督に就任していましたが、私も、イタリアの戦術を、日本に導入したいと思います。私は、日本の代表監督に就任いたしました。ですので、日本の文化も尊重したいと思います。イタリアの一番良いところを、日本に取り入れたいです。」


 そしてザックローニは、最後に日本語で、こう締めくくりました。

ザック「ヨロシク、オネガイシマス。」



 日本サッカー協会は、お決まりの、W杯で優勝した国の監督を招聘しようとしていた。 フランス……ブラジル……イタリア……。

 つまり今回は、スペイン人だ。


 しかし打診した監督に難色を示されたり、断られたりして、難航した。

 ですので、スペイン人監督を招聘するまでには至らなかった。


 そして結果的には、イタリア人監督を選んだ。


 しかしスペイン人監督を選ばなくて良かった。

 スペイン人は、攻撃面は良い。

 しかし守備面は、よろしくない。

 スペインは、イタリアとは違って、守備をおろそかにする国だ。

 だから守備の哲学はない国だ。


 スペインは、王者のようにボールを保持するポゼッションサッカーで、『ボールを保持していれば、相手に攻められることはない』という守り方をする。

 つまり、攻撃は最大の防御だ。


 イタリアでは、相手アタッカーに対して、数的優位の状況で守る。

 しかしスペインでは、相手アタッカーに対して、数的同数しか用意しない。

 その分、攻めに人数をかけるのだ。


 サッカーは、守備面を強くしなければ強くならない。

 すぐに日本が、スペインのような王者のサッカーをすることができれば良い。

 しかしそう簡単に、王者のサッカーを披露することは難しいのだ。

 そう、ジッコ監督の、ブラジルのサッカーのように。

 だから日本人には、スペインのサッカーは難しかったと思う。


 スペインの攻めは、ボールを確実に、短く繋いで、相手ゴール前まで運ぶ。

 それくらいしかない。

 イタリアと比べて、必勝法という、引き出しの数がそれでけしかない。

 戦術の国イタリアでは、決め手を防がれたときでも、戦い方を修正することができますからね。


 イタリア人は、集団のプレーである、戦術を大事にして、選手にポジショニング(隊形)を意識させる。

 サッカーのチームは、テクニックと、フィジカルと、メンタルと、戦術がチームの強さを決める。

 イタリア人は、相手チームを分析して、戦い方を研究するという、戦術部分を重視する。 テクニックや、フィジカルで相手よりも劣っていても、戦術部分が上回っていたら、試合に勝つことができる。


 あまり名前は売れていない選手ばかりしかいないけれど、いざ戦ってみると、めちゃめちゃ強い。というのは、戦術面が強化されているからだ。


 イタリア人は、守備的なチームを作ると思われがちだが、実は戦術的なチームを作るのです。

 戦術的ゆえに、効率的な守備的なサッカーを作るのです。

 だから攻めることが、試合に勝つ可能性が高いのならば、イタリア人も攻撃的なチームを作る。



 その日本代表では初めての、イタリア人監督の、ザックローニ監督は、日本にどんな戦術を導入するのか?

 後に日本代表最高監督と謳われた、ザックローニジャパンの誕生です!






 日本人監督の、牧島将氏は、日本代表ではなくて、イタリアのペルージャを選んだ。


 牧島サイドは、日本代表監督と兼任しながら、ペルージャの監督もやりたいと申し出た。 しかしペルージャサイドは、その兼任に難色を示した。

 それで牧島は、ペルージャを選んだというわけだ。


牧島「これは日本のサッカーの将来を含めて考えた。私が監督のライセンスを取得するために、イタリアに海を渡り、ナショナルトレーニングセンターのコベルチャーノに住むようになってから、イタリアは目指すべき場所でした。私にとって、監督業を志してから、世界最高峰リーグのイタリアは、夢の憧れの存在だった。だから今私が、イタリアのクラブであるペルージャの監督に就任することができなかったら、もうこの先、日本人監督が、イタリアのクラブの指揮を執れないかもしれない。日本で監督業をしている人や、サッカーに携わる人を代表して、決めた結論だ。私のこの第一歩が、日本サッカーの歴史や、経験に繋がっていくものだと思います。私の決断が、結果的に、いずれ日本のためになれば良いと願っています。以上!」


 牧島監督は潔く、空路でイタリアに旅立っていった。





 倉木飛馬の息子である風馬は、本格的にサッカーを始めることになり、飛馬がデビューした、横浜フェニックスの下部組織に所属することになった。


風馬「僕は、父さんみたいなサッカー選手になりたい!」


飛馬「君ならきっとできるさ。」


 倉木飛馬は無所属代表専任選手として、近所の公園でコンディションを保つ、調整をしている。

 彼の目は、確実にブラジルに向いていた。



 さぁ、日本サッカーは、これからどのような道を歩んでいくのか?

 ザックローニジャパンは、目標を達成することができるのか?

 全ては彼らにかかっている。

 グラウンドの上で、泥んこになりながら、サッカーボールを蹴っている少年・少女たちに。


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