フランスW杯
私の名前は、凩忍工。
サッカー漫画家だ。
ちなみにこの名前は、ペンネームである。
本名はもっとかっこよい。
私の生年月日は、1969年の、8月31日生まれだ。
ときは西暦1997年。
今年で私は、28歳になった。
私の趣味は洋服を集めること。
髪型はオールバックに決まっている。
身長は、日本人男子の平均身長くらいある。
職業柄か、近いものが見えない近眼である。
そのため、コンタクトをはめている。
私はサッカーが好きだ。
幼い頃から、テレビや新聞でサッカーの情報が流れると、いつもメモを取っていた。
しかしこの国といったら、最近ようやく最低限のサッカーの情報を伝え始めたが、昔なんて日本代表の試合なんて流してくれなかった。
代表戦の試合結果情報すら、新聞に載っていなかった。
だから私は、一週間遅れのサッカー専門雑誌で結果を確認していた。
やはりこの国の一番人気のスポーツは、野球である。
今それが、変わりつつある。
サッカーW杯のアジア予選を放送した番組が、高視聴率を獲得しているのである。
サッカー日本代表のテレビ番組で高視聴率を獲るのは、前回の1993年の同じアジアW杯予選以来だ。
そして今年ようやく、我が日本代表が初めてサッカーW杯に出場することができるかもしれない。
私もサッカー漫画家として、サッカーを広めることに、役に立ったのではないか?
私の漫画の代表作は、“OLEサッカーなでしこ始めます。”である。
その世界では、“サカなで”などと呼ばれて、ファンを獲得した。
しかし連載する漫画本を間違えたのか?
主人公がサッカー部に入りたくて、男装して男子サッカー部の中に入る、少女ということで、少女漫画雑誌に投稿した。
そして見事、連載枠を勝ち取ったのだ。
しかしご存知のように、少女漫画を読む読者は女性だ。
そして女性は、男性と比べてあまりスポーツを好まない。
ですので、サカなでが、読者アンケートの、人気作品の読者投票で、上位にランクインすることはなかった。
それが原因で、私が思い描いていたラストにたどり着くまえに、連載の中止を決定させられて、途中で終わってしまった。
少年漫画雑誌だったら、私のサカなでは受け入れられて、私の戦術を最後まで発表できていたはずだ。
それくらいの自信が、私には存在している。
オレサッカーなでしこ始めます。の簡単なあらすじは、主人公の煌星光♀が、高校に入学するところから始まる。
そのて帝立赤栄高校で出会った、サッカー部員の男子高校生に、一目惚れして、気になる存在になる。
光は片思いで、勝手に好意を持っていた。
その男子がプレーをするサッカーの試合を見て、なにげにサッカーに引き込まれていく。 次第にテレビでもサッカーを見始めて、光はサッカーの虜になっていく。
そして光に、サッカーをプレーしたいという感情が表れてくる。
光は、その意志を赤栄高校のサッカー部の、顧問に打ち明ける。
しかしこの高校には、女子サッカー部はなかった。
サッカー部顧問からは、「サッカーがしたかったら、女子サッカー部がある高校をちゃんと選んでおけ!」と言われる。
光は中学では、卓球部に所属していた。
落ち込む光。
しかしサッカーがしたい、という感情は収まらない。
決意する光。
長い髪をバッサリ切って、男装して、赤栄高校男子サッカー部の門を叩く。
煌星光は、自分が女子であることを隠しながら、男子に混ざってフットボーラーの道を歩き始める。
当初、光は練習メニューについていくのが精一杯だった。
当然試合にも使ってくれなかった。
しかし光は努力を重ねる。
次第に、男子の練習メニューについていくことができるようになる。
試合に出れない光は、出場できない代わりに、頭で考えるようになる。
賢いポジショニング。
的確な指示。
老獪な時間の使い方。
次第に光は、サッカー部員や監督から、信頼を集めるようになる。
その高校は、弱小サッカー部だった。
大会に出ても、一回戦で敗退するような高校であった。
そこで徐々に光は、試合に使われる。
光は選手権監督という立場で、組織的な戦術で赤栄高校を変えていく。
ついに赤栄高校は、北海道予選を勝ち上がり、全国大会に出場するまでになった。
そして光は、一目ぼれした男子校生に、自分が女であることを告白する。
そして男子校生は、光の告白に対して、ひとつの返事を返す。
それは……、っと、ここまでがマンガ雑誌に連載できたあらすじである。
本当はこのあと、光の高校が全国大会で大活躍をして、光の戦術がバンバンと当たる活躍をする。
そしてお昼前に練習をするという、ユニークな発想で「おはようございました」という挨拶が校内で流行り、光は「シャイニングスター」というサッカーネームで呼ばれる。
そして一目ぼれした男子校生と恋愛関係に発展して、ついには高校生にして、飛び級でサッカー女子A代表の、なでしこジャパンにも選出されるはずだった。
私のサッカーの知識と、経験と、絵の上手さを駆使すれば、人気サッカー漫画なんていくらでも作れる。
私が時代より、はやすぎるから理解されないのか?
時代が私より、遅すぎるから理解できないのか?
それはいずれ分かることだろう。
私には先日、一通のファンレターが届いた。
長崎県の方からだ。
それを読んでみよう。
手紙『はじめまして、私は長崎県の大村市というところにある、高等学校に価する長崎桃源学園で教員をしています立花泉と申します。私は凩忍工さんの作品の大ファンです。特にサカなでの光ちゃんが好きです。彼女が女の子ながら男子の世界に入って、活躍する姿に励まされています。私も光ちゃんのように、勇気を持って、元気に進んでいかなきゃいけないと思いました。私が勤務している学校にもサッカー部があります。しかし今年に入って、サッカー部顧問の先生が、転勤することになりました。そこでサッカー部は、私が受け持つことになりました。しかし私はサッカーの経験がありませんし、女性の私が、ちゃんと生徒たちに指導することができるのかと不安でいます。そこでこれは凩先生には無理な話なのかもしれませんが、女の子が男子に混ざって成功してゆくような、作品をお作りになられる凩先生のお力を貸してもらえないでしょうか? 桃源学園のサッカー部の監督に就任してはもらえないでしょうか? 光ちゃんが弱小校を強くする姿が、うちの学校とかぶります。うちもいつも一回戦で負けるような弱少校です。無理な要望かもしれませんが、うちの生徒たちに、夢や希望を届けてあげてください。特別講師の期間は今年の全国高校サッカー選手権までです。もしよろしければ同封している連絡先まで返事をくだサイ。それでは返事を待ってます。桃源学園サッカー部顧問・立花泉』
私はこの手紙を読んだ時に、妙に惹かれた。
それは手紙の封筒に同封されてあったのだが、女教師の立花泉先生の顔写真が入っていたからだ。
なかなかの美人だった。
私はそれに釣られて、このオファーを、受けることにした。
それと私のサッカーの戦術が、高校生レベルでどれだけ通用するのか? というのを確かめてみたかったからだ。
その経験が糧となり、また私のサッカー観を変えてくれて、サッカー人として知識を積めると思っている。
早速私は、長崎県に飛んだ。
大村市は、長崎県の玄関口だった。
緊張感がある機内から降りた私は、人がごった返している空路で長崎に到着した。
すると、手紙を送ってくれた地元大村の、桃源学園の顧問の先生が出迎えてくれていた。
立花「はじめまして、私が立花泉です。オファーをお受けしてくれてとても感謝しています。では早速、学校にまいりましょう。」
立花泉は、私が思い描いていたより若く。写真よりも美人だった。
髪は意外と短くて、身長が低い、ハキハキとした、爽やかな感じを受ける女性だ。
年齢は24歳だそうだ。
聞けばサッカーの経験はないが、サッカー漫画は好きで、よく読んでいるらしい。
学生時代は、バレーボール部に所属していたらしい。
この女性と生徒たちを指導するのかと、胸の高まりを抑えていた。
私は、全国高校サッカー選手権で、指導する学校を優勝させるくらいの決意で、桃源学園に乗り込んだ。
私たちは、立花泉が運転する車で、桃源学園に到着した。
車中、普段東京に住んでいる私にとっては、発展途中ではあるが、大村市の田舎具合を確認することができた。
桃源学園の施設を目視した私は、意外に小さいなという印象を受けた。
そして練習場の敷地は、私が想像していたより狭かった。
一応グラウンドはあるのだが、土のピッチで荒れている。
しかもゴールポストが一つしかなく、サッカーのコートを正確に区切るほどの、スペースはなかった。
凩「立花さん、これじゃ県予選の一回戦で敗退するはずですね?」
立花「は、はい、すみません……、では、今からサッカー部に生徒たちを紹介させていただきます。はい、みんなグラウンドの中央に集合!」
集まってきたのは、桃源学園のサッカー部員です。
せっかく凩先生が来たのにもかかわらずに、歓声の一つすらない。
そのことに凩は、違和感を覚えた。
中には女子の子も、メンバーに入っています。
凩が選手たちの見た目を確認すると、みんな、どことなく普通の人と違っていました。
耳に、補聴器をつけている子ばかりです。
しかし子供達は、まだ正式に紹介していない、顔も見ていなかった、特別講師の凩忍工を見ただけで、声を出さずに、みんな期待に胸を膨らませて、とびっきりの笑顔です。
立花「はい! みんな、こちらの方が君たちにサッカーを教えてくださる、偉いサッカー漫画家の凩忍工先生です。皆さん挨拶をしてください。」
立花泉が、生徒たちに手話で紹介する。
その手話を目で確認した部員たちは、一人一人バラバラだが、腹いっぱい気持ちよく鈍った声を出す。
サッカー部員「よ・ろ・し・く・お・ね・が・い・し・ま・す!」
桃源学園のサッカー部員は、自分の声を確認できないので、声の想像で『よろしくお願いします』の挨拶をしました。
この光景を確認した凩は、立花先生に文句を言う。
凩「立花さん! 聞いていないですよ。この子達はみんな耳が聞こえないろう者ではないですか! 私は全国大会で優勝させるような決意で、ここまできたのですよ。」
この発言を聞いて、立花は複雑な表情をします。
立花「それじゃ、今回の件は受けてくれないということでしょうか!? 確かに手紙では、桃源学園はろう学校で、生徒たちはろう者ということは書いていませんが……、でも、この子達は、普通の子以上に、サッカーを学びたいという気持ちだけは、人一倍です!」
凩は、下を向いて考えている表情。
立花は、がっかりと肩を落とします。
立花「確かに私が詳しい内容を説明しなかったことは謝ります。それでは、着いたばかりですが、帰りの便の支度をします。今日は手配したホテルに泊まってください。明日になったら東京にお戻りください。すみませんでした……」
しかし、凩の決意は消えていませんでした。
凩「いや立花さん。私は説明しなかったことを問題にしているだけですよ。やります。やりますとも! 逆に彼らを指導することに燃えてきました。私はね、弱小チームを勝たせるのが、監督の腕の見せどころだと思うのです。サッカーには、声なんて要らないのですよ。声を出してしまったら、自分がここにいるということを、バラしているようなもんなのです。一流選手は、声を必要としなくても、働けるのです。目指しましょう。一緒に全国高校サッカー選手権を目指しましょう!」
この発言に、立花の表情は生き返る。
立花「はい!!」
翌日。
泊まったホテルから、桃源学園に出向いた凩は、紅白試合で生徒たちの実力を確認した。
「……。」
全然ダメだった。
個人として、使える能力を持っているの子は、ひと握りしかいなかった。
障害者ということで、先天的に体が弱く、技術を持っている子は足が遅かった。
しかし功名があった。
耳が聞こえにくい分、どんな選手よりも状況を確認する目を持っていた。
ピッチの上空から、俯瞰して見る目は使えた。
そして、独創力があった。
しかし肝心なことがあった。
主審のホイッスルを聞きにくいこと。
この件について、凩は選手たちに、主審が、口で笛を吹いていることを、目で聞けと伝えた。
主審の笛(指示)を聞けないと、試合に出場さえできない。
このアドバイスを、立花先生が手話で生徒たちに教える。
そして凩は、生徒たちに、自分が持っている最大のサッカー知識を伝える。
それが17ヶ条。
⒈ 体力を温存するためにも、前線からプレスをかけなくても良い。しかし相手がハーフウェイラインを越えてきたら、猛烈なプレスをかけて前を向かすべからず。
⒉ 相手がドリブルで攻め上がるならば、サイドに追い込んで、数的優位の2人以上でボールを奪いなさい。
⒊ サイドはプレスがかけにくいので、2人以上で担当しなさい。
⒋ 最終ラインは、5人以上で守りなさい。
⒌ 最終ラインと、その前のボランチを、コンパクトにし、密集させた数的優位の状況で、挟み込む守備をしなさい。
⒍ ボールを奪った瞬間、一気に前(縦)に出ることで、相手ディフェンスを、ズルズルと後ろに下がらざるを得ない守備をさせなさい。
⒎ 自分たちが攻め上がって、サイドに追い込まれたら、そこから突破するような動きをしなさい。
⒏ ボール運びに行き詰ったら、味方が前方にナナメに入って行くから、そちらにボールを預けるか、横に陣取った味方にパスをしなさい。
⒐ セットプレーでも集中して、攻守とも危険な位置に陣取りなさい。
⒑ 相手のゲームメーカーにマークをつけなさい。
⒒ 相手ゴールキーパーがボールを持ったら、確実に短いボールを繋げないように、前線に配置した選手がプレスをかけて、不確実なロングボールを蹴らせなさい。
⒓ 争っているボールはたいてい縦に移動するから、ボールを争っている地点の前後に、選手を置きなさい。
⒔ 相手ゴールに一番近い場所でフリーでボールを受けれるエリアは、サイドの一番高いところだから、そこに選手を置いて、その高さを保ちなさい。
⒕ 攻撃はピッチをワイドに使って、相手のプレスを分散させなさい。
⒖ 意図的に相手の弱いサイドから攻略しなさい。
⒗ 開始10分以内に猛烈な圧力で先制点を奪い取り、相手が攻めに来なきゃいけない状況を作らせて、優位に試合を進めなさい。
⒘ 試合開始直後から集中して試合に入り、守備を安定させ、体が早く動くために、あらかじめ決めておいたように守り、組織としてボールを運びなさい。
この17ヶ条を生徒に教える。
そして17ヶ条の他には、戦術的には足が速い選手をディフェンダーにして、フォーメーションは、6‐2‐2にすることを決める。
そしてチームのテーマを伝える。
凩「弱小チームならば、カウンターに徹するべし!」
凩の作戦は、6バックと、2ボランチは引いて守り、そこでボールを奪ったら、サイドの一番高いところに陣取る2人にボールを送る。そこから攻撃を組み立てようと指示する。
6バックのサイドの守備は、見国の両サイドの、一人ずつのウイングバックに、あらかじめ最初から、相手の前だけにいろ、という、それ以外は攻撃にも行くな、という、前から移動するな、という指示だった。
これをやると、格上の選手でも、相手のサイドの攻撃を封じ込めることができるからだ。
相手のサイドを消す。
しかし自分たちも攻撃には移れないという、諸刃の剣の、秘策だった。
試合終盤まで守備的に戦って、あわよくばカウンターで点をもぎ取る作戦だ。
そしてカウンターで点を取るために、攻撃の選手は、相手が担当する同じエリアに、こちらは複数の選手を置くことにした。
それは同じゾーンに、複数の相手が侵入すると、守る側としては厄介だからだ。
その『カブる』という動きを、凩は生徒たちに教える。
凩「日本人は、よく悪い意味で『カブる』という言葉を使うが、それは大きな間違いだ!同じ味方の選手同士が、同じエリアで、サポート役と、実行役に分かれず、意図するプレーが重なってしまった時に、日本人はよく『カブる』という言葉を使う。しかし考えてみろ。1つのゾーンに、相手が複数いたら対応に困るだろ? カブっているからこそ、そこに数的同数や、数的優位の状況が生まれているのだ。ゴールが生まれたシーンを遡ると、結果的にそこが起点になって、ゴールにつながっている。だからみんな、どんどんカブっていこうじゃないか!」
そして凩は、その作戦名を『アリ地獄作戦』と命名する。
前線から、あえてボールを追わず、バックパスをさせないようなプレッシャーをかける。 そして簡単に相手を攻め上げさせて、後ろのアミに引っ掛ける。
そこでボールを奪ったら、前線の2人にパスを送るといった具合だ。
この凩の、前線の2トップである2人のウイングを、サイドの一番高いところに張り付けて残すというのは、奇しくも、2009年のチャンピオンズリーグの決勝戦で、バルセローナの監督の、スペイン人のクアルディオラが具現化した、0トップの原型そのものだった。
そして攻撃は、相手を攻めさせた分、手薄になった相手のディフェンスを、前線に張らせている2人のFWと、後ろから攻撃参加する選手でカブらせて、点を取るというカウンター作戦だ。
そして凩は、生徒たちに、絶対に諦めない気持ちを、持つことを教える。
サッカーは、技術と、体格だけではない。
気持ちも大事だということを教える。
絶対に折れない心。
どんな状況に陥っても、自分たちを信じる心を持つこと。
それができて、初めてフットボーラーになれる。
凩は特別講師として、サッカーに大事なことを生徒たちに伝える。
サッカーの練習中、なにげに立花が、凩に聞いてきた。
立花「私が誘っておいて、こんなことを聞くのもおかしいのですが、どうして凩先生は、こんなろう学校の生徒たちに、こんなに真剣になって、サッカーを教えてくれるのですか?」
凩「あなたが美、い、いや、私も、はじめは戸惑いました。でも初めて会ったこの子らの、キラキラとした瞳を見たとき、僕には、こんな表情の瞳は描けないと思ったからです。サッカーが人をそんな風にさせるとわかったとき、僕もサッカーにお世話になった一人として、サッカーに恩返しをしたかったからです。」
立花「ふ~ん……、あっ、ところでうちの一回戦の相手が決まりましたよ。あの見国高校です。」
凩「へぇっ!?」
長崎県立見国高校は、長崎県の絶対王者である。
長崎県予選では、他を寄せ付けず、圧倒的な力で勝ち上がり、全国大会でも毎年優勝候補として恐れられている。
見国高校は、島原半島の北に位置する見国町にある高校で、見国高校は連続で全国大会に出場する全国の常連。
サッカーの強豪校として名が馳せていて、九州はもとより、全国からでも選手が集うことで有名だ。
その高校と、桃源学園は一回戦で当たる。
この衝撃に、凩はあいた口がふさがらない。
凩「長崎県で戦うものには避けて通れない相手だが、まさか一回戦で当たるとは!」
この組み合わせ聞いた生徒は、一応に動揺している。
そこで凩は、メンタル面で負けなければ、相手を上回れるということを教えた。
そこで、絶対に諦めない! という気持ちを目標にした。
1997年11月。長崎。
全国高校サッカー選手権の長崎県予選の一回戦。
ついに桃源学園と、見国高校との試合が行われる。
その戦いの舞台に、すでに選手たちは待ち構えて、試合開始の笛の音を待っている。
舞台になるスタジアムには、根っからの見国ファンが、場違いなろう学校との戦いに、ザワザワとしている。
そのピッチサイドには、桃源学園の監督の凩忍工と、顧問の立花泉が、生徒たちの支えになろうと、ベンチ脇で立っている。
策は伝授した。
あとは選手たちが遂行するのみ。
そして対する見国高校の監督である、カリスマ性がある大嶺忠敏監督は、ピッチサイドで見国の選手たちに、最終チェックの指示をしている。
どんな相手にも容赦しない。
常にすべての力を発揮させる。
それが常勝軍団を作った、大嶺忠敏のサッカーだ。
主審が笛を咥える。
ピーーーーー!
冬の青空に、空気を裂くようなホイッスルの音が鳴り響く。
ついに試合開始だ。
この音色を合図に、スタンドの両校の応援が始まって、冬の選手権らしい空気に変わった。
開始直後、見国の選手たちは猛烈な攻撃を仕掛ける。
圧倒的な走力で時間も空間も与えない。
この状況を見た凩は、自信が芽生える前の、頼るものがない、闘おうとしている戦士たちに、耳も聞こえないのに選手たちに大声で指示します。
凩「おい! 試合の入り方を間違えんな!」
しかし桃源イレブンが、試合に入って集中する前に、ゲームが動く。
『ピーー! ゴール!!』
見国高校が、絶対王者らしく、あっさりと先制点もぎ取る。
凩は、ベンチで、呆然とした、難しい表情をして、ベンチに座り込む。
これによってゲームプランが、完全に崩壊することを意味していた。
これによって桃源学園は、勝つためには必然的に攻め込まなくてはいけなかった。
動揺が広がる桃源学園イレブン。
桃源学園のベンチサイドは、半分諦めた表情をしている。
しかし凩は、カウンターを狙う作戦を続けようとした。
しかし選手たちは違っていた。
凩は、選手たちの目を見た。
すると選手たちは、ただひたすら勝つことだけを目標にして戦っていた。
それが、凩から教わった、『絶対に諦めない心』だった。
選手たちは奮い立っています。
桃源学園イレブン「ぜ・っ、たい・勝・つ・ぞ!!」
失点後、キックオフされた桃源学園イレブンは、点を取られた分、攻め返します。
カウンター作戦なんて、関係ありませんでした。
この姿を見たとき、凩は自然と瞳から涙をこぼしました。
凩「おれは、何を考えていたんだ……こんなに生徒たちが一生懸命戦っているのに、守って勝とうなんて……、」
桃源イレブンは攻め上がります。
この反撃に、見国イレブンは怯みます。
桃源学園の6バックのサイドの選手も、オーバーラップして攻撃参加します。
前線の2枚と、サイドバックの攻撃参加で、普段はサイドの担当者は1人しかいない見国の選手たちは、対応に苦慮します。
この見国の様子に、観客たちがざわつく。
そして桃源学園に、初めてのシュートチャンスが訪れる。
歯を食いしばる凩。
凩「頼む決めてくれー!」
『カンッ!!』
ボールはポストにあたります。
ゴールにはなりませんでした。
しかし惜しいチャンスを作りました。
さっきから、難しい表情をする大嶺忠敏。
『ピーーー!』
試合の前半が終了した笛です。
見国の選手たちも、ろう学校相手に、大量得点という、思い通りにはいかなかった表情でロッカールームに帰ります。
桃源学園の選手たちも、ロッカールームに引き返します。
選手たちが引き返したロッカールームでは、無機質に作られた声が響く空間で、監督の凩が激を飛ばします。
凩「1点獲れば同点だぞ! まだやれる! 諦めるな!」
これを、顧問の立花泉が、手話で選手たちに伝える。
桃源学園イレブン「お・れ・た・ち・や・る・ぞ!」
顧問の立花は、生徒たちのがんばりに、ただ感動して泣いています。
凩「後半も前半と同じように、相手が来たら、前を向かせないディフェンスを実行するぞ。しかしこのままではうちが負ける。だから体力を温存して、残り時間10分を切ったら、全員で攻め上がれ。これが最後の作戦だ!」
これを立花が、泣きながら手話で生徒たちに伝えます。
そしてみんなで輪を作って、掛け声をします。
凩「勝つぞ~! オオオォォォォオ」
その円陣の掛け声は、一人一人違っていたが、みんなの心は一つだった。
後半のピッチに陣取るイレブン。
スタンドの観客たちも、桃源学園のカウンターパンチに、目が覚めている。
主審「それでは後半を開始します、ピーーー!!」
主審が、後半が開始される合図の乾いた笛の音を響かせる。
後半も実力で勝る見国高校が、ボールを支配する。
しかし桃源学園も、負けずとボールを追いかける。
桃源学園は、後ろに守りの人数を置いているから、なかなか見国高校は追加点を奪えない。
試合はもどかしい展開になる。
どちらが点をリードしているか、わからない状況に陥った。
次第に、今まで強豪の見国高校を応援していた観客たちが、桃源学園を応援するようになる。
観客「あと1点! あと1点!」
そして見国高校のディフェンスの選手が、辛抱できずに攻め上がった。
見国の選手「なんだこの客? 絶対王者の俺達が、こんな奴らに負けるわけが…、倉木さえいてくれたら、こんな楽な試合…、ちょろいちょろいよ。中央がガラ空きじゃん。後ろには戻せないけれど、スイスイとゴール前に運べるぜ!」
見国のDFの選手が、悠々と中央突破してきます。
しかし桃源学園ゴール前は、アミを張って、守備を固めていて混戦しています。
そしてボールを保持していた選手は、ボールをこぼしてしまう。
凩「アリ地獄作戦がハマった! 今だ!」
桃源学園の選手は、前線に残していた味方にロングパスを送ります。
桃源学園の前線の選手が上手くトラップをして、戦況は見国ゴール前で、2対2の状況です。
自分たちの選手を、同じゾーンにカブらせていたため、数的優位の状況を、意図的に作ることができていた。
桃源イレブンは、勇気をもって果敢に攻め上がります。
2対2の状況で、ドリブルで突破する。
ついに、見国ペナルティエリア内に侵入した。
立花「いっけー!!」
桃源学園の選手は、利き足を振り抜く。
主審「ピーーー!」
応援団が沸く。
主審は桃源学園の選手が、見国の選手にペナルティーエリア内で倒されたことで、ペナルティーマークを指さし、PKの合図をします。
これには観客も、感嘆の声を漏らす。
凩「やったー! PK獲得だー。これで決めれば同点!」
主審は桃源学園側に、PKを与えました。
試合は、すでに後半終了間際でした。
ペナルティースポットに、倒された桃源学園の選手が立ちます。
立花泉は、もう見てられずピッチに背を向けています。
凩は真剣にピッチを見つめ、生徒たちを信じます。
桃源学園のPKキッカーは、疲れきった体の力を振り絞って、思いっきり蹴り込む。
PKキッカー「うりぃゃぁぁぁあぁぁぁあ!!」
ボールは勢いよくゴールに飛んでいった。
凩「やっ、!?」
『カン!』
ボールはクロスバーに当たって、ゴールから離れていきました。
応援団「あ~~!」
観客たちが、総勢でため息をつく。
凩は、あっけない表情をします。
凩「あ~そういやPKの練習をしていなかった……!」
PKを外して、桃源イレブンは呆然としている。
ピーーー! ピーー! ピーー!
主審「ピーッ。はい、これで試合終了です。お疲れ様でした」
あと1点で同点だったのに、無情にも試合終了のホイッスルが鳴る。
桃源学園のイレブンは、全員ピッチに倒れこむ。
その戦った男の姿を見て、応援団も涙をこぼす。
観客すべてが、良いものを見て、桃源イレブンから、何かを受け取りました。
試合終了後、見国高校の監督の大嶺忠敏監督の方から、凩に握手を求めに来ました。
大嶺「うちが県予選で、こんなに追い詰められたのは久しぶりです。国立で試合をする時みたいにドキドキしました。特に、センターにフォワードを置かない、6‐2‐2というシステムは斬新で面白かったです。やっと日本にもこんな監督が出てきたと感心しました。話は変わりますが、今夜、ついに日本の代表が、ジョホールバルでイランと対戦して、初めてW杯の切符を掴むかもしれない。その代表を支えているのは、こうやってサッカー界の底辺を底上げしている我々がいるからです。日本ももう少しで、サッカー界の裾の尾が、爆発的に広がっていく。そうしたら、ますます我々の責任が重くなってくる。そうすると、日本がW杯で優勝するのも、夢じゃなくなるかもしれん。私はね、日本で開催された1993年のU‐17世界選手権で、日本サッカー協会から打診があって、監督を要請されて、日本代表の監督に就任したのですが、あなたもこの世界で生きてゆくなら、上を目指しなさい。サッカーの神様は、努力したものをほっとかないですよ。ふさわしいものには、ふさわしい場所に連れて行ってくれるものだ。そしてまたいつか対戦することがあったなら、今度はお手柔らかに、ハッハッハッハッ」
その後、見国高校は、長崎県予選を、圧倒的な強さで勝ち上がり、全国選手権の切符を掴むのであった。
1997年11月16日。
マレーシアのジョホールバルで行われたアジア第三代表決定戦で、日本代表はイラン代表を、野人こと丘野雅行のVゴールで下し、初めてのW杯の切符を掴む。
日本代表の岡畑武史監督が、日本を初めてのW杯出場に導いたのだ。
当初、岡畑監督は、前日本代表監督の鴨周監督のアシスタントコーチを勤めていた。
しかし成績不振で、鴨周監督はアジア予選の途中で更迭される。
その後任に白羽の矢が立ったのが、コーチを勤めていた岡畑武史だ。
そこで日本サッカー協会は、「お前しかいない!」ということで、岡畑武史は日本代表監督に担ぎ出される。
こうやって岡畑監督の、監督業が始まっていた。
目的は一つ。
アジア予選を勝ち抜いて、フランスW杯に出場することだった。
そしてようやく、岡畑監督が、日本の悲願であるW杯出場を勝ち取り、とても長かったトンネルから突破したのだ。
自国開催の、2002年の日韓W杯は迫っている。
この頃のサッカー熱気は、1993年のJリーグ開幕以来の、熱い盛り上がりを見せる。
そうやって日本のサッカー界も、日本のスポーツ界の中で大きな地位を築くようになった。
日本も変わりつつある。
サッカー人には、それを特に感じる一日だった。
凩は、県予選の一回戦で敗退したものの、確かな礎を刻んで東京に帰る支度をする。
凩の特別講師の任務は終わった。
凩は、ホテルから、空港への、タクシーの予約をしている。
凩「この風光明媚な、田舎臭さが残る大村市も、もう来ることはないだろうな……?」
そんなところに、顧問の立花が、真剣な表情で迎えに来た。
立花「凩先生! もう行ってしまわれるのですか? 私たちに帰りの挨拶をしないままで……」
その立花の靴のヒールが折れていた。
それが、どれだけ急いでいたかを物語っていた。
そして一緒に、生徒たちも駆けつけていた。
耳が聞こえにくい生徒たちも、立花泉の手話の合図で、心から気持ちを伝える。
生徒「せ・ん・せ・い・あ・り・が・と・う」
美人の立花は、最後の想いを伝える。
立花「私たちは先生に教わったことを胸に秘め、これからも頑張っていきます。だから、また長崎に戻ってきてください!」
立花は瞳から、ぽろっと一筋の涙をこぼす。
その涙を見た凩は、心の底からこみ上げてくる熱いものを抑え込んで、気丈に振舞う。
凩「いえ、私の方が大切なものを教わりましたよ。これが私の始まりとするならば、これからは君たちの勇姿を胸に刻み、初心を忘れかけたら、君たちのことを思い出します。ありがとうございました!!」
この男らしい声を、心で聞いて、生徒たちが涙を伝わせながら、寄り添ってきました。
生徒「せ・ん・せ・い・い・か・な・い・で!」
このお別れを経験してフットボーラーは強くなる。
凩は心の中で泣いて、空港から東京への帰路についた。
帰りの機内は、妙に緊張しなかった。
今でも顧問と、生徒たちのことは忘れない。
そして凩忍工は、この日から絶対に諦めない気持ちを初心にして、新たなるステージに進むのであった。
1997年12月31日(大晦日)
倉木「何やってんだよ!!」
彼の名前は、倉木飛馬。
1981年2月28日生まれの、16歳。
この物語の主人公の一人である。
テレビに目が釘付けになりながら、苛立っている。
彼は冬休みに日本の首都圏で行われている、全国高校サッカー選手権の一回戦の、長崎県代表の見国高校対、千葉県代表の船柱市立船柱高校の試合をテレビで見ていた。
試合は首都圏の、船柱高校のホームである千葉県で行われた。
桃源学園を破った見国高校は、県予選を突破して、長崎県の代表になって、本大会に出場していた。
そして本大会の一回戦の相手が、略して市船と呼ばれる船柱高校だった。
倉木飛馬も、一応見国高校のサッカー部員である。
しかし桃源学園戦や、県予選には参加していない。
そして、全国大会の試合には帯同していない。
倉木は仲間の一員として、テレビで見国高校を応援していた。
その対戦で、見国高校が負けた。
それを倉木が、テレビで見ていたのである。
大嶺忠敏監督が率いた国見高校が、全国選手権の一回戦で負けたことはなかった。
つまりそれは、見国の歴史上、初めてのことである。
見国は年をまたぐことなく、正月を待たずして選手権敗退の憂き目にあった。
倉木はこの悔しさを、ピッチで返すことができない。
倉木は「俺が出場していればこんなことにはならなかった!」と、悔しさをにじませている。
その試合の終了後。
史上初の一回戦敗退という結果に終わった大嶺監督は、記者陣にこう漏らした。
大嶺「もう私の時代ではないのかもしれない……。」
大嶺監督は見国高校で教員をしていて、中年で小太りで、厳格さが感じられる人間だ。 しかし今の大嶺監督からは、全国を制した時の将来性有望な1年生レギュラーでも、不祥事を起こせば、自分たちにも苦しくなるが、厳しく罰として試合の出場機会を奪い、見国高校サッカー部としては、日本を代表するはずだったサッカー選手としての生命を断ち切らせるまで、制裁するような、威厳は感じ取ることはできなかった。
この試合を期に、全国でも有名な、子供たちに慕われた大嶺監督は、見国高校のサッカー部の監督を辞めた。
2年前には真崎秀斗を擁して全国を制した見国の名将も、時代の流れには逆らえなかったのか?
しかし大嶺監督は、自分の後任に、12年前、見国高校が初めて冬の選手権で優勝して、イタリアに渡って、コベルチャーノでサッカーのメカニズムを学んだ、当時のメンバーの一人である、30歳になった牧島将氏を任命した。
牧島将は、身長は180センチメートルあって、クリっとした目に、メガネをかけて、髪をセンターで分けた髪型の、頭脳派の、見国のOBである。
これは大嶺監督の最後の名采配であった。
その2ヶ月後。
倉木飛馬は横浜にいた。
大勢の人たちが行き交う都会には、先進的な高層建築物や、巨大な船が何隻も港に泊まっている。
倉木はイケメンで、身長は175センチメートルあって、ピアスの穴を開けた、長髪の今時の子である。
小さな頃からサッカーをしていて、若い頃から長崎県の選抜にも選ばれていた。
地元では有名で、2年先輩の真崎秀斗と、倉木飛馬は、新ゴールデンコンビと呼ばれて、日本の代表に入れると言われていたほどだ。
しかし見国中学から、見国高校に入ってからは、大嶺監督の全員坊主に反対して、一応見国高校のサッカー部員なのだが、試合には使ってもらえなかった。
倉木の言い分は、自分は見国町出身で、見国で生まれたものは、見国高校にしか行くところがなかったので、見国を選択したけれど、坊主は選んでいないという主張をして、自慢のロン毛を貫いている。
大嶺監督に言われているのに、長髪を貫いたのは、見国高校サッカー部史上、2人目だ。
それが原因で、倉木は見国の中で一番サッカーがうまいのだが、高校二年生にもなるのに、大嶺先生には試合で使ってもらえなかった選手だ。
その高校二年生の倉木たちは、修学旅行で横浜に訪れたわけだ。
しかし倉木だけは、別行動で、同級生の恋人の風間あかねに会いに来ていた。
風間あかねは、1980年の3月1日生まれで、本当なら学年は高校三年生なのだが、特例で、早生れとして一学年下に入学している。
2泊3日の横浜の旅。
全ての者を受け入れても良いような、収容して休息させる高層ビルは、巨大な玄関口から、人々を待ち構えている。
倉木の同級生たちが泊まる横浜のホテルに、倉木も訪れた。
倉木「ここだな」
倉木は一直線に、恋人の風間あかねが泊まるホテルの一室をノックする。
『コンコンコン……』
倉木が部屋をノックすると、中から長い髪の女性が現れた。
ホテルの部屋は、ほかの同部屋の女学生もいて、ワイワイと賑わっていた。
その女性は、倉木の顔を見て少し驚きながら言います。
風間「あ!? 倉木君!」
その女性は、倉木の恋人の風間あかねだ。
風間あかねは、黒髪の長い髪をしていて、色白で、大きな瞳をした、身長が低く、控えめな性格をした女の子です。
倉木はそのあかねの顔を見て、言います。
倉木「明日のあかねちゃんの17歳の誕生日を一緒にお祝いしたくて、修学旅行には参加していないけれど、横浜まで来ちゃった」
倉木は一輪の花を持って、突然に現れるサプライズ演出でやってきたのです。
あかねは一輪の花を受け取り、その様子を見て少し安心しました。
風間「倉木君って、最近全然学校に登校してなくて、修学旅行もサボってこないと思ったから私……」
あかねは少し涙目になって言います。
それを見た倉木は、自分も少し反省して、あかねの頭をそっと撫でました。
倉木「めんご、めんご」
しかしあかねは、大事なことを思い出します。
風間「あっ、明日が私の誕生日ということは、今日が倉木君の誕生日じゃない!?」
今日、1998年の2月28日で、倉木は横浜で17歳の誕生日を迎えました。
明日、1998年の3月1日が、あかねの18歳の誕生日になります。
倉木と、あかねは、同じ昭和55年度の学年なのだが、あかねだけは早生れで入学しているので、あかねは倉木と、ほぼ一年違いの年になります。
このことに、二人は運命的なものを感じています。
そしてあかねは、慌てます。
風間「私も倉木君にお祝いしなくちゃ」
すると倉木は、その言葉を待っていたかのように言います。
倉木「横浜の夜に、外出しよう!」
あかねは真面目に答えます。
風間「修学旅行中は、勝手に外出しちゃいけないんだからね!」
しかし倉木は、いつもの様子で言います。
倉木「良いじゃん、良いじゃん。ちょっとの間だけなんだからさ」
それを聞いたあかねは、根負けしたかのように、渋々ついていきます。
風間「もう、いつも勝手なんだから……。」
あかねは倉木に強引に押し切られる形で、修学旅行で泊まっているホテルから外出しました。
二人に、港の船の汽笛が響く。
倉木は、ネオンが照らす横浜の夜景の街並みを見て言います。
倉木「やっぱ見国町と違って、横浜は都会だな~。横浜の夜に乾杯」
倉木とあかねは、街灯が照らす人通りが多い夜の公園を見つけます。
その公園のベンチに、二人はちょこんと座ります。
ふたりの前には、夜なのにもかかわらずに、数組の人が通っていく。
暗い夜の公園に、手をつないだ若い男女が二人。
そこで二人は話し込みます。
倉木がいきなり切り出す。
倉木「俺、学校辞めるわ!」
風間「えっ!?」
それを聞いたあかねは、驚いて動揺します。
倉木は心の内を告白します。
倉木「サッカーだって自信があるのに、大嶺先生が全然使ってくれなくて……、俺、W杯に出ることが夢だったけれど、夢って叶わないから、夢って言うんだろうなぁ」
倉木の弱音に、あかねが食いつきます。
風間「だけど、学校を辞めて、人生これからなのにどうするの? サッカーまで辞めちゃうの? あんなにうまいのに、サッカーを辞めたらもったいないよ!」
そうやってあかねは、少し感傷的になります。
あかねは、倉木に対して思っていたことを、伝えます。
風間「倉木君って、サッカーをしている時が一番輝いているのだよ!」
それを聞いた倉木は、少し考えたような間がありました。
しかし直ぐに、いつもの倉木に戻って言います。
倉木「大丈夫、大丈夫。俺のこの身体能力さえあれば、仕事なんていくらでもあるでしょ、大丈夫、大丈夫。」
この倉木のいつもの発言を聞いて、あかねは諦めた様子です。
そして倉木は話を変えました。
倉木「今日は俺の17歳の誕生日。これでようやくあかねちゃんに追いついて、同じ年。だからあかねちゃんを呼び捨てしちゃおうかなぁ?」
倉木は、真剣な顔をしているあかねを見つめて言いました。
倉木「あかね、好きだよ」
倉木と、あかねの距離が近づき、良いムードになりかけた時でした。
男「おい! ふざけんな!」
何やら夜の公園で、威勢が良い男の怒声が響きます。
倉木たちがその怒声が響く方向を向くと、街灯の明かりの中で男三人がもめています。 その周りには、野次馬たちが群れています。
倉木「どうしたんだ!?」
倉木たちは、その野次馬たちでごった返している光のもとに行きます。
するとそこには、サッカーボールを持った青年と、その彼にいちゃもんをつけているチンピラ風の男性が二人います。
チンピラA「ボールを奪ったんだから、金を返せ!」
青年「今のは反則でしょ……。」
青年の近くには看板があって、こう書かれてありました。
『ストリートルール。一回千円。一分以内にボールを奪ったら千円差し上げます。しかしボールを奪えなかったら、千円もらいます。』
どうやらこのサッカー青年は、この公園でお金を稼ぐボールゲームをしていたようです。 そしてどうやら、チンピラ風男性に反則まがいのプレーでボールを奪われて、青年はその無効を訴えて、もめているようです。
チンピラA「じゃ、勝負はもう一回だ!」
さぁ、ストリートゲームの再開です。
サッカー青年一人と、チンピラ風男性一人の、一対一のタイマンマッチ。
その場は、殺伐とした空気になります。
今にも飛びかかってきそうな目をした男と、その男の威圧感に、怯む青年との、男の闘いが再開される。
ゲームは序盤にチンピラAが、反則まがいのラフタックルをお見舞いしてきました。
チンピラA「うりゃぁぁ!」
それをまともに受けたサッカー青年は、よろけます。
しかしそれでも、チンピラAはラフタックルを続けます。
チンピラA「おりゃぁ!」
それを見た野次馬は、
「ひでぇ……」
そして見事、チンピラAは、一分以内で青年からサッカーボールを奪い取りました。
チンピラA「よっしゃぁぁ俺の勝ちだ。ルール通り千円はもらうからな!」
この様子を一部始終、目撃していた倉木が、いきなり立ち上がります。
倉木「許せねぇ! 今度は俺が、相手してやるよ!」
倉木が、少し興奮気味で名乗ります。
そのそばにいたあかねは、驚きます。
風間「えっ!? 倉木君大丈夫?」
しかしもう倉木は、戦闘モードです。
倉木は、チンピラ風男性の前に歩み寄る。
倉木「俺が勝ったら、さっきの千円はなしだ。でも俺から一分以内でボールを奪えたら、10万円くれてやるよ! しかも二人まとめて相手してやるよ!」
風間「えっ!? 10万円!」
この勇ましい発言が、チンピラ風男性たちのしゃくにさわりました。
チンピラA・B「小僧、生意気な……」
公園の片隅で、夜の街灯のうっすらとした明かりの中で、ボールゲームが行われる。
周りの野次馬たちは、名乗り出た少年に、命知らずの無謀な愚か者を見るような空気に変わる。
しかし心のどこかに、ひとりの少年に、救世主のような希望も抱く。
一対二の因縁マッチ。
一分間のショートゲームが開始する。
ゲームはいきなり、二人のチンピラ風男性が、倉木に対してラフタックルを連発する。 しかし倉木は、強靭な体でそれをものともしません。
しかしチンピラAは、倉木のボールごと足元を狙ってスライディングを仕掛けます。
それに倉木は対応して、得意のボールコントロールの技術で、ひらりとかわします。
次第に汗をかいてくるチンピラ風男性たち。
ボールを奪えないことに苛立ったチンピラAは、手まで使ってタックルを仕掛けます。チンピラA「うりゃぁぁあ!」
しかし倉木は、そちらサイドには体を入れて、もうひとりのチンピラBの方には、ボールとのあいだに足首だけ入れて、サッカーボールを触れさせません。
なかなかボールを奪えないチンピラ風男性たちは、焦りだす。
大粒の汗をかき、息が切れている。
そんな様子の男性とは対照的に、倉木はプレッシャーをかわしながら、余裕でボールをリフティングしています。
チンピラA・B「こいつなかなか……。」
次第に制限時間の一分が迫ってくる。
倉木は最後まで、サッカーで鍛えたバランス感覚と、ボールを扱うテクニックでサッカーボールを離しません。
そして、
「3………2………1………0」
ゼロのコールと同時に、野次馬たちが拍手喝采する。
「うぉぉぉ!」
見事この勝負は、倉木の勝ちです。
あかねはすぐに倉木のところに駆け寄り、倉木を抱きしめました。
風間「やったやった、倉木君やったー!」
チンピラ風男性たちは、「兄ちゃん、なかなか頑丈やないか……、」という捨て台詞を履いて去っていく。
そして倉木に助けてもらったサッカー青年も駆け寄って、お礼を言いました。
青年「ありがとう。君のおかげで助かったよ。君のプレーは素晴らしかったよ! 君こそまさにファンタジスタだ!」
ストリートに誕生したファンタジスタ。
その場にいた者は、救世主が現れたかのように、みんな倉木を祝福しています。
しかしその輪の中に、黒いスーツを着た男性たちがやってきて、倉木を囲みました。
その異様な様子を感じ取った野次馬たちが、ざわつき始めます。
「なんだ! なんだ!?」
倉木が、黒いスーツを着た男性たちに囲まれたのは、それはもう、あかねの17歳の誕生日が近づいた、肌寒い夜の横浜の出来事であった。
あかねたちは横浜の修学旅行を終えて、地元の長崎に帰っていました。
コンクリート製で、汚れが目立ち始めた、巨大な学び舎は、生徒たちを収納して、時刻通りに鐘を鳴らす。
あかねは今日も、学校で授業を受けています。
高校の先生が、黒板にチョークで文字を書きながら、学生たちに知識を教えている。
しかし今日も、倉木は学校に来ていません。
あかねは、見国高校サッカー部のマネージャーとして、練習に参加しました。
百人を超す、見国のマンモスサッカー部員たちが、グラウンドで、汗水たらして練習をしている。
時刻はもう夕方。
サッカー部の練習が終わって、暁色に染まる校舎の影から、あかねが声を漏らす。
風間「今日も倉木君は、練習に来なかったなぁ」
あかねがそう呟くと、こんな声が聞こえます。
男「今日は来てるぜ!」
あかねがその声の方角を向くと、そこには倉木がいました。
あかねは倉木の顔を確認すると、今のも泣きそうな顔になって倉木の名前を呼びます。風間「倉木く~ん!」
そしてあかねは、倉木に対して大事なことを聞きます。
風間「ねぇ、私、ストリートゲームが終わってから、就寝時間があるからホテルに戻ったのだけど、あの黒いスーツを着た男の人達に囲まれたあと、どうなったの?」
それを聞かれた倉木は、急に得意げな表情になって自慢します。
倉木「俺、スカウトされたんだ! あの人たちはJリーグの、横浜ウイングスの人たちだったんだ。俺のプレーを見て、スカウトにきたんだ。あのサッカー青年も、元横浜ウイングスのJリーガー。俺のプレーを見て、ウイングスに紹介してくれたんだ。俺もJリーガーになれるんだよ!!」
有頂天の倉木は豪語する。
倉木「俺は横浜ウイングスに入って、プロになって、W杯に出たる!」
そんな様子の倉木に対して、あかねは冷静に諭します。
風間「倉木君、確かに倉木君は、サッカーがうまい。でも、今はほかの人たちよりも多少うまいからといって、これからも必ずうまくなるっていう保証はないのだよ。今はすでにプロレベルに並んでいるのかもしれないけれど、この後も成長しなくちゃ、プロの中では並の選手と判断されて、使ってもらえなくなるのだよ。そうなったら20代そこそこで解雇。クビになっちゃうんだよ。倉木君は、サッカーをしている時が一番輝いている。でもプロの世界って、みんなうまい人たちが集まっていてる。そんな世界の中を、今よりも上手くなるという、保証もない自信で、簡単に大切な人生の道を選択するのは良くないよ。」
しかし倉木の心は決まっていました。
倉木「いや、俺は必ずプロになる! このチャンスは絶対に逃さねぇ。」
と、いつもの様子になります。
それでもあかねは諭します。
風間「学校を辞めないで、卒業してからでも遅くわないと思うよ。いまサッカーは爆発的に人気が出てきたけれど、このままずっと、サッカー人気が続くとは限らないよ。」
それでも倉木は、自分の信念を変えませんでした。
倉木「俺は2002年の日韓W杯に出る。そして日本代表になって、ブラジルと戦いたい!」
この揺るがない信念を聞いたあかねは、半ば諦めたように言いました。
風間「ねぇ、倉木君。プロの世界のサッカー選手に必要なものって、なんだと思う?」
この質問に、倉木は自信たっぷりに即答します。
倉木「やっぱりそれは、絶対に裏切ることはないテクニック。つまり技術だね。」
しかしそれに、あかねは首を横に振って答えます。
風間「うんん、気持ちだと思う。」
その答えを聞いた倉木は、一瞬止まります。
倉木「気持ち……!?」
風間「そう気持ち。絶対に誰にも負けないという気持ち。プロになるのだったら、自分にしか持っていないものが必要だと思うの。私、マネージャーとして、ずっとピッチのそばで、サッカー選手を見てきたからわかるの。ダーウィンの進化論と同じで、上手い人が生き残るんじゃなくて、環境に適応した者が生き残ると思うの。結局トップに居続けられる人って、その場その時代の環境に適応して、何度も挑戦を、諦めずに繰り返せるメンタルを持っている人が、生き残ると思うの。それを信じる気持ち。勇気というか、意地というか。そうこの前の、ストリートゲームの時の気持ち。」
呆然としている倉木に対して、あかねは、そこまで言って最後にこう伝えました。
風間「その気持ちだけは忘れないでね!」
倉木は、その言葉を胸に秘め、学業中の恋人のあかねをおいて、単身で戦場の地である横浜へと向かいました。
春を迎える横浜。
都会の一角に設けられた、緑のピッチが敷かれているクラブハウスに、ミーハーな女性や、熱心なファンが詰めかけている。
倉木は正式に横浜ウイングスの一員として、ほかのプロ契約者と共に、シーズンの開幕前の合宿に参加している。
もう1998年度の、Jリーグ開幕が迫っていた。
最先端のクラブハウス、整備された練習場、新しいサッカーボールが、無造作に転がっている。
倉木は、横浜ウイングスの一員になった。
ウイングスのスタッフは、倉木をウイングスの監督に会わせることにした。
スタッフは、ほかの人より頭一つ高い身長の、白髪姿の大男を紹介しました。
スタッフ「飛馬、この方がウイングスの監督である、イタリア人監督の、ガッツァ監督だ!」
その監督は白人で、鼻が高くて、目が見えないときは、丸いメガネをかけている。
その怖そうなガッツァ監督の厳しそうな瞳の奥は、実は優しい目をした人でした。
倉木はそのガッツァ監督に、自己紹介します。
倉木「倉木飛馬と申します。ウイングスのために一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします!」
と、いつもの倉木よりは礼儀正しく、気合を入れてアピールしました。
するとガッツァ監督は、初対面の倉木に対して、予言めいたことを言ったのです。
ガッツァ「君は将来、日本を代表する選手になるだろう。」
その瞳は一瞬だけ、やさしい目をしていました。
そしてスタッフは、倉木に聞きます。
スタッフ「なぁ、飛馬。スカウトからの申し送りだと、特別に入団と聞いたのだが、今何歳だ?」
倉木「17です。」
スタッフ「じゃ、まだ高校生か。Jリーグの試合に特例で出場できる制度の、特別指定選手の登録をしなくちゃな。ほんで高校はどこだ?」
倉木「見国高校です」
スタッフ「じゃ、淳宏と、秀樹と同じ学校だな。ほら見国の元祖ゴールデンコンビの、アツと、ヒデキだよ。今日は三浜淳宏は来ているから、先輩だから挨拶しときな。それと今日は、一個上になる同期の、若い日本代表にも選ばれている、売り出し中の近藤保仁も練習中だ。奴は必ず、将来日本を背負って立つ選手になる。鹿児島実践高校の出身の選手だ。もう一人の同期は、3年生の時に、高校3冠した、西福岡高校出身の、足島和希だ。こちらも若い世代では代表に選ばれている、ウイングスの将来を背負う選手だ。今のうちに仲良くなって、信頼関係築いときな。」
そうです。
横浜ウイングスには、見国高校の伝説的プレーヤーである、元祖ゴールデンコンビの、三浜淳宏と、長井篤志の兄である、長井秀樹が所属しているのです。
倉木も憧れてきた見国高校に入ったきっかけの、冬の選手権を制した憧れの先輩の存在です。
三浜淳宏は、顔はホスト風のイケメンで、スピードあふれる天才サイドプレーヤーである。
倉木は早速練習場に行って、三浜淳宏先輩のもとに駆け寄っていきました。
倉木「三浜先輩。横浜ウイングスに入った、見国高校の後輩の倉木です。倉木飛馬です。よろしくお願いします!」
すると三浜淳宏は、爽やかな笑顔で応えてくれて、握手しながらこう言いました。
三浜淳宏「新ゴールデンコンビの噂は聞いてたよ、頑張れよ!」
倉木は今度は、一学年上の、近藤保仁と、足島和希に挨拶に行きました。
倉木「近藤さん、俺も今年からウイングスに入った、倉木飛馬と言います。同期なんで、意見を言い合いながら、優勝を目指しましょう!」
近藤「ういっす!」
足島「一緒に頑張ろうな!」
新入団の倉木はチームメイトに挨拶すると、ようやく正式に横浜ウイングスのメンバーになりました。
まるで倉木は、開幕からスタメンで活躍するような気でいます。
そして1998年度のJリーグが始まるのでした。
1998年度の、Jリーグが開幕しました。
Jリーグバブルは弾けたものの、未だ人々の興味を引く存在であるJリーグ。
日本のサッカーファンたちが行列をなして、待ち焦がれたJリーグが開幕します。
横浜ウイングスの開幕の相手は、ヴォレスト川崎でした。
Jリーグ創設記から、黄金時代を作ってきたスター軍団です。
キング知こと、三浜知良。
長髪で全力プレーの、南澤豪。
ごっつぁんゴールの、武畑修宏。
ブラジル出身で、日本に帰化した蹴道士の、ガモス瑠偉。
これらの選手の他に、一年前まで同じウイングスのメンバーだった、カミソリドリブラーの後園真聖がいる。
後園は、1996年のアトランタオリンピックで、サッカー日本代表のキャプテンを務めたスタープレーヤーである。
後園は選手として、スペインリーグに行きたかった。
しかしウイングスは、スター選手の後園を放出したくはなかった。
そしてスペインのクラブが提示する移籍金では割に合わないと言って、スペインには行かせなかった。
しかし海外で挑戦したかった後園は、クラブに不信感が芽生えるようになる。
関係がこじれたウイングスは、移籍を容認する。
それで後園は、海外で挑戦がしたくて、海外移籍に寛容なヴォレスト川崎を移籍先として選んで、ウイングスから退団した。
そのスター軍団のヴァレスト川崎から、横浜ウイングスに送られた後園の移籍金は、3億5千万円である。
後園はこれを足がかりに、世界にステップアップしようとしていた。
これらのスターメンバーが、ヴォレスト川崎である。
ウイングスのホームスタジアムである、神奈川県の三ツ沢競技場。
天高くそびえ立つ競技場には、時はまだかと、サポーターたちが詰めかけている。
ここで横浜ウイングス対、ヴォレスト川崎の試合が行われる。
倉木はこの開幕戦の、先発メンバーには入れなかった。
しかもベンチ外であった。
ウイングスの監督のガッツァ監督は、戦術ミーティングで、一年前までウイングスの一員だった後園の動きに気をつけろという指示があった。
選手たちは集中している。
ウイングスのフォーメーションは、攻撃的な3‐4‐3だ。
3人のディフェンダーと、2人のボランチと、2人のウイングバック、3人のフォワード。
特別な選手は、安定感抜群の日本代表ゴールキーパーの楢浦正剛。
日本の期待の彼が、ゴールマウスを守っている。
ボランチには、現役ブラジル代表選手のザンパイオがいる。
そしてザンパイオの相棒で、バランサーの、現日本代表ボランチである、山田素弘もいる。
控えには日本の黄金世代の代表候補の、近藤保仁がレギュラーを狙っている。
右のウイングバックには、将来が期待される鳩康広もいる。
左のウイングバックもこなせるが、ガッツァ監督のもとでは左のフォワードで使われている、三浜淳宏。
三浜淳宏とコンビを組んでいるのが、トップ下もこなせるが、3トップの一角を占める天才ドリブラーの長井秀樹。
これが我ら横浜ウイングスのメンバーだ。
開幕戦を戦う横浜ウイングスの選手たちは、チーム一丸になって、キャプテンの山田の掛け声で気合を入れた。
山田「絶対勝つぞー!! おォォオォォォお!」
選手たちが入場する。
するとスタジアムに入っているサポーターたちから、盛大な応援が繰り広げられた。
選手たちは、ガッツァ監督の教えを守って、死ぬ気で戦った。
ヴォレスト川崎は強かった。
でも諦めずに戦った。
その甲斐か、長井が後半にゴールを決める。
その1点を守り抜いた。
ピーーー! ピーー! ピーー!
試合終了です。
長井の後半のゴールが決勝点になって、ウイングスが開幕戦で勝利を収める。
ウイングスの選手たちは、一年前までチームメイトだった後園の動きを知っていて、後園の動きを完全に止めた。
キング知にも、武畑にも、ゴールを許さなかった。
試合後。
三浜淳宏と、後園が談笑していた。
三浜淳宏「ゾノさん、憧れのスペインリーグにいけそうですか?」
後園「そうだな。日本の物価が、スペインの物価よりも高いから、スペインのクラブが提示する額が低すぎたんだ。俺は海外で挑戦したい。だからヴォレストに来た。でも俺は、このウイングスの素晴らしいサポーターだけは忘れない!」
三浜淳宏「それにしてもゾノさん、筋肉をつけすぎたんじゃないですか? 以前よりもプレーが固くて、柔らかさとか、キレがなかったですよ。」
後園「そうかぁ?」
横浜ウイングスは、開幕戦から勝利を手にしています。
次の対戦相手は、名古屋ドルフィンズです。
名古屋の要注意人物は、ユーゴスラビア代表でキャプテンを務めている、ストイチコビッチだ。
圧倒的なボールコントロール技術や、繊細なボールタッチを魅せることで、サッカー界ではピクシー(妖精)と呼ばれている選手です。
今でも世界のトップシーンで活躍することができるのですが、名古屋を愛し、日本を愛していることで、日本の地にとどまっている。
ほかの選手は、日本代表にも呼ばれている坂野孝。
そして倉木のアイドルである、日本のエースストライカーとして期待されながら、大ケガで選手生命を棒に振った、大倉隆史もいる。
横浜ウイングスのメンバーたちは、ドルフィンズのホームスタジアムである、名古屋の瑞穂陸上競技場に、空路で移動する。
横浜ウイングス対、名古屋ドルフィンズの戦い。
しかしまたしても、倉木は選手としてのベンチ入りさえも叶わなかった。
しかし倉木には、楽しみにしていることがあった。
それは倉木の憧れの、大倉選手に会えること。
倉木は、大倉のケガの心配をしていた。
倉木「大倉さんは何で、海外でケガの手術をせずに、日本の遅れた病院で手術しちゃったんだろ? 進んだ海外で手術していれば、完治した状態で選手に復帰することが、できる可能性があったのに……。」
倉木はグラウンドで、大倉の姿を発見した。
彼もまた、ベンチ要員だった。
倉木は思いきって、大倉に話しかける。
倉木「大倉さん、はじめまして倉木と申します。俺はウイングスの選手なのですけど、サインしてもらえませんか?」
すると大倉は、とたんに厳しい表情になって言いました。
大倉「俺もプロだ。プロならば、試合前に、相手選手に、サインなんかしない!」
大倉隆史は、1994年にJリーグに現れたスーパーストライカー。
しかしオリンピックのサッカー代表の予選に参加するために、留学先のオランダから日本に戻ってきて、その大会の練習中に大ケガをしてしまった選手だ。
大倉は日本で手術をした。
しかし大倉のその足は、以前の輝きを取り戻すことはできなかった。
オリンピックのタイトルなんて、世界のサッカー界では何の価値もないのにもかかわらずだ。
”プロならば、勝利のために100%の力を発揮する。それがたとえ、ベンチでプレーができなくてもだ〟
倉木はこのことを、大倉から学んだ。
ウイングスたちは、アウェイのサポーターの洗礼に遭った。
しかし選手たちは、完全アウェイの中、ガッツァ監督の教えを守って、死ぬ気で戦った。
横浜ウイングス対、名古屋ドルフィンズは、1対2で名古屋が勝った。
ウイングスで得点を決めたのは、三浜淳宏。
名古屋は、ストイチコビッチと、坂野が決めた。
これでウイングスは初黒星。
この試合も、倉木がプレーすることはなかった。
このことに苛立つ倉木。
そこで倉木は、試合で負けたばかりのガッツァ監督のもとに行って、自己主張しました。
倉木「俺が出ていれば試合に勝てた! 監督、俺を3トップの1人として出してください。あそこだったら、俺の攻撃的センスが活きる。俺は試合に出たい!」
しかし、
ガッツァ「うるさい!!」
倉木は一蹴される。
倉木「チェッなんだよ……。」
横浜ウイングスの第3戦目の相手は、ヴァモス大阪。
この試合は、ウイングスのホームスタジアムである、三ツ沢競技場で行われる。
試合に出れないことに苛立つ倉木。
倉木「俺は日本を代表する選手になるんじゃないのかよ! 同期の近藤保仁さんは、監督に気に入られて、コンスタントに試合に出場することができているというのに、今日も試合に出れないのか……。でもプロなら、試合に出れなくても、いつでも出場することができるように、準備しておく。これは大倉さんから教わったプロ意識だ。」
ウイングス対、ヴァモス大阪の試合は、三ツ沢のホームの大声援の中、開始された。
倉木はイメージトレーニングをしながら、三ツ沢競技場のスタンドで試合を見ていた。
倉木は、自分のチームを分析することができます。
倉木「3‐4‐3は機能させることが難しい代わりに、爆発的な攻撃力を持っている。そして相手がボールを持つと、守備の時にウイングバックが下がって5バックになる。だから守備も強固される。問題は3バックのサイドを速攻で突かれた時に、ボランチがサイドもケアしないと、簡単に崩れる。やはり3‐4‐3は機能させるのは難しいシステムだ。ハイリスク・ハイリターンというわけか。」
倉木は、戦術家として大事な、『自分が作ったチームを、自分でどうやって崩すか?』というところまで考えている。
倉木「俺がもし試合に出たら、最初からサイドの高いところに張って、ボールをもらったらドリブルを仕掛けて、逆サイドにおいた選手にクロスを上げる。そしたら、簡単にゴールなんて奪……、」
と、イメージトレーニングをしている倉木のところに、ウイングスのスタッフがやってきて言いました。
スタッフ「おい!? 飛馬、何やってんだよ! お前今日はベンチに入ってるんだぞ!」
倉木は慌ててユニフォームを着て、急いでベンチに行きました。
背番号は、0(ゼロ)。
倉木飛馬はルーキーイヤーに、横浜ウイングスでJリーグデビューをすることになる。
試合は後半に入っています。
ガッツァ監督は、3トップの右で、倉木を途中投入で試しました。
すると三ツ沢の客は、期待の特例のルーキー選手に、温かい拍手で迎え入れる。
3トップは、倉木飛馬と、長井秀樹と、三浜淳宏の見国トリオで、流動的に動きました。
その3人が、相手ディフェンス陣をかき回した。
彼らにボールを託すのが、後ろの7人。
後ろから、良いボールを3トップに配給する。
試合は2対2の同点の、終盤です。
ウイングスの得点者は、三浜淳宏と、ザンパイオの1得点ずつ。
ヴァモス大阪の得点者は、浪速の黒豹と呼ばれた、カメルーン代表でキャプテンを務めている、エムボンバが2得点。
そして試合はゲーム終盤のロスタイムです。
コーナーキックの場面で、ヴァモス大阪ゴール前に、人が密集していたところでした。 そこに送られたボールは、誰かが彼に合わせたかのように届きました。
ゴール!!
後半ロスタイムの決勝ゴールで、横浜ウイングスが3対2で勝利。
最後に得点を決めたのは、倉木でした。
倉木はJリーグデビュー戦で、いきなりの得点。
鮮烈のデビュー!
ガッツァ監督は、試合後のインタビューで、カメラのフラッシュが眩しい、コメントを欲している詰めかけた報道陣に向かって、倉木の質問に応えた。
ガッツァ「彼は何かを持っている。彼が自己主張してきたので使ってやった。彼を投入したのは正解だった。」
横浜ウイングスの次なる相手は、現在、黄金時代を作っているヴィバ磐田。
サッカー王国静岡のクラブだ。
フォワードには、ゴン中川こと、中川雅史。
そして静岡の若武者、高丘直泰。
2列目のアタッカーには、実力十分の、藤畑俊哉。
磐田の後継者である、東紀寛。
中央には、日本の10番を背負っている、名並浩。
ボランチには、守備忍者の、服取年宏
守備の仕事人、福東崇史。
それとブラジル代表のキャプテンを務めている、トゥンガが、リーダーとしてチームをまとめている。
これらが最強軍団、ヴィバ磐田である。
ウイングスのガッツァ監督は、この試合でルーキーの倉木を先発で使った。
そして「王者磐田を倒して、勢いに乗るぞ!」と言って、選手たちを送り出した。
横浜ウイングス対、ヴィバ磐田の試合は、磐田のホームスタジアムで開始された。
中規模のスタジアムながら、サッカー王国ということもあって、質が高い応援で出迎えられる。
この試合は、磐田の一方的なゲームになる。
ウイングスは、圧倒的にボールを支配される。
それが黄金時代を作っている、磐田の技術だ。
王者のサッカーの前では、勢いに乗っているウイングスもノーチャンスだった。
しかしなんとか耐えた。
ウイングスの守備陣が奮闘して、楢浦の好セーブもあって、無失点に抑えた。
そしてウイングスも点を入れることができずに、0対0のスコアレスドローに終わる。
試合後。
倉木は選手同士が談笑する声が耳に入った。
選手「そろそろだよな、日本の初W杯の、フランスで戦う代表メンバーが発表されるのも。」
選手「あぁ、山田素弘さんは確実に選ばれるだろうな。楢浦は正ゴールキーパーじゃなくても、サブで選ばれるだろうな? でも三浜淳宏さんも、代表に選ばれる実力を持っているぞ!」
倉木はこの時から、真剣にW杯を意識することになった。
そしていま、倉木は長崎に帰っていた。
横浜ウイングスは、ファンや支持層を拡大するために、Jリーグクラブがなかった九州を準ホームにして、九州で試合を行っている。
その準ホームの長崎で、ウイングスの試合が行われる。
と、いうことで、倉木もウイングスの一員として、長崎に降り立った。
空港がある長崎県の大村市から、田園風景が残る景色を味わいながら、試合会場がある、諫早市に移動する。
ウイングスの試合が、長崎で見れる。
それで倉木の地元から、たくさんのファンやサポーターや、後輩たちが、スタジアムに足を運んでくれている。
今日の対戦相手は、同じ横浜の都市に本拠地を構えるライバルチームである、横浜ヴァイキングだ。
なんとJリーグの横浜ダービーが、長崎で開催される。
試合前の戦術ミーティング。
ガッツァ監督は、あらかじめミーティングで、この選手を特にマークするようにと、練習段階で指示が出ていた。
その名が、真崎秀斗。
昨年のJリーグ新人王を獲った、倉木と子供の時からゴールデンコンビを組んでいた、見国の2つ上の先輩だ。
1995年度の、冬の選手権で優勝した見国のメンバーでもある。
倉木飛馬と、真崎秀斗。
倉木にとっては、おなじ見国町で生まれて、小学校の頃からずっと一緒にサッカーをやってきた兄貴的存在。
倉木が1年生の時に、真崎は3年生で、抜群のコンビネーションで、周囲から新ゴールデンコンビと呼ばれていた。
倉木が、ずっと背中を追い続けていた存在である。
横浜ヴァイキングには、真崎のほかに、日本代表のキャプテンを務めている海原正巳がいる。
そしてハンマーヘッドと呼ばれた、大村徳男。
GKには、日本代表の正ゴールキーパーである、河口能活。
それに若きファンタジスタの、中町俊輔。
ジョホールバルの歓喜でゴールを決めた、日本代表のエースの錠こと、錠彰二らがいる。
今日は見国町から、見国高校の後輩や、マネージャーも来ている。
もちろんそこには、サッカー部のマネージャーで、倉木の彼女である、風間あかねも来ていた。
遠く離れていた恋人同士が、赤い糸で結ばれているように惹かれあう。
倉木「あかねちゃん、久しぶりだね……。」
風間「倉木君、長崎にお帰り! 今日は真崎先輩も試合に出るのかな?」
倉木「あぁ、ただいま! 久々に地元に帰ったら、不思議な感じだな。」
ちょうど倉木と、あかねが会話している頃でした。
横浜ヴァイキングの選手たちを乗せた巨大なバスがスタジアムにやってきて、そのバスの中から、スラッとした背が高い一人の男性が降りてきました。
真崎「よ、飛馬、久しぶり!」
この人物が、真崎秀斗です。
髪を茶髪にして、ヒゲをはやしているが、芯は優しそうで、少し垢抜けた感じがするナイスガイです。
真崎の顔を見た倉木と、あかねは、条件反射で揃って挨拶をします。
二人「真崎先輩、おはようございます!」
今日は両チームに所属している見国のメンバーが凱旋するということで、ファンや報道陣が殺到しています。
時は、日本が初めて迎えるW杯ブームに酔いしれている頃で、両チームには現役の代表メンバーが勢ぞろいしていました。
もしかすると、今日のこの試合で活躍すれば、岡畑監督の目にとまり、代表メンバー入りもおかしくない状況でした。
長崎の総合運動公園陸上競技場で、横浜ウイングス対、横浜ヴァイキングの試合が開始されました。
長崎で見れる、本場のJリーグサッカーに、長崎のサッカーファンも酔いしれる。
試合には、倉木も、真崎も、先発で出場しています。
試合は前半終了間際に、ヴァイキングの真崎がゴールを決めて先制する。
その後に、真崎が途中交代したものの、ファンタジスタ中町が芸術的なフリーキックで追加点を挙げて突き放す。
試合はそのまま、0対2で、横浜ヴァイキングが勝利した。
これで長崎で行われた、横浜ダービーが終わった。
試合後。
真崎が倉木のもとに駆け寄って、こう讃えました。
真崎「試合は俺たちが勝ったけれど、今日の動きは良かったよ。このままの調子で、これからもな。」
ゴールデンコンビを組んでいた、倉木と、真崎が、初めて敵どうしで戦った瞬間でした。
さぁ、日本では、空前のサッカーブームが巻き起こっています。
そして日本代表が初出場を決めた、フランスW杯の代表メンバー候補の発表が迫っていました。
第一次選考で、30人ほどが招集されます。
なお選ばれた選手は、スイスにある合宿地でキャンプを行います。そこで第二次選考が行われたあとに、最後の選手選考で、W杯に登録される23人が発表されます。
これより、第一次選考を通過した選手を発表します。
GK部門
神懸かり的スーパーセーブを連発するスーパーゴールキーパー、河口能活。横浜ヴァイキング
安定感では定評がある、楢浦正剛。横浜ウイングス
チーム最年長、大島伸幸平塚ポセイドン
DF部門
チームが頼れるキャプテン、海原正巳。横浜ヴァイキング
ハンマーヘッド、大村徳男。横浜ヴァイキング
鉄の壁、春田豊。鹿島ユニコンズ
最強の左、反馬直樹。鹿島ユニコンズ
右の無尽蔵、奈良橋晃。鹿島ユニコンズ
万能プレーヤー、中東永輔。ジョフ市原
日本の掃除人、祭藤俊秀。清水キングダム
新世代期待のホープ、市山大祐。清水キングダム
MF部門
日本のカリスマ、中畑英寿。平塚ポセイドン
日本の10番、名並浩。ヴィバ磐田
守備忍者、服取年宏。ヴィバ磐田
チームのバランサー、山田素弘。横浜ウイングス
シャドーストライカー、森嶋寛晃。ザクラ大阪
万能の天才児、大野伸二。浦和ブラッド・ダイアモンズ
中盤の発動機、伊藤輝悦。清水キングダム
全力プレー、南澤豪。ヴォレスト川崎
サイドのスペシャリスト、坂野孝。名古屋ドルフィンズ
すっぽんディフェンス、本畑泰人。鹿島ユニコンズ
日本のファンタジスタ、中町俊輔。横浜ヴァイキング
Jリーグ新人王、真崎秀斗。横浜ヴァイキング
FW部門
キング知こと、三浜知良。ヴォレスト川崎
ゴンゴール、中川雅史。ヴィバ磐田
ブラジルからの伝道師、ロピス・ワグナー。平塚ポセイドン
ジョホールバルでVゴール男。野人、丘野雅行。浦和ブラッド・ダイアモンズ
エースの錠こと、錠彰二。横浜ヴァイキング
若きエース候補、柳原敦。鹿島ユニコンズ
以上です。
この発表に、日本のファンは色めき立つ。
新人王の、真崎秀斗が代表入り!
キング知は、順当に代表入り!
後園真聖は、選ばれず!
フランスW杯の、日本代表候補が発表された。
そこには、倉木飛馬の名前はなかった。
横浜ウイングスからは、キャプテンの山田素弘と、GKの楢浦正剛が選ばれた。
実力十分の三浜淳宏は、同じポジションに、最強の左の反馬直樹がいるので、選ばれなかった。
この代表メンバーの発表を受けて、あかねは慰めます。
風間「倉木君、残念だったね。でもまだ4年後があるよ!」
あかねは、倉木が傷つかないように慰めてから、最後に託します。
風間「真崎先輩に頑張ってもらいたいな。見国の、いや日本の代表として、W杯のピッチに立って欲しいなぁ」
フランスW杯の、日本代表候補戦士たちが、空路でスイスに旅立つ頃に、倉木は残りのJリーグの試合のために、横浜に戻って練習していた。
ミーハーなサッカーファンたちも、どことなくJリーグよりも、日本代表に気が入っているようでした。
するとそこに、ウイングスのスタッフが慌てた様子で、急いで倉木のもとに駆け寄ってきます。
スタッフ「飛馬! はぁはぁ、大変なことになった。真崎が代表を辞退した。ケガを理由に取りやめた!」
それを聞いた倉木は、思わず。
倉木「え!? あっ、あの長崎での途中交代は、ケガが原因だったのか……。」
しかしウイングスのスタッフは続けます。
スタッフ「そうじゃないんだよ飛馬! お前に回ってきたんだよ。真崎の代わりに、飛馬が代表に追加招集されたんだよ!!」
日本代表監督の、岡畑武史。
彼に見初められた倉木は、すぐさま合宿地のスイスに飛んだ。
その頃日本代表監督の岡畑武史は、緑あふれるスイスの合宿地で、熱を帯びて押し寄せた報道陣のインタビューに応えていた。
岡畑「まず守備ができる選手を選びたい。そうしないと初戦のアルゼンチン戦で、ボロボロにやられる。だからボールを保持するまで、FWでも下がって守備をする戦術の、リトリートを導入する。だからFWでも、ボールを奪われたら下がって守備をしてもらう。FWはドングリの背比べだ。そういう走りができる、戦える選手で臨みたい。」
岡畑「フォーメーションは、3‐5‐2で戦いたい。トップ下には、中畑英寿を使いたい。彼を中心にしてチームを作る。」
岡畑「目標は、1勝1敗1引き分けをラインにして、決勝トーナメントに進みたい。」
岡畑監督は、意外と体は大きくて、メガネをかけた戦術家です。
アジア第三代表決定戦のイラン戦で、先発の三浜知良と、中川雅史を交代させて、錠彰二と、ロピス・ワグナーを出場させた。
そしてその錠が同点ゴール!
その後に投入した、野人丘野がVゴールを決めた。
見事、岡畑監督は、日本を初めてのW杯に導いた監督だ。
その監督に、倉木は見出された。
「俺たちが、W杯の切符を勝ち取ったんだ!!」
アジア予選を戦ったチームの中心の戦士たちは、新人に手厳しい中で、倉木は同世代と言える代表選手と仲が良くなった。
倉木はスイスの合宿地で、同学年の市山大祐と同じ部屋だった。
市山大祐は、1998年の4月1日の日韓代表選で、17歳という代表史上最年少でデビューした右サイドの選手だ。
ほかにも、同じくその試合で代表デビューした天才児、大野伸二。
日本の10番の継承者、ファンタジスタ中町俊輔。
そして、未来のエースとして期待された、柳原敦。
彼らは後に、日本を背負って立つメンバーだった。
その後、日本代表チームは、フランスの第二次合宿地に移動する予定だ。
しかしその前に、第二次選考で、日本代表チームから脱落する3選手が発表される。
日本代表チーム関係者です。
「今から、第二次選考で外れる選手を発表いたします。横浜ヴァイキングの、中町俊輔。鹿島ユニコンズの、柳原敦。同じく鹿島ユニコンンズの、本畑泰人。以上です。」
倉木は生き残りました。
しかし若武者の五人のうち、二人は落選してしまいました。
日本は、フランスW杯の本戦で、アルゼンチンと、クロアチアと、ジャマイカと対戦します。
その前に直前試合として、スイスで、ユーゴスラビア戦が控えていた。
名古屋の、ストイチコビッチがキャプテンでチームを率いている国だ。
ちょうどその頃、遅れて日本代表チームに合流する自信家の男が現れた。
それが、日本代表戦術部門担当コーチに就任した、凩忍工である。
凩は、その戦術感や、戦術分析力で、見国高校の大嶺忠敏監督の紹介で、日本代表の戦術部門担当コーチに抜擢されたのである。
大嶺忠敏監督は、1993年にU‐17日本代表監督に就任して、現在の日本代表では、中畑英寿を指導した。
そのつながりもあって、大嶺監督が日本サッカー協会に働きかけて、凩忍工の戦術担当コーチが実現した。
サッカー日本代表チームには、アシスタントコーチや、テクニカルコーチや、フィジカルコーチや、メンタルコーチがいる。
そして日本代表チームは、戦術部門にも担当コーチをつけた。
サッカーチームの力を量るには、テク二ックと、フィジカルと、メンタルと、戦術という要素がある。
その中の一つの戦術部門の担当に、凩が任命されたのだ。
凩は戦術家として、戦いの前でピリピリしている選手たちに向かって、自己紹介をする。
凩「私の名前は、凩忍工と申します。チームの戦術部門を受け持ちさせていただくことになりました。サッカーの戦術と呼ばれるものは、99%、ポジショニングです。私はセンチ単位の、些細な位置取りまで指導させていただきますので、よろしくお願いします。みなさんと一緒に、グループステージを突破させて、日本代表を良いチームに育てましょう。」
凩が合流した頃に、ついに日本のフランスW杯の代表登録メンバーの発表が迫ってきました。
ついに、最終選考で漏れた脱落者の3人が発表です。
その会見場に、日本代表監督の岡畑武史が現れました。
熱を帯びた報道陣が、フラッシュを焚いて、岡畑監督を取り囲む。
岡畑「えー、外れるのは、知。三浜知。南澤豪。市山大祐。以上です。」
この驚きは、日本国中を震撼させた。
キング知が外れた!
なぜ知を外すんだ!
ヴォレスト川崎勢が脱落!
これは相手チームにとっての、プレゼントだよ!
この決定は、日本で賛否両論を吹き荒らすことになる。
決定後、三浜知良は自分の心境を、集まった報道陣に向かって告白した。
三浜知良「W杯に出れないのは悔しいけれど、俺も、ミーちゃん(南澤)も、別に岡ちゃんのことを恨んでないし、魂はフランスに置いてきたから。」
脱落した人が決まったということは、チームに残った人も決まった。
岡畑監督は、チーム最年少でW杯のメンバー入りを果たした倉木について、インタビューにこう答えた。
岡畑「彼の試合は何度か見たけれど、技術はしっかりしているし、スピードもある。だからこのまま、周りの人のおかげでピッチに立てていることに対して、感謝する気持ちを持ち続けられたら、これから将来にかけて、楽しみな選手になるんじゃないですか? しかしあとあの長い髪を切ったら、良いのですけどね。」
登録メンバーが確定したことで、チームの骨格が出来上がっていった。
1998年の6月。フランスW杯の直前のマッチで、ストイチコビッチが率いるユーゴスラビア代表と、スイスで、親善試合を戦った。
スイスの目が肥えた客が、目新しい日本代表戦をチェックする。
その時のスターティングメンバーがこれだ。
河口
中東 祭藤 春田
奈良橋 山田 名並 反馬
中畑
錠 中川
これが岡畑の答えだった。
キャプテンの海原は負傷していて、バックアッパーの祭藤俊秀が、スイーパーのポジションに入った。
試合は0対1で敗戦する。
しかし失点は1で抑えた。
攻撃陣は、相変わらずの不発。
この日も日本の課題である、決定力不足は解消されなかった。
このまま日本は、運命の第一戦目である、アルゼンチン戦に突き進むことになった。
その日の夜。
戦術担当コーチの凩は、ヘッドコーチの岡畑に進言した。
凩「岡畑監督、私はただの戦術コーチです。しかしこのチームには、戦術面ではなく、選手の起用に問題があると思います。まずFWの錠は決定力がありません。いくら国民に絶大な人気がある中畑が、いくら錠とは合うといっても、そこに比重を置くのはいかがなものかと…。決定力なら、同じ平塚の、チームメイトのロピスの方が上です。彼を起用したほうが得策だと考えます。それに右サイドバックの奈良橋。彼はただ走れるだけの選手で、技術がありません。中東を右で使ったらどうでしょう。私は監督の、ボールを奪い返すまでほぼ全員が引いて守るという、リトリート戦術は否定しません。そのために走れる選手を使いたいのはわかります。しかしただ走れるだけの選手は、攻撃の時に、キラリと光る才能を垣間見えません。もう一度ご再考を。」
すると岡畑は、メガネの奥から鋭い視線を光らせながら言った。
岡畑「俺は、錠と、丘野を起用して、ゴールを決めてくれたから、結果を出した彼らを使っているのだ。私はそれに賭けたい。」
日本対、アルゼンチン戦の当日。
日本から大勢のサポーターたちが、戦いの場であるフランスに訪れています。
「ニッポン! ニッポン!」
本国でも、今、W杯フィーバーが巻き起こっていました。
ニュース番組を見ても、サッカーのニュースが流れて、テレビでは特別番組としてサッカー日本代表を特集しています。
初戦の対戦相手は、南米の雄、アルゼンチン。
すべての選手が危険なのだが、特に気を付けたいのは、司令塔の、ペロン。
イタリアのサンプドリアで活躍する彼は、ボールを奪取するのがうまくて、パスのセンスが非常に高い。
彼が起点になって、アルゼンチンの攻撃が展開される。
そしてセンターFWの、パティストゥータ。
イタリアの、フィオレンティーナでプレーをする彼は、典型的な点取り屋。
常に相手のゴールの近くでポジショ二ングして、後ろから送られてくるボールを、ゴールの中に入れる確率が非常に高い。
アルゼンチンの攻撃陣で、特に要注意人物だ。
しかし日本にも、トップ下の、中畑英寿がいる。
強烈な人格と、歯に衣着せぬ発言で、日夜、日本のマスメディアを騒がせる。
日本のマスコミは、中畑だけをクローズアップして、彼の一挙手一投足を追っていた。
中畑語録。
サッカー選手は、ビジネスライクだ!
気持ちなんてナンセンス!
日本もW杯で優勝することができる!
俺と周りとの差は、常に感じながらプレーをしている!
岡畑監督は、日本代表チームを、中畑を中心にしてチームを作った。
だから中畑が、感覚的に一番合うと主張する、錠彰二を一番手で使った。
そして次に、前線からでもプレスをかけに行ける、スタミナがある中川雅史を二番手で使った。
ボランチには、チームのバランスをとる山田素弘と、中盤でゲームを作って、展開力がある名並浩を使った。
サイドには、左に最強のプレーヤーの、反馬直樹を使って、クラブでもサイドのバランスをとり合っているから、右に奈良橋晃を使った。
ストッパーには、鉄の壁である、春田豊と、攻撃のセンスもあって、どのポジションでもそつなくこなす、万能の中東永輔を使った。
ベンチには、若きスイーパーの、祭藤俊秀。
ハンマーヘッドの、大村徳男。
守備忍者の、服取年宏。
中盤の発動機の、伊藤輝悦。
サイドのスペシャリストの、坂野孝。
シャドーストライカーの、森嶋寛晃。
天才児の、大野伸二。
野人の、丘野雅行。
青い目の侍の、ロピス・ワグナー。
ゴールキーパーは、正GKの、河口能活。
セカンドGKの、楢浦正剛。
第3GKで、チーム最年長の大島伸幸たちが、チームを支える。
岡畑監督が掲げるサッカーは、『全員攻撃・全員守備』だ。
そのためにこのメンバーを選んだ。
最後に、日本代表のキャプテンで、ディフェンスリーダーの海原正巳が、気合を入れてチームをまとめ上げる。
日本代表は、みんな円陣を組む。
日本代表「みんな、やるぞぉぉ! オォォォォォォオ!!」
日本の、アルゼンチン戦の先発メンバーは、ユーゴスラビア戦から、スイーパーの祭藤から、キャプテンでケガ明けの、海原に交替しただけだった。
その真価が今試されるとき。
聖地、スタジアムに入ったテレビカメラや、興奮したサポーターは、大歓声を上げながら、フィールドに注目する。
日本の、歴史的な初W杯のデビュー戦の、アルゼンチン戦が始まった。
主審『ピーーーー! 試合開始です! うおおぉぉぉぅお!!』
日本は序盤、アルゼンチン相手にも怯まず、積極的に前に出て、アルゼンチンゴールを脅かした。
あのゴールが生まれるまでは……。
前半28分。名並のクリアミスが、日本ゴール前に飛んでいった。
そのゴール前で待っていたのは、貪欲にゴールだけを狙っている、パティストゥータだった。
急いでセーブに行く河口。
しかし一足先にボールにたどり着いたのは、パティストゥータだった。
河口は日本の壁になる。
しかしパティストゥータは、ボールを浮かして、河口を越すシュートを放つ。
ボールはゴールの中に吸い込まれていった。
パティゴール!!
その後は先制したことで、無理にでも前に行ってボールを奪わなければいけない状況に陥った日本を、アルゼンチンはかわす。
アルゼンチンはペロンを中心にして攻め立てる。
しかしまだ1点差。
日本が1点を取ったら、同点だ!
日本は後半の65分に、中川に代えて、ロピスを投入。
ロピスはブラジルから日本に帰化した、青い目にの侍で、中畑と同じ、平塚ポセイドンの選手だ。
これで日本の2トップは、錠と、ロピスになった。
試合は終盤。
日本は1点を追うために、アルゼンチンゴールに迫る。
そして日本は、制限時間内で、何度かシュートチャンスを作ることができた。
ロピスが、アルゼンチンゴール前で、一瞬、フリーの状態になったー! 日本がゴールチャンスを迎える! ロピスがシュートを放った! あ~、惜しい、外れた!!
ピーーー! ピーー! ピーー!
試合終了。
日本対、アルゼンチンは、0対1で、アルゼンチンの勝利。
日本は黒星スタート。
日本ではこの試合が放送されている時間帯に、街角に人影が消えた。
空前のW杯ブーム。
子供や老人も、女性やにわかファンも含めて、サポーターは青い服を着て、特設ビジョンや、テレビの前に集まって釘付けになった。
「ニッポン! ニッポン!」
戦いに旅立った侍に向けて、同じ日本人として、魂を移入する。
日本の次なる対戦相手は、ヨーロッパのクロアチア。
ユーゴスラビアから独立して、国として初めてのW杯だった。
クロアチアで注意するべき選手は、点取り屋のスーケル。
この大会で、得点王を狙っている選手だ。
日本はこの試合も、アルゼンチン戦と同じ先発メンバーで臨んだ。
初戦で負けたものの、日本のサポーターたちは、巻き返しを諦めてはいない。
さぁ、お互いの命運をかけた試合が、キックオフされる。
ピーーーー!
日本はアルゼンチン戦よりも、ボールを保持することができた。
それはクロアチアが、相手にボールを持たせる戦術をとっているからではなく、日本が実力通りの力を発揮したからだ。
前半、中畑が相手選手からボールを奪取する。そのボールを素早く前線の中川に送る。 抜け出した中川の目の前には、クロアチアゴールキーパーしかいない。
中川は中畑から送られたボールを右足でトラップする。
中川は、ボールを一旦地面に落とした瞬間、トラップした右足を振り抜く。
ゴンシュート!!
しかしこのシュートは、相手ゴールキーパーがファインセーブで、片腕一本で防ぐ。
後半61分に、中川に代えて、丘野を投入。
そして後半のクロアチアの攻撃。
0対0のスコアでした。
日本の中畑の戻しのパスが弱かった。
そのボールを相手選手がかっさらって、前線にクロス。
そこにいたのが、スーケルだった。
スーケルは、テレビカメラが映していないところで、マンマークしている中東を蹴飛ばして、突き飛ばしてフリーになった。
しかし主審はこのファウルを見逃していた。
そのままスーケルは、マンツーマンで担当する中東のプレッシャーを受けることなく、ゴール前でフリーの状態でボールをもらい、シュートを放つ。
スーケルゴール!!
後半の、77分。スーケルのゴールが決まった。
ゴールキーパーの河口は、防げなかった。
岡畑監督は、失点をする前までは、大野を投入しようと準備していた。
しかし形勢が変わり、後半79分に、奈良橋に代えて、森嶋を投入。
ここで4バックに、システム変更する。
そして84分に、名並に代えて、ロピスを投入。
この日も、岡畑監督から信頼される、錠は最後までプレーをする。
試合は後半の終了間際に迫っていた。
酷暑により、クロアチア選手はバテていた。
日本は同点に迫ろうと、必死で攻め立てる。
まだ1点差。
日本にも十分好機があった。
しかし、
ピーーー! ピーー! ピーー!
日本対、クロアチアは、そのまま0対1で終了する。
日本のエースの錠が、また不発。
日本は、勝てた試合を落とした。
日本は連敗。
この時点でアルゼンチンが、ジャマイカを下したことで、アルゼンチンとクロアチアがグループステージを突破して、日本は敗退することが決定した。
日本の初めてのW杯は、目標にしていた決勝トーナメント進出を叶えることができずに終わる。
日本の第三戦目の相手は、カリブ海に浮かぶジャマイカ。
ジャマイカは、日本よりも格下と思われていた。
しかし……。
日本はこの試合で、累積警告で出場停止になった中東に代えて、横浜ヴァイキングのハンマーヘッドの、大村を先発で使った。
しかしフォーメーションは、3‐5‐2のまま変えなかった。
せめてW杯初勝利。
その期待を込めて、ジャマイカ戦にも、日本のサポーターたちが、巡礼者のように、聖地に想いを届ける。
こうやって、フランスW杯の、日本対、ジャマイカ戦が始まった。
ピーーーーー!
日本はこの試合は、実力どうりにボールを支配して、ゲームを作っていた。
しかし先制したのは、ジャマイカだった。
前半の、39分。
ショートカウンターから、ウェットモアがゴールを奪う。
ジャマイカが先制!
ボールを支配するが、点を奪えない日本。
攻められているが、点を入れているジャマイカ。
その裏腹な展開で、前半が終了した。
日本はアルゼンチンと、クロアチアに集中しすぎて、ジャマイカに集中心が切れていた。 日本は連敗したことで、グループステージ敗退が決まり、ジャマイカ戦の目標を失った。 日本本国からも、W杯初勝利を期待する声も少なく。
そして先発メンバーは、連戦で疲れていた。
勝利への渇望が見えないまま、後半が開始した。
後半開始直後。
この試合の2点目が決まる。
それはジャマイカの追加点だった。
日本は同点にするために、無理にでも攻め上がった裏を、カウンターで突かれて失点。 後半の54分。またまたウェットモアのゴールが決まる。
日本は痛恨の、2失点目!
日本は、2失点を喰らってから、ようやくギアを入れた。
それから良い内容の試合をするようになった。
日本人は子供の頃から、学校の教育でリスクを負わないように育てられている。
酒・タバコ禁止!
ギャンブル禁止!
男女交際禁止!
だから日本代表の選手たちも、失点してからでないと、自分の守備の担当を外してまで、積極的に前に出て攻めようとはしないのだ。
相手にリードされてからでないと、リスクを冒してまで、積極的に攻め上がろうとはしない。
それは日本の教育によって、リスクを冒してまで、積極的に攻め上がらないように、育てられているからだ。
攻めざるを得ない状況にならないと、日本人はリスクを冒してまで、点を取るための攻撃参加をしない。
岡畑監督は、このまま戦っていたら追いつけないと感じて、何かを変えなければいけなかった。
試合はすでに後半で、残り時間が少ない。
スコアは、0対2。
岡畑監督は、後半の59分に、いつも通りの不発の錠に代えて、ロピスを投入。ディフェンダーの大村に代えて、天才児の大野を投入して、4バックに変更した。
これは岡畑監督は、中畑が感覚的に一番合うと主張した錠に見切りをつけたのだ。
いつもなら、結果的に中川に代えて、ロピスだったのが、錠に代えての、ロピスだった。 この時、凩忍工は、直感的に岡畑監督は、責任を取って辞任すると感じた。
しかしこれで、岡畑監督は二人目の交代で、天才児の、大野伸二を送り出した。
これで日本で一番うまい選手の、大野がW杯デビューをする。
そして倉木にも出番がやってきた。
後半79分に、名並に代えて、倉木飛馬を投入。
これで倉木は、日本代表史上最年少で代表デビューと、W杯デビューを果たした。
それは若干、17歳と、118日での、代表デビューだった。
そして試合は、錠から、ロピスに交替させたのが功を奏したのか、ロピスが頭でゴールを狙った。
そこに待っていたのが、中川だった。
中川はそのボールを、全身の体を使って、ジャマイカゴールに押し込んだ。
ゴンゴール!!
75分に、日本の得点が決まる。
しかし反撃はそこまで、日本対ジャマイカは、1対2で、ジャマイカが勝利する。
日本の初W杯は、3戦全敗の惨敗に終わった。
この戦いを見守った日本人は、
錠、ガム噛むな!
もっとシュートを撃て!
岡畑のリトリート戦術はつまらん!
攻めに行って負けたのならば解る。でも攻めに行かずに負けたのが悔しい!
これでフランスW杯の、日本戦が終わった。
日本代表戦術担当コーチの、凩忍工。
彼は、雇われ先の日本サッカー協会に、1998年のフランスW杯の、報告書のレポートを書かなくてはいけなかった。
凩は、1998フランスW杯の、戦術レポート報告書を作成した。
ジャマイカ戦でゴールを決めた中川ですが、点を決めたあとに、相手選手と接触した時に、足を骨折していた。
しかし交代枠がもうなかったので、彼は最後までピッチに立ち続けて、戦った。
その魂は、きっとキング知がフランスに残したものだろう。
彼らの勇敢なプレーに、私はピッチの傍で見ていて感動した。
私は結局、キング知を日本代表から外したことが、チームに響いたと思う。
知は第一選考で選ばれたのなら、そのまま最終メンバーに入れるべき選手だった。
知の能力は最初から分かっているのだから、精神的支柱として、最初から外されない選手の枠に入っているタイプの選手だ。
その絶対的なエースを直前になって外したことで、それが精神的にチームの動揺につながった。
まず、日本代表は、中畑を中心にしてチームを作った。
だから日本のエースは、中畑に合わせて、錠になった。
その次に、90分間走れるスタミナを持っている、中川を選んだ。
その次に、一番決定力があるロピスが選ばれた。
そして最後に選ばれたのが、知ではなくて、野人の丘野だった。
なぜ知が、丘野を越えられなかったのか?
それはスピードだ。
もはや現代サッカーは、『どれだけ速いスピードで、長く走れるか』になっていた。
岡畑監督は、知が丘野のスピードで敵わなかったから、選ばなかった。
丘野が一番決定力がないのにもかかわらず、丘野が四番手だった。
それにイランとのアジア第三代表決定戦で、Vゴールを決めたのが丘野です。
監督というのは、そういう自分の期待に応えてくれた縁起が良い選手を、持っておきたがるのです。
FWはドングリの背比べだったからこそ、知という精神的な支柱の存在があればよかったと思う。
知は気持ちで勝負することができるから、苦しい時こそ必要だったのではないか?
あと、知が代表から外れた原因の一つが、天才児の大野が、戦力として計算できたことが大きい。
アルゼンチンの記者に聞いたのだが、彼らはこう言ったのだ。
「なぜ日本代表の中で、大野伸二が一番うまいのに、日本人は大野を使わないのか?」
大野が使えるからこそ、知が外れた。
だから大野は、知の象徴である背番号の11番を着て、W杯のピッチに立った。
譲葉。
新しい葉が成長後に、旧葉が散っていく。
結果的に知は、大野伸二という新星に、時代を譲っていく。
今、日本では、中畑があたかも日本で一番うまい選手と評されているが、それは洗脳に近い。
日本のサッカー評論家は、本音を言わずに、建前の発言しかしないからだ。
例えば、日本の英雄である中畑を批判してしまうと、その評論家の好感度が下がってしまう。
すると評論家としての人気が下がってしまう。
すると視聴率を気にするテレビ局からの仕事が減ってしまうのだ。
評論家も、商売としてやっているのだ。
だから日本の評論家は、中畑を批判することができない。
だから日本代表の現状や、課題など、厳しい発言が望まれるべき状況で、日本国民から嫌われるような、本音を言うことができずに、『絶海勝てる!』とか、『日本を信じましょう!』などと、テレビ的な発言をしていた。
テレビ局というのは、視聴者を乗せるような、テレビ的な発言をしてくれる、テレビ的なキャラクターを使いたがるのです。
中畑は、トップ下には合っていない。
彼のプレースタイルは、ボランチの選手だ。
だから彼は、ボールをもらって使われる側のプレーができていない。
彼の強烈な、自己中心的な性格は、『俺は使う側だ!』という意識のため、それが強すぎて、使われる側の動きができていない。
だからトップ下の、動きができていないという問題がある。
トップ下は、使う側ではなくて、使われる側なのだ。
2トップの、トップ下は、どんどんゴール前に入って、3人目の動きをしなくてはならない。
前線に一番近いから、トップ下が一番最初に攻撃参加しなくてはならない。
しかし中畑は、引いてきてボールをもらって、人を使おうとするプレーをする。
その動きは、ボランチの動きなのだ。
中畑は、自分はトップ下が一番合っていると言い張るが、評価は他人がするもの。
中畑は、トップ下に合っていないと言わざるを得ない
日本人は、中畑みたいに個性的で、アウトサイダーな、カリスマ性がある人物が好きですからね。
岡畑監督は、日本代表にリトリートという戦術を導入した。
リトリートとは、ボールを奪うまで、ほぼ全員が自陣に帰り、ボールを奪い返してから、前線に攻め上がるという戦術の一つだ。
そのかいがあってか、日本代表はあまり失点しなかった。
しかしサッカーは、メリットがあるところの裏に、デメリットが存在している。
そのリトリートのデメリットとは、人を前線に残していない分、攻撃力が低下して、点を決める確率が下がるというものだ。
メリットは、守備力が高まるから、失点する確率が低くなる。
リトリートすると、自陣で引いて守っているだけに、ボールを奪取する位置が低くなる。 そのボールを奪う位置が低ければ、低いほど、相手ゴールに持って行くまでに時間がかかる。
その時間が、かかれば、かかるほど、ボールを運んでいるあいだに、相手の守備陣型が整って、ボールをカットされる。
ボールを奪う位置が低ければ低いほど、ゴールにつながる可能性が低くなる。
だから全体を低く位置させるリトリートをすると、攻撃力が低下して、点を奪う確率が下がるのだ。
日本代表の守備役と、攻撃役の割合は、8:2。
ほかの国が、6:4とか、7:3に比べれば、守備に重点を置いていることがわかります。
しかし勝ち進むには、相手よりも1点多く取らないと勝てない。
それがまだ、日本にはできなかった。
このサッカーは、イタリア人は評価する。しかしブラジル人は評価しない。
イタリア人(守備的)と、ブラジル人(攻撃的)は、正反対の考え方を持っている。
このリトリートサッカーは、イタリア人によって、世界中に広まることになる。
この大会での、岡畑監督の問題点。
マンツーマンディフェンスという守備方式をとっていたことと、選手の選考が悪かったという点があると思います。
マンツーマンディフェンスとは、あらかじめ決めておいた選手が、あらかじめ決めておいた相手のFWを、マンマークする方式です。
だからマークする選手は、相手FWを、どこまでもついていくという形です。
サッカーには、もうひとつのディフェンス方法があります。
それがゾーンディフェンス。
ゾーンディフェンスとは、自分が担当するエリアに相手選手が入ってきたら、マークするという形です。
ゾーンディフェンスは、エリアを守る。
だから相手が遠い場所に移動しても、担当する選手は付いていかない。
マンツーマンディフェンスは、ゾーンを守るゾーンディフェンスよりも、割と簡単に守備組織を構築することができる。
この大会で、岡畑監督は、マンツーマンディフェンスを採用した。
ストッパーの春田と、中東が、相手FWについて行って、真ん中の海原がスイーパーでカバーしていた。
しかしマークをスペースに付けるゾーンとは違って、マークを人に付けるので、日本陣地の空いたスペースに、マークを付けていない相手選手が攻撃参加してくると、誰がマークにつくかはっきりしていないので、対応に苦慮して、ディフェンスを突破されるシーンがあった。
これがマンツーマンディフェンスの問題点でした。
そして選手選考ですが、先発で出場している選手の中で、能力不足の選手が3人いました。
それが、奈良橋と、山田と、錠。
右サイドバックの奈良橋ですが、彼はスタミナはあるのですが、圧倒的に技術が足らない。
彼がどうして、ブラジル人から評価を受けるのかが、わからない。
謎である。
右サイドに有望な選手がいないのなら、右サイドに中東を置いて、空いたセンターバックに、新しい選手を置けばよかった。
そしてボランチの山田。
彼には特徴がない。
全体的に能力が低い。
チームのために走っているのだろうが、独創性がなく、目立たない。
そして最後に、錠。
この選手に関しては、フランスW杯を見ていた一般の方も、能力不足だと感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
FWとしての能力が低い。
決定力不足。
しかしなぜそんな錠が、先発で使われたかというと、中畑が錠とは合うと主張したからです。
これは自己中心的で、全てを自分に合わせなければ気が済まない中畑の意向を、岡畑監督が汲んだからですね。
だから中畑にも責任があると思います。
サッカーは結果がすべての世界だ。
『じゃ、錠に代えて、知を使っていたら勝っていた。』と言っても、証明できない。
フランスW杯では、岡畑監督は結果を残せなかった。
しかし結果を残していたら、岡畑監督は知を外して錠を起用したことで、称賛されていたということになります。
それを正義にするには、結果しかないのです。
サッカーは、結果を残したら、それが正解になるスポーツだ。
1998年のフランスW杯で優勝した国は、開催国の地元のフランスでした。
決勝戦でフランスは、ブラジルを3対0で破って、初優勝する。
ブラジルのエースである、怪物ロナウトは、体調が悪かったのだが、スポンサーとの契約があったので、決勝戦に無理やり出された。
それも影響して、敗退して、フランスがW杯を手にする。
フランスには、世界最高の選手の一人の、大黒柱のシダンがいた。
彼を中心にして、フランス代表は成り立っていた。
この日、フランス中が湧いた。
世界最大のイベントと呼ばれるW杯で、フランス人が祭り騒いだ。
3位には、オランダを破ったクロアチアが輝いて、得点王はスーケルが手にした。
日本は初めてのW杯で、岡畑監督は、選手選考は悪いが、現代的で良いチームを作った。 しかし点が取れなかったことで、どうやって点を取るのか? という課題がテーマになった大会でした。
こうやって、日本の初W杯が終わった。
以上で、凩の1998フランスW杯の、戦術レポート報告書でした。
日本代表チームが、フランスから日本に帰ってきた。
するとそこには、大勢のサポーターたちが出迎えてくれた。
日本代表は、初W杯ながらよく頑張った!
次こそは、決定力不足を克服せよ!
中畑英寿って、クールでかっこよい!
今度は自国開催の、日韓W杯が待ってるぞ!
しかしその中の一人の、フーリガンが、錠選手に水をかけた。
そこで、日本で初めてフーリガンが生まれた、有名な水かけ事件が起こる。
こういう人たちが、本物のフーリガンだ。
日本代表に近い選手の人たちは、自分よりもうまい選手たちが戦って、負けたのならばしょうがないと納得する。
しかしその存在から、遠ければ遠いほど、この感情が理解できないのです。
トップ下で使われた中畑は、世界最高峰リーグのイタリアのセリエAの、ペルージャに移籍することが決まった。
中畑「わたくし、中畑英寿は、イタリアのペルージャに移籍することに決まりました!」
そして、あの海外志向が強かった後園真聖は、ブラジルのクラブである、サントスに移籍した。
彼は自分のプレーを取り戻すために、環境を変えて、ブラジルに挑戦することにした。 そして代表に復帰することも、まだ諦めてはいなかった。
次のW杯は、2002年。
旅人たちの思惑が交差する2002年に、どんなドラマを見せてくれるのか?
全ては日本と、韓国で披露される。
自国で開催されるW杯は、あっという間にやってくるのでした。