表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

青空の日、私が失った物

作者: 水溜り

「いい天気だな」

 屋上に上がってきたマサルが私の背中に声を掛けた。


 雲一つ無い、梅雨明けの初夏の空。

 街は太陽の光に白く煌めいていた。


 私は錆びた鉄の柵に頬杖をついて、それらをぼんやりと眺めていた。


「あの時も、こんな空だったよな」私は言った。

「あの時って?」

 マサルは私の隣に来て、同じように柵に肘をついた。

「覚えてんだろ? 五年前の、あの時だよ」

 マサルは手を口に添えて、少しの間黙った。

「ああ、ユウコのことか?」

「そうだよ。何の相談も無しにアメリカに留学するって言ってさ……。無理やり引き止めに行こうとした俺を、お前は必死になって止めたよな」


 私とマサルとユウコの三人は、大学生の頃の親友だった。


「お前、やっぱりあの頃ユウコのこと……」

 それだけ言ってマサルは口を噤んだ。

 私は何も答えなかった。


「ユウコのためだ。俺たちがどうこう言う資格は無かったはずだろ?」とマサル。

「いや、別にお前を恨んでる訳じゃない。もう五年も前の話だ。とっくに割り切ってるよ」

「そうか」


 涼しい風が吹いて、シャツの袖がなびいた。


「あの頃は良かったよなあ。難しいことなんて何も考えなくて良かったからさ」と私。

「何も考えてなかったのはお前だけだよ。少なくとも俺は将来について本気で考えてたさ」マサルは私を馬鹿にするように笑った。

「そうだな。今となっては立派な社長だもんな。大したもんだよ、お前は」

「まあ小さな会社だけどな、まだまだこれからだよ」


 マサルは大学を出てすぐに起業して、A社を一人で立ち上げた。このビルはA社の本社である。

 私はというと、ただひたすら勉強して、なんとか銀行に就職することができたが、特にやりがいを感じている訳でも無かった。


「なあ」私。

「ん?」

「もしあの時、ユウコを止められてたら、今頃俺たちどうなってただろうな」

 マサルは何も答え無かった。

「あの時、俺たちは皆んなバラバラになっちまった…。もしずっと一緒に入れたら、俺たち、どうなってたんだろうな」

「特に何も変わって無いだろ、それに俺とお前はこうして一緒にいるじゃないか」

「俺がA社の担当になったのはただの偶然だ。…そう、ただの奇跡なんだよ。本当なら、俺たちはあれ以来顔を合わすことも無かったはずだ」


 私は空を見上げ、溜息をついた。


「割り切ったんじゃ無かったのかよ」

「割り切ってたさ……ついこの間まではな」

「……どういうことだよ」マサルは細い目で私を見た。

「本当にユウコは留学で、アメリカに行ったのか?」

「本人がそう言ってたんだから、多分そうなんだろ? アメリカに親戚が居るからって、あいつよく言ってたじゃないか」

 マサルはまだ怪訝な表情をしている。

「それは俺も聞いたことがある。だけどな、留学するってのは俺はユウコ本人から直接聞いていない。全部お前から聞かされたことだ」

「俺を疑ってるって言うのか?」


 足元で、鈍い色をした車が何台か走り抜けた。


「ユウコが日本を去る二週間前。ユウコの父親が勤めていた会社が倒産してた」


 青空が私たちを見下ろす中、しばらくの沈黙が続いた。


「それって……」マサルの掠れた声が沈黙を破った。

「ユウコの家は大量の借金に追われた。ユウコは留学なんかでアメリカに行ったんじゃ無い。大学にも通えなくなって。日本に住む場所を無くして、泣く泣く親戚の居るアメリカへ行ったんだ」

「……そんなの本当か分からないだろう? だいたいお前はそれをどこで……」

「俺も偶然知ったんだ。で詳しく調べてみた」

「……調べたって、一体何を?」

「ユウコの父親はP社に勤務していた。P社は小さな会社で、正直かなり厳しい状況だった。だが、大手企業のM社との契約があったからなんとかやりくりできていたんだ」


 上空では飛行機が飛んでいた。騒音が轟く。私は飛行機が遠くまで行くのを見届けてから、続けた。


「しかし、ある日突然M社はP社との契約を破棄したんだ」

「それで、P社は潰れた……?」

マサルの目は宙を漂っていた。

「そうだ。なんでM社が突然契約を破棄したかわかるか?」

「……P社が、条件を変えたんじゃ無いのか?」

「違う。M社は他の会社の契約に乗ったんだ。そしてP社はM社にとって不要になった…」

「その…他の会社って…?」

「A社だよ」


 二度目の沈黙。


「お前、大学にいた頃から色々と起業の下準備をしていたよな?」

「違う……」

「お前がP社を潰した」

「違う………」

「お前がユウコの居場所を潰したんだ。」

「違う……。知らなかったんだ、P社がM社と契約を結んでいたことも…ユウコの父親がP社に勤めていたことも…。俺は何も知らなかったんだ!」

「じゃあなんで…あの時俺を止めたんだ? あんな必死になって俺を止めたんだよ?」


 彼は明らかに動揺を隠しきれておらず、乾いた唇が小刻みに振動していた。


「答えろよ…。お前は自分の起業を成功させるためにP社を潰した。お前がユウコの居場所を奪ったんだ…」

私の声はマサルを追い詰めた。

「…………」

 マサルは黙って俯き、自分の影と向き合った。


「…その通りだよ。全部俺が悪いんだ。俺は俺自身の成功のために、親友を裏切った。本当は全部分かってたんだ。俺がM社の契約を取ればP社がどうなるかも、ユウコの家がどうなるかも……。だけどあの時の俺は自分の道しか見えてなかった。」

 マサルが話している間も、私は目をそらすことはなかった。

 マサルは続けた。

「ユウコも、大体のことは知ってたみたいだ。ユウコは日本を去る直前、俺にこう言ったよ。あなたは何も悪く無い。私はあなたを応援してる。ってね。俺は五年間、その言葉に甘え続けていたんだ。それに、ユウコが日本を去ったのにはもう一つ理由がある」

「もう一つ…?」

 マサルは、重そうなその頭をゆっくりとあげた。

「何もアメリカまで行かなくたって、最低限生活をすることはできる……。多分…俺と二度と顔を合わせたくなかったんだろう」


「マサル。お前がやったことはもう取り返しのつかないのとだ。どんな償いをしようとユウコは救えない。だけどな、俺はお前がそうやってのうのうと暮らしてることが気にくわない」

 マサルは表情を変えなかった。

「……そうだよな。お前のおかげで目が覚めたよ」

 マサルはそう言って、鉄柵に足をかけて乗り越えた。


 最後に彼は言った。

「これがユウコへの償いになるとは思ってないよ。ただの、俺自身へのけじめだ。お前にも、何度謝ろうと許してもらえるなんて思ってない。だけど、最後に一度だけ、謝らせてくれ。本当にすまなかった」


 足元で、鈍い音が聞こえた。それに続いて耳触りなクラクションが鳴り響く。


 私は呆然と立ち尽くしていた。


 これで良かったのか?私はどんな結末を望んでいたんだ? 私はマサルを止められなかった。

 こんなこと微塵も望んでいなかったはずなのに。

 私も同じように、彼の言葉に惑わされたのだ。ひょっとしたら、これが正解かもしれないと思ってしまった。これで全て解決すると本気で思ってしまった。


 頭を抱え空を見た。

 私は青空の日、親友を二人失った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 高い空の下、大切な友人との確執や別れという空虚な悲しさがシンプルかつ鮮烈に表現されています。 間の取り方も非常に上手くて、参考になりました。 [一言] 「コメディー」ジャンルに設定されてい…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ