友情
二十一世紀になったばかりだった。
ぼくは、そのころ、インターネットにはまっていた。
すでに、ダイヤルアップ接続から光回線にかわっていたはずだ。
電話代を気にせず、「インターネット」につなぐことができるようになった。
自分のサイトをはじめて作ったのも、そのサイトでオンライン小説をかきはじめたのも、はじめてうわさに聞くチャットなるものをためしたのも、BBS(電子掲示板)にはじめて書きこみをしたのも、そのころのことだった。
ぼくは、そのころ、オンラインゲームにちょっと興味があったけれど、ウルティマオンラインやラグナロクオンラインなどは、たしか有料で、中学生だったぼくは、とてもやる気になれなかった。だから、無料のCaravanをやっていた記憶がある。
そのころ、ぼくが、オンライン小説を書きはじめたのは、パソコン部でウェブサイトを作れといわれて作ったのはいいものの、サイト内のコンテンツがまったくなかったのが、主な理由だ。
そのころは、テキストサイトやフラッシュがはやっていた。前者は、何か日常であったことを、おもしろおかしく文で表現するサイトで、後者は、くわしくは知らないのだが、絵を動かすプログラムみたいなものだと思えば、多分、だいたいあってる、と思う。
でも、そんなにおもしろいネタや、おもしろくないものをおもしろくする才能が自分にあるとは思えなかったので、自分のサイトをテキストサイトにすることは断念した。ネットは世界中につながっているから、プライバシーの問題もあり、身近なことをネタに笑いをとるのは、ためらわれた。もちろん、フラッシュを作る技術もなかった。
そういうわけで、オンライン小説だった。絵も音楽もノンフィクションもプログラムもだめなら、フィクションがいちばんいいと思った。それにそのころ、オンライン小説は、「楽園」などの小説系サーチエンジンサイトがにぎわっていて、「熱い」分野だったのだ。
パソコン部で、サイトを作ることになって、オンライン小説を書いてるんだ。
そんなことを、友だちの女の子に話したのは、たしか秋だったと思う。
うちのクラスは、男女仲がよかったから、話はみんなけっこうしていたが、ぼくは、オンライン小説をかいているというのが、気はずかしくて、部活の人以外には、だれにも話していなかった。話したくなかった。だいたい内輪の人間しか見ないので、一日十ヒットのアクセスもなかったのだけど。
だから、それを話したときは、二人きりだったのはたしかだ。放課後の教室のことだったか。みんな部活に行ったあとで、たまたま、ぼくたちは何かの用事でもどってきて、はちあわせたような記憶がある。
「へえ、パソコン部ってそんなことやってるんだ」
うちらくらいの年で、ネットやってる人って、あんまいないよねー。クラスに半分いるかどうか? めずらしいな。しかもサイト作ってるなんて。まあ、部活だから、自主的にやってるわけじゃないか。
たしか、そんなことを言われた。
「そっか、オンライン小説か。サイト名、よかったらおしえてよ」
「別に、おもしろくはないと思うけど、いいよ」
そういうと、サンキュー、といって、
「じゃあ、生徒手帳かしてよ。メールアドレスおしえるから、そっちのサイト名おくって」
個人情報だから、アドレス帳に登録したら、すぐに破棄してね、といっていた。
その夜、ぼくは、メールを書いて送った。きちんと送られているか自信がなかったので、メアドの破棄はあとまわしにした。
とりあえず、部活で作った自分のサイトにアクセスする。BBSには、友人の書きこみが少しだけあった。それに軽くレス(返信)をする。だいたいこれだけで、サイト管理人としての仕事はおわり。「早く続きをかいてよ」みたいな内容の書きこみだった。けっこう、オンライン小説って完結しないことも多いんだよね。
数日後、友だちの女の子からメールが送られてきた。小説のここがおもしろかったということと、続きを書けずに完結せずにおわるオンライン小説もあるから気をつけてということと、それから、自分もサイトをやってみようかと思うけど、どうやればいいのかということが書かれてあった。
それから、しばらくたってからだと思う。その子が、パソコン部の部室であるコンピューター室にきて、サイトの立ちあげ方を聞きにきたのは。クラスメイトの女の子に、一対一で、何かをものを教えるのは、ちょっとドキドキする経験だった。少しはずかしかったけど、うちの中学は、そんなことでからかう人間はあまりいなかったし、パソコン部に関しては、ゼロといってよかった。
ともかく、友人はサイトを作った。美術部だったので、イラストサイトかと思ったが、ブックレビューサイトだった。まさかレビューサイトを作るとは思っていなかったので、少々びっくりした。それから、友だちは、「イオリ」のハンドルネームで、ぼくとメールのやりとりをしたり、BBSに書きこみをするようになった。
それから、ぼくたちは、オフラインで話したり、オンラインで交流したりした。楽しい中学生活だった。イオリとのことだけではなくて、全体的に。ぼくは、多少無理やりにオンライン小説を完成させ、中学を卒業し、ぼくのサイトは閉鎖した。イオリのサイトもひっこしをした。ぼくとイオリは別々の高校に行くことになった。
「そういえば、来年はどこにいるの?」というようなメールをイオリからもらったのが、高校三年生の三月ごろだったと思う。ぼくは、現役で大学に進むことにしたので、その大学のある土地の名前をいうと、イオリもおんなじ場所だった。機会があれば会おうぜ、みたいなことを電子メールで言いあって、ぼくたちは新生活へと出かけていった。
四月、ひとりぐらしの部屋で、ひとりぼっちでいると、気が狂いそうになってくる。少なくともぼくはそうだった。
何もないのだ。本当に何も。
地理もよくわからないし、友だちもいないし、大学もはじまっていないしで、不安と緊張がなぜか高まる。いちおう、こないだ、散歩をしてみたけれど、何かどうしようもない空虚さ、みたいなものを、感じないわけには、いかなかった。
大学に入ってからはじめて買ったケータイで(これは、ぼくの世代ではかなりめずらしいと思う。高校のとき、三十五人のクラスでケータイを持っていないのは、男で三人、女で一人だった)、イオリにメールを出した。「超ヒマなんだけど会わない?」
その日に、ぼくたちは再会した。
もし、ぼくが、色々なところに行って遊ぶような人だったら、つまり外で友だちと遊ぶのになれているような人だったら、洒落た喫茶店とかファミレスのドリンクバーとか、なんかそういうところでおしゃべりするのではないかと思う。だが、もしぼくがそういう人だったら、きっとイオリとは、そんなに仲良くなれなかっただろう。ぼくは、ちょっと浮き世ばなれしていた、と思う。お金を使うのが好きではなかった。なんというか、お金をつかって、ものを売り買いすることに、小さいころから、違和感というか、しっくりこない感じをいだいていた。だから、ぼくたちは、公園で話をした。
高校の頃は、どんな生活をしてきたのか。これからに対する期待と不安。一人ぐらしに慣れそうもないこと。ぼくたちは何も買わなかった。のどがかわいたら、公園の給水器で水を飲んだ。トイレに行きたくなったら、公園のトイレでした。お金をつかって、場所と時間と飲みものを買うなら、それはとてもいやだなとぼくは思った。
その日、ぼくは、帰り道をふたりで帰って、途中にある自分の家を教えて、そのまま家に入った。本当は送っていくべきだったのかもしれないが、あぶない街ではないのだし、むこうはぼくに家を教えたくないかもしれないと思った。
それから、大学がはじまるまでの間、ぼくたちは、ほぼ毎日会った。
昼ごはんをたべおわってから、夜ごはんを作るまでの間。たまに、いっしょにごはんを作って、いっしょに食べた。
ぼくたちは、それなりにネットにしたしみ、インドア系の人間で、そして多分、クラスの中心にはいないような人間だった。
世の中には、こういうことを信じられない人もいるのかもしれない。でも、ぼくたちは、手をつなぐことも、キスをすることも、他にも何にもしなかった。
たしかに、ぼくは、女の子と話すことで、若干気分があがっていたかもしれない。
でも、何も起きなかった。
起こす気もなかった。恋人同士でもないのに、そういうのはどうかと思った。
大学がはじまり、ぼくたちはまた、インターネットを通じたやりとりが多くなった。
同じ街に住んでいるから、たまに会ったりもした。
一年ぐらい、二人とも試行錯誤したあとで、ぼくたちは、学校になじめないし、心からの友だちもできそうにないと、とりあえず結論づけた。これが一人だったら、このことを、たとえとりあえずであっても、とても認められなかったかもしれない。
もし、学校には、なじまねばならず、友だちがいなくてはならない、と覆っていたのなら、それは苦しいことになっただろう。
しかし、ぼくたちは(それはたぶん、学校になじめて友だちがいた方がたのしいのだろうが)、一年くらい色々本気でやってダメだったのだから、あきらめようということで、意見が一致した。
正直にいうと、イオリがいなかったら、こんなにすぐに頭のきりかえができたかどうか、わからない。
もしかしたら、卒業するまでずっと、あがきつづけていたかもしれない。
学校になじめなくても、学校に友だちがいなくても、同じような疎外感を持った人が、近くにいる。それは、すごくたすかることだった。学校になじめなくて、学校に友だちがいない自分でもいいんだ、とすなおに思えた。
「スカイプ(skype)しようぜ」
そうやって誘ってきたのは、イオリからだった。
新しいものには、基本的に最後まで手を出さないぼくと違って、イオリは、まっさきに最新のものをさわりたがるタイプだ。
「名前くらいは聞いたことあるよね? 通話無料なんだよ」
どうも、イオリは高校のころからやっていたらしい。
無料で通話とチャットができるソフトだそうだ。
「なんでもっとはやく、さそってくれなかったんだよ」
ちょっと、おいてきぼりにされたようで、ぐちっぽくいうと、
「だって、みっきー、さそわれるのあまり好きじゃないこと多いし。音声会話するためには、ヘッドフォンとマイクが欲しいとこだけど、お金つかうのも好きじゃないでしょ?」
こう言われては、もう何も言うことはできない。ぼくの性格について言っていることが正しいからだ。
結局、二人でいっしょに電気屋さんに行って、マイクつきヘッドフォンを買った。
やはり、買いものはなれない。
スカイプでは、チャットもしたし、音声通話もした。
どっちも無料なのが、スカイプのすごいところだ。
チャットで、はじめてしゃべったときほどの感動はなかったが、それは見知らぬだれかと話したわけではないからだろう。
でも、それでも十分、ドキドキした。
スカイプでの話は、雑談が多かった。
「だいたい、ツイッターってなんだ、ツイッターって」
音声会話でそう言って、イオリは『twitter』とスカイプのチャットに打ちこんできた。
「このスペルなら、トゥウィッタァじゃないのかって、ボクは思うね」
いやいや、そこか!? そこにつっこむのか? という話をしたことがある。
また、『w』と打ちこんでから、
「笑いの意味でこれをつかう人がいるけど」
と言い、『warai』とさらに打ちこんだ。
「この頭の文字を取ったわけだが、2ch語っぽくてあまり好きじゃないなあ。ほら、あそこってネチケットがない感じがあって」
そう言うイオリに対して、
「つまり、wじゃなくて、『(笑)』を使うべき的な? むしろ『(笑』みたいな、とじかっこなしも許さない派?」
などという話でもりあがった。
それにしても、ネチケットという言葉は、2010年近くになると、あまりネットで見なくなっていたように思う。
知らない人のために解説しておくと、ネットとエチケットの造語で、ネット上での礼儀正しいふるまいのことだ。
2000年前後には、この言葉は、個人サイト界隈でかなり使われていたように思う。
別にネットの話だけしていたわけではないが、他の人とくらべると、この手の話題は多かっただろう。おたがいに、こういう話のわかる人が身近にいなかったし、いても気付かなかった。
ある日、スカイプで、
「今夜ちょっと泊まりにいっていい?」
と連絡が来た。
「いいけど、ふとんひとつしかないけど」と言うと、
「じゃあ、そこでねさせてよ」と答えるので、
ぼくは少し考えたあと、
「念のために聞くけれど、変なことは考えてないよね?」
「エロいことは考えてないし、そういう目的じゃない。みっきーこそ大丈夫だよね」
「うん」
ぼくの家に来たとき、イオリは、お風呂に入ったあとみたいで、いいにおいだった。
ぼくも、お風呂は入っていた。
「こんばんは」
「こんばんは」
なんだか、ひさしぶりに、イオリが部屋にいる気がした。
「とりあえず、座ろうか」
そう、ぼくがいって、ぼくたちは座って数十秒くらい無言のまますごした。
「お茶いる?」と聞こうかとも思った。でも、イオリが何かを言うのに時間がかかっているのだとしたら、そのぼくの言葉でイオリの言葉をふさいでしまうかもしれない。それをおそれて、ぼくは聞けなかった。
「女の子がボクというのはおかしい、私というもんだっていう、自分にとっての常識を他人におしつける無神経なやつは大嫌いだ」
何も言わないときがしばらく流れた。
「ぼくも、嫌いだね」
そういえば、嫌いなものについて語りあったことは、ぼくたちの間であまりなかったかもしれない、と言ったあとでぼくは思った。
なんだか、そのあと、いろいろ話を聞いた。
心の中の毒を出すのは、いいことだと思った。
「今夜は、一緒にいてほしい」とイオリが言った。
「いいよ」とぼくも言った。
ぼくはお茶を用意して、ぼくらはお茶をのみながら、パソコンであそんだ。
youtubeやニコニコ動画(ぼくはアカウントを持ってないのでイオリのを使った)で、笑える動画をさがした。
夜だったから、大笑いするわけにもいかず、しかも笑いをこらえると、小さなことでも笑いやすくなるので、けっこう、つらかった。でも、たのしかった。
フリーの格闘ゲームで対戦したり、フリーのシューティングゲームで、スコアをきそった。だいたい、ぼくが負けた。
ふとんに横になって、二人並んだとき、イオリは言った。
「ボクは、みっきーの前なら、ボクって言っていいよね」
「ぼくの前だけじゃなくって、いつでもどこでも言っていいんだ。まわりとちがうことは悪いことなんかじゃないんだから」
「……」
「もちろん、ぼくの前で、いつでもどこでも、自分のままでいていいんだ」
ゆっくりとした沈黙のあと、
「ありがとう」
と小さな声でイオリは言った。
それから、すこしからかうような声を出して、
「消えろ、消えろ、この邪悪な世界よ消えろ、そしてよりよい世界にうまれかわれ」とささやいた。
ぼくもおもしろくなって、消えろ消えろ、うまれかわれ、と二人でささやきあった。
その夜は、二人で手をつないでねた。
そうしないと、ねむれないくらい心が不安定なのだと、イオリが言ったから。
pixiv、という英単語が、その日のスカイプチャットのはじまりだった。
『ピクシヴとよむの?』
とぼくがタイプすると、
『ピクシブ、だと思う』
とイオリから返事が来た。
「絵師のミクシィ的なところだよ」
要するに、絵を描く人たちがあつまって、絵を見せあったりするオンラインの交流スペースのようなものだと思えばいいらしい。
「ボク、ピクシブにも登録して、絵を描いているサイトで発表したりすることにしたよ」
そういえば、イオリの書評サイトは、かなりの古参なのだった。生き死にのはげしいネットで、よくぞそこまで更新をつづけたまま生き残っている、と感慨深い。アクセス数は、あいかわらず、大してかせいでいないけど。
でも、そうやって何かをはじめたいときにはじめるのは、いいことだと思った。動きたいときは、動くのが一番だ。
「みっきーの方は、最近どう?」
「ポール・ニザンの『アデン・アラビア』を読んだよ。ああいう小説の書きかたもあるんだなって思った。後半だれるけど、最後の方はよかったな。あと、冒頭の文は、やっぱりガツンとくる」
「ぼうとう? はじめに、なんて書いてあったの?」
「二十才が人生で一番すばらしい季節だなんてだれにも言わせない、みたいな感じのことが書いてあった。正確に覚えてないから、まちがっているかもしれないけど」
「ボクたちの仲間だ」
そういって、アハハ、とイオリは笑った。
「そうだね、ぼくたちの仲間だ」
ぼくたちの日々は、このような無料音声通話とチャットでの会話と、休日や平日にたまに会って話したりすること、最近知ったおもしろいことや興味あることについての情報交換などから、主になりたっていた。
自分が好きなことについて話をしても、それをわかってくれる人がいるというのは、おおきなよろこびだ。
そんなぼくたち二人のことを、まわりの人が知ることもある。そういうときに、つきあっちゃいなよ、という声を、ちらほら聞く。
冗談めかして、別に(もうつきあっているようなものなのだから)体を重ねてしまってもよいのでは、みたいな意味の言葉さえも。
結婚しているようなものじゃないか、という話もあった。
雪を見たことがない人に、雪を説明するのは、きっとむずかしい。
でも、見えているのに、それを認識しない人にむけて、それを説明するのは、きっともっとむずかしい。
別に、つきあうのが嫌だというわけではない。
体を重ねるのが嫌な相手かといえば、多分、そこまで抵抗感はない。
ひょっとしたら、結婚してもうまくいくのではないかと思えなくもないくらいには、仲がよいと思う。
でも、それにもかかわらず、ぼくたちのまわりの人の言葉は、的はずれだ。
「フェイスブック、偽名で登録してみた」
ぼくの発言に、イオリはすこしおどろいたようだった。
「ええっ、でも、あれって、友だちがたくさんいて、いろんなところを飛びまわってる人が使うサイトってイメージがあるけど……」
「留学生と授業で何人か友だちになってさ。それで誘われたから。本名登録がオススメされていたけど、不特定多数の人に捕捉されたくないから、多少変えた名前にしたよ」
「へえ~、国際派なんだ。でも、なんかちょっと置いてかれた気分だな」
少しすねたような声を出す。
「ごめんごめん。でも、けっこう楽しいよ。イオリもどう?」
「ボクは外国語ぜんぜん自信がないもん。日本のリアルの知りあいとネットでつながるのはイヤだし。今度みっきーのフェイスブックやってるとこ見せてよ、かわりに」
「ああ、わかったよ。そういえば、もうすぐ春休みだけど、何か予定、ある?」
「ないね。まったくない。あるわけない」
否定みっつでリズムがいい。
「行きたい場所とか、特にない?」
「どっかに行きたい気持ちは昔からあるけど、行きたい場所がどこなのか、まだわからないよ」
「よかったら、さ」
ぼくは、少しドキドキしている。
「春に実家に帰る前に、どっかに遊びに行かない?」
人を何かにさそうなんて、十年くらいしていないように思う。
長いことしていなかったことをすると、ドキドキする。
「へえ、めずらしいね。みっきーがさそうとは。いいよ。どこ行きたいとかあるの?」
「いや、ない。ただ、なんとなく、ちょっと遠くへ行きたいな、と」
「春だからね。そういう気持ちにも、なるかもね。じゃあ、二人で決めようか。どこへ行くか」
「うん。よかったら、会って話そう」
「わかった。明日、あいてるんでしょ? そっち行くわ」
「わかった。まってる」
「インターネットは、リアルと切れているのがいいんだ。ネットは別世界だからさ。ネットに接続したら、自分のまわりの世界とは、全然ちがう世界が見える。そこがたまらなく好きだった。今は、ネットの中にも、『リアル』が侵入してきて、悲しいね」
「それは、ぼくもおんなじことを感じるなあ。パソコンが、違う世界のとびらになるのは、すごくよかった」
「つまり、もし、行きたい場所があるとするなら、そういう場所なんだよね。まわりの世界とは違う、どこかすてきな世界」
「実は、ぼくもそういう世界に行きたいんだけど、この日本のどこを旅しても、そういう場所にたどりつけないんじゃないかと、たまに思う。どこに行っても、同じような街並みと、同じようなシステム。めずらしい食べものをお金とひきかえに得る旅行というか。そういう旅行は、ぼくが求める旅行じゃないというか」
イオリは、その言葉に、いたずらっぽく笑った。
「でも、ためしたことないんでしょ? だったら、わからないよ。ためす価値は、あると思うけどね」
「じゃあ、イオリは、どこに行きたい?」
「あったかいところがいいな。だから南へ」
イオリとの旅は、たのしかった。
それは、イオリがいたのが一番大きな理由かな、と思う。
いっしょにいてたのしい人と行く旅は、たのしい。
しかも、遠慮せずに話せる相手なら、なおさらだ。
その旅でぼくは、日本には似たような風景とシステムが広がっていることを知った。
人口が世界十位の国で、これはおどろくべき均一性なのかもしれない。
「仮に、どこにも行けない気がするとしても、それはみっきーの『思考』だから。頭の中の現実だよ。それは、みっきーの世界解釈だよ。みっきーの頭の中だけでおこっていることだよ」
「行きたい場所さえ、想像できないなら?」
「行きたい場所は、まだ世界のどこにもないのかもしれないし、かつてあったけど今はないのかもしれないし、そして、まだ知らないだけで、実はもうあるのかも。そしてそれも頭の中でおこっていることだよ。想像できないからといって、頭の中に存在しないからといって、存在しないことにはならないよ」
「調べても調べても、自分の行くべき方向がよくわからないんだ」
「『検索ノイズ』だよね。役に立たない情報が多すぎる。『こうすればいいよ』がほしいときに、『どうやっても無理だ』といういらない情報を聞かせられても、どうにもならないよね。本当に有用なのは、『こうすればいいよ』だよ」
「でも、旅そのものは、案外、楽しかった」
「ボクもだよ」
「悪くなかった」
「悪くなかったね」
「今だから言うけどさ、ぼくは、イオリがいて、本当によかったと思っているよ。けっこう、ぼく、孤独だったような気がして、みんなから切りはなされているような気がして、だれも仲間がいないっていうか。それは悪いことではないと、心の奥ではわかっているのに、自分の頭の中で色々考えて、少し、自分を追いこんでいた部分があったかもしれない。ちゃんと、それでいいんだとかんたんに思えるようになったのは、イオリがいたからだよ」
「それは、ボクも同じだな。自分が自分のままでいいって思えるのは、たった一人でもそれができるのが理想的なんだろうけど、みっきーのおかげで、ずいぶん楽に、自然と、すなおに思えたよ」
「ありがとね」
「こちらこそ、ありがとう」
少しの間。
「あのさ」
「なに?」
「絵、みたよ、サイトの」
「おお」
「よかった。っていうか、男の子多いね」
「だって好きだもん。興味あるし」
「おもえば、男性イラストレーターは、女の子をたくさんかいてる人が多い気がする」
「でしょ? まあ、ひとくくりにはできないんだけどね、性別では」
「たしかに、そりゃそうだ。ところでさ」
「なに?」
「トップページのイラストの、男の子と女の子の絵、よかったよ。一番好きかも。あれ、タイトルあるの?」
「――あるよ」
「なんていうの?」
そこで少しとまどったような、どこかはずかしそうな、うまくいえない表現をほんのすこしだけうかべて、イオリは教えてくれた。
「友情」