087 それぞれの想い 茜と先輩 後編
怪訝そうな表情で私を見ている桜井先輩。
私はドキドキと緊張に高鳴る胸に右手を当てていた。
「なにを驚いているんだ?」
「い、いえ、すみません」
「ええと、君は確か一年の越谷だっけ?」
うーん……。桜井先輩に私から声を掛けようとしたはずなのに、結果的には逆に先に声を掛けられてしまった。
「はい、そうです」
「俺に何か用事か?」
「な、何で私が先輩に用事があるって解ったんですか?」
私が驚いてそう言うと桜井先輩は「ふぅ」と溜息を吐いた。
「越谷がいかにも俺に用事があるぞ! って顔で見てたからな……」
「え? わ、私そんな顔で先輩を見ていましたか?」
私は急に恥ずかしくって顔が熱くなった。
「ああ、そんな顔で見てたよ」
私はどうやら考えている事が顔に出やすいらしい。
でもいいや、桜井先輩に声を掛けようと思ってたんだし。
「えっと、私、先輩に用事があります……」
「……なんだよ?」
「ええと……ですね……」
なんかうまく言い出せない。
私はどうも桜井先輩の様なタイプは苦手みたいだ。
こう、女の子と話なれてそうで、おまけに格好良くってプレイボーイっぽい人。
桜井先輩は髪を右手で掻き上げるて私をじっと見ていた。
「早く言えよ、黙っててもわかんねーぞ? 俺は超能力者じゃないんだぞ?」
「ま、待ってください!」
なんでそんなに急かすんだろう?
でも、そう、私は動じずに聞かなきゃ駄目なんだ。
「え、えっと……聞きたいのは綾香の事です」
私が綾香という名前を出した瞬間、一瞬だけど桜井先輩の表情が変わった。
「姫宮の妹の事? もしかして俺と姫宮の妹が付き合ってるって噂の事か?」
桜井先輩は私の聞きたい事を解っていたようだった。
それはそうか、私が先輩に用事ってそれ以外考えられないよね。
「そうです」
「で、それがどうしたんだよ?」
「綾香と桜井先輩が付き合ってるって噂ですが、あれは綾香が嘘だって言っていたんですけど、本当に嘘なんですか? 付き合ってないんですか? あと、嘘なら早く噂が広まらないようにして欲しいんです」
「…………」
桜井先輩は黙ったまま瞼を閉じた。
私はしばらく無言で瞼を閉じた桜井先輩を見ていた。
たまに横を通過する生徒が、ちらちらと私と先輩を見ている。
目を閉じて考える先輩。そしてその前の前で返事を待つ下級生……。
ま、待って! このシチュエーションって……。
私はまた顔が熱くなった。
へ、変な勘違いされてないよね? ってちょっと心配になっちゃった。
「せ、先輩!」
私の別の意味の焦りを感じとったのか、桜井先輩はやっと瞼を開いた。
「まぁ……付き合ってない」
「そうなんですか」
「ああ」
「じゃあ、噂……広がらないようにお願いできますか?」
「そうだな……わかった。じゃあ俺は帰るな」
桜井先輩は私の右横を通りすぎて下駄箱へと向かおうとした。
でも、私はここでまた何かが引っかかった。
桜井先輩の態度が引っかかった。
「先輩! ちょっと待ってください!」
すでに私の横を通過していた先輩。私は思わず桜井先輩を追いかけた。
「何だよ? 用事はもう終わりだろ?」
先輩の態度。おかしい。
私の勘違いかもしれないけど、でも、でも普通には感じなかった。
何か悔しそうな……未練があるように見えた。
「用事は終わりました」
「だったら、もう付いてくるなよ」
「わ、私も下駄箱に行くんです!」
「……ち」
私は桜井先輩の後ろを付いて下駄箱まで一緒に歩いた。
先ほど会話した場所から下駄箱まで四十メートル位の距離。
その間に私たちに会話は無かった。そして下駄箱に到着した。
「俺の下駄箱はあっちだから、じゃあな越谷」
桜井先輩は三年の下駄箱へと歩きだした。
もう聞けるチャンスはここしかない。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
私はそう思って、勢いで桜井先輩を引き留めた。
すると桜井先輩は立ち止まり私の方へ振り向く。
「何だよ? もう用事ないだろ?」
桜井先輩は少しムッとした表情で私を見ている。
しつこいとでも思われたのかな? でも……。
「答えなくてもいいです。一つだけ質問させて下さい」
「何だよ」
私から視線を外す桜井先輩。
「実際はどうなんですか? 桜井先輩は綾香の事をどう思っているんですか?」
私の質問で桜井先輩の表情が明らかに変化した。頬肉がひくりと動いた。
「俺は……別に姫宮の妹の事なんか何とも思ってない」
明らかに表情とは違う答えだ。私はそう感じた。
好きとかそういう感情なのかは解らないけど、桜井先輩は綾香の事が気になっている。
「なにも思っていないんですか? じゃあ、綾香を嫌いなんですか?」
「……どうしてそうなるんだ」
「私は先輩が綾香を好きか嫌いかを聞きたかったんです」
「何だそれ!? 俺がお前にそんな事を言う義理はないだろ!」
先輩の口調は明らかに強くなった。
「そうですね。解りました。ありがとうございました」
そして、私は背中を見せて立ち去る桜井先輩に一礼をすると、一年の下駄箱へと歩いた。
数メートル進んだ所で後ろを振り返る。
すると、桜井先輩はさっきの場所の先に立ち止まっていた。
そしてこちらを振り返っている。
私は再び軽くお辞儀をしてその場を後にした。
私は駐輪場に移動して自転車に乗ると自宅へと向かって田んぼ道を進む。
すっかり日も落ちて吹き抜ける風がとても冷たい。
「寒っ」
思わずそう声が出るほど最近の朝夕は寒くなっていた。
しばらく進んだ頃に脳裏に先ほどの桜井先輩の顔を思いだす。
そして清水先輩の顔が、そして綾香の顔も浮ぶ。
「はぁ……」
思わず溜息が漏れた。
綾香を取り巻く人間関係に、思わず溜息をついてしまった。
私は確信した。桜井先輩は間違いなく綾香の事を気にしていると。
噂をすぐに消さなかったのもそのせいなのかもしれない。
「綾香、どうするのよ?」
思わず独り言。
でも本当にどうしよう。
まさか桜井先輩まで綾香の事を気に掛けてるみたいだよ? なんて報告できるはずもない。
「私の思い込みかな?」
そう、桜井先輩は綾香が好きと言ったわけじゃない。
だから、きっと私が思い込んでいるだけかもしれない。
清水先輩が綾香の事が好きなのに、桜井先輩までなんてありえないよね?
私はそう自分に言い聞かせると、自転車の速度をあげた。




