083 暴走劇の終焉
どの位の時間が経過しただろうか?
絵理沙はようやく落ち着いたのか、やっと泣くのをやめてくれた。
普段は落ち着いていて、すごく大人っぽい絵理沙。
先生に化けていて、振る舞いまで大人びた絵理沙。
でも、今日の絵理沙は本当に子供だった。
好きな人が実の姉と恋仲になったと勘違いしてしまった逆上。
たぶん、深層での絵理沙は落ち着いていたんだと思う。
でも、それを押さえきれなかったんだ。それだけこいつは……俺を好きなのか?
でも何で?
何で絵理沙は俺の事が好きになったのか?
理由が本当にわからない。
俺は被害者であり、こいつは加害者だ。
それも並の事件じゃない。
こいつは殺人者で俺は殺された人間なんだ。
なのに……。
なのにこいつは俺が好きだと言った。
でも俺は……いきなりそんな事を言われても反応できない。
俺にとって絵理沙は、恋愛対象じゃなかった。
いや、恋愛対象になる相手だと思っていなかったんだ。
「絵理沙、聞いてくれ」
両手で顔を覆ったままこくりと絵理沙は頷いた。
「俺は輝星花とはキスはしていない」
再びこくりと頷いた。
「あと、輝星花が目を回したから支えただけだ。特に変な事はしていない」
またこくりと頷いた。
「えっと……あれだ……お前は考えすぎだ。俺はお前の思っている程、もてる奴じゃない」
絵理沙は今度は首を横に振った。そして、
「もてるよ……」
なんて小声で言った。
「あ、ありえないってそんなの。こんなだぞ? 今は女だぞ?」
俺はすぐに否定したが、また絵理沙は首を振った。
「ううん、今の悟君はもてるよ……だって……だって……輝星花だって悟君が好きなはずだし」
「えっ!? な、ないだろ? ありえない! あいつと俺は犬猿の仲だぞ?」
「意識をしていないだけだよ……お互いにね……」
「いや、ないって! ない! 絶対ない! あいつだってそう想ってないって!」
絵理沙は顔を覆っていた手を退けた。
目は真っ赤になり、目のまわりもはれぼったくなっている。
いっぱい泣いたんだってわかる顔だった。でも、絵理沙は微笑んだ。
優しく、とても優しく微笑んだ。
「……ごめんなさい」
「な、何が?」
「迷惑をいっぱいかけてごめんなさい」
「いや、迷惑って……」
絵理沙はゆっくりと俺の手の中から離れた。
「お、おい! もう大丈夫なのか? 額は大丈夫なのか? 血は止まったか?」
「うん……大丈夫だよ。ありがとう。傷は魔法で直してもらうから、輝星花にね」
いや、あいつは魔法力が今はないんじゃ?
っていうか、あんなに喧嘩しておいて大丈夫なのかよ?
「じゃあ、今日は本当にごめんね。ハンカチは洗って返すから……」
「え、絵理沙!」
絵理沙はゆっくりと屋上のドアへ向かって歩き出した。俺の言葉に立ち止まる事はない。
「おい、輝星花と仲直りしろよ? あいつはお前が思っているような事ないからな? 俺にどうこうってないから! それに……お前も俺なんて……好きになるな。そんな価値のない奴なんだ俺は! それに……俺には……」
絵理沙が立ち止まった。そして背中を見せたまま、
「茜ちゃん……がいるもんね」
「……ああ」
絵理沙は結局屋上から出て行った。
絵理沙が出ていったのを確認した瞬間、俺の胸に激しい痛みが走った。
激しい動悸に襲われて、ぐっと胸を押さえた。
「助かったよ、悟君」
振り向けば、そこには輝星花が立っていた。
輝星花は寂しそうな表情で、絵理沙の出ていった屋上の扉の方を見た。
「逃げやがって……」
皮肉を言いたかった訳じゃない。でも自然とそんな言葉が俺の口から出た。
「ごめん、もうあの絵理沙は止められないと思ったんだよ。だから仕方無くね……」
「まったく、でも魔法が使えるのか? 確か魔法が使えないって言ってなかったか?」
すると、輝星花は苦笑して額を指でかいた。
「あはは、絵理沙のお陰でほんの少しだけ回復していた魔力を全部使ってしまったよ。おかげであと数日はこの姿のままかなぁ」
普通にそんな重大な事実を伝えやがった。
「お、お前! 全部使い切ったって、そんなんでいいのかよ? 授業はどうするんだよ?」
「仕方ないよ。魔力がなきゃ僕もただの人間と同じなんだ。出来ればあのクスリは使いたくないしね」
「あのクスリ?」
輝星花の表情が一瞬だが焦りの表情に変わったように見えた。
だが、次の瞬間には普通の輝星花に戻っていた。
「いや、君は気にしないでいいよ。さて、絵理沙が戻ってくるとまたやっかいだ。ここは早めに撤退するとしようかな」
輝星花はそう言うと、屋上から出るために扉に向かう。
「おい、輝星花!」
俺の呼びかけに輝星花が振り向いた。
「なんだい?」
「お前も大丈夫なのか? 絵理沙と……元に戻れるのか?」
「あはは、僕たちは姉妹だよ? 何年一緒に生活していたと思うんだい? 大丈夫だよ、心配ない」
しかし、輝星花の表情はとてもじゃないが大丈夫そうには見えなかった。
いや、俺の勝手な想像でしかないんだけどな。
「あ! そうだ! 僕からもひとつ」
「何だ!? 何だよ」
「悟君、おめでとう! 君の胸はまたしても大きくなってたよ。さっき倒れた時に触って調べておいたんだ」
俺は慌てて胸を両手で押さえた。
「あははは、何してるんだい? もうさっき確認したからもう触ったりしないよ?」
い、いつの間に触りやがったんだ!? まったく気がつかなかった!
もしかして乳触りスキルが上がったのか? 上がったのか!?
(そんなスキルはありません)
「い、いちいち報告するな! そして触るな! これは俺のものだ!」
「うむ! そうだね! 君のものだ! そして僕のものだ!」
「違ぁぁぁぁぁぁぁぁあう! お前に触る権利はない!」
すごく不満そうな表情の輝星花は、頬を膨らませたまま俺に背を向けた。
「どうせ自分で自分のサイズも測れない癖に!」
「サイズなんて教えんでいい!」
「じゃあ、勝手に合わないブラをして胸が苦しくなればいいんだ!」
「苦しくなるほど大きくならん!」
って、綾香に失礼だったか?
「ふふふ……君は自分の成長胸の事を何も知らないんだね」
輝星花は怪しく「ふふふふ」と笑いながら屋上がら出て行った。
「…………や、やっぱりあいつは変人なのか?」
俺はさっきまで座っていたコンクリートに再び座った。
緊張感が無くなったせいかとどっと疲れが押し寄せてくる。
「しかし、すっげー疲れたぁ」
野木の正体が体育対抗祭の時に見たあの謎の女子生徒だったとか、絵理沙と輝星花が双子だったとか、絵理沙が俺の事を本当に好きだったとか……。
ここ数日は色々な事が起こりすぎだ。
まだ北海道から出した俺の手紙も届いていないのに……。
少しは落ち着いてくれないかなぁ……。でも、まだ問題が起こるかもだよな。
そうだよ、問題はこれだけじゃないんだ。正雄とか大二郎の問題もあったんだ。
くそ、考えるだけでも頭が痛くなる。
そろそろ帰らないとな。手紙が来てるかもしれない。
俺は意気消沈しつつ屋上から出たのだった。




