082 勘違いからの暴走劇
絵理沙はとても悔しそうな表情で俺たちを交互に見た。
小さく溜息をつくと、両方の拳をぐっと握る。
そして歯を噛みしめながら、次に絞り出すように声を出した。
「今までの行動を見てたわ。やっぱり輝星花は悟君といい関係になりたかったんだね」
絵理沙は顔を下げながら、輝星花を上目遣いで睨んだ。
「いや違う! 僕は悟君といい関係になりたいとは思っていない!」
躊躇無く輝星花はそう言うと、両手を両手を目の前で振る。
焦った表情には汗が浮かんでいて、こんなにお前は絵理沙に弱いのか? と突っ込みたくなるレベルだった。
絵理沙はそんな輝星花の前に歩み寄った。
「私は言い訳は聞かないわよ? 輝星花」
絵理沙がそう言ったと同時に輝星花の表情が歪んだ。
見れば絵理沙の右拳が輝星花の腹部にめり込んでいるじゃないか。
「な、なにやってんだよ!」
俺は思わず怒鳴った。いくらなんでも酷い。
いくら輝星花が俺といちゃいちゃしていたように見えたと勘違いしても、それでいきなり暴力はない!
しかし、絵理沙は俺をちらりと見るだけでまったく言い返しもしなかった。
輝星花は顔を歪めたまま輝星花を睨み返していた。
「な、何よ? 文句があるの? こうなったのも輝星花が悪いのよ!」
「まったく、自分勝手もここまで来るとただのヒステリック女の暴走に見えるね」
「だ、誰がヒステリックよ!」
「誰って、絵理沙しかないだろ」
「う、煩い!」
絵理沙は左拳を振り上げた。
「いちいち暴力に訴えないと何も出来ないのか! 絵理沙は僕の言う事が信じられないのか! 僕は絵理沙に嘘をついた事があるのか!」
輝星花の話に絵理沙の拳が止まった。止まった拳がふるふると震えている。
「輝星花は……」
「僕は嘘なんて言わないだろ?」
「……いっつも嘘ついてたじゃん!」
輝星花の顔面に絵理沙の右拳がヒットした。
ゴツンと鈍い音がしたかと思うと、輝星花はそのまま屋上の床に転がった。
「い、いや……そうだったっけ?」
左の頬を押さえながら涙目の輝星花。
いやいや、輝星花さん。あんたもしかしてマジで嘘つき系なのか?
でもよく考えれば、野木一郎という姿でいる時点で俺には嘘をついていた事にもなるな。
そう考えると……嘘つきというのもあたりなのかもな。
なんて冷静に考えてしまったが、目の前で発生している争いはただ事じゃない。
俺もどうにかしないといけないんだった。
「そうよ! ずっとずっと私に嘘ついてたじゃん! 北海道に行くのだって教えてくれないし、正体を明かすのも教えてくれないし!」
「い、いや! それは嘘じゃないだろう? 隠し事じゃないのか?」
「どっちもどっちよ!」
絵理沙さん、ちょっと思考ルーチン壊れてる系か?
「で、でも言っておくが、僕は悟君とは何もない! 正体だって今日教えたんだよ? そんなのでどうこうなるはずないじゃないか」
しかし、絵理沙は俯いたまま震えている。まったく輝星花の言葉を信じているようには見えない。
「言い訳は聞かないって言ったわよね?」
「言い訳なんて言ってないだろ?」
「駄目だもん……駄目だもん! 言い訳だもん! 私見たんだもん! さっきそこのコンクリートに座って悟君の頬にキスしてたの! 私は見てたんだからね!」
「「えっ!?」」
俺と輝星花は同時に声を上げた。
というかキス? キスってなんだよ? 俺は輝星花とキスなんてしていない。
あ、もしかしてさっき輝星花が耳元に顔を近づけた時のあれか?
あれが絵理沙からはキスしてるように見えたのか?
「待て! 僕はキスなんかしてない!」
「そうだ! 俺もされてない! 絵理沙の勘違いだ!」
ここでフォローしてもどうなるかわかんねぇけど、してないものはしてない。
輝星花だってあまりにも可愛そうすぎる。絵理沙もちょっと暴走しすぎてる。
なんとかこいつらを落ち着かせないと……。
「な、なによ! キスしししししてなくっても、輝星花、さっきくるくると馬鹿みたいに回って、ふらついた振りをして、わざと悟君に……だ、だ、抱きつたでしょ! 悟君を押し倒した!」
「あれは僕がふらついたのを悟君が助けてくれた時に起こった不慮の事故だ! わざとじゃない!」
「やだ! そんな嘘ついてもダメなんだから! もう絶対に許さないからね!」
絵理沙は一歩後ろに下がると勢いよく輝星花に向かって突進した。
「輝星花、危ない!」
俺が叫ぶ次の瞬間に輝星花の姿が消えていた。
そして、ガシャーンという音が聞こえたかと思うと絵理沙は勢い余ってフェンスにぶつかっていた。
「ま、魔法か? 魔法で消えたのか? あいつ、魔力が尽きてたんじゃないのか?」
屋上を見渡したが、輝星花の姿はどこにもない。魔法を使ったのは間違いないだろう。
そして、フェンスに激突した絵理沙は、フェンスを歪ませてその場で頭を抱えていた。
「絵理沙、大丈夫か?」
絵理沙は額に血を滲ませてキョロキョロと輝星花を捜している。
「卑怯よ! 逃げるなんて! どこよ! 輝星花!」
額から流れる血は、ポタリポタリと顎から白いシャツへと垂れていた。
絵理沙の胸元がだんだんと血に染まってゆく。
「おい絵理沙! マジで大丈夫なのかよ!」
俺は思わずポケットからハンカチを取り出すと、絵理沙の元へと走っていた。
勘違いされたままなのは事実だ。側にいけば俺にターゲットが移るかもしれない。でも、俺は傷ついた絵理沙をほっておけなかった。
うっすらと涙をうかべる絵理沙を見ていて胸が苦しくなった。
「絵理沙、額みせろ!」
俺が絵理沙の頬に右手を当てて、無理矢理自分の方を向かせる。
すると絵理沙がハッとした表情になり、右手で口を押さえた。
「わ、私、何してたの? ご、ごめんね……さ、悟君は悪くないんだよ? だって輝星花と二人っきりで楽しんでたんだもんね。わ、わたし邪魔しちゃったね……」
ボロボロと涙を浮かべる絵理沙。
勘違いもここまでくるとすごいを通り超している。
俺は絵理沙の傷にハンカチを当てると左腕を絵理沙の背中に回し、抱えるような格好になった。
「絵理沙、聞け!」
「……やだ」
「聞け! お前はすごい勘違いをしている!」
「……嘘だ」
「嘘じゃない! 俺がなんでお前に嘘をつく必要があるんだ! 俺がお前に輝星花とキスをしてたとしたら、キスをしたって言う! 俺はお前に後ろめたい気持ちなんて持ってない! だからちゃんと言うだろうが!」
「……あは」
絵理沙は悲しみに満ちた表情で苦笑した。
さっきの俺の言葉は、絵理沙の心を酷く傷つけたからだと思う。
俺はそれでもそう言ったんだ。
絵理沙は俺が好きだと言ってくれた。
そんな絵理沙に後ろめたい気持ちがないと言う事は、俺は絵理沙を好きだと思っていないと言ったのも同じだから。
流石の絵理沙でもそれを察したのか、両手で顔を覆って「ひっくひっく」と泣くのを我慢していた。




