071 大いなる勘違い
騒動から開放された俺と茜ちゃんは教室へと戻った。
始業のチャイムは鳴った後だったが、先生が遅れてきたせいでなんとか遅刻にはならずに済んだが、教室に戻ってからの茜ちゃんの顔色がすぐれない。
いつもの元気な雰囲気がなく、それどこか下を向いて小さく溜息までついている始末だ。
大丈夫かな? 茜ちゃん。不安でチラチラと見てしまう。
まだホームルーム中だから声はかけられないけど……後で茜ちゃんとこにいこう。
そう思いながら、そわそわしながらホームルームが終わるのを待った。そしてやっとホームルームが終わった。
一時限目までは数分しか余裕はないが、俺はいてもたっても居られなくなって茜ちゃんの元へと急いだ。
珍しく机に突っ伏していた茜ちゃんは、俺に気がついて顔をあげる。
「あれ? 綾香? どうしたの?」
元気のない笑顔がちょっと俺の心を痛める。やっぱ普通じゃない。
「どうしたのじゃないよ、茜ちゃんこそどうしたの? さっきの大二郎とのやりとりで何かあったの?」
「ああ、そっか……心配かけちゃった?」
「心配だよ! 元気が無い茜ちゃんなんて見たくないもん!」
「ありがと、でも大丈夫だよ」
なんて言っているが、大丈夫には見えない。
よく見れば小刻みに体が震えているのがわかった。
もしかして……。
「さっき……怖かったとか?」
小さく頷く茜ちゃん。
「わかっちゃった? えへ……。やっぱり清水先輩はおっきいし、それにあんな人がいっぱいいる場所で……」
「ご、ごめんね! 本当にごめんね?」
「ううん、大丈夫だよ。だって、下駄箱で綾香と清水先輩の事を聞いて。いてもたっても居られなくなったんだもん。清水先輩と綾香があんな事になったのは私に原因があるんだから」
茜ちゃんは苦笑しながら言い返した。
「違う、そうじゃない! 茜ちゃんの責任じゃないよ。私が……私が大二郎に好きになられたからいけなんだよ! 茜ちゃんは私を助けてくれただけじゃん!」
いきなり茜ちゃんの目が点になった。そしてかくんと首を傾げる。
「どうしたの? 茜ちゃん?」
「えっと……大二郎って……清水先輩の……名前?」
し、しまった! つい癖で名前を呼んじまった!
「い、いや! そう、そうだよね? 清水先輩だよね。お、お兄ちゃんがいつも大二郎って言ってたから! そう! 言っていたから! 本当だよ?」
こんな言い訳が通じるのか? という程に俺の言い訳は下手だな。
「だよねー! あるある! そういうのあるよ! ねー茜!」
と、すこぶる元気の良い声。そう、これは佳奈ちゃんだ。
「か、佳奈? どうしたのよ?」
「茜が元気ないんだもん! 私も気になっちゃうよ! という事で元気だしてね? よく理由はわかんないけど!」
そう言いながらケタケタと笑っている佳奈ちゃん。うん、恐ろしい程にポジティブだ。
「まぁ、人は誰しも間違いは犯すものだよ! 呼び名を間違ったくらいじゃまだまだだね! 私なんて先生をお母さんって呼んだもん。昨日」
がくんと項垂れる佳奈ちゃん。流石にショックだったのか?
しかし、小学生ならまだしも、高校生でそれはない……。
茜ちゃんも苦笑しているし。
「まったく。佳奈は落ち着きがないからでしょ?」
落ち着いた声が後ろからした。振り向くとそこには真理子ちゃんがいる。
黒髪を右手でかき上げながら目を細めて佳奈ちゃんを見ていた。
「ひっどーい! 真理子酷いよ! それじゃあ私が落ち着きがないみたいじゃん!」
いやいや、先にそう言われてるし。そして真理子ちゃんも容赦ないな。
「茜、今朝の件で元気ないの?」
「あっ……うん、ちょっとだけ……」
真理子ちゃんがちらりと俺を見た。どうやら今朝の騒動を真理子ちゃんは知っているらしいな。
「まぁ、茜は綾香が大好きだし、助けてあげたいっていう気持ちはわかるけど、それでもあんまり頑張りすぎない事ね」
「いや、でも私の責任でもあるし」
「そんなに私のとか言わないの! 綾香だって茜には元気でいて欲しいんだぞ? そんな茜を見てたら綾香だってやだよ? ね、綾香!」
佳奈ちゃん。ちょっとボケボケだけど、良いこと言うな。
その通りだ。俺は茜ちゃんに元気でいて欲しい。
今日は助かったけど、でも、それで茜ちゃんが元気じゃなくなるならいっそ助けて欲しくなんてない。
俺は男だ。俺一人でもどうにかできる。
「それにしても清水先輩、綾香が好きなんだね! もうラブラブ?」
佳奈ちゃんの目が細い。っていうかにやけてる。
「いや、いやいや……」
「まぁ、あそこまで露骨だと誰でも周知するでしょうね。そういう風に」
「真理子ちゃんまで」
そして一時限目の始業のチャイムが鳴った。
「じゃあ、席に戻りましょう。佳奈も戻るのよ?」
「わかってるよ! 私がまるで戻らないみたいじゃん!」
「戻らないでしょ?」
そう言われた佳奈ちゃんは、顔を真っ赤にして「戻るもん!」と言った。
真理子ちゃんは溜息をひとつつくと席に戻って行った。
佳奈ちゃんも名残惜しそうにチラチラと茜ちゃんを見る。そして、
「茜、悩みあったら言いなよ? 私、あまり役立たずだけど、それでも茜には元気でいて欲しいからさ、綾香もだよ?」
そう言い残すと、ニコリと微笑んで戻って行った。
なんか、ちょっと心がじーんとなった。
佳奈ちゃん、やっぱりすっげー良い子だなぁ……。
「あんまり気落ちしないでね? 私は無理して茜ちゃんに助けて欲しくないから」
「うん。でも綾香、また清水先輩が言い寄ってきたら言ってね? 私が言ってあげるから。あんな大勢の前じゃもうしないけど」
茜ちゃんはにこりと微笑んだ。
「いいよ。私が直接言うから」
「駄目、今回の件は私に責任あるんだから、そういうのは私に任せて欲しいな」
「でも……」
「あの時は勢いで約束しちゃったけど、今は本当に後悔してるの。綾香にちゃんと聞いてから約束すればよかったって。ううん、約束なんてしなきゃよかったって」
茜ちゃんはまた意気消沈したような表情に変わった。
だめだこの話題は。茜ちゃんの元気を削る話題すぎる。
「いいよいいよ! 清水先輩はああいう性格だし、あの約束がなかったら今でもしつこく毎日告白されていたかもしれないもん! だから茜ちゃんの責任じゃないから! だからそんな顔しないで」
「うん、ありがとう綾香。やっぱり綾香って優しいよね」
「そんな事ないよ、茜ちゃんのほうが優しいよ」
「そっかな? そんな事ないよ……」
「綾香! いつまでそこで話てるの!」
真理子ちゃんの声にハッと我に戻る。
周囲を見れば全員が席に座ってるじゃないか。
俺の顔が熱くなるのがわかった。っていうか、これはマジで恥ずかしい。
「ご、ごめん!」
俺は慌てて席に戻った。
そして、1時限目の授業が終わった休み。
茜ちゃんが俺の目の前までやってきた。
ちらりと絵理沙を横目で見て、俺に視線を戻す。
茜ちゃんがちょっと気後れしているような感じで俺を見ているので、俺は何か用事なのか聞いてみた。
もしかして、さっきの会話を引きずっているのかもしれない。
「どうしたの?」
そう聞くと、茜ちゃんはちょっとここではと言うので、一緒に廊下まで出た。
廊下で周囲を確認して、誰もいないのと判断した茜ちゃんの顔つきが一気に変化する。
「えっと、あのね、綾香。一つ聞いてもいいかな?」
茜ちゃんは先ほどとは打って変わって、今度はすごく真面目な表情で俺の方を見た。どうしたんだろうか?
聞いていいかなって言ってるが、もしかしてさっきの大二郎と呼んだ件か? あれは佳奈ちゃんのお陰でうやむやになったんだけど、思いだしたのか? しかし、それでこんな表情にはならんだろ? だよな?
「なに?」
「あのね、綾香はさ……」
今度は頬が少し桜色になり、モジモジとする茜ちゃん。
いきなり急変するぎるだろ! どうも動作が乙女だろ!
そして、女子がこういう動作の時は……。
そうだ。ゲームでもそうだった。この動作の時にはたぶん恋愛話を振ってくる? って、俺にか? 大二郎の事か?
そして、俺の予想はあたった。しかし、その話とは……。
「綾香は桜井先輩とつきあっているんだよね?」
なんてすごいものだった。




