070 朝から大騒動とか勘弁しろよ
朝から下駄箱に大二郎のでかい声が響いていた。
その声は低く、渋く、太く、男らしい声だった。
そして、俺はドヤドヤと周囲の騒がしい声に気が付いた。
慌ててあたりを見渡すと、すでに俺たちのまわりには他の生徒たちが集まり初めているじゃないか。
やばい、間違いなく注目の的になっているだろこれ!
俺の顔は一気に熱くなり、手の平には変な汗が滲む。
手だけじゃない。背中にも、額にも、頭皮にまで嫌な汗が噴き出してきた。
ちょっと待て! これじゃ、始業式の二の舞じゃないか!
周囲の気配に気が付いていないのが、俺をじっとみている大二郎。
バカかこいつは!
「ちょ、ちょっとこっちに来てください!」
俺はそんな大二郎の手を取ると下駄箱から慌てて逃げ出した。
そして、周囲の生徒の間を割るように、大二郎の手を持ったまま廊下を走る。
「姫宮綾香、どこに行く気だ?」
「どこって、下駄箱であんな大声だされたらずっとはいられないですよね? 場所なんでどこでもいいんです! とりあえず人気がない場所に行くんです!」
「ひ、人気がない場所って!? おい!」
大二郎の声が上ずった。って何で上ずった!?
俺は慌てて大二郎の方へと振り返ると、顔を真っ赤にしている大二郎が、おまけとして鼻息まで荒くしているじゃないか。
なんでそんなに顔が真っ赤なんだよ! その鼻息はなんだ!
お前、凄まじい程に勘違いしてないか? 変な勘違いしてないか?
「ひ、姫宮綾香、俺はまだ空手大会に優勝してないんだぞ?」
「か、空手大会?」
俺はその言葉に立ち止まった。
俺の急ブレーキに大二郎が止まりきれずに俺の横を通過した。
「な、何で急に止まるんだ?」
「いや、えっと……。空手大会って、もしかして……」
「もしかして?」
「いや、もしかして、茜ちゃんと約束した空手大会の事か?」
すると、大二郎はこくりと頷いた。
「そうだ。その空手大会だ。俺はその空手大会で決勝まで行ったんだよ」
「決勝……ですか?」
「ああ、そうだ」
俺の頬肉が自動でひくつく中、大二郎の表情には笑みが浮かんでいた。とても嬉しそうだ。
だが、俺は心の中で言っておこう。まったく嬉しくないと!
こいつが優勝をすれば俺はこいつとデートをしなきゃ駄目なんだぞ? 何でこういう時だけ本気を出す? お前は準決勝すら行¥いった事がないはずだろうが!
しかし、
「それはおめでとうございます」
こいつはこいつなりに頑張ったんだ。
デートはあれだけど、決勝までいった事実は褒めるに値するな。
「ありがとう。でも、姫宮綾香はあまり嬉しそうじゃないな?」
何を聞く? 嬉しいはずないだろ? なんでこういう所を察しないかな? だからお前はモテナイんだぞ? ……って、あれ?
俺はここでふとした疑問に首を傾げた。
「どうした?」
「え、えっと……」
おかしい、秋の空手大会は一日で終わるはずだ。去年だってそうだった。なのに、何で優勝報告じゃないんだ? 準優勝報告でもない。まさか、
「先輩、あの……決勝戦は行われなかったんですか?」
大二郎は真面目な表情になると、小さく頷いた。
「ああ、そうだ。色々あって決勝戦は今週末の土曜日の開催になったんだ」
なるほど、何かしらの理由で決勝戦が延期になったのか。理由は聞かないようにしておこう。
しかし、大二郎はこの報告をするためにわざわざ俺を待ち伏せていたのか?
「そうでしたか。先輩、わざわざご丁寧に報告をありがとうございました」
俺がそう言うと、大二郎は視線を泳がせながら口をもごもごと動かしている。何かを俺に言いたいのか?
「どうしたんですか?」
「いや……えっと……」
不自然に動揺している大二郎。見れば顔がまた赤い。まさか、俺を目の前にして変な妄想とかしてるのか?
うむ……このままここに居るとろくな事がなさそうだな。
「えっと、私、そろそろ行きますね」
「あっ、ちょっと待ってくれ!」
「ま、何ですか?」
声がでかい!
「姫宮綾香、えっと、あの約束だけど……」
「約束って……茜ちゃんとの約束ですよね?」
「ああ、そうだ」
「それがどうしたんですか?」
「えっと、あれだ。約束通りに優勝したら……いいのか?」
なるほど、こいつは優勝したら俺とデートが出来るのかを確認したいのか。
とりあえず心の中で言っておくが、俺はお前とデートなんて本望じゃない。
でも、茜ちゃんとの約束だし、大二郎が頑張って優勝したご褒美だと考えれば、まぁ、仕方ないな。
「いいですよ? 約束ですから」
俺の一言に大二郎が満面の笑みになった。そして、勢いよく俺の両手をぐっと握りしめやがった。
「ちょっ!?」
両手が大二郎の手に包まれて暖かさを帯びる。って、何で俺の手を握るんだよ! 大二郎のバカ!
「俺、頑張る! 頑張るからな?」
一瞬、手を振りほどこうと思ったが、まるで子供のように瞳を輝かせる大二郎を見て、俺は手を振りほどけなくなった。
「姫宮綾香! お、俺はお前が好きだ! 大好きだ! 俺はお前のために優勝するからな? だから、優勝したら俺と付き合ってくれ!」
「え!?」
ちょっと待て! 約束が勝手に変換されてないか?
優勝したらデートだよな? 付き合うってなんだ!?
「や、約束が違います! デートだけです!」
大二郎の顔が凄まじく真っ赤になった。そして、慌てて手を離すと右手で口を押さえた。
「す、すまん……舞い上がった……。そうだな、約束はデートだったな……。本当にすまん」
「そ、そうですよ……。何を勘違いしてるんですか」
冷静を装った俺。でも、実は心臓が凄まじい勢いで鼓動していた。
たぶん、大二郎の告白に俺の体が反応しているんだ。
でも何で? 何でこいつ相手にこんな反応を?
いや、俺は告白され慣れてないだけだ。だからこんな熱く告白されたから……。誰だって……。
「何だ? 清水先輩は空手大会に優勝したら姫宮と付き合う約束なのか?」
「あれ? 確か姫宮さんって桜井先輩と付き合ってるんじゃなかったっけ?」
「体育対抗祭の時に一緒にいるのを私は見たわよ?」
「ああ、それ、俺も聞いた!」
知らない人間の声が耳に入ってきた。
慌てて周囲を見れば、何で俺たちは生徒に囲まれてる!?
知らない間に俺たちは追いかけられていたらしい。
そりゃあのシチュエーションからだと先の展開は気になるかもしれない。でも、何でもうすぐホームルームが始まるのにお前らはここにいるんだよ!
心の中で俺は叫んだ。
と、とりあえずここから脱出しないと。
「わ、私もう行きます!」
「姫宮綾香!?」
俺がその場から移動しようとした時だった。俺の目の前に怒りの形相の茜ちゃんが人ごみを割って現れた。
「あ、茜ちゃん?」
「綾香……ちょっとどいて」
「えっ?」
俺の横を通過すると、茜ちゃんは大二郎へと歩みよる。
な、何だ? 茜ちゃん、どうしたんだよ?
「清水先輩! 綾香に寄らないでって言ったはずですよね? なのにどうしてこんな事になってるんですか・」
茜ちゃんは声を張り上げて大二郎の目の前に立った。そして、身長さをものともせずに大二郎を見上げているじゃないか。
「こ、越谷!?」
茜ちゃんの迫力に押されたのか、大二郎が一歩後ろに下がった。
「約束を守らない人には綾香は上げません!」
「えっ? 約束を守ったら姫宮綾香をくれるのか?」
「えっ!? あっ!」
茜ちゃんは真っ赤な顔で俺を振り返る。
「茜ちゃん? 私をあげるとか……嫌なんだけど?」
「ご、ごめんね! 言い方を間違っちゃったみたい」
「いや、うん、間違ったのはわかったよ……」
「越谷?」
茜ちゃんは真っ赤な顔のまま大二郎を見上げなおす。見れば、涙目で震えているじゃないか。
「し、清水先輩! わ、私と先輩で約束したのはデート1回です! それ以上は駄目ですからね!」
「あ、ああ、そうだな」
「空手大会で優勝するまでは綾香に近づかないで下さい!」
「いや、決勝までいった報告だけしておこうと思っただけだ……」
「だ、駄目です! それでも駄目です! 男ならちゃんと約束を守ってください!」
「わ、わかった」
すげぇ……。茜ちゃんが学年も体格も上の大二郎にズバズバと言いたい事を言いきった。
やる時はやる子だと思ってたけど、ここまでやるとは……。
その勇姿を称えてか、周囲の生徒が拍手までしている。
しかし、結局はまた大騒動になったなぁ……。
俺は周囲の生徒を見ながらため息をついたのだった。




