006 帰宅
結局は俺には選択肢なんて無い。
どちらにせよ、今すぐには元に戻れないというのが現実。
と言う事は、やっぱり悟(本当の俺)の件をどうにかしないといけないという結論になった。
そして、俺のアイデアが実行される事になった。
そう、俺が神隠しに遭うという作戦だ。
「綾香さん、悟君の失踪は私がなんとか演出するわ。だから、貴方は飛行機事故から生きて戻ったって事にするのよ? わかった?」
なんて北本先生は簡単に言うが…
自宅にこの姿で戻るっていうのは…マジで気が重い。
「あと、今日の事は絶対に内緒だからね! わかったわね? 絶対よ! 約束よ!」
そう言うと、その後、北本先生は魔法使いの本領を発揮した。
俺は非現実的な魔法とかまったく信じていない。お化けもしかり。
だが、北本先生を見て、俺は魔法というモノを信じざる得なくなった。
いや、まぁ俺も魔法で生き返ってる訳なので信じるべきなんだが、目の前で実演されるとそれはもう凄かった。
北本先生は、俺にそっくりの人形を魔法で作るとまずは遠距離操作で校庭に向かわせる。
その人形は本当に人間だと勘違いする出来だった。
動作がすごく人間ぽくって、見た目はまったくの人間で、話こそ出来ないがまず間違いなく人をだませるレベルだった。
そして、その人形を野球部の練習する横にまで移動させると、その近くに今度は小さな竜巻を発生させた。
野球部や、他の生徒の視線がグラウンドの竜巻と俺(偽物)に集まる。
そして、その竜巻は俺の人形の飲み込んだ。
それはそれは大騒ぎになった。人が竜巻に巻き込まれりゃそうなるか?
そして、竜巻が消えると同時に俺の人形は消えた。それも見事に消えた。
あれ見たら本当に神隠しだと思うレベルだった。
知っていた俺ですらびっくりしたレベルだったからな。
しかし…あんなすごい魔法が魔法力5で使えるのに、蘇生魔法も再構築魔法も1万ないと使えないとか、どんだけ凄い魔法なんだよって思ってしまう。
しかし、それだけすごい魔法で俺は生き返ったのだと理解した。
そして、その後。
俺は流石に制服で帰宅はまずいと、記憶にある限りの妹の出て行った時に服装を思い出して服を変更してもらった。
記憶を辿ったのと、口頭で説明したのもあって、何か微妙に違うものになったが仕方ない。きっと両親だって憶えてないはずだ。
玄関で妹を送り出したのは俺一人なんだからな。
そして、俺は自宅へと向かった。
途中で誰かに出会わないかとドキドキしながら歩いていたが、誰とも出会う事は無かった。
いや、これは北本先生の魔法のせいかもしれない。
今さら思いだしたが、帰り間際に北本先生が言っていたのだ。
「人とは出会わない様にしておいたけど、万が一出会いそうになったら身を隠すのよ?」っと。
人払いの魔法でもあるのか? まったく魔法って便利だな。
俺も魔法が使ってみたいよ…もちろん元に戻る魔法だけどな。
しかし、このスカートというモノはなんとも言えない感じがするな。
妙に下がスースーするし、すこぶる防御力が低いと感じさせる。
ちょっとした事で、簡単に捲り上がりそうじゃないか。
いやぁ…女ってこんな低防御力なものを下半身に着用してるとか…すごいよな。妙に関心してしまう。
そうだ。
俺は自分の人形が神隠しにあった後、少しだけ北本先生と話をしたんだ。
これからの事を…
とりあえずの最終結論から。
結論、俺は先生に魔力が戻るまで綾香で生きてゆく。
まぁ…こうなるよな…それ以外の選択肢が無いわけだし…
俺は何年先に元の姿に戻れるかは解らない。だから期限は特に設けてない。
この先、綾香として生きてゆく上で問題はいっぱいある。
もし、本当の綾香が戻ってきたらどうするのか?
そして…もしも綾香の亡骸が見つかったらどうするのか。
どっちも考えるだけでも頭が痛くなるが、ありうるならもちろん前者の方がいいが。
あと…俺が悟に戻ったら綾香(俺)はどうなるのか? もあったな…
だけど、これは数年後の話になるはずだし、今は考えてもどうしようもない。
ともあれ、俺が一刻も早く悟に戻る事が最優先だな。
もし、俺が戻れる時は…申し訳ないが綾香(俺)には今日みたいに神隠しにあってもらうしかない。
何て考えている間に家に着いてしまった…
俺は木造軸組二階建て4LDKの自宅の前で何度も深呼吸をした。
まさか、自分の家に入るのにこれほど緊張するなんて思っても無かった。
そう、今の俺は綾香なんだからな。
ここから…綾香としての生活が始まるんだ。失敗すんなよ俺。
……よし。
俺は覚悟を決めて玄関ドアノブに手をかけた。
ガチャ…っと玄関がゆっくりと開く。
俺はゆっくりと、そして慎重に音が出ないように玄関ドアを引く。
そして、玄関が開ききらない状態で俺は忍び込む様に中に入った。
玄関に入ると、左手にあるリビングのドアが開いているのが解った。そして母さんの背中がチラチラと見える。
母さんは俺が入って来た事にまだ気が付いていないみたいだな。
どうやら母さんはコードレス電話を片手に作業をしながら電話をしている様子だった。
「そうなんです…悟まで行方不明になって…何か手がかりがあったら…」
どうやら俺を捜している電話みたいだな。
振り向いた母さんが溢れる涙をハンカチで拭いながら電話をしている。
俺はそんな母さんを見てハッとした。
そうだ。俺は両親の事をまったく考えていなかった!
綾香が行方不明になった。そして俺が神隠しにあった。
綾香の件ですら精神的にかなりのダメージを受けているはずなのに、俺が行方不明になったとか…追い討ちになってんじゃないか?
こんな状態で母さんや父さんが普通にいられるはずがないじゃないか!
そうだよ…俺は何で自分の事ばっかり考えたんだ?
家に帰るのが嫌だなとか思ってたら駄目だろ?
やばい…俺が早く母さんを元気にさせてやんないと…って…どすれば?
俺は自分の手を見る。小さな綾香の手だ。しかし俺の手だ。
そうだよ。ここでやれる事は一つだけだろ?
今の俺は綾香なんだ!
「お母さん、ただいま!」
俺は無理に笑顔をつくり、そして大きな声で妹の帰宅を知らせた。
正直、心臓が張り裂けそうな程に緊張した。口から心臓が出るかと思った。吐き気までした。
リビングにいた母さんは俺の声にすぐに反応して玄関へ飛び出して来た。
その瞬間、母さんがコードレスホンを床に落す。
おいおい…電話中だったんじゃないのか? なんて多少は突っ込みたくなったが、母さんは電話よりも俺、じゃない…綾香を優先した。
「あ…綾ちゃん? 本当に綾ちゃんなの?」
母さんは俺を見てそう言った。そう、俺は姫宮綾香だから。今日から俺は姫宮綾香なんだから。
「うん…綾香だよ」
頑張って笑みをつくる。
「あ…綾ちゃん…生きてたのね…信じてたのよ…絶対に生きてるって信じてたのよ…」
母さんがすっごい泣いた。そんなに泣かないで欲しい…
そんな泣いている母さんを見るのは俺は嫌だし…俺も…泣きそうになるからさ…
「うん…ありがとう…私は生きてるよ…」
お願いだ。早く元気になってくれ。
俺は不本意だけど、これから綾香として頑張るからさ。悟だけど、綾香としてがんばるからさ。
声には出せないが俺は心で母親に向かってそう声をかけた。
「お父さん! 綾ちゃんが! 綾ちゃんが帰ってきたわよ! 綾ちゃんが!」
母さんはぼろぼろと泣きながら二階に駆け上がる。
するとすぐに父さんがすごい勢いで降りて来た。途中で転げ落ちそうになりながら。
と思ったら最後の段で踏み外した。
「痛たっ!」
「お父さん…大丈夫?」
俺の心配を余所に、父さんは少し血の滲んだ左足を無視して俺に抱き付いて来た。
「綾香! 綾香! 生きてたのか…よかった…よかったよ…」
俺は両親にギュッと抱きしめられた。悟だった時、俺は両親にこれほど強く抱きしめられた記憶は無い。
そっか…うん…抱かれるっていうのは悪くないもんだな…
「うん…生きてたよ」
俺がそう返すと、さっきまで明るくなっていた母さんが、一転してどん底の様な表情になる。そして…
「綾ちゃんごめんね…綾ちゃんがせっかく戻ってきたのに…悟がね……お兄ちゃんがいなくなっちゃったの…」
俺が…いや、悟が行方不明になったと俺に伝えてくれた。
そして、再び母さんの目から涙があふれる。
なんか心がすっげー痛い。
「大丈夫だ。こうして綾香が戻って来たんだ。だから、悟もきっと大丈夫だ。綾香、お前は心配するな…」
父さんは悔しそうな表情で、それでもやはり強い。歯を食いしばって俺に心配をかけないようにしている。
いや…あれだ…父さん、母さん、ごめんな。俺は…悟という名前の俺は当分はここには戻ってこないんだ。でも、俺はここにいるからな!
だけど、今の俺は悟じゃないんだよ…綾香なんだよ。
くそっ! 両親にすら隠さないと駄目なのかよ…
俺は凄い嫌悪感に襲われた。
それでも俺は綾香を演じる。
「お兄ちゃんが行方不明なの?」
わざとらしいかとも思うけど…こう反応すべきだよな。
「そうなのよ…うう…悟…」
「………お母さん、大丈夫だよ。お兄ちゃんは絶対に大丈夫だよ。私には解るんだ。お兄ちゃんは絶対に生きてるって。だって私だって戻ってこれたんだよ? だから…信じようよ。お兄ちゃんはいつか戻ってくるって…私は信じるから」
これは行方不明になって戻ってきたばかりの人間の台詞じゃないなって思った。
でも、こうでも言わないと、母さんのダメージは回復しないと思った。
案の定というか、俺の発言に両親はすごく喜んでいた。
その後、俺は綾香の部屋へと連れて行かれた。二階にある六畳一間の妹の部屋だ。
俺の部屋は二階の一番奥で、妹の部屋はその手前だ。
妹の部屋の中に入ってまずは部屋の中を見渡した。
実際に俺は妹の部屋には滅多に入らない。だから何がどこにあるかなんて理解していない。それもあって、色々と物色をした。
「これが綾香…の部屋か…本当に女の子の部屋だよなぁ」
なんておかしな独り言を言ってしまったり…
俺は一通り物色を終えると、今度は壁際にあるシングルベットに腰掛けた。
今度はベットから部屋を見渡す。
窓際には勉強机。その上にあるのは熊のぬいぐるみ。
天井にある照明器具。蛍光灯だ。LEDじゃない。
入口の脇にあるのはクローゼット。中には妹の洋服や制服が入っていた。
本棚にある数冊の少女マンガ。妹が唯一集めていた漫画『どうしてこうなるんだ!』がそこにある。
何でそんな変な漫画を集めてたんだ? TSだろそれ。
そして、漫画以外は勉強に使っていたであろう辞書や参考書関係がいっぱい。
流石だな。塾に行かないのに偏差値65は伊達じゃなかったか。
今あげたものは全てが妹のもの。俺のじゃない。
だけど、今日から俺のもの。俺が使うんだ。辞書と参考書は…使わないと思うけど。
俺は今度はベットにうつ伏せになると匂いをかいでみた。
ちゃんと妹の匂いがした…
いや、俺は変態じゃないぞ? あくまで確認だ。
今度はベットから起き上がってクローゼットの横にある姿見の前に立った。
姿見にかけてあった、ピンクの布で出来たカバーを外して覗き込む。
映るのはもちろん俺だ。そしてそれは綾香の姿。
これから俺は、当分の間はこの体と付き合う事になる。そして、妹の綾香として生きてゆくんだ。
でも、綾香が戻ったらどうするかな? まぁ…その時に考えようか。
そうだよな。今はそれを考える時期じゃないし、戻って来たら来ただ。
と…思っておくしかないんだよな。
「綾ちゃん、ご飯よ~」
先ほどとは違う、元気な母さんの声が聞こえた。
どうやら、すこしはダメージ回復が出来たみたいだな。
「は~い、今いく」
俺もそれに答えて、元気に返事をした。
でも、ここだけの話。内心で俺はすごく不安だった。
俺は本当に綾香として生きていけるのか? すごく不安だった。