048 俺的危機 後編
俺の口の上には男の手がお置き被さっている。そして、俺に声を出させまいと、おもいっきり口を押しつぶしている。
そういう行為をされたのだからもちろん声は出ない。そして逃げられない。
もう駄目かもしれない。でも、倉庫で一瞬の隙をつけば……。なんて考えていた時だった。
「お前ら! 何やってんだよ!」
少し離れた場所から、突然聞こえたのは男性の声だった。
「こ、この声は……」
この声は牛島でも大和田でも川間でもない。
そして、俺はこの声を……。この声を何度も聞いた事があった。
「むごご!」
声が出ない。振り返る事もできない状態。でも、今の声を聞いて俺は少し安心をしてしまった。
そう、この声の持ち主は間違いない。桜井正雄だ。
「なんで桜井が?」
「な、なんで正雄がここにいるんだよ?」
川間が驚きの声を上げている。大和田は慌てて俺の体を下ろした。
俺を抱え上げているのを正雄に見られるとマズイとでも思ったのだろうか?
そして、俺は地面に足がついた瞬間に急いで三人の間から脱出を試みた。
「あっ、しまった!」
抱え上げていても放してもマズイものはマズイと今更察したのか、もう一度捕まえようとしてくる大和田の腕を躱し、俺はくるりと振り返る。
するとそこには凛々しい表情の正雄がいた。
俺は正雄の目をじっと見る。正雄の俺の目を見てくれた。
「姫宮妹、俺の後ろにこい」
冷静にそう言ってくれた正雄。俺は指示の通りに正雄の後ろについた。
「な、何だよ? 俺たちに何か文句でもあるのか?」
大和田が眉間にしわをよせながら正雄を睨んでいる。
「あるな」
正雄はそんな睨みに怯む事なく睨み返していた。
「先に言っておくけどな? 俺たちは何もしてねぇのに、そいつに腹を蹴られたんだぞ?」
牛島が腹についた俺の足跡を右手でパンパンと叩く。蹴られたアピールだ。
俺が何もされていないのに蹴るなんてするはずないだろ。
「正雄、あれは……」
そこまで言った所で、正雄をすっと左手で俺の言葉を遮った。
俺はその動作で話すのをやめる。
「何もしてないだと? 嘘をつけ。どうせお前らがこいつにちょっかいを出したんだろ?」
「な、何だよ? 見てもねぇ癖に……」
「俺はこいつの性格をよく知ってる。こいつは何もないのに手を出す奴じゃない」
「蹴りだよ!」
「蹴りもだよ!」
言い訳に少し呆れた正雄は、息を小さく吐いた。
「煩せぇな! マジでそいつが蹴ったんだよ! 跡もあるだろうが!」
「ふんっ……お前らバカだな?」
「な、何だと?」
「ここは校舎の三階から丸見えなんだぞ? さっきお前らがこいつにちょっかいを出して蹴られたのを俺のクラスの女子が見てた。で、1年生が土下座させられるって騒いでたんだぞ?」
「「「えっ?」」」
三人は一斉に校舎のある後ろを振り返った。俺も校舎を見る。
すると確かに校舎の三階はここから十分に見える。そして、教室らしき窓からは数人の生徒がこちらを見ているのを発見した。
「もう先生にも伝わってるんじゃないのか?」
「お、俺が蹴られたのはマジだからな? 何が理由でも先輩を足蹴にするとか駄目だろ!」
牛島が再び足跡をアピール。すると、
「ひゃっ!?」
正雄が俺のおでこに手をあてた。
「こいつはお前らに土下座したんだろ? 謝ったんだろ? だったらそれで許してやれよ? 額までこんなに汚れてるじゃないか」
「ま、正雄……」
「うぐっ……。で、でも俺は腹をっ……」
しつこく蹴られた事をアピールする牛島。それを見ていた正雄はまた溜息をついた。
「牛島、お前ってしつこいな? それでも男かよ?」
「な、何だよ! 文句あんのかよ!」
「文句? あるね」
「言ってみろよ!」
すると、正雄は牛島の目の前まで歩いてゆくと、牛島の襟首を掴んだ。
「仕方ねぇから教えてやるよ! お前が土下座させたのは、俺の彼女だ! 俺の彼女に手を出すとは良い度胸してんな?」
「「「えっ!?」」」
ほぼ三人が同時に驚きの声をあげた。というか、俺も吃驚した。
「ま、待て……お、お前の彼女って?」
「ひ、姫宮の妹て、お前の彼女なのか!?」
川間が驚き、牛島の声が震えている。相当に動揺してるみたいだ。そういう俺も動揺してる。
「悪いかよ?」
「いや、でも、大二郎がこいつに告白したってのは聞いてるけど……お前の彼女とか聞いてねぇし」
「あぁん? 俺もあの後に告ったんだよ! 悪いかよ!」
牛島たちは声も出なくなってしまった。
そして、正雄は襟首を放すと、俺の方へと歩いて来た。
「おい綾香」
下のの名前で呼ばれた!? こいつ綾香の名前を知ってたのか?
「は、はい……」
「待ち合わせに送れてごめんな。怖かっただろ?」
「へっ? あ、うん……正雄が来たから大丈夫です……」
「そっか。よし、じゃあ行こうか」
「うん……」
すっと伸ばされた正雄の右手。まさに手を繋ぐぞアピールだ。
正雄は小さく顎を引く。その顔は嬉しそうではない。逆に申し訳なさそうに見えた。
そして、俺はその手をしっかりと握った。すると、正雄はニコリと微笑んでくれた。
なぜか俺の心臓はその笑顔で鼓動を早くした。顔が熱くなってしまった。
……えっ? いや待て! な、なんで正雄相手に俺は緊張してんだよ。
「いくぞ?」
「ひゃい」
声が裏返った。かなり俺も動揺してる。
そして、呆気にとられて俺たちを見る三人を放置したまま、俺たちはゆっくりと歩いた。そして、校舎の角を曲がり……。
「正雄……助かった」
なぜか正雄が目をパチパチして見ている。
そして俺は気が付いた。
しまった……俺が正雄って呼ぶのはおかしいだろ? 何やってんだよ俺は?
さっきから正雄って連呼したけど……怪しまれてないよな?
正雄の表情を伺うが、動揺したような形跡はない。
気が付いてないのか、気が付いても気にしていないのか? しかし言い訳はしておくべきだな。
「す、すみません! 桜井先輩って呼ばなくて……」
「んっ? ああ、そんなの気にするな」
「で……」
俺がじっと繋いだ手を見ていたら、正雄は俺の手を離してくれた。
「ああ、すまん」
「いえ、助けてくれて本当にありがとうございました」
俺は深く頭を下げた。
「ああ、いいって。俺はただお前が絡まれてたから……それで助けただけだ」
少し照れながら頭をかく正雄。そして俺をチラリと見る。何だその反応は?
「いえ、本当にありがとうございました」
「まぁ……俺もなんかすまん。いきなり俺の彼女設定とか引いただろ?」
やっぱり正雄も気にしていたのか。でも、俺は引いたというよりも驚いた。
「別に引いてはないですよ?」
「マジでか?」
「はい」
これは本音だ。
「お前、変わってるな?」
そんなに驚いた顔で俺を見るな!
「変わってるって!?」
「普通はいきなりあんな事を言われたら嫌だと思うだろ?」
「いや……別に……」
「ふ~ん」
正雄は笑みを浮かべならら両手を頭の後ろで組んだ。
「まぁ……そう言ってくれると俺も気が楽になったよ」
気が楽?
「どういう意味ですか?」
「いや、悟に……。お前の兄貴はきっと喜ばないだろうなって思ってな。だからお前が気にしてるとちょっと気がかりだったんだよ」
「あっ……」
なるほど。確かに綾香と正雄が偽装でも手を繋ぐとか、俺的には……無いとは言わないけど、想像できない。
だけど、嫌だとは思わないけどな? 助ける為にやった行為なんだ。
「別に気にしないと思います」
「そっか……」
そして突然俺の顔をじっと見た正雄。何だ?
「あのさ……お前って思っていたより可愛いんだな?」
「みゃ!?」
俺の脳内で何かが爆発した。
《ボン!》とか音を立てた。というか、一気に顔が熱くなった。
おい、何で正雄相手に俺はこんなにテンパってるんだよ!
「わ、私はかわかあわかかいいくないです!」
ろれつが回らないっ! おまけにまた噛んでる! あぁぁぁ……。
「おい、落ち着けよ……」
「は、はい……」
「で、本題だが、お前は騎馬戦に出るんだよな?」
あっ……そ、そうだ! 時間!
「ちなみに集合時間まであと1分だぞ?」
「へっ!? え、えっと?」
「走れば間に合う! あっちだ!」
「は、はい!」
俺は苦笑する正雄を横目に全力で走って会場に向かった。




