004 北本先生の正体と残酷な現実
俺は姿見を見て愕然とした。
姿見に映っていたのは紛れもない俺の妹だったからだ。
俺の目の前には驚いた表情の綾香がいるからだ。
えっ…な、何でここに綾香がいるんだ? いや、これって…
俺が右手を動かすと、鏡の中の綾香が右手を動かす。
舌を出すと、鏡の中の綾香が舌を出した。
鏡の中で綾香がパントマイム? な訳ない。
そう…これは………
「俺が…綾香?」
心臓が先よりもドキドキと凄まじく鼓動を早くしたと同時に、額には嫌な汗をかきまくる。
もうなんていうか、何も言えない…
と言うか、やっぱりありえない…ありえないってこんな事!
あはは…俺が綾香?
漫画じゃないんだぞ?
アニメじゃないんだぞ?
ゲームじゃないんだぞ?
俺が綾香になるなんてあるはずない!
なんて心の中で叫んだ。が…いくら俺が馬鹿でも、夢と現実の区別がつかない訳が無い。
漫画みたく、ほっぺたなんて捻らなくてもこれが現実だってわかる。でも、俺は素直にこの現実を受け止められなかった。
視線をゆっくりと北本先生へと移す。
北本先生は視線が合うと、俺の瞳をじっと見た後に溜息交じりに口を開いた。
「まずは謝るわ。本当にごめんなさい。貴方が姫宮綾香の生徒手帳をもってたから…つい姫宮綾香で蘇生してしまいました…」
北本先生は深々と頭を下げた。
「……蘇生って何だよ」
「蘇生はそのまま蘇生よ。死んだ人間を生き返らせるって事かな」
「……ま、待ってくれって…この世の中に蘇生とかあるはず…。いや、あったとしても、俺が妹になるとかあるはずないだろ?」
「ええと…姫宮さん。動揺していると思うけど、ちゃんと説明をするからそこに座ってもらえるかな?」
もう何だかよくわからない。本当に気がわけがわからない。だけど、ここはとりあえず話を聞くしなない。
俺は再び中央にあるソファーに座った。
先生は俺が座ったのを確認すると、すごく真剣な顔で俺に話を始める。
「よーく聞いてよ。先生は今からすっごく重要な事を話します」
俺はとりあえずうなずいた。
「よし、いい子ね。まず…こうなった経緯から話すわね?」
俺はまたうなずいた。
「さっきガス爆発といったけれど、あれは嘘なの」
…だよな? だって爆発したのはフラスコの中にあった液体だ。
「あの爆発は、私の魔法実験のミスで発生したの。ちょっと薬の配合をミスってね…」
魔法だと? 実験だと? 今、先生は魔法の実験だと言ったのか?
いや、何で夏休みの特別実験室で魔法の実験とかするんだ? っていうか、だいたい魔法って何だよ。
「で、魔法薬の配合が間違っていたの。だから、やばいって思って、足りない材料を取りに行こうとしたの。そうしたら私が戻る前に爆発しちゃったみたいで…」
いや、意味がよくわからない…マジで。
歴史の先生が魔法の実験だと? それに、何で爆発するんだよ? というか…俺はその爆発に巻き込まれたのか?
「でね、貴方はその爆発に巻き込まれてしまったの。私が爆発に気がついて実験室に戻った時には、あなたはほぼ即死状態だった」
今、先生がとんでも無い事を言った気がする。
「先生…今なんって言ったんだ?」
「爆発に巻き込まれたって言ったわ」
「いや、その後だよ…俺はどうなってたって?」
「即死状態だったって言ったわ」
「…はい?」
そ・く・し? そくしって…即死? 即死亡?
「い、いや、待ってくれよ! 即死って…じゃあ、俺は死んじゃったのかよ!」
「そうよ。いいえ、正確には体は死んだけど、脳細胞までは死んでいなかったわ」
「いやいや、脳細胞とか意味不明だって! じゃあ今ここにいる俺は何だよ!」
俺は思わず立ちあがった。顔はすごく熱くなり、嫌な汗が滲んでいるのがわかる。
「だから説明してるでしょ?」
「いやいや…あのさ先生。いくら俺が授業態度が悪いから好きじゃなくっても、言っていい事と悪い事があ……」
俺の会話中に《ダン》っとテーブルを叩く音が教室に響く。
「もうっ! 煩いわね! ちょっと黙りなさいよ! そして私の話を最後まで聞きなさいよ!」
先生はテーブルを両手で叩くと、そのまま右手で俺を指差しながら怒鳴った。
すさまじいプレシャーが俺を襲う。そして「あ、はい…」なんて言って、俺は素直に黙ってしまった。
「よし。それでいいのよ。じゃあ、続きを話してあげるわ」
「………はい」
女の先生の迫力に負けるとか、俺って…
「それで、あなたが死んでて私は焦ったわけ。まさか魔法実験を高校でやってる最中に生徒が入ってきて、そして爆発に巻き込まれて死んじゃったとか…そんな事があったら私は魔法世界から永久追放されてしまう! ってね」
「あの…ちょっと良いかな? 魔法とかさ…現実的じゃなさすぎて話が見えないんだけど…」
「黙りなさい! いちいち反応しなくていいわ! 最後まで聞きなさい!」
「す、すみません」
弱すぎだろ俺!
「そこで私は考えたの。この事件をうやむやにするにはどうすればいいのか。そうしたら思いついたわ。私の全魔法力を使って貴方を蘇生すればいいって」
さっきから蘇生って…それって、死者を生き返らせるのが蘇生だよな。
ロールプレイングゲームとかでよくある奴…蘇生魔法?
「そうして爆発は魔法では無く、ガスのせいにすればどうにか誤魔化せるんじゃないかって思ったの」
何だよそれ…
「ただ、問題があった。それは貴方は真っ黒焦げで、体の損傷も激しくって、手足もちぎれてて、おまけに性別すら区別が不可能状態だった。で、私が焦っていたら実験室の入口に落ちていた姫宮綾香の生徒手帳を見つけた訳」
おい! 俺ってそんなにボロボロだったのか!?
って言うか…まさか妹の生徒手帳を見て俺を…綾香と間違った?
「助かったと思ったわ。そして、私は無我夢中で蘇生術を試みたの。もちろん蘇生魔法なんて初めだった。でも、私はこれでも魔法については自信はある方だった」
先生って何者なんだよ…
「結果は成功。でも、今まで何年もかかって溜めた魔法力を全部使い果たしちゃったの。ちなみに、貴方は体の組織がぼろぼろだったから原子のレベルからの蘇生が必要だった。だから私は貴方を原子レベルから生成しなおしたのよ? 凄いでしょ? ああ、大丈夫よ? 体重も身長も身体測定結果を見てから蘇生させたし、あと…声は私の記憶から綾香さんのデータを引き出して完璧に仕上げたわ。そう、もう貴方は正真正銘の姫宮綾香として復活を果たしたの。これでさっきの事件はなかった事になる! ってなる訳だったのに…とほほ」
意気揚々と途中まで話していた先生が、最後にがくんと項垂れた。
しかし、という事は何か? 俺は北本先生がやってた魔法実験の失敗で爆発して死んだ。でも、北本先生は魔法が使えるから、死んだ俺を蘇生した。しかし、俺は性別すら判定できない程にボロボロだった。それで、落ちていた生徒手帳を見つけて、それが妹の綾香のだったから…先生は間違って俺を綾香で蘇生した…のか?
俺は自分のものかウイッグか解らない髪を掻き上げた。
そして、今までの北本先生の話をもう一度おさらいする。
いや…いやいや………
ないない…ありえない…
この現代社会において魔法とか蘇生とかありえない…
まず非現実的だし、そんなものが存在するのならば絶対に噂になるはずだ。TVの取材とか来るはずだ。
それにあれだろ? 蘇生とかそんなのあったら医者なんか必要ないじゃないか。
治療だって魔法でOKじゃないか。
そうだよ、もし魔法があったら、綾香の乗ったの飛行機だって墜落しなくても済んだかもしれないんだぞ?
そうしたら綾香だって行方不明になんてなってないはずだ。
俺は深く息を吐いて北本先生を睨んだ。
そうだ。これはきっと嘘だ。この科学の発展した世の中で魔法とか嘘だ。きっと何か裏があるんだ。だまされるな悟!
そうか! これはビックリテレビか何かだ! どこかにカメラが? それにしても何で俺をターゲットにするんだ?
しかし、声もウィッグも、身長も、服も、手が込みすぎだろ? これが特殊メイクって奴か? 特殊技術って奴か?
まぁ、最終的に元に戻れればそれでOKだけどな。
「先生、そんな冗談はいいから俺を元に戻してよ。これは特殊メイクか何かなんだろ? それにしても俺を妹の格好にするとか信じられねぇよ」
「冗談じゃないわ」
「じゃあ、嘘だろ?」
「嘘でもないわ」
「あぁぁぁ! もういい加減にしてくれよ!」
俺が怒鳴ると、北本先生は俯いて唇を噛んだ。それを見ていて俺は一気に不安に襲われた。
まさか本当に? ってあるはずないよな?
しかし、北本先生は険しい表情で力の篭もった台詞を言い放つ。
「本当に貴方は理解力していないの? 姫宮綾香さん…いえ、違ったわ…悟君」
「………」
何故か言葉を返せなかった。もうさっきみたいに冗談だろって言えなかった。いや…そうじゃない…本当は俺は…
「だから言ってるでしょ? 貴方は悟君かもしれない。だけど、綾香さんとして生き返ったんだって!」
俺は自分の手を見た。それはとても綺麗で小さい手だった。そう、これは綾香の手だ…
いや、しかし、でも、やっぱり信じられない。本気で俺が綾香になったとかあるはずがない。…そう思いたい。そう思いたいんだよ!
「ど、怒鳴るなよ! マジでこんなの馬鹿馬鹿しいって! 俺が妹とかあるはずないだろ! こんな女子の制服とか着てられるかよ!」
俺は夏服のサマーベストを乱暴に床に脱ぎ捨てた。そして白いブラウスが視界に入る。胸元からは綺麗な肌が見えていた。
「ご…ご丁寧に女子夏制服フル装備かよ! くそが!」
俺はシャツのボタンを一つ一つ外してゆく。だんだんと露わになる俺の胸元。
いくつかのボタンをはずした時、俺の目にはピンク色の何かが飛び込んだ。そう、それはブラジャーだった。
俺の顔が一気に熱くなる。
「お、おい先生! ちょっとまてよ! 俺はこんな趣味はないぞ! 何だよこれ! 俺に女装させて面白いのか? こんなブラジャーまでつけやがって!」
「仕方ないじゃない。貴方には胸があるのだから。女性にはブラジャーは必要でしょ?」
先生は冷静にそう言い切った。そして、可愛そうな人を見るような目つきだった。
「だから俺はっ!」
再び自分の胸を見た。微妙な膨らみがある。
いやいや、何で膨らんでるんだ? これはパットなのか? でも、パットなんて入っている気配はないよな。
…特殊メイク? にしちゃ、ぶっちゃけリアルすぎるだろ!?
「くそー! こんな手の込んだ偽乳つくりやがって!」
俺は怒鳴りながらブラジャーの上から自分の胸を鷲づかみにした。
「痛っ!」
ぐいって胸を掴まれる感覚が俺を襲う。痛みが走る。
そう、その痛みは、この胸は偽物じゃない。本物だと俺に感じさせた。
「…う…嘘だよな? こんなの無い!」
俺はブラジャーの上からもう一度胸を触った。すると…膨らみが…乳房が…ある?
「こ、ここまでよくやるし、これ…よ、良く出来てるな?」
今度はゆっくりと胸を揉んでみた。
ぷに……ぷにゅ…っと弾力のある感覚が俺の手に、そして体から直接脳へと伝達される。
「いやいや…マジかよ…」
「だから言ってるでしょ? 貴方は綾香さんなの。本当の女性なのよ。その貧祖な胸も本物よ」
「し、信じれらるか! 今の現世にこんな事があるはずない! そ、そうだ! これはシリコンか何かだろ! だから貧祖なんだ」
文句を言いながらも、俺は、本当はマジで女になったって解っていた。
身長も体重も髪の長さも声まで変えるなんて、いくら特殊メイクでも無理だ…
だけど、俺は信じたくなかったんだ。俺が女に、綾香になったって信じたくなかったんだよ。今だって信じたくないんだよ。
「そ、そうだ! 男には男だと証明できるものがあるんだよ!」
俺にとっての最後の砦。男にとってもこれは最後の砦。
俺はスカートのホックを外して、自分の股間に手を突っ込んだ。が…
スカスカ…
「……」
スカスカスカスカ…
無かった。そう、やっぱり無かった。完璧に無かった。ペタンこだった。
「どうしたの? 顔が真っ赤だけど?」
ゆっくりと顔を北本先生に向ける。
「だから言ったでしょ? 貴方は姫宮綾香になったの。女の子になったのよ
? だからついてるはずないでしょ?」
言葉が出ない変わりに体が震えだした。
そして、俺はついに認めた。脳内で自分で女だと完全に認めてしまった。
俺の中に存在していた反抗勢力も淘汰されてしまった。
事実だと認めた瞬間、額からは汗が吹き出し、顔が熱くなった。そして、両手までもが震え出す。
「いや…うっ…ぐぅ」
「まだ信じてないの? なんて事は無いよね? 貴方は本当は最初から解っていたんでしょ? 保健室のベットで目覚めた時から違和感があったんでしょ? 私だって変態しているとすごい違和感がある。自分の体じゃないって解る。そう…貴方は最初から女になったって自覚していたはずよ」
「…………そんなの…信じたくねぇだろ…」
「でも現実よ」
「冗談…って今から言ってくれないのか?」
「……あのね? こんなの冗談で言えると思ってる?」
「……だよな……」
俺はこの後、一気に喪失感と目眩に襲われたのだった。
この残酷な現実を受け入れて…