033 特別実験室にて 前編
放課後
俺は鞄を持って、早速帰ろうと廊下に出ていた。
「綾香ちゃーん」
「んっ?」
振り返ると、そこには絵理沙の姿があった。
珍しい。クラストップで帰宅する絵理沙が俺に何の用事だよ?
「何ですか? 絵理沙さん」
心で絵理沙と呼び捨てな俺だが、流石に人前では呼び捨てにはしない。
絵理沙も俺を綾香ちゃんと呼んでいた。人目がつかない場所だと悟君と呼ぶ事もあるが。
そして、学校内では絵理沙とは普通の友人レベルの付き合いをしている。ように見せている。
「綾香ちゃん、ちょっと時間あるかな? あるよね!」
絵理沙は躊躇もなく俺の手を取った。
「え!? 何だよ!?」
俺は絵理沙に手を引っ張られ半分強引に移動させられる。移動するコースから、向かっている場所がわかった。
「おい、まさかお前……」
「特別実験室で話があって…」
「特別実験室には野木がいるんじゃないのか?」
「いるわよ?」
即答かよ……野木か……
「うーん……」
「取りあえず来て」
俺は強引に特別実験室に連れていかれた。
特別実験室。よく考えればこの教室に入るのは実に久しぶりだ。
正直に言うとここにはあまり入りたくはない。俺にとって良い思い出は無いからな。
でも今回は仕方ないと思っている。中に野木がいるのならこの前の妹の件のお礼をまだしてないからだ。だから入ってやると決めた。
そんなこんなで絵理沙と俺は周囲の一般生徒を気にしつつ、見られないように中に入った。
特別実験室は相変わらずで、暗幕が窓にはかけられ、廊下との光量の差に目を細めてしまった。
天井の蛍光灯は怪しく白く光り、太陽光はまったく差し込んでいない部屋。
何とも言えない薬品の匂いが微量だが漂っている。
そんな中に笑顔の馬鹿がいた。いやこれでも先生か?
「お! 綾香君じゃないか! なんだい? 僕に逢いに来たのかい?」
野木は窓際にある先生用の机に居た。
「何で俺がお前に逢いにくるんだよ?」
「冷たいなぁ……僕は何時でも君をここで待っていると言うのに」
「待つな! 待たなくていい!」
「待っては駄目なのかい? じゃあこうしよう! 君にここの部屋を使う権利をあげよう」
「いや、いらない……」
野木は椅子に腰掛けたまま、すごく残念そうな表情で俺を見た。
仕方ないだろ? 何もないのに野木に逢いにくるとか、ましてやこの部屋に用事も無いのに来るとか、まったくもって恐ろしいだけだ。
あ、そうだ。でも、妹の件はお礼を言っておかないとな。
俺はそれでも野木に寄るのは緊張する。思わず自分の胸を見てしまう。
「大丈夫よ? 触らせないわ」
絵理沙は俺の考えを読んだようにそう言うと、俺のななめ前に立った。
「どうしたんだい綾香君。僕に何か言う事でもあるのかい?」
野木は笑顔でそう言うとゆっくりと立ちあがった。
「ああ……ある。あれだ……野木、この前の妹の件だけど、ありがとう。本当にうれしかった」
野木は小さく頷いた。
「ああ、あれね。あれはお礼を言われるまでの事じゃない」
「でも、あれってお前の自前なんだろ? すっごく高いらしいじゃないか…」
「高いよ? でも、絵理沙が君を妹の綾香君と間違って生き返らせてしまった訳だし、そうなると、今の君の妹。これは本物の方だ。その妹さんが生きているかは知っておく必要があった訳だ」
「そうなのか?」
「ああ、僕はその必要があると判断した」
「でも、自前だろ?」
「気にしなくていい。僕らは君に迷惑をかけている。だからこれは慰謝料だと思ってくれ」
野木は話しながら俺に近寄って来た。
「でも、どうしてもと言うなら……」
俺は野木の視線が胸にきている事に気が付いた。そして咄嗟に両手で両胸を隠した。
「俺の胸の成長記録とか……ないからな?」
「えっ? 駄目なのかい?」
「駄目に決まってるだろうが!」
俺が文句を言う中で、横では絵理沙がこぶしを握り締めている。
何と言う戦闘態勢……
「でもあれだね……相変わらず胸は成長してないようだね? それと、どうしたんだい? 両手で胸を隠す仕草が、恥じらう女の子じゃないか。もしかして、君は女の子になりたかったのかい?」
俺は思わず胸を押さえていた腕を外した。
「ば、馬鹿か! 俺は男だ! 誰が女になりたんだ! 男に戻りたいんだ!」
俺が野木に向かって怒鳴っていると、絵理沙はゆっくりと野木の目の前に出る。
「お・に・い・ちゃ・ん?」
低い声で絵理沙は野木をお兄ちゃんと呼んだ。そして、右拳を震わせている。
俺から絵理沙の表情は伺えないが、野木はいきなり引きつり、一歩後ろに後退した。
「す……すべて冗談に決まっているじゃないか。ぼ、僕が生徒の胸を揉むとか、成長記録をつけるとか……あるはずない」
揉まれたし、成長記録も取られそうになっただろうが……
「前にも言ったよね? 変な事はしないでねって。じゃないとわかってるわよね?」
「わ、わかってる……」
野木は怯えるように部屋の隅へと下がって行った。
そして、隅に置いてあった骸骨の標本にぶつかると、その標本が野木の横に倒れる。
「ひゃぁぁあ!」
甲高い声で悲鳴を上げて野木は固まった。
流石にこの怯え方は尋常じゃない。何でこんなに絵理沙に弱いんだ?
でも、これでしばらくは大人しくなるのか?
俺は特別実験室を見渡す。
中央には応接セット。奥には先生の机。それも校長が座るレベルの。何でそんなにいいもんなんだ?
そして壁には沢山の薬とかが入った棚が並んでいる。
ちなみに横は畳み二枚分くらいで、奥行きが畳み四枚くらいかな?
広くはない部屋だ。
「あ、そうだ。絵理沙、ここで話があるんじゃなかったのか?」
すっかり忘れていた。特別実験室に来た理由を。
「ああ、話ね。そうね……綾香ちゃん、ソファーに座ろうか」
俺は実験室の中央にあるソファーに座った。
そして、絵理沙は……俺の目の前に座った。
思わず俺は自分の横を見る。前に絵理沙のマンションに行った時の事を思い出す。
しかし、絵理沙は正面に座った……
「どうしたの?」
「い、いや……何でもない」
何だこれ? 俺、もしかして、絵理沙が横に座るのを期待していたのか!?




