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ぷれしす  作者: みずきなな
九月
31/173

031 清水大二郎の決意

 絵理沙のマンションの玄関をくぐると、そこは雪国だった。なんて訳ない。

 俺は気が付くと書庫にいた。振り返るとそこには灰色の汚れた掃除道具入れが佇んでいる。

 書庫は相変わらず、埃っぽく、薄暗い。

 そんな書庫の中を俺は移動を始めた。

 暗闇の中、入口の方から差し込む僅かな光を頼りにゆっくりと進む。

 部屋自体は俺達の使っている教室と大差は無い広さなので迷うという事はない。ただ、暗くて、金属製の棚が所狭しと置かれているので、それにぶつかる可能性はある。


「しかし暗いな…」


 俺は暗闇に慣れない目を、懸命に細めながらゆっくりと進んだ。


《ガタン…》

「へっ!」


 物音がした。それも入口付近から。

 俺はその場に制止して入口の様子をうかがう。しかし、誰も入っては来ない。そしてそのまま二分が経過した。


「何だったんだ?」


 その数分で少し慣れた目に今度は確実に進めるようになっていた。

 俺は入口のドアの前まで来てふと後ろを振り返る。この位置からではあの掃除道具入れは見えない。


 ここで俺はとあるCMを思いだした。

 玄関出たら二分でごはん…

 なんて思うと同時に絵理沙があの掃除道具入れから出てくる姿を想像する。

 これこそ玄関でたら二分で教室じゃないのか?

 ギャグじゃない。本気でそう考えた。

 この近さに若干だが羨ましいと思ってしまった。


 俺は再び入口の方を向くと、そのドアにゆっくりと手を掛ける。そして横に引いてドアを開けると、そのまま躊躇なく飛び出した。


「うわぁ!」


 いきなり太い男子の声が耳に入ったと思った瞬間。俺の視界がぐるんぐるんと目まぐるしく廻ったかと思うと、そのまま受け身も取れずに自分の体が倒れるのがわかる。


「えっ?」


 俺の頬に冷たい床の感触が伝わったのは数秒後だった。

 気が付くと、俺の視界は横になっていた。いや、実際には俺が横になっていた。

 そう、俺は誰かの突進を受けて吹き飛ばされた上に、廊下に転がったのだ。同時に体に痛みが走る。

 ぶつかった右半身と、倒れた時に廊下にぶつけた左手足などに痛みが走った。


「痛い…」

「ひ、姫宮綾香!? 大丈夫か!?」


 慌てる声に俺はハッとする。同時に顔を声の方向へと向けた。


「姫宮綾香が何でここに?」


 俺の前に駆け寄ったのは大二郎だった。イコール、ぶつかったのは大二郎だった。


「だ、大二郎?」

「そうだ! って…俺の事を名前で?」


 わなわなと震える大二郎。何故か顔は真っ赤だ。というか…しまった!


「す、すみません! 清水先輩でした!?」


 間違って素で大二郎とか呼んでしまった!

 しかし、大二郎はそんな事を気にするよりも違う方を気にしているみたいに見える。

 大二郎の視線がどう見ても俺の下半身に向けられている。そして大二郎の視線の先の状態が、スースーする感覚でなんとなくわかった。

 一応は視線を向けると…やっぱりスカートが捲れてた。


「うぐっぅぅ!」


 俺は唸りながら慌ててスカートを直す。そして上体を起こして、ちょうど女の子座りのような状態にした。

 大二郎は真っ赤な顔でやっちまった感いっぱいに立ちすくしている。


「す、すまん…まさか姫宮綾香…み、見るつもりは…」


 ぶつかった事の謝罪よりも、俺の下着を見た事の方が重大事故だったらしい。


「清水先輩のエッチ! すけべ! 見ないで下さい!」


 大二郎の表情を見ていて思わずそんな事を言ってしまった俺。

 いや、この反応は女みたいじゃないか? でも今は綾香だし…いいのか?

 すると、


「み、見てない! 俺は何も見てないぞ!」


 なんて言いながら両手を俺に向けて振る大二郎。と言うか、さっき「見るつもりは…」とか言ってたのを忘れたのかこいつ?


 ぶつかったのも、スカートが捲れたのも偶然だ。大二郎が悪い訳じゃない。でも…こういう誤魔化す態度は俺は嫌いだ。こうなったら…大二郎に目にものを見せてやる!

 俺は廊下に誰もいないのを確認してから大二郎に向かって言った。


「せ、先輩…私の今日の下着の色って似合ってると思いますか?」


 普通の女子ならこんな事は聞かないだろう。だが、今回はお前の為に特別に聞いてやる。言葉の罠を仕掛けてみてやるよ!

 すると大二郎は俺の下半身に視線を落とすし、そのまま俺の顔にまで視線をあげる。

 大二郎にじっと見られて俺は思わず視線をはずしてしまった。

 いや、男に見詰められるとかない! そういう事だ!


「お、おお…俺は…ピンクは清潔感もあって似合ってると思うぞ」


 素直に感想を言う大二郎。

 ちなみに、今日はブラと同じで下もピンクだ。よって大二郎のピンクという言葉は正解だ。というかさ、ここまではっきりとトラップを踏む抜く奴も珍しよな。


 俺は大二郎の顔を見上げた。

 顔が真っ赤だ。大二郎はマジで女性に対する抵抗値はないんだろうな。こいつ、いつか絶対に悪い女に騙される人生を歩むだろ? こいつの先行きがちょっと不安になった。

 だが大丈夫だ。今日、ここでお前に女性抵抗値を上げてやるからな!


「何で私がピンクの下着をつけてるって知っているのですか?」


 つくり笑顔でストレートに聞いてやった。すると大二郎の慌てようったらすさまじかった。


「すすすすすすすすっすすすすすすすすすす…すまん!」


 そして、すが多すぎだ。


「やっぱり見たんじゃないですか」

「本当にすまんっ!」


 大二郎は今度は廊下にいきなり正座した。そして土下座。まさかの土下座。流石の俺もその行動には驚いた。


「ちょ、ちょっと待って下さい! そんなに謝らなくても良いと言うか、見えたなら見えたと言ってくれればよかっただけで……やめてください!」


 大二郎はゆっくりと顔を上げた。しかし、この世の終わりのような表情で今にも泣きそうになっている。こんな大二郎の情けない姿は初めて見た。


 俺はスカートに付いた埃をはたいて立ち上がった。


「もういいです。清水先輩、ああいう状況になっても見ちゃだめですからね? あと、恥ずかしがらすに見えてるなら見えてると言ってください」


 大二郎は正座したまま頭を垂れた。


「す、すまん…以後は気をつける」


 しかし、身長142センチの高校1年女子が、180センチもある高校3年男子を廊下に正座させている図。これって傍から見るとおかしいよな?


「立ってください。これじゃあ、私が先輩を正座させてるみたいじゃないですか!」


 そう言うと大二郎は慌てて立ちあがった。

 すーっと目の前に巨大な男がそそり立つ。でかい。やっぱりでかい。俺は思わず大二郎を見上げてしまった。


「本当にすまん…姫宮綾香」

「…で、清水先輩はここで何をしてたんですか?」


 俺はふと沸いた疑問を投げかけてみた。

 本当ならここには一般生徒は来ないはずだ。なのに大二郎がここにいるのは不思議だからだ。

 教室まで行ったら俺がいなくて、ここまで俺を追ってきた。なんて考えづらいし…何でここにいるんだ?


「あ、俺は…今日は武道館が剣道の試合でつかえねーから。ここで自主トレしてたんだけど?」


 あの大二郎が自主トレ!? 何年も聞いていない言葉に俺は驚いた。


「こ、こんな所で自主トレですか!?」

「ああ、ここは人がいねーしな。少々走っても先公にもばれないし、丁度いいんだ」


 なるほど…普通はここに先生や生徒がいるなんて無いからな。走っても怒られない。

 前にここでバスケットボールを使ってボーリングをやったのを思いだした。


「そうなんですか、それじゃ私は行きますね」


 という事で、聞きたい事を聞いたので撤退しよう。


「ちょっと待て! 姫宮綾香!」


 俺が歩き出そうとすると、大二郎が慌てた様子で俺の前に回り込む。お前はドラクエの敵か?


「何ですか? 私はあまり時間が何ですが?」


 俺はお前とあんまり話したくないんだよ。色々あるからな。


「俺からも聞いていいか? 姫宮綾香はここで何をしてたんだ? 書庫の中から出てくるなんて…」


 俺は思わず書庫のドアを振り向く。ドアは開いたままになっていた。どう見てもそこから出て来たのがわかる状態だ。


「べ、別に何もしてないですよ? ちょっと荷物を置きに来ただけです。という事でもういいですか?」


 そう言いながら俺はドアを閉じた。

 冷静を装ったが、実際は心臓がすさまじい全力運転をしている。

 ここで中から絵理沙とか出て来たら最悪だ。早くここを離れないと…そういう気持ちが頭を駆け巡る。


「あ、あと一つだけだいいか?」

「は、はい? な、何ですか!?」


 何だよマジで! もう俺をこの場所から解き放ってくれぇぇ!


「お、俺は絶対に…絶対にお前に…姫宮綾香に相応しい男になるからな! 頑張って練習して十月の大会で優勝してやるからな! い…言いたいのはそれだけだ…引き留めてすまん…」

「………」


 その一言で思いだした。そうだった…俺は大二郎が秋期大会に優勝したら…デートを?

 脳内で腕を組んであるく大二郎と俺の姿が浮かぶ。

 いやぁぁぁぁ! いや、いやいや、俺は綾香だけど綾香じゃないし、大二郎とデートとか想像できないし!(してるじゃないか)

 そうか、ここで大二郎にあれは嘘だって伝えればいいのか?


 しかし、俺は大二郎の真面目な表情を見て、そんな事は言えなくなった。

 今の大二郎にアレは嘘でした。なんて言えない。それじゃあ俺も茜ちゃんも単なる嘘つきになる。そうなれば、本当の綾香も嘘つきっていう事にされる。

 やっぱり言えない。


「……………」


 俺は俯き、そして無言で大二郎の横を過ぎて階段の方向へと歩いた。

 何も言えずに、大二郎の顔も見ずに、ただゆっくりと階段の方へと歩いた。

 すると、背中越しに大二郎の声が聞こえてきた。


「姫宮綾香! 俺、本気だからな! 本気でお前が好きなんだ!」


 思わず顔に血が上がるのを感じる。顔が、全身が熱くなる。

 くそ恥ずかしい。馬鹿大二郎に言われたのにすっげー恥ずかしい。


 俺は思わず振り返った。文句を言おうと振り返った。

 すると、大二郎は既に一番突き当たりで腕立てを始めていた。

「ほっ! ほっ」っとこちらを振り向く様子もなく腕立てをする大二郎。そんな大二郎を見て「そんな事を言うな! はずかしい!」と言おうとした自分が嫌になった。

 俺は結構あいつとの付き合いも長い。でも、あいつがこんなに一生懸命に物事に取り組んでる姿を見た事がない。女を好きになったって聞いた事も無い。

 あいつは…大二郎は…それほどまでに綾香が好きなのか?


 俺は気が付くと廊下の床を見ていた。

 とてもじゃないけど、大二郎を見ていられなくなっていた。


 いや…違うだろ? 違うんだよ…あいつが本当に好きなのは妹の綾香じゃないんだ。


 ぐっと胸を右手で押さえる。こみ上げる痛みを押さえ込む。


 あいつが恋をしたのは俺だ…綾香の格好をしている俺なんだよ。


 ゆっくりと顔を上げると、大二郎は汗にまみれていた。


 でも…ごめん。俺は大二郎の期待には添えないんだよ。俺は男だから…


 俺は懸命にトレーニングをしている大二郎をしばらく見ていた。

 がんばってる大二郎、真剣な顔をしてる大二郎は結構いい男だった。

 俺は思った。あのままがんばればきっと大二郎にも彼女が出来るだろう。それはきっと俺じゃない。だけど…


「おい! 清水大二郎!」


 気が付くと無意識に声を掛けていた。

 腕立てをしていた大二郎は、俺の声に反応して腕立てをやめてこちらを見る。


「姫宮綾香? まだそこに?」


 驚く大二郎。そんな大二郎に俺は…


「大会、がんばれよ!」


 そう言ってしまった。そして大二郎は笑みを浮かべる。


「もちろん! そんなの当たり前だろ!」


 俺は大二郎の力の篭もった声を聞いた瞬間、我に返った。


 な、何で俺は大二郎の応援をしてんだよ? いや、応援はいいけど、この姿で応援はやばいだろ!?


 俺は大二郎から視線を外すと、急いで階段を下りた。階段を駆け下りながらも顔が熱い。


 俺は男として大二郎を応援するつもりで言った。だけど、俺は綾香なんだぞ? そうだよ、さっきそうだって思ったばっかだろうが!

 馬鹿だ俺は! これで大二郎が優勝したらどうするんだよ!?


 この瞬間、俺は巨大な不発弾を巨大な核兵器へと変化させてしまったと自覚した。


 俺は深い溜息をつきながら教室へ入った。

 もう既に教室には誰もいない。真理子ちゃんの鞄も茜ちゃんの鞄も佳奈ちゃんの鞄もない。ただ整頓された机の並ぶ教室。

 そんな教室を後にして、俺は廊下を下駄箱に向かって歩いた。

 窓から見えるのはさっきまで居た第二校舎。でも、大二郎の姿なんて見えない。見えるはずがない。


 あーあ…大二郎に向かってなんて事を言っちまったんだ…まったく。


 俺は自分に呆れた。あまりの馬鹿さ加減に。

 でも…なぜか嫌な気分じゃなかった。

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