028 生命の灯火 後編
絵理沙が黙ってしまってからしばらく時間が経過した。
居心地の悪いリビングで俺は緊張しながら絵理沙の復活を待つ。
ここで変に言葉をかけて、また絵理沙が泣きそうになったら困る。だから俺は絵理沙の復活を待った。
それからしばらく経って絵理沙は顔を上げた。
「ごめんね…呼び出したのに何してんだろね、私…」
そして、そう言うとまた溜息をついた。
「いや、別に気にしてないから」
「そうなんだ…」
「………」
「ねぇ悟君…」
「何だよ?」
絵理沙は俺の方を見るとニコリと微笑んだ。
「悟君って優しいわね…」
「へっ? 俺が?」
「そうよ。あと、友達になってくれてありがとう…」
俺は絵理沙の柔らかい笑みを見ていられなくなって、思わず視線をはずしてしまった。
心臓は相変わらず全力運転で、また顔も手も体も熱くなる。
今日の俺はちょっとおかしい。
「別に…同じクラスだし…な…」
「そうだね」
「で…そ、その水晶は…何に使うんだよ?」
俺はこのなんとも言えない状況を打開したくて、思わず水晶のネタを振る。すると、絵理沙もハッとした表情で水晶を見た。
「そうだったね。ちょと待ってね…」
絵理沙はそう言うと、左手の甲で両目を拭うと、斜め上に顔を上げて何度も深呼吸をした。
気持ちを落ち着かせているみたいだ。
そして、絵理沙は今度は斜め下に顔を向けると、深く息を吐いた。
「ふぅーーーー…」
「絵理沙? 大丈夫か?」
「うん。大丈夫…落ち着いたわ」
「………」
絵理沙は何かを吹っ切ったように笑顔をつくり俺に方を見た。
「はいはい! じゃあ説明するね!」
そして、さっきまでのしょんぼり具合が嘘みたいに元気になった。というか…これは空元気って奴なのか? 変わりすぎだろ!?
「実はこの水晶の中のちょうど中央付近に、僅かな灯火が見えるのがわかるかな?」
俺は絵理沙の顔をチラリと見た後に水晶玉を覗き込んだ。
なるほど…中心にすごく小さくいが、蝋燭の火のようなものがあるのが見える。
「あの小さいオレンジ色の…蝋燭の火みたいなのがそれか?」
それにしてもマジで人格が変わったようなこの態度…
女ってやっぱわかんねぇ…
「そう、このオレンジ色の火…その火がね…」
いきなり絵理沙が言葉に詰まってしまった。
俺が絵理沙の顔を見ると、絵理沙は唇を噛んで深く息を吐いた。そして唾を一度のむと唇を動かす。
「これは生命の灯火って言うの…」
絵理沙は、先ほどまでのハイテンションとは打ってかわり、ゆっくりと言葉を綴った。
「生命の灯火?」
「うん…そうだよ…」
「えっと? それってどういう意味だよ?」
絵理沙はもう一度息を吐いた。何か先ほどとは別の意味で緊張している様子だ。
「これは…悟君の妹…本物の綾香ちゃんの生命の灯火なの…」
「えっ? それってどういう意味だよ?」
俺も別の意味で心臓が飛び跳ねた。
「この火が…このオレンジの火が灯っているという事は、綾香ちゃんは生きているって事なの」
「あ、綾香は生きてるだって?」
絵理沙は頷いた。
「そうよ。生きているわ」
「綾香が…生きてる…」
「悟君、どうしてそう言えるのかを説明したいから、この魔法の仕組みを説明させてもらっていいかな?」
「あ、ああ…」
俺は再び水晶を見た。オレンジ色の炎が小さく揺れる水晶。
そして、絵理沙は言った。綾香は生きているって…
でも何でだろう。嬉しいのに俺は動揺してる。まだ信じられない俺がいるのか?
「この水晶はあいつの魔法で動いてるの」
「あいつって野木か?」
「そうよ、あいつ」
この水晶は野木の魔法で動いているのか。
俺はこことふと疑問に思った。何でだろう? 何で絵理沙は野木を滅多にお兄ちゃんと言わないんだろう? いつもあいつとか呼び捨てだし。二人はそんなに仲が悪いのか?
絵理沙は水晶の説明を続ける。
「この水晶玉に生命力を調べたいその対象となる人物の一部を入れるの。そうすればその人物の生命力と今の状態を判断する事が出来るの」
まぁ、いいか…それより、今は説明をちゃんと聞く事だな。
「対象の人物の一部を入れるってどういう意味だ?」
「ああ、最後まで話を聞いてから質問をして貰えるかな?」
「あっ…ごめん」
絵理沙は説明を続ける。
「但し、この魔法の効果は限定的で、調べられる期間は媒介を入れてから連続で約30日程度。あまりにも水晶から対象となる人物の距離が離れているとダメなの。ちなみにここは埼玉県という場所でほぼ日本の中心になるわ。ここからだと一応は日本国内全土なら調べられる計算になるの」
俺は絵理沙が一息をついた。
「終わり?」
「うん…終わりよ」
俺は終わりを確認すると、早速質問をする。
「じゃあ、質問だ。一部って、綾香の体の部位の一部って事か?」
「そう」
「そうか。でもそんな物をどこで手に入れたんだ?」
「手に入れたのは前に悟君の部屋に遊びに行った時ね」
ふと思いだした。こいつらがいきなり俺の家に来たあの日を。
「あの時!?」
「そう」
「じゃあ…お前らの本当の目的って…」
「そうよ。あの日に綾香ちゃんの髪の毛を採取しに行ったの。それであいつは部屋にあった髪の毛を集めたわ。いくつか悟君のも混じってたけど、それはたぶんあいつが今も大事に持ってると思うわ」
「俺のも…そんなの捨てろと言っておいてくれ」
「解ったわ」
「宜しく」
「ええ…絶対に捨てさせるわね!」
しかし、綾香の髪の毛が欲しいのなら俺に言えばいいのに何故言わないんだ?
「ねぇ、今、綾香の髪が欲しいなら何で俺に言わなかったんだ? とか思ったでしょ?」
「えっ!?」
これで心を読んでないだと?
もし、こいつを彼女にすると、隠し事が出来なさそうで怖いだろ。
「思った…けど?」
「だよね? だと思った」
「じゃあ教えろ。何で言わなかったんだよ?」
「いいわよ? こっそり取って来た理由はまだ内緒にしたかったから」
「内緒?」
「うん…」
絵理沙は体育座りを崩し、そっと水晶に触れた。
「私たちがこの水晶玉の話を悟君にしたら、悟君はきっと期待するでしょ? それで結果的に水晶玉に綾香ちゃんの生命の灯火が現れなかったら…私たちは悟君にどう伝えればいいかわからなくなる」
「ああ…なるほど…」
「だから…内緒にしたかったの。結果が出るまでね。まぁ、ああいう突撃訪問みたいな事をしたのは申し訳なかったと思うわ…」
「…まぁ…あれはなぁ…」
「悟君…本当に色々とごめんなさい」
絵理沙が本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
それも深く、長く。
深く頭を垂れる絵理沙。
そんな絵理沙を見て俺は昔の北本先生を思い出していた。
何を言っているか理解不明な謎の先生【北本絵里】
すこし傲慢で上から目線で、男子生徒を寄せ付けないオーラを放っていた謎の女教師。
それは魔法使いとして、人間とは関わりあわないという意味だったのかもしれない。
だけど絵理沙は変わった気がする。
変身して北本絵里だった時と今は全然違う。今は素の自分を表現して、そして素直になった。
感情も豊かになったし、俺を、間違って殺したという負の感情があるのに、こうして普通に接してくれる。
俺も始業式から少しの間は絵理沙と一緒にいるのは抵抗があったけど、こいつが普通に声を掛けてくれているうちに、そんな抵抗はなくなっていた。
絵理沙は本気で俺に申し訳ないと思っているんだ。
「いいよ。謝るなよ。もう頭をあげろよ」
ゆっくりと頭を上げる絵理沙。その表情は重い。
「そっか。一応は俺に気をつかってくれたんだな。野木も」
俺にこの水晶の事を話すと、俺が期待する。まさにその通りだったと思う。だからこそ、こいつも野木も俺に気をつかって…
脳裏に浮かぶのは始業式の野木の不法侵入。
あんな突撃訪問しやがって…せめて行くよくらい言えば…
言ってもダメだって言うよな? 俺…って事は…あれは正当な行為?
俺はなんとも言えない感覚に襲われてしまった。
「悟君」
瞼を閉じて考えこんでいる俺に絵理沙が声をかける。
瞼を開いて絵理沙を見ると、絵理沙は無意味に天井を見上げながらつぶやいた。
「擁護するつもりはないけど…あいつだって…貴方に気はつかってるのよ? 一応はあいつは………」
擁護してるじゃないか。なんて思いつつも、二人は兄妹なんだから当たり前なのかなと納得する。
兄を庇う妹なんて普通だろ。俺だってそうだ。妹になにかあれば庇う。
しかし、絵理沙の最後の言葉は声が小さくって聞こえなかったな。
「あいつは何だ? 最後の言葉がよく聞こえなかったんだけど…」
気になったから聞いた。
「え、いや、き、気にしない方がいいと思うよ?」
すると絵理沙は焦ったように苦笑した。
何だこの反応は?
「そう言われたら気になるのが人間だろ?」
絵理沙は苦笑したまま視線を泳がせた。
何だ何だ?
「え、えっと…いや、あいつも気を使える人間だって事よ? それだけ」
苦笑している絵理沙がますます怪しい。
「なんだよ? 本当にそれだけか? 何か隠してないか?」
「か、隠すとか? 無いわよ!」
「本当にか?」
「だ、だからあいつの事なんてどうでもいいでしょ? 悟君はあいつが好きなの?」
「へっ? 何でそうなるんだよ! 100% いや120%ない!」
何か訳のわからない言い合いになって来た。
「じゃあ、もういいでしょ? あいつの事なんて」
まぁ、その通りなんだけど。
「わかった。了解。野木の話題でお前と言い合っても、俺には何のプラスにもならないからな」
「でしょ? でしょ? だよね? うん…」
絵理沙は安心したのか「ほっ」と息をついた。
「でね…話は戻るけど、この水晶に反応があったから、私があいつの代わりに悟君に説明をしたって事なの」
「なるほど。でも何で自宅で説明なんだ? 特別実験室じゃ駄目なのか?」
絵理沙は首を振る。
「駄目なの。この水晶玉は学校に持っていけないの。だからここに来てもらった訳」
「なるほどな…」
持って行けない理由はわからないけど。
「それでね…」
じっと俺の瞳を見る絵理沙。
「結論をハッキリと言うわ。そう、綾香ちゃんは生きているわ」
そう言った絵理沙がやけに優しい笑みを浮かべていた。
「そうか…綾香が生きてる…のか…」
水晶にはオレンジ色の炎が揺らいでいる。
それは綾香が生きている証拠。魔法で調べてくれた結果。
俺の中にだんだんと実感というものが沸いてくる。
さっきまでは疑念があったから素直に喜べなかったのか、今は急に胸が熱くなり、何かがこみ上げてきた。




