027 生命の灯火 中編
あの馬鹿野木に人の心を読める能力があるだと?
俺の背筋にぞっとしたものが走った。
じょ、冗談じゃない! っていうか…もしかして…
俺の心には「ガハハ」と笑う野木が現れる。
あ、あいつ…俺の側にいた時、もしかして俺の考えを読んでいたのか?
やばい…弱みを握られて「胸の成長記録をつけさせてくれるよね?」なんて言われたら…俺はどうすればいいんだっ!
俺がそんな風に思っていると、絵理沙は今度は野木を擁護するような台詞を吐いてきた。
「何かすごい深刻な顔をしているみたいだけど、きっと大丈夫だよ? あいつは人の心を読むのを良しとしていないし、その魔法は自分の魔法力で通常は封印しているし、だから悪用なんてしないと思うよ?」
笑顔でそう言うが、俺の不安は拭えない。だって俺はあいつに胸を触られたんだからな!
「いや、あの存在が悪なんだよ! わかんねぇのか? それにあいつ、妙に俺に興味あるじゃないか。特に…」
俺は視線を下げた。そして僅かに膨らんでいる胸部を見る。
「む…胸とか…」
絵理沙は苦笑した。
「まぁ…そうね。私も何で悟君にあんなにちょっかいを出すのか、ちょっと不思議なくらいだわ」
「そりゃ、変態だからに決まってるだろ?」
「うーん…あっちだとまともだったんだけどね?」
「あっち? 魔法世界の事か?」
「うん…そう」
「嘘だ…あいつがまともなんてありえない!」
「うーん…私はあいつが好きじゃないけど…嘘は言わないわ…あいつはあっちじゃまともだった」
「くっ……まぁ…どうあれ、今の俺にとっては天敵だ。それは変わらない」
実の妹の前で天敵と言いきった俺。流石すぎるだろ。
絵理沙はそれに対しては肯定も否定もせずに小さく溜息をついた。
「何だよ? まだあいつの擁護でもしたいのか?」
「ううん、違うわ」
「だったら何だよ?」
「別に何でもない。で、えっと、そろそろ話を戻すけど、ここに入れるのは私と悟君とあいつだけなの」
絵理沙はいきなり話題を切り替えてきた。
まぁ俺としても続けたい話じゃなかったからいいんだけど…ちょっとさっきの反応は気になったな。
「ねぇ聞いてる?」
「あ、ああ…えっと? じゃあ何だ? 俺と絵理沙と野木があそこ(書庫)からここに入れるのか?」
まぁいっか…深く考えるのはよそう。
「そうだよ…でさ…唐突なんだけど…」
「ん?」
絵理沙はちょっと照れくさそうにフローリングの床を見る。
「な、何で…私は名前で呼び捨てなのかなぁ?」
マジで唐突だった。というか、そんなの気にした事すらなかった。
そうか、そうだよった! こいつ女子なんだ! そして、俺は男だ!
なるほど、女子が男子にいきなり呼び捨てにされるとか、違和感があるって事なのか? それとも単に言われ慣れていないだけのか?
「別に深い理由はないけど、あのエロ教師とお前って名字が同じじゃないか。あいつも野木だし、お前も野木だろ? お前を野木とか呼ぶと、俺的にはややこしいからさ」
「あ、ああ…なるほど」
絵理沙は顔をあげると、頬を紅く染めてうなづいた。
「だから、お前の事は絵理沙って無意識に呼んでたんだけど? もしかして、駄目だったか? それだったら…」
絵理沙は右手を顔の前で左右に振る。
「違うっ! 違うよ? 別にいいよ? 気にしてないし、ぜんぜんOKだし!」
「えっ? そうなのか? じゃあ…今まで通り絵理沙って呼んでいいんだよな?」
「うん! な、なんならフルネームで呼んでもいいわよ?」
フルネームだと!?
「……いや、それはいいや」
「そ、そうだよね~フルネームはないよね~」
何か悪いもので食べたのか? マジでそう思う程に絵理沙がおかしい。
「あ、ああ…ええと? 私ってどこまで話をしてたっけ?」
そして絵理沙は苦笑しつつも話題を逸らした?
しかし何だ? 話が脱線しすぎて、どこまで話をしたの解らなくなったらのか? というか、お前が脱線させたんだろうが…まったく。
「あれだろ。俺と絵理沙と野木がここに書庫から転送可能ってとこ」
「あっ、そうだ! そうだったわ! で、あとは…ええと…それから…」
「ここに俺を呼んだ理由の説明だろ?」
絵理沙は柏手をパンと打った。
「そうっ! そうだったわ!」
こいつはもしかして物覚えが悪いのか?
「ええと…ここに悟君を呼んだ理由はね」
絵理沙は話ながら立ち上がると、テレビボードの引き出しの中から透明な水晶玉を取り出した。直径が10センチくらいの透明な水晶玉だ。
何で水晶? 占いでもしてくれるのか?
「言っておくけど、占いなんてしないわよ?」
心を読めないのにここまで俺の考えを読まれていると恐ろしい。
「で…その水晶玉で何をするんだ?」
「何をするって事はないよ。これを持っていたほうが説明しやすいから出しただけよ?」
「説明?」
「そう」
絵理沙は前のめりに水晶玉をテーブルの上に置く。すると、少し開いたジャージの首もとから胸の谷間が見えた。
肌色の窪みを見て跳ね上がる俺の心臓。
というか、なんで肌色しか見えないんだ?
そう、絵理沙の谷間の奥には…肌色しかなかった。
まさかノー? NO? あれをしてないのか? 下着ナッシング?
そ、そうか…こいつは今は部屋着だし、その可能性もなくはない。
だけど…いや…これ以上駄目だ! あんまりジロジロ見るのもまずい!
しかし俺の視線は…と思っていたら絵理沙は体を持ち上げた。
谷間よさようなら。
「ああっ…」
「何よ? どうしたのよ?」
しまった! 何を残念がってるんだよ俺は! 声まで出してぇぇ!
「いや、何でもない!」
「じゃあ、何で顔が真っ赤なの?」
うおっ! やっぱり真っ赤?
いや、しかし、お前の胸の谷間を見て興奮してました。なんて言えるはずない!
「いや、ちょ、ちょと暑いかなぁ?」
「そう? 私には丁度良いけど?」
「そ、そうかな?」
「まぁ…若干暑いのかな? 西日も差してるし…で、この水晶なんだけどね?」
絵理沙は結局は俺の顔の赤くなった原因を追及する事なく話を戻そうする。
よかった。追求されなくって。
なんて思っていると、絵理沙は再び俺の右横に座った。
「よいしょっと」
「ちょ! おい、ひっつきすぎだって」
「さっきと同じだよ? いいじゃん。女同士なんだし」
「おい! 俺は男だって!」
「でも今は女の子だよね?」
ああ言えばこう言われる。くそ…今度はこうだ!
俺はあまりの近さに左へと移動した。移動した俺を見た絵理沙が不満そうな表情で目を細める。
「何で逃げるのよ…」
そしてストレートに文句がきた。
「逃げてないだろ? 絵理沙が横に座ってちょっと狭かったから移動しただけだ」
「何よ? 私じゃ不満なの?」
「な、何がだよ」
「私に女性としての魅力が無いとでも言いたいの?」
「いや、どうしてそうなるんだ?」
俺はお前の彼氏でも何でも無いんだぞ?
「お前さ、別に俺を事を好きば訳じゃないんだろ? なのに言い方がオカシイだろ? って……おい?」
絵理沙が顔を赤くしたまま固まった。
……おいおい…まさか…お前…俺の事が?
な、ない! あるはずない! こいつは俺を殺した魔法使いなんだぞ?
しかし、俺の心臓は凄まじい鼓動を始めてしまった。絵理沙にまで聞こえそうな程にドキドキと脈を打つ。
顔が熱い。手が熱い。体が熱い。っていうか恥ずかしい!
「な、何を言ってるのよ? じ、自信過剰にも程があるわ! だいたい悟君は女の子の格好なのに好き? そ、それじゃあ、私がまるで百合みたいじゃないの! 私は… へ、へ…変態じゃないわ!」
「お、おい待て! いや、怒るな! あれだ、ごめん! 軽々しく好きなのかとか言った俺が悪かった!」
って、何でこの反応なんだよ? これじゃお前がツンデレみたいじゃないか。この怒りの後に「でも、本当は貴方が好きなの」とか言いそうな感じじゃないか!
俺が緊張しながら絵理沙を見ていると、いきなり怒りの表情は失せて沈んだ顔になってしまった。
絵理沙は俺から視線を外すとソファーの上で体育座りになる。
「私は…悟君と友達になりたいだけ…」
絵理沙は顔を寂しそうな表情で両膝に埋めた。
そうか、こいつは俺を殺した事に責任を感じてるんだ。
だからこそ、本当は俺に近寄るのも怖いのに、こうやって俺にあんな台詞を言わせるくらいに近くに寄ってきたのか。
今までの行動は俺に許して欲しいから。俺と友達になりたいからなのか。
でも……
俺はこいつをそう簡単には許せない。こいつは俺を殺した張本人なんだからな。
でも、なんでだろう。今はそんなに憎んではいない。
本当はもっと憎むべきかもしれないけど、こいつは本気で反省しているみたいで憎めない。
なら…絵理沙の希望に答えるべきか?
答える…べきだよな。俺は男なんだ。
「わかったよ。お前の友達になってやるよ」
「何よその言い方…上から目線で言わないでよ…」
前言撤回。こいつ可愛くねぇ。
「上から目線じゃねぇだろ! だいたい、俺はお前に殺されて大変な目にあって…る…ん…だ…って、おい」
絵理沙がまた固まった。そして俺を見る瞳が少し潤んでいる。
「そうよね? うん…私は…許して貰えるような事を…まだしてない…うん。解ってる。でも…うん…ごめんなさい。今の…私は………」
今にも泣き出しそうな絵理沙を見て俺の心臓がまた飛び跳ねた。
何だよこれ?
女って何なんだよ?
マジでよくわかんねぇし!
でも…
「泣くな! もう終わった事だろ? 確かに俺はお前を許してない。でも、俺は別にお前を憎んでない。だから泣くな。あまりの事の大きさに、そう簡単には許す気になれないんだよ。でも…本当にお前が嫌いならここには来てない。だから解るだろ? お前だって…な?」
そんな半端な台詞しか言えなかった。絵理沙は小さく頷いた。
「ごめん…私って嫌な女だよね…」
「いや…別に嫌じゃないって言ってるじゃないか」
「私が嫌だもん…」
深い溜息をつく絵理沙。
そんな絵理沙はそれからしばらく体育座りで黙っていた。




