024 べすとふれんど
放課後になった。
俺は慣れない勉強で凝った肩を左右交互にもみほぐしながら深く息を吐いた。
今日も長い一日だった。でも、良い事だってあった。
大二郎の朝の待ち伏せ行為は一応は終焉を迎えたし、まぁ爆弾を抱えたままだけど。それでも毎日待ち伏せされるようりは大分ましだ。そして、茜ちゃんや真理子ちゃんが俺を心配してくれてたってわかった。
今日は女になって一番いい日だった…ような気もする。
「姫宮さん、また明日ねー」
クラスメイトの子が俺に向かって挨拶をして帰って行く。
「またねー!」
俺は笑顔で挨拶を仕返した。ちなみに、最近はよくクラスメイトが挨拶をしてくれるようになった。
最初はすっごく恥ずかしかったけど、最近は挨拶もはずかしくなくなってきた。そして、挨拶って結構いいなぁっと実感してたりした。
挨拶されると心がほんわかと温かくなる。だから俺も積極的に挨拶はするようにしている。
「あーやーかー」
俺の心臓が飛び跳ねた。
考えごとをしている途中で背中に強烈な打撃を受けたから吃驚した。っていうか…この声は?
俺は振り返るとそこには佳奈ちゃんが立っていた。
「綾香、ブラがちょっと透けてるよ?」
唐突に背中のブラのラインに指をあてがってそういう佳奈ちゃん。
「えっ? あっと?」
何も言い返せない。というか、そう言われてどう対応すればいいのかなんて、男の俺にわかるはずもないだろうが!
「サマーセーターが暑いんならさ、キャミか何か着こんだ方がいいよ? 汗でブラウスが湿ると透けやすくなるし、わざわざ男子におかずを提供しなくてもいいと思うんだよね。あと、それも嫌ならせめて色物じゃないブラにした方がいいよ? ピンクは可愛いけどさ…」
俺は思わず『おかず』という言葉に反応した。
いや、高校一年の女子はそういう話題は知らないかと思ったけど…
「綾香、わかってるの? 綾香は結構男子に注目されてるんだよ? 本当に可愛いからさっ! だから駄目だって。こういうアピールすると余計に視線が集まるから。ねっ? なんなら今度一緒にキャミ買いにいこっか!」
佳奈ちゃんはそういう話題を結構知っているらしい。俺はそう思った。
でも、情報ありがとう。そうか、女になって気にしなかったけど、やっぱりそういうのって気にするべきなのか?
綾香の下着入れにそういえば謎の下着があったけど、あれがキャミか? とりあえず今日戻ったら確認してみよう。色物の下着はNGか。可愛いからいいかと思ってたんだけど。
あと、綾香が男子に注目されているのは兄だからこそ俺は知っている! 可愛いしっ!
…やっぱり俺ってシスコンか?
「ありがとう。うん、気をつけるね」
でも、あれ? なんで…
「佳奈ちゃんまだ帰らないの?」
普段はもうこの時間には消えているはずの佳奈ちゃんがまだいる。
「うん、だって今日は綾香と帰るんだもん!」
「え?」
今日は俺と帰る? 約束した記憶はないし? 何か用事でもあるのか?
「最近さ…綾香って一緒に帰ってくれないんだもん…」
いあ、ちょっと待って。俺が気がつくといつも佳奈ちゃんがいないんじゃないか。別に俺は避けてなんかないぞ?
「そ、そうだっけ?」
しかし、俺は本音は言えないヘタレだ。
「綾香、だから今日は一緒に帰れる? 帰れるよね?」
神に祈りを捧げるように、両手を胸の前で組む佳奈ちゃん。
その祈るような表情はやめてください!
俺は今日の予定を脳内検索した。が、特に何もない。
「えっと…うん。いいよ?」
だからOKしてみた。すると佳奈ちゃんはまるで花が咲くように笑顔になる。
ここまで嬉しそうになれると、ちょっと照れくさくなる。
「じゃあさ! 帰りにファーストフード店にいこうよ!」
そして、やっぱり寄り道するんだと…予想通りだけど。
「あ、うん、いいよ」
俺は珍しくも佳奈ちゃんと一緒に帰る事になった。
駐輪場まで一緒に行き、後はついて来てという佳奈ちゃんの後ろから自転車で追いかける。が…
自転車は紛れもなく、俺の家とは反対の方向へと進み始めた。
俺は今更ストップとも言えずに、何度も後ろを振り返りながら佳奈ちゃんの自転車について行った。
そして俺は家と逆方向の、かなり遠い場所のファーストフード店へやってきた。が、予想はしておくべきだった。俺達の住んでいるこの地域にはファーストフード店はほとんど無いのだからな。遠くなるのはあたりまえだった。
しかし、こんな所まで来てしまった…帰るのが大変だなぁ。
「ねえ! 綾香! 綾香は何が食べたい? 飲み物はどうする?」
さほど混んではいない某ハンバーガーチェーンの受付カウンターで、佳奈ちゃんはメニューを見ながら大きな声をあげている。
俺もメニューを見るが、お腹が減っていないのであまり重いものは食べたくない。
「アップルパイは? ソフトクリームとか? サラダもあるよ?」
何でハンバーガーチェーンに連れてきているのに、ハンバーガーの選択肢がないのか?
ちょっと不思議に思いつつもメニューを見ていると…
「じゃあポテトのLでいい? 飲物はコーラ好きだよね?」
なんて強制的に決定させられた。が、妹がコーラ好きだったのは俺も知っている。そして佳奈ちゃんも知っていたんだと、ちょっと感心した。
「うん、それでいいよ」
「OK! じゃあ注文は私にまかせておいて! 綾香は席の確保よろしく! クーポンを用意しなきゃ!」
混んでないのに席確保も何も無いだろうと思いながら佳奈ちゃんを見ていると…
「ほら! 綾香! 席! 席!」
そう良いながら俺を店の一番角の四人掛けのテーブル席へと佳奈ちゃんが押してゆく。
というか…確保もなにも、席も決定なんじゃないか…
佳奈ちゃんは鞄から携帯を取り出すと、何かを操作しながらレジへと歩いて戻った。
そして俺は言われるがままに席を確保しておく。
「おまたー! 鬼盛りポテチとこれでもかーコーラだよ!」
俺は佳奈ちゃんの持つトレイの上の物体に苦笑してしまった。
いや、そういう裏メニューがあるのは知っていたけど、マジで頼む人は初めてみた。
鬼盛りポテトはLサイズ×5はあろうという超でっかいポテト。これでもかコーラは1リットルある。
俺は確かポテトのLと普通のコーラ-を発注したはずなのに…
「か、佳奈ちゃん…ちょ、ちょっと量が多そうだね…」
しかし、佳奈ちゃんは首を傾げて意味わかんないという顔をしている。
「そうかな? このくらい普通に食べれるし、飲めるよね? あ! そうだ! 今日は私のおごりよ! 遠慮無く食べてね!」
普通にこの量を…っていうか、なんだ? おごり?
「おごりっていいよ! お金払うよ。いくら?」
俺はあまりおごるとかおごられるとか得意じゃない。割り勘はあっても、おごりは流石になぁっと思ってそう言ってみたが。
「私がおごるって言ってるでしょ! だからいいの!」
佳奈ちゃんは頬を膨らませて腕を組んだ。
「えっ? でも…」
「でもも、明後日もない!」
その表現はおかしいだろ…という突っ込み以前に、佳奈ちゃんの性格からして、こうなると絶対にお金は受け取ってくれないだろうと察知した。
仕方ない…今日はおごってもらっておく。そう判断した。
「じゃあ…お言葉に甘えるね。ありがとう…」
「うん! さあ! 食べよう!」
俺はポテトを二つ三つほど取ると口に入れた。そしてコーラをストローで飲んだ。
「ねー綾香?」
「え? 何?」
「綾香ってさー」
「う、うん」
「ポテト嫌いだったよね?」
「え…?」
驚愕の一言だった。俺、むちゃくちゃ一気に暑くなった。
そうだよ。そうだよ! そうだろ! 綾香ってポテト食べないんだ! 忘れてた…
「あとさ…炭酸飲料とか飲まないよね?」
「え?」
いや、確か綾香はコーラは飲んで…
「あっ、違った! 綾香はコーラじゃなくってペプシだったよね?」
俺の顔から血の気が引いた気がした。
俺とした事が…そうだ。コーラじゃない。ペプシだ! 何でこんな初歩的な綾香の好き嫌いを忘れてしまうんだ!
俺は全力運転の心臓の鼓動を全身で聞きながら、恐る恐る佳奈ちゃんを見た。
すると目を細めてニヤリとした表情で俺を見ている佳奈ちゃんがいた。
も、もしや…佳奈ちゃんは俺を疑ってるのか!? 実は綾香じゃないんじゃないかと疑っているのか!? な、何か言わないと…
しかし、動揺する俺はうまく言葉を綴れない。それでも絞り出すように口を開いた。
「わ、わ、私ね、きききき、記憶喪失になってから嫌いなものも忘れたんだ!」
なんて都合のよい記憶喪失だろうか…
「ふーん…」
「お…おかしいかな…」
そりゃおかしいよな? きっと本当に? 嘘でしょ? とか言うんだろう。
俺は怪しい汗を額に感じながら唾を飲んだ。が、
「おかしくないよ? うん! そういうのあるよね! うん! あるある! あはははは」
佳奈ちゃんは俺の肩をばんばん叩くと大笑いした。疑う素振りも見せなかった。
「あ、うん、ある? かな?」
なんて俺は馬鹿な一言をかますと、
「あるんでしょ?」
と首を傾げる佳奈ちゃん。
「あ、あるある! あるある大辞典!」
もう俺は自分で何を言ってるのかわからなくなった! っていうか古…
しかし、佳奈ちゃんは大笑いしてくれた。
でも、こんなやりとりで佳奈ちゃんっていい性格だって分かった。良い意味で脳天気というか…
本当にここに居るのが佳奈ちゃんでよかったと思う瞬間だった。別の子とかだったらもうどうなってたか…
「いいなー記憶喪失~。私も色々忘れて嫌いな物とか苦手な物とかなくしたいなぁ~。私って実は犬が苦手なんだよね~。犬ってさーかわいいけどさー大きい犬って怖くない? 私は一回噛まれちゃってからもう犬に近寄よれなくなっちゃったんだよねぇ~。でも好きなんだよ? 本当だからね? だからそういうのもトラウマ的なの忘れたいし…」
「あ、そ、そうなんだ…」
「でねー猫はっていうと、今は家で飼ってないけど、昔は猫を飼っててさーでねー私の大事なバッグで爪を研いじゃったの! もう腹がたってねー! もう猫なんて飼わない! って思ったんだけどーだけどね~。死んじゃったらもう悲しくって…すっごい泣いちゃって、だからまた猫飼いたいなーって思ってたりするんだけどさ」
「へ、へえ…」
「だけど、やっぱり金魚とか綺麗じゃん! グッピーとか、コイとかさ!」
「………(金魚じゃないだろそれ)」
「海の魚も綺麗だよねっ! イワシの群れとかさっ! 家で見たいよね?」
「…そ、そうかな?(家レベルの大水槽がいるだろ)」
「でも究極はバーチャルペットだよね! あれだと餌いらないし!」
「あ、うん…かもね?(もはや生き物じゃない)」
その後は一方的に佳奈ちゃんが話しを聞いていた。前の買い物の時もそうだったが、まるでラジオのDJのごとく、ずーと話を続けていた。そして脱線具合が半端無い。記憶喪失から、最終的には世界一周旅行に繋がるあたりがもう…ここまでくると関心してしまう。
おまけにあんなに山のようなポテトをほぼすべて佳奈ちゃんが食べ尽くしてくれた。
佳奈ちゃんのその細身の体型でそのポテト量は一体どこに収納されるのだろうか? 胸では無いのだけは見てわかるけど…(失礼な奴)
3時間後。
話たい事を言い尽くしたのか、俺はやっと解放された。
うーん…俺はホントこの子は苦手だな。嫌いじゃないけど。
「佳奈ちゃん、今日はごちそうさまでした」
「ううん! いいのいいの! じゃあまた明日学校でね!」
「うん…また明日ね」
俺が自転車に乗ろうとした時、佳奈ちゃんが俺を呼び止めた。
俺が佳奈ちゃんの方を振り返すと、佳奈ちゃんがすこし照れながら俺に向かって言った。
「綾香…よかったよ…元気になってくれてさ…」
「え?」
真っ赤な顔になる佳奈ちゃん。先ほどの下着論議の方がよほど恥ずかしいだろうに、なぜこんな事でそんなに赤くなんて思っていると、
「わ、私ね? 始業式の日から昨日までずっと綾香が元気なかったし…私なりに心配してたんだよ? ほ、本当だよ? だから今日は…」
佳奈ちゃんは先ほどよりも真っ赤になって俯いて話を続ける。
「で、でも本当、元気になったみたいだし! よ、よかった! 本当よかったよ…じゃ、じゃあまたねっ!」
佳奈ちゃんはそう言うと、こちらを向かずにさっさと帰って行った。
そんな佳奈ちゃんの背中を見ながら、俺はちょっと目頭が熱くなった。
綾香、お前は本当にいい友達ばっか持ってるな…




