023 悩める俺 後編
茜ちゃんは鼻息を荒くして『任せておいてよ!』と言い放った。
(いや、ま、任せておいてって…どういう事なの?)
(そのままよ?)
(そのままって…)
(綾香はそこにいて。私がきっちりとケリをつけてくるから)
(えっ? ど、どうやって?)
(いいの。気にしないの。大丈夫だって! ねっ? 待っててね)
そう言い残して茜ちゃんは下駄箱の方へと歩いて行ってしまった。
俺は仕方が無いので校舎の陰からそっと顔を出して様子を伺う。
だが、俺はちょっと焦りを憶えた。なぜなら茜ちゃんはスタスタと颯爽に歩いているのだが、手足が同時に動いていたからだ。
なんだよ! めっちゃ緊張してるんじゃん!
しかし、茜ちゃんは途中で手足同時に気が付いたのか、もどもどっと動くと、普通の歩きに戻った。そしてそのまま下駄箱の入口にいる大二郎の元へと歩く。
大二郎はそんな茜ちゃんを無視してずっとこちらの方を気にしているのがわかる。そんな大二郎の横までいった茜ちゃんは、たぶん声をかけた。
話声は聞こえないが、茜ちゃんが大二郎に何か話しかけているのがわかる。
茜ちゃんと話をしている途中で、大二郎が首を傾げた。そして頷いた。それもなんか嬉しそうに…
俺の背筋がなぜだがぞっとした。
な、なんで嬉しそうなんだよ? 茜ちゃんは何を話してるんだよ!?
しばらく二人の会話は続き、大二郎は満足した表情で下駄箱の中へと消えた。
会話が終わった茜ちゃんは笑顔で俺の所まで戻ってくる。
「綾香、もう大丈夫だよ! これで朝の待ち伏せはなくなったはずだから」
茜ちゃんは大二郎に何を言ったのだろうか。ともあれ助かったのは確かだが不安で一杯なんだけど。
「ありがとう、それで…茜ちゃん…清水先輩に何を言ったのかな?」
「え? えっと…別に大した事じゃないから!」
笑みがおかしい。どう見ても苦笑してる…
「い、いや…気になるんだけど…」
「えー…気になる? 気にしないでいいと思うよ?」
視線が泳いだ! 絶対におかしい!
「待って! 教えて! ここで秘密とか親友なんだから無いよね?」
今度は俺が親友という立場を逆手に取って問い詰める。
「あ、綾香…そ、そろそろ時間だよ! 早く教室入らないと!」
しかし、茜ちゃんは話題を反らした。故意に反らした。
「ダメ! 教えてくれなきゃ遅刻してやるから!」
どんな脅し文句だと言われそうだが、俺は咄嗟にそう言ってしまった。
「わ、わかったわよ…」
しかし、効果は抜群だったみたいた。
思った以上に驚いた表情になって、茜ちゃんは溜息をついた。
「怒らないでね?」
その台詞でとんでも無い事を言ったのだと俺は理解せざる得なかった。
降り注ぐ太陽光の暑さよりも、緊張で体が火照る方が激しくなる。
「もう…終わった事だし…怒れないよね…」
そう言うしかなかった。怒らないよと断言できない所が俺っぽい。
「えっとね…あ、綾香と付き合いたかったら…綾香に認められるくらい強くなりなさい…って言ったの…」
「…………強く?」
「そ、そう! だから、綾香に認められるくらいの男になりなさいって意味よ?」
茜ちゃんは俺の父親か? なんだその台詞は…
「で? 具体的に何か言ったの?」
すると茜ちゃんの顔が真っ赤になった。これは照れているのではない。違う方向で真っ赤になっている。
「こ、今度ね? 先輩…空手大会に出るんだって?」
俺は何かを悟った。まさか…
「で…今度大宮である空手の大会で優勝したら綾香とデートさせてあげるって言った」
悪い予感は的中するって今、実感した。
大宮である大会…そうか、秋季の地区の大会か…
「……茜ちゃん…ちょっと…何を言っちゃってるのかなぁ…」
「ダメ…だった?」
「………もう駄目って言っても遅いでしょ?」
「ご、ごめん…ちょっと普通に諦めて貰うのが難しかったから…途中で方向転換して…」
と言う事は、ここで考えていた事がうまくいかなかったから、その場で取り繕ったって事だよな?
「……はぁ」
俺は思わず溜息が漏れてしまった。
大二郎は大きな大会で優勝した経験は…ある。しかし、それは中学までの話だ。高校に入ってからはまったく優勝からは遠ざかっている。だから、大二郎が秋季大会で優勝する可能性は無いとは思うんだが…
しかし、もしも、万が一でも大二郎が優勝とかしたら…
俺の頭の中に満面の笑みの大二郎の顔が浮かんだ。
俺は大二郎とデートって事だよな!?
うわぁぁ! お、男とデートとかないだろ! 気持ち悪い! もし、手を握られたらどうしよう? 握ったら絶対に殺す! なんて考えるのはやめよう…考えるだけでも背筋がぞっとする。
「どうしたの綾香? 顔色が悪いよ?」
原因は貴方ですよ?
それに気が付いたのか、またしても動揺の色が見える茜ちゃん。そして、
「あ、綾香、そ、そろそろ時間よ! 早く入ろう!」
なんて言い放ってその場から逃げた。
「あ、茜ちゃんっ! 待ってよ」
うーん…茜ちゃん…救世主なのか悪魔なのか…気が重いけど俺の為を思ってやってくれたんだよなぁ…
俺は重い足取りを引きずるように下駄箱に向かった。
☆★☆★☆★☆★☆
お昼休み。
クラスの女子が数人ほど俺の前やって来た。何の用事だろう?
「姫宮さん! 姫宮さんってさー最近何かイメージ変わったわよねー」
「うんうん、私もそう思うー」
唐突に話を始める女子。まったく俺に話をしてもいいかの伺いすら立ててないのに。しかし、女子とはそういう生き物なのか? あの茜ちゃんだって今朝みたいに理解不能な行動や言動をする訳だし…
「そうかな?」
だから無視せずに無難に答えておいた。
「なんて言えばいいのかなぁ、一学期まではすっごく大人しくって、あまり目立たなかったっていうか…」
「そうよねー、なんかねー、あれだよねー、あれー、お人形みたいな感じだったよね?」
まあ…妹はもともと大人しい方だったかも知れないな。お人形みたいに可愛いとは俺も思っていたし。
「でも今の姫宮さんってすっごい元気で、活発で、イメージががらっと変わったよね!」
「うんうん! いまの姫宮さんってかわったー!」
「あ、え、そうかな? 多分、記憶喪失になってからかな? 今の私って変?」
女子二人は顔を見合わせ、そして再び俺の方を向いた。
「別に私は変だとは思わないけど? 私は今の姫宮さんは前よりイメージいいと思うよ?」
「私も今の姫宮さんの方が好きかも! ぜんぜん変じゃないよ?」
「そう? 私はすっごく変わって違和感あるんだけど、別に嫌って事じゃないけどさー前の大人しいイメージが好きかも」
と、一人また女子が乱入。いきなり入るのが女子なのか? それも肯定派じゃなかった。
「そうかな? そっかぁ… でも私は私だから」
俺がそういうと、全員が「うん、そうだよね」っと笑顔を見せてくれた。
「じゃあね! 姫宮さん!」
「また後でねー」
「また話そうねっ」
そして、言いたい事が言い終わったのか、クラスの女子は教室を出て行った。
ちょっと呆気にとられた俺。何だったんだ…今のは?
嵐というより、つむじ風みたいに速攻でいなくなったな…
女子が出ていった出入り口を見ながら俺は頭をかいた。
でもあれだな。俺はがんばって綾香を演じているつもりだけど、やっぱり本物の綾香とは違うように見えているんだろうな。
俺は綾香本人じゃないし、いまさらだけど、俺は綾香の事を全然しらなかった。見ていたのは表面だけだったしな…
という事は他のクラスメイトからも同じように変わったって思われているのか?
でもなぁ…口調とか態度とかは気をつける気ではいるけど、素の性格までは変えられないしなぁ…
だいたい、俺が綾香とそっくりそのままの人間になるなんて無理に決まってる。
……夏休みのタイエー事件の時、真理子ちゃんが俺が本当の綾香か疑ったな。
そうだ…今はどう思っているのか真理子ちゃんに聞いてみよう。
「ねえ…真理子ちゃん…」
俺は机で本を読んでいる真理子ちゃんに声をかけた。真理子ちゃんは普通に笑顔で振り向いてくれる。
「何? 綾香」
そして俺は本題を切り出した。
「私ってさ…口調とか態度とか…記憶喪失になる前と比べて変かな?」
「えっ? 記憶喪失になる前と比べて? 綾香が変化どうか?」
「うん、そう」
真理子ちゃんは周囲を気にするように教室を見渡した。
「綾香、誰かに変だって言われたの?」
「あ…うん…そうなんだ」
真理子ちゃんは真面目な表情で読んでいた本にしおりを挟むと、それを鞄に入れた。
「そっか…確かに私も前の綾香とは違うと思う」
げふん…やっぱり今でも違うと思ってるのか。なんて俺が焦りそうになっていると、
「でもね? 私は夏休みのあの事件の時に茜に言われた事。あれはその通りだったと思うんだ」
「その通りって?」
「綾香はね、どう変わっても綾香なんだよ。だって綾香はこの世の中に一人しかいなんだもん」
真理子は笑顔で俺にそう言った。その台詞を聞いて俺は何だかすこし安心した。でも…俺って実は偽物なんだよな。
「ありがとう…真理子ちゃん」
「綾香、変だとか変わったとか言われても気にしないのが一番だよ。綾香は綾香なんだしね」
そう言いながら笑顔の真理子ちゃんは席を立った。そして何をするのかちょっと焦っている俺の頭をいきなりなでてくれた。
「可愛いっ! 綾香ってやっぱり綾香だよ」
そう言われてちょっと顔が熱くなった。
「ありがとう…」
「ふふ…綾香ってやっぱり本当に可愛いわね。で、あとさ、よかったねーストーカーがいなくなって」
「え!?」
俺は思わず声を上げてしまった。というか、それって…今朝の件?
「ああそっか! ごめんね、最近の綾香って元気がなかったじゃないの。だから茜がに聞いたんだ、まさか清水先輩がストーカーだったなんてね…綾香も災難だったね?」
やっぱり茜ちゃんに聞いたのか。って…まぁ、内緒にしてくれとは言ってなかったし、責める事も出来ないんだけど。
しかし、いつの間にか大二郎はストーカーでひどいやつっぽくなってるな。
「でもよかった。本当に最近元気なかったから私も心配してたんだよね」
「うん、茜ちゃんのおかげで…………朝の待ち伏せだけはなくなったかも」
「えっ?」
「いや、何でもない!」
だけど、俺はでっかい不発弾を抱えてしまった。今は爆発していないだけの大型爆弾を。
「ねえ綾香、何かあったら私にも相談してよね? 私だって綾香の相談には乗るんだからね? 綾香にはいつも元気な笑顔でいて欲しいし!」
茜ちゃんも真理子ちゃんも綾香の事をこんなに心配してくれてるんだ。
いいな綾香は…やっぱり綾香の人間性がこんなにいい人達を呼び寄せるのか。
元の俺は何も無い奴だった。無理につっぱってみせてもただ虚しいだけだった。ただ喧嘩が強くなりたいだけで空手をやって、目立ちたいが為だけに髪を染めてただけだった。
「どうしたの? ぼーとしちゃって」
ハッと我に帰る。目の前を見ると真理子ちゃんの顔が俺の顔の前方20センチにあった!
「うわ!」
俺は思わず後ろに仰け反ってしまった。
「どうしたの? 綾香、変な動きしちゃって」
「い、いや…真理子ちゃんの顔がいきなり目の前にあったから」
「ふーん…そっか。でも、そんなの前からよくあったでしょ? って、憶えてないのよね。ま、まぁとにかく、綾香はいつも元気でいてね!」
「う、うん、わかった! ありがとう真理子ちゃん」
「それじゃ、私お手洗いにいくから」
そう言い残し、真理子ちゃんは手を振りながら教室を出て行ったのだった。
…俺もトイレいっとこ。




