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ぷれしす  作者: みずきなな
最終章
168/173

166 俺の本当の気持ち

 七月第三週の日曜日。

 朝十時三十五分。

 家のリビングに家族全員が集まっていた。

 久々に全員が集合した日曜の朝。いったいどの位ぶりだろう。


 平和な朝のリビングには高校野球の放送の声が響いていた。

 体育座りで高校野球の地区予選を見ているのは綾香だ。

 埼玉県予選をテレビで観戦している綾香の背中をじっと見た。


 前までは俺があの位置にいた。俺が綾香だった。

 でも今は違う。今は俺は元の場所に戻った。


 おかしいな。

 腕を組んで天井を見る。


 本当におかしい。

 元に戻ったのに嬉しさはそれほどない。

 それに、あんなに高ぶっていた恋心もここ最近は停滞を極めている。

 誰かに逢いたいという衝動にも駆られない。俺はどうしてしまったんだろうか?

 でも、実はそんな気持ちになってしまった原因に心当たりがあったりした。

 認めたくはないけれど、そうなんだろう。


 ★☆★


 俺が元に戻ってすぐのとある日、綾香が茜ちゃんを家に呼んだ。

 男に戻った俺と再会した茜ちゃんは本当に嬉しそうだった。


 別に久しぶりに再会した訳じゃない。

 俺が綾香だった時に、つい数日前まで普通どおりに話をしていたからだ。

 だけど、茜ちゃんは男に戻った俺に対してかなり緊張していたみたいで、普段のような感じじゃなかった。

 ぎこちなく会話をする茜ちゃん。

 俺のために小奇麗な格好になってきてくれた茜ちゃん。

 そこらにいる女子高生みたいに大人になりきっていないスタイルな茜ちゃん。

 そんな茜ちゃんも可愛かった。確かに可愛かった。

 でも、あのゴールデンウィークの燃え上がるような独占欲は消えていた。

 その日、俺は顔を真っ赤にした茜ちゃんを玄関まで送り、綾香のせいでデートの約束までしてしまった。

 綾香的には早く茜ちゃんとひっついて欲しかったのだろう。

 そして、茜ちゃんちゃんとデートをした。

 確かにそれなりに楽しい時間を過ごした。

 でも、それだけだった。

 何も発展しなかった。

 最後に、少し寂しそうな笑顔で俺と別れる彼女を見て、少し心が痛んだ。


 茜ちゃんは可愛い。俺をずっと想ってくれている。

 恋人になろうと思えばすぐにでもなれる。

 でも、盛り上がらないんだ。

 好きでいて欲しいとは思うが、恋人にしたい気持ちが沸かない。

 別に輝星花に後ろめたい訳じゃない。

 ……やっぱり原因はあれなのか? それしかないだろう。

 そう、それが茜ちゃんを恋人にしたいという気持ちを上回っているんだ。


 ちなみに、輝星花とは男に戻った当日から一度も逢っていない。

 連絡をしてこないし、連絡するにも電話番号もわからないから。

 輝星花の事だって茜ちゃんと同じだった。

 何も進展はしていない。

 あいつが気になるのなら、きっと俺はまたマンションに行っていたはずだ。

 だけどそうしたいと思わない。いやしたくなかったんだ。

 この原因もあいつのせいか。


 俺はいつまで引きずっているのだろうか?

 いまさらなんでこんな気持ちになるのだろう?

 茜ちゃんも輝星花も好きだという気持ちはあるのに、それでも女々しく俺はあいつを想いを続けるのか?

 ダメなものはダメなんだ。それにもう決着したんだろ?

 自分に言い聞かせるが納得できない。

 こんなんじゃ俺に彼女なんてできっこない。


「お兄ちゃん、茜ちゃんとデートしないの?」

「ぶっ」


 いきなりすぎてびっくりした。

 さっきまで高校野球に夢中だった綾香がいきなり変な質問をしてきやがった。


 午前十時過ぎのリビング。両親を前にして聞いてくる話じゃないだろ?

 お前、高校野球を見てるんじゃないのか?

 心の中で文句を言う。


「なんでいきなりデートになるんだよ」

「だって、絵理沙さんはもう魔法世界に戻ったんでしょ? だったら輝星花さんと茜ちゃんのどちらかって事になるんでしょ?」


 両親はわざと知らんフリをしているが、きっちり聞き耳を立てている。

 そして、なんで綾香がわざわざこんな場所でこんな話をするかの想像はついている。

 それは俺にきっちりどちらか選んで欲しいからだ。

 最近の俺はすっかりそういう行動をしなくなっているから、それで綾香も焦っているのか?

 両親に関与というか、知らせる事によって俺を煽っているんだろう。


「そう言われても、なんか気分が乗らないんだよな」

「えぇぇ? 気分ってなんなの? 気分ってどういう意味なの? お兄ちゃんは気分で彼女を選ぶの?」


 そういわれると困る。決して気分だけで彼女を選ぶつもりはない。

 だけど、意気込んでいたのに気持ちがぐっと下がってしまったのは事実だ。


「悟、あのね? お母さんはくるみちゃんなんか良いと思うの? どうかな? いい子よ?」


 ここで母親からの余計な一言が入った。って言うより、なんでここでくるみ? そしてなぜ押す!?


「ちょっと、お母さん! お兄ちゃんを惑わせないで」


 綾香がちょっと怒った。

 いやいや、ここは母さんは悪くないだろ?

 でもごめん、くるみはない。というか今さら困る。


「あら、ごめんなさい……」


 俺は母さんと綾香のやりとりを見ながら考えた。

 そこまで焦って俺は彼女を見つける必要があるのかと。

 確かにきちんとするとは誓ったけれど、それでも即彼女をつくるって事じゃない。

 俺はもう悟に戻ったんだし、綾香だって元に戻ったんだ。

 ゆっくり、じっくりと相手を選べばいいんじゃないのか?

 輝星花だって茜ちゃんだって時間がかかっても、それでも俺を想って待っていてくれるだろ?

 今のこの気持ちの乱れだってそのうち落ち着く。

 そして、俺の想いが輝星花か茜ちゃんかに募る状態になればきっと俺だって選べる。

 これって甘いのかな?


「お兄ちゃん」

「ん?」

「もしかして変なことを考えてる?」

「へんな事?」

「例えば、焦る必要ないとか」


 お前はエスパーか! なんでわかる?


「でも、本当に焦る意味ってあるのか? 俺たちは普段の平穏な生活を取り戻したんだぞ?」

「お兄ちゃんがそうでも、私が茜ちゃんから相談を受けたのはもう一年も前なんだよ? もう一年も前から茜ちゃんは待ってるんだよ?」


 綾香が事故に遭う前に俺に向かって言った事を思い出した。

『きっとお兄ちゃんを好きな子はいると思うんだ』って、そう言っていた。

 それは茜ちゃんの事だった。

 八月に俺は茜ちゃんから直接綾香に相談していた事実を聞いて確信したんだった。


「そりゃそうかもしれないけど」


 それであっても、ゆっくりとパートナーを選ぶ行為はおかしなな事じゃないだろう。

 焦って恋人同士になってすぐ別れたとかシャレにもならない。そうだよな?


【ピンポーン】


 と、いきなりチャイムが鳴った。

 なんというタイミングだ。

 俺の考えが正解したのかと思った。


「はーい」


 母さんが返事をしてからリビングから出る。

 しかし、どうして相手に聞こえないのに人はチャイムに返事をしてしまうのだろうか?

 あと、インターホンに出た方がいいだろ? 世の中は物騒だぞ?


「悟、お客さんよ?」

「えっ? 俺に?」

「うん、女の人よ?」


 女!? って誰だよ? 輝星花か? 茜ちゃんか?

 少し不安そうな綾香を横目に玄関に移動した。

 すると、そこには予想していた一人である輝星花の姿があった。


「おはよう、悟くん」


 久々なはずなのに妙に落ちついている輝星花。

 そして、今日はホットパンツにTシャツというラフな格好だ。

 強調された胸と腰とヒップのラインにちょっと興奮してしまいそうだ。

 しかしお前は本当に高校生離れしてんな?

 あ、そうか、本当は高校生じゃないんだった。


「輝星花? どうしたんだよ? こんな朝から」

「いや、ちょっとね」

「ちょっとねって何だよ?」

「あ、悟くん、待ってくれるかい? おーい越谷くん、入っていいよ」

「えっ?」

「……先輩、おはようございます」


 そして輝星花に呼ばれて玄関に入ってきたのは茜ちゃんだった。


「茜ちゃん? なんで茜ちゃんまで連れてきてるんだよ?」

「だからちょっとねって言っただろ?」

「いや、意味がわからないんだけど?」

「すみません、朝から……」


 茜ちゃんは本当に申し訳なさそうに俺に頭を下げた。

 しかし、わかる。これは茜ちゃんが好きでやってる事じゃないだろ。


「輝星花、いったい何を企んでいるんだ?」

「企む? 人聞きが悪い。僕はちょっと用事だと言っているだろ? 君には聞こえていなかったのか?」

「聞こえてたけど、どうもちょっとな用事じゃない気がするんだけど」

「それより、レディが二人も玄関に立っているんだぞ? 他に言う事があるだろ?」


 もしかしてこいつは俺の部屋に入りたいのか?


「お兄ちゃん誰? あっ! 茜ちゃん、と、輝星花さん」

「おはよう、綾香」

「綾香くん、おはよう」

「あ、おはようございます」


 綾香が俺の方を見る。


「上がってもらえば?」


 なんて簡単に言う。


「なんで?」

「なんでって、せっかく来てくれたんだし、上がってもらえばいいよ」


 結果、このあと輝星花は作戦通りと言うか、俺の部屋に潜入してきやがった。

 しかし茜ちゃんも一緒だ。変な事は出来ないだろう。

 いや、逆に変な事をしてくるのか?


 ★☆★


「お待たせ……」


 綾香がお茶を持って遅れて部屋に入ってきた。

 これで主要人物が全員そろった事になる。


「さて、早速だけど輝星花」

「なんだい?」

「何を企んでいる?」

「あははは、おいおい、何をそんなに警戒しているんだい?」

「怪しいからだろ」

「何がだい?」

「お前のこの突拍子もない行動がだよ」

「なるほどね、そうだね、そうだと思うよ」

「認めるのかよ!」

「突拍子もないは認めるよ」

「で、茜ちゃんまで連れてきてどういうことだ?」

「必要だったからね、彼女も」

「必要って何でだよ?」

「なんでもだよ」


 輝星花が何の目的もなく俺の家まで来るはずがない。

 何か目的があるからこそ、こんなに突拍子もなくやってきたんだ。


「早く話せよ。お前の目的を」


 目の前に座る輝星花の表情はフラットだった。

 横に座っている茜ちゃんは緊張している趣だが、それでもちょっと何かおかしい。

 何かを事前に輝星花から聞いているのかもしれない。


「じゃあ、早速だけど話をしようか」

「ああ、早くしろ」


 なんだかこういうやりとりも久々な気がする。

 こういうやりとりは輝星花が野木一郎だったときに学校でよくしていたやりとりだ。

 しかし、声も格好も変わったけど、輝星花は野木なんだなって痛感する。


「で、なんだ?」

「率直に言おう。君が好きなのは僕でも茜くんでもない。君が好きなのは絵理沙だろ」

「!?」


 茜ちゃんが真っ赤な顔でそのまま俯いてしまった。

 輝星花は真剣な表情で俺を睨んでいる。

 背後に座っている綾香の表情は見えない。しかし無言で座っている。


「いや、どうしてそうなる? 俺は絵理沙を振ったよな? この前、お前の目の前で振ったよな?」

「確かに、君は絵理沙を振った。だけど、それが絵理沙を好きかどうかとは関係はないだろ」

「いやいや、あるだろ?」

「君が絵理沙を振った理由は絵理沙が魔法使いだからだろ? 本心では絵理沙の事が好きなんだろ?」


 どっと流れる汗。熱くなる顔。鼓動を早める心臓。

 おかしい、何がどうなっている? どうしてこういう話になった?


「先輩は絵理沙さんが好きなんですか? 私よりも絵理沙さんが好きなんですか? 教えてください」


 涙目で聞いてくる茜ちゃんに心が痛んだ。


「い、いや、俺は……絵理沙の事なんて……」


 そりゃ……ずっと心に引っかかってるのはあいつの事だけど。


「好きなんだろ? はっきり言えばいい!」

「いや、ええと、輝星花、なんで今になってそんな事を言うんだよ? マンションの時だって、あれからだいぶん経ってるのにずっと何も言わなかったじゃないか! それをいまさら!」


 俺がそう言うと輝星花は勢いよく立ち上がった。

 そして腰に手をあててゆっくりと歩き始める。


「それは、絵理沙が覚悟を決めるまでに時間がかかったからだよ」

「えっ? どういう意味だよ?」

「絵理沙が覚悟を決めるのに時間がかかったと言っているだろ?」

「待てよ、あいつは魔法世界に帰ったんじゃないのか?」


 そう言い返しつつも俺の気持ちが揺れていた。

 絵理沙が覚悟を決める? じゃあまだこの世界にいるって事なのか?

 それはどういう意味なんだ? 覚悟ってどういう意味なんだよ?


「そんな事はどうでもいい」

「どうでもよくないだろ!」

「僕が聞きたいのは君は絵理沙を好きかどうかだ!」


 バンっと人差し指を額につきたてられた。


「な、なんで俺が絵理沙を好きとかそういう話題が今でるんだよ?」


 すると輝星花は怪しく微笑んだ。


「実に君は馬鹿だな? あのマンションでのやりとで絵理沙が何を君から感じとったのか理解していないらしい」

「えっ? ど、どういう事だよ?」

「絵理沙はどんな魔法が使えるのか思い出せ」

「どんな魔法って?」

「前に僕が使っていた魔法だよ」

「……!?」


 こ、心を読む!? お、俺は……俺はそうか、あの時に心を読まれていたのか。

 !? じゃ、じゃあ! まさか!


「そうだよ。絵理沙は君の心の声を聞いてしまったんだ」


 ★☆★


『悟ってひどいよね、私、あなたに振られてばっかだよ』


『仕方ないだろ? 俺だって好きでお前を振ってる訳じゃないんだ』

【お前は魔法使いなんだ。俺がいくらお前が好きでもさ、俺たちは恋人同士になれないんだ】


『……なんかむかつく』


『むかつくって言われても困るんだけど』

【お前はしつこくってしつこくって、それでもずっと俺を好きだって言ってくれた。何度振ってもまた告白してくれた。こんなに告白されたら俺の気持ちだって傾くだろ。でも仕方ないんだよ。俺はお前を諦めるしかないんだよ。わかってくれよ】


『仕方ないわね……仕方ないからさ……悟に振られてあげるわ……』

【絵理沙と久々に逢って実感したよ。俺、お前といると楽しい。嬉しい。だれよりもな。もし、お前が人間ならもっともっとお前を知りたかったよ】


   そしてしばらくそのまま絵理沙は動かなかった。


 ★☆★


「思い出したのか? 何を考えていたか」

「え、えっと……」


 確かに、絵理沙と永遠の別れだと考えて俺は絵理沙の事ばっか考えていた。

 もっと一緒にいたいし、もし人間ならよかったのにとか思っていた。

 でも、俺はやっぱり優柔不断で、その場で感情が高ぶるタイプで、たとえ絵理沙が本当に人間だったとしても今この状態ですぐに一番だって言える自信はない。


「覚悟って、もしかして人間になるって事じゃないよな?」

「ん? それしかないだろ?」

「!?」


 俺の今のこの気持ちが沈んだ状態なのは確かに絵理沙のせいだ。

 俺はいつの間にか絵理沙を本当に好きになっていたから。

 だけど、だからってやっぱり絵理沙が一番だって言い切れないんだぞ?

 それで、絵理沙は人間になる覚悟があるって言うのか?


「優柔不断でダメ男の悟くんに聞こう」

「なっ!?」

「君は越谷茜が好きなのか? はっきり答えろ!」


 輝星花が俺を睨んでいる。

 茜ちゃんは両手を胸の前で組んで、潤んだ瞳で俺を見ている。


「男だろ! 好き、嫌い! どちらかはっきりしろ!」

「す、好きだ」


 輝星花はふっと笑った。

 茜ちゃんは両手で顔を覆った。


「じゃあ、僕は? 僕はどうなんだい?」

「……」


 茜ちゃんが涙目で俺をじっと見ている。

 ごめん、茜ちゃん。俺ってすごく優柔不断で、なんかもうこの性格はなかなか治らないと思う。


「好きだよ……」


 輝星花がニヤリと微笑んだ。

 茜ちゃんはとても残念そうな表情で輝星花を見ている。


「じゃあ、最後に、絵理沙は?」

「だから絵理沙は魔法使いだし、恋愛対象じゃない」

「そういうのは抜きで答えろ!」

「……き、嫌い……だよ」


 いまさら二人の前で、綾香の前で絵理沙に未練があるなんて言えないだろ。

 あいつの事が好きだなんて言えるはずないだろ!


「決めた、私、人間になる!」


 慌てて振り向くと、そこには絵理沙が立っていた。

 おかしい、さっきまでそこには綾香が座っていたはずなのに。

 ま、まさか! 綾香もグルなのか? 絵理沙の奴、綾香に変身してたって言うのかよ!


「悟、大正解だよ」

「!?」


 絵理沙は優しい笑みを浮かべて俺の背中にそっと被さってきた。

 俺の心臓が爆発しそうに鼓動する。そして、体中の熱が一気に溢れた。

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