164 俺はちょろいのか
時は流れてあっと言う間に7月になってしまった。
今日は七月最初の金曜日。あと三週間で夏休みになる。
絵理沙は変わらず魔法世界から戻って来ない。
輝星花は連絡こそ取れているが戻る時期は未定だと言われているみたいだ。
校長先生はうまくやったらしく、絵理沙は特別に観察保護状態で無罪放免になったと聞いている。
茜ちゃんと輝星花はあの握手から仲良くまではゆかないが、それでも交流しているみたいだ。
そして、俺に対してはちょっかいっぽいものを二人ともしてきていない。
これは紳士同盟ってやつなのか? いや、二人とも女だった。
「しかし暑いなぁ」
俺は空を見上げた。
青く透き通る空を。
もうすぐあの飛行機事故から一年になる事を思い出す。
綾香は結果的には生きていたが、決して忘れる事のできない事故だった。
死者がいない関係でマスコミも今は一切取り上げてはないけど。
「もうすぐ一年か」
あの事故から数日後に俺は一度死んだ。と考えれば結局は俺が生き返ってから一年という事になもなる。
絵理沙と出会ってから一年。女になって一年か。
「まさか、本当に一年も女のままでいるなんてな」
今はすっかり慣れきってしまった女の体。
そして触れても揉んでも興奮しなくなっている俺。
「やばいな、最初の頃にあった女体への興味が薄れているなんて、男に戻っても大丈夫か?」
とは言いつつも、部屋に隠してあったエロ雑誌につい昨日興奮したばかりだった。
「大丈夫だ、俺は男だ!」
と言いつつも平気で駅前薬局で生理用品を買う俺でした。
★☆★
一日経過。
今日は七月七日。
世間で言う七夕。
だからと言っても俺は笹に願いを書いた札なんてかける訳もない。
夜になって眠いから普通に寝た。
「あ、あぢい」
しかし、三十度を越えるむしむしとした夜の熱気にやられて目を覚ました。
時計を見れば深夜一時。そしてなかなか眠れない。
さっきまで動いていた冷風機はすでにタイマーで止まっている。
再び稼動するがやっぱり眠れない。
胸元をパタパタとひっぱりながら俺は水分を求めてキッチンへと下りた。
今年こそはエアコンを買って貰うという誓いをたてて。
「ん?」
ぼんやりと見える薄暗い階段を下りていると、リビングのドアから明かりが漏れていた。
「誰だ?」
そっとリビングに入って見れば、そこにいたのは南(綾香)だった。
綾香はTシャツにパンツというラフスタイルでテレビを見ている。
銀髪美少女が見ている番組はアニメだった。
「あ、お兄ちゃん。どうしたの? こんな遅くまで起きてるなんて珍しいね」
「綾香こそどうしたんだよ?」
綾香の胸を横目で見ながらキッチンへと進んでゆく。
しかし、やっぱりでかいな。おまけになにか突起が……。
「アニメを見てるの」
まんまな答えが返ってきた。
「お前がアニメとか見るんだ」
「うん」
綾香がアニメを見ている姿なんて初めて見た。
そしてそのアニメの内容はどうも恋愛ものみたいに見える。
男女の高校生の姿が画面にうつっているし。
「綾香ってアニメとかあまり見ないよな?」
俺は綾香の胸から視線をはずし、お茶を冷蔵庫から取り出してコップに注いだ。
再び振り返れば綾香はテレビ画面を見ながら首を横に振っている。
「うん、見ない。深夜アニメを見るのはこれが初めてかな」
「だよな?」
綾香が普段は見ない深夜アニメ。だけど綾香はその見ないアニメを見ている。
そんなに綾香の興味を引くような内容だったのか。
再び画面を見れば、中では先ほどの男子高校生が別の女子といちゃいちゃしていた。
なんだこのアニメは。
綾香はこういう恋愛ものが好きだったっけ?
俺は二杯目のお茶を一気に飲み干す。
「ねぇ、お兄ちゃん」
呼ばれて、コップをシンクに置いて振り向くと綾香がこちらを向いていた。
「ん? どうした?」
「私ね、このアニメみたいな恋愛ってないと思うんだ」
「こういうって? 今見ているやつか?」
「うん、そう」
画面を覗くと男子高校生はさっきと違う女子と話をしている。
相手の女子はどう見てもその主人公の男子生徒に気があるように見えた。
しかし、アニメの具体的な内容がわからないから綾香の質問に答えずらい。
「なぁ、これってどういう内容なんだ?」
「ええと、ハーレムって言うのかな? 一人の男子高校生に何人もの女子が寄ってくるのって」
「まぁそういう場合もあるかもしれないな」
「じゃあ、そのハーレムアニメってジャンルになるのかな。原作は漫画みたいだけど」
なるほどね、確かにヒロインっぽい女子が何人も入れ替わっている。
だけど、綾香よ、ハーレムアニメってジャンルはないんだぞ?
「綾香、そのアニメのジャンルは恋愛になると思うぞ」
すると綾香はぶんぶんと首を横に振った。
「違うよ。こんなの恋愛じゃないよ。こんなのが恋愛って言わないよね?」
しかし、アニメのキャラは確かに主人公へ恋をしている。
「でも色恋沙汰なんだろ? じゃあ恋愛だろ?」
「違うよ。だって女の子が男の子に恋してるだけで、男の子はきちんと恋してないもん」
その言葉に妙な力を感じた。
「私はこの主人公が嫌い。女心が何もわかってないし。本当に最低な人だと思うよ」
このアニメの主人公はいわゆるイケメンだった。
そして、優しくって力持ちで頭がよくって。結果的にモテる!
完璧なるアニメの主人公だ。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
「でもね、今のお兄ちゃんはこの主人公と同じだよ」
「へ!?」
綾香は真面目な表情で俺をじっと見た。
「俺はそいつみたいにイケメンじゃないし、モテないぞ」
「確かにイケメンじゃないけど、お兄ちゃんはモテてるよ。あと、お兄ちゃんはこの主人公みたいに八方美人だし」
俺の瞳を睨んで綾香は言い切った。
「なんでそうなる? いやいや、それはないだろ?」
「なんでって? そんなのは自分でよくわっかってるはずだよ? だって、お兄ちゃんって嫌われたくないから愛想を振りまくよね? おまけにハッキリしない性格だよね。自分も人を傷つけたくないから無意識に優しくしちゃうよね」
「いや、そうか? 違うと思うんだけど」
そう答えつつもそんな気がしてしまう。
「へぇ……違うと思うんだ? ホントに?」
「ち、違うだろ?」
「どこが?」
「どこがって、綾香の姿になって少しあれだったけど、元はモテない普通の男子高校生だったし」
綾香はゆっくり立ち上がると俺の目の前まで歩いてきた。
そして少し俯いて。
「でも、今はモテてるよね?」
「……」
「絵理沙さんも、輝星花さんも、そして茜ちゃんもお兄ちゃんが好きだよね? わかってるよね?」
「あ、いや、ええと」
確かに解っている。理解している。否定はできない。
「違うの?」
違わない。だけど……。
「あと、清水先輩や桜井先輩もお兄ちゃんを好きなんだよね?」
な、なんでそれも知っている?
「違うの?」
俯いた顔を上げて綾香は俺を睨んだ。
その強い眼差しに思わず顔を背けてしまう。
「お兄ちゃん、違うのって聞いてるの」
綾香の言うことは間違ってはいない。
確かに、今あげた奴らは俺に好意がある。
「正雄と大二郎はもう終わったから」
「本当に?」
「本当だって」
そう、大二郎はしっかり断った。正雄だって諦めてくれたはずだ。
「でも、証拠がない」
「お、おい! なんだよそれ」
「諦めてくれた証拠がないよね?」
「……そ、そりゃないけど、でもあいつらは学校を卒業してから……。正雄はゴールデンウィークに逢ったけど、何もなかったし」
「そっか……ふーん……でも、それでも絵理沙さんと輝星花さんと綾香ちゃんはお兄ちゃんが好きだよね」
「あ、ああ……そうだな」
認めざる得なかった。ここで否定してもまた証拠とか言われてしまう。
「結局、お兄ちゃんって誰が一番好きなの?」
そんな質問に汗が噴出し始めた。
ただでさえ暑いのに、ここでこんなに暑くなるとは。
「答えられないんだ? じゃあ、やっぱりお兄ちゃんはこのアニメの主人公みたいに一人を選べないんだね」
俺は絵理沙と輝星花に断ったシーンを思い浮かべた。
「違う! 俺は絵理沙にも輝星花も断ったし!」
「でも、輝星花さんも絵理沙さんも諦めてないんじゃないの?」
「そ、それは……わからないけど」
「それじゃ、お兄ちゃんは茜ちゃんが一番だって言ってくれるのかな?」
「それは……いや、うん、まぁ、そうだな」
綾香の顔も耳も真っ赤になっていた。
「ほんっと! お兄ちゃんって優柔不断すぎだよ!」
「ま、待てって! そう興奮するなって」
「待たない! やっぱりお兄ちゃんはさっきのアニメの主人公だよ! 私が大嫌いなあのアニメの主人公だよ!」
今日はあの日なのだろうか? やけに綾香の機嫌が悪い。
画面では主人公はまた違う女の子と話をしていた。
「私はお兄ちゃんに恋をして欲しいの。でもね? 私はお兄ちゃんにハーレムをつくって欲しい訳じゃないんだよ?」
「そ、そりゃそうだ。俺だってハーレム展開なんて望んでない」
「じゃあさ、ちゃんとして欲しいな」
「ちゃんとって」
「うん、ちゃんとだよ」
綾香はいつの間にか落ち着きを取り戻していた。
「ちゃんとって言われてもな……
「できるよ」
ゆっくりと綾香が俺に近寄り。そして俺を優しく抱いた。
一瞬ドキッとしたが、しかしちょっと安心もした。
「私ね」
「うん」
「お兄ちゃんが大好きだよ」
「えっ?」
「違うよ。恋愛的なものじゃなくって、兄妹的なやつだよ」
「そ、そうだよな」
ちょっとだけ焦った。ここでまさかの近親相姦フラグかと思った。
「お兄ちゃんは優しいよね。でもね? 優しすぎると逆に人を傷つけるんだよ?」
確かに、俺は色々な人間を傷つけているかもしれない。
「知ってるかな?」
「なにをだ?」
「もしも、告白した相手とそのあとも普通に話ができたらさ」
「綾香、何が言いたいんだ?」
「私ならね、もしかしてまだ可能性があるんじゃないかって思うはずだよ」
「綾香、それって?」
「私ね? もし自分を助けるために異世界まで来てくれたら」
「おい、ちょっと待て、ストップ」
「その人が自分に何の気もないなんて思わないよ」
「だからストップだって」
綾香が例えた例。それは絵理沙と輝星花との出来事が元になっている。
「本当に傷だって、恋の傷だって、時間が経てばどんどん深くなる。そうなると治りも遅くなるんだよ?」
すっと綾香は俺から離れて行った。
「私はね? 私の代わりにその姿になって、そして気を張って一生懸命に頑張ってくれたお兄ちゃんが大好きだよ。だからこそ幸せになって欲しいの」
綾香は優しい微笑みを浮かべた。
「だから、これ以上は彼女たちを苦しめないで欲しい。ちゃんと正直になって欲しい」
輝星花、茜ちゃん、そして絵理沙。
俺もハッキリしないといけないと思っていた。
だけど、綾香もずっとそれを思っていたんだ。
俺は知らない間に綾香にまで心配をかけていた。
「で、でもさ、ハッキリするにも絵理沙が戻ってこないとダメだろ? あいつらだって絵理沙が戻ってこないとダメだって思ってるんだぞ?」
「うん、そうだね。でも、大丈夫だよ?」
「えっ? 大丈夫って?」
ま、まさか? こいつの中身は絵理沙なのか?
「お前、まさか絵理沙か?」
「あははは、まさか? 私が絵理沙さんとかないよ」
笑いながら綾香?はパタパタと右手を振った。
「じゃあ? どういう事だよ?」
「それはね? 絵理沙さんはもうこの世界に戻ってきてるって事だよ」
俺は慌てて部屋中を見渡した。
だけどどこにも絵理沙の姿はなかった。
次に疑うのはやはり目の前の南だ。
以前、絵理沙は南の姿をして俺を騙した事がある。
さっきは違うって言っていたけど証拠がない。
「やっぱりお前が絵理沙なんじゃ?」
「だから違うよ。私は綾香だよ」
「本当にか?」
「本当だよ」
「じゃあ、絵理沙が戻ってるってどこにだよ? 教えろよ」
「それはね……」
★☆★
俺は急いで階段を駆け上がった。
そして、俺は綾香の部屋に飛び込む。
元は俺が使っていたというか、借りていた綾香の部屋。
しかし、両親に中身を話してからしばらくして、野木一郎がいなくなった後から俺は自分の部屋に戻った。
「絵理沙っ!」
部屋に飛び込むと同時に叫んだ。っと大声を出したら両親が起きる。
「えりさぁぁ!」
今度は声を小さくしてみた。って言うか返事ないし。
俺は電気をつけた。するとベッドの布団が膨らんでいるじゃないか。
「絵理沙?」
そっと布団を取ると、絵理沙が寝ていた。
そこにはぐっすりと眠った絵理沙がいた。
なんで綾香の布団で寝てるんだとか、なんで連絡もなしでこの世界に来てるんだとか、色々と言いたい事はあったけど。
「寝てんじゃねぇよ……」
絵理沙の寝顔を見て呆れてため息が出た。
俺がどれだけ絵理沙を心配したかわかってんのか?
本当に男に戻れるかどんなに不安に思っていたかわかってんのかよ?
そんな心配を他所に絵理沙は妹の部屋で寝ていた。
「ダメだよ? 手を出しちゃ」
そして背後に綾香がいつの間に。
「出すかよ」
「ほんとに?」
「なんだよそれ?」
「だって、たぶんだけど、お兄ちゃんが触っても絵理沙さんは怒らないよ?」
「だからってダメだろ? 寝てるし」
「じゃあ、寝てなきゃいいんだ?」
「なんでそうなる?」
くすくすっと笑う綾香。
「とりあえず、絵理沙さんは二時間前に来たばかりなの。ちょっと疲れてるみたいだから、明日詳しい事を聞くといいよ」
「そっか。って二時間前? 俺が寝た時間じゃないか」
「そうだったんだ?」
「そうだ。って言うかさ、なんで俺のところには来なかったんだ?」
「それは知らない。けど、私のところに来た。でね、本当は内緒だって言われたんだけど……」
「……わかったよ」
「朝ならきっと話も出来ると思うから」
「了解、明日だな? いや今日か。とにかく朝になったら絵理沙に色々と聞くよ」
「うん」
そして俺は部屋を出ようとする。
すたすたと歩き、綾香の横を通過するとき。
「これで全員が揃ったよ。約束どおりにちゃんとしてね」
綾香の小さいけどハッキリした声が聞こえた。
「わかってるって」
俺はそういい残して部屋をあとにした。
しかし、妹の部屋のクーラーが涼しくて羨ましい。




