160 【第二章 章末話】 三世因果
「悟は男に戻りたくないの!?」
あまり突然の事に反応ができないでいると。
「私は戻したいの! 今すぐにでも! なのにダメなの? 貴方を男に戻しちゃだめなの!?」
「い、いや、ダメじゃない」
「だったらいいじゃないのよ! 男に戻りたい。すぐに戻る。これでいいじゃない!」
「そ、そうだけど……」
暗くなった教室の中でも絵理沙の動きはわかった。
ふと時計を見ればもう夜も八時になっている。
【ブワン】
一瞬だけど眩暈がした。視界が霞んだ。
頭を何度か振ってから絵理沙を見ると、絵理沙も同じく頭を抱えている。
「な、なにがあったんだ?」
何が起こったのかわからないが、何かがあったのは確かだと思う。
そして気がついた。中央のテーブルに白い紙が置いてあるのに。
さっきまで確かにそこには何もなかった。
「なんだこれ」
その紙は少しずれて2枚あるとわかる。
「絵理沙は知ってるか?」
「知らない……」
ゆっくりとその紙に手を伸ばしてから取る。
すると、それは手紙と婚姻届だという事がわかった。
しかし、なんでここに婚姻届?
絵理沙の顔を伺うが、絵理沙はきょとんと俺を見ているだけだ。
どうも絵理沙が用意したものじゃない。
そして、この婚姻届にはすでに名前が記載されている。
暗くてよく見えないけど、全ての欄が埋められているし印鑑も押してある。
「明かりつけるね」
ここは流石に現代の力を利用する。普通に蛍光灯を点けた。
すると書いてある文字がはっきりわかる。当たり前かって!?
「なっ!? なんだこれ!」
俺は驚愕した。
理由は明確だ。書いてあった名前が姫宮悟と野木輝星花だったからだ。
ええと、野木輝星花(二十歳)だと?
「悟、で、結局はなんだったの?」
突然の出来事に先ほどまでの絵理沙の興奮が少し和らいでいる。
しかし、今日は変な事がいっぱいすぎる。
なんだこの婚姻届は? 誰のイタズラだよ?
「いや、これはこちらの世界特有のものかな」
嘘はついてない。たぶん。
次に日付を確認したらなんと二日後だった。なんで二日後なのか意味がわからない。
そして、一緒にあった手紙らしきものを確認する。
「う、嘘だろ……」
手紙の差出人は輝星花だった。
「絵理沙、輝星花からの手紙だこれ!」
「えっ? 輝星花から!?」
「なんかさ、手紙と……(まさか婚姻届も一緒だとか言えないよな)手紙の日付が二日後なんだ」
「二日後?」
「そうなんだよ」
今度は婚姻届の筆跡を確認した。
うん、どう見てもこれは俺の字だ。
似せて書いたかもしれないけど、自分でも見破れないレベルで俺の筆跡になっている。
「それ、見せて」
「いや、ええと、待て、待てって!」
「見せなさいよ!」
絵理沙はテーブルを飛び越えて俺から婚姻届と手紙を奪った。
「!?」
声のない叫び。
一気に顔面蒼白になった絵理沙は手紙と婚姻届を交互に見ている。
「さ、悟」
「なんだよ?」
しかし、俺は手紙の内容をよく見てないから、絵理沙がそこまで真っ白になる理由もわからない。
確かに婚姻届は驚く内容だったけど、イタズラの可能性だってある。
実はドアの外には輝星花がいて、そして輝星花がイタズラした可能性だってある。
「き、輝星花!」
「えっ?」
絵理沙がズンズンと出入り口までゆくと、ガラガラと勢いよく扉を開いた。
すると、扉の向こうから野木一郎と羽生和実の姿が……って、おい!
「和実、輝星花! なんでお前らがそこにいるんだよ!」
「や、やぁ悟くん」
「ひ、久しぶりね」
「お姉ちゃん、これはどういう事? ねぇ、ねぇ! ただのイタズラなの?」
俺が和実や輝星花がいた事に驚いているのを完全に無視して、ぐいっと婚姻届と手紙を輝星花に押し付ける絵理沙。
「えっ? なんだいこれは?」
輝星花は何があったのか理解できない表情のまま手紙と婚姻届を受け取る。
そして、手紙を読み、次に婚姻届を確認すると顔は見る見る真っ赤になった。
「おい、どうなってんだよ?」
「悟は少し黙っておいて!」
ひどい、そんなに話なんてしていないのに。
「け、結論から言えば、これは別のルートの僕からのメッセージだ」
輝星花は顔を真っ赤にしたまただが、それでも冷静に落ち着いて言葉を発する。
「やっぱりそうなの?」
「あ、当たり前じゃないか。この世界で僕はどう転んでも男なんだぞ? 流石に男性同士の結婚なんてできるはずないし考えてもいなかった。ましてやこの世界で使っている結婚の様式を僕がなんで用意する?」
「でも、してるよ。これを書いたお姉ちゃんは」
「いやそれはっ!」
しばら婚姻届を見ていた絵理沙。
「うーん……」
絵理沙は白い顔のまま、汗をいっぱい額に浮かべてソファーまで戻ってきた。
ソファーに座った後に何度か深呼吸をして、そして手紙にしっかりと目を通した。
「なるほど……なるほどね……」
ため息をついて絵理沙は天井を仰いだ。
「……私が今からやろうとしていた事を実行に移すと一年前から先の未来が変化するんだ」
「そういう事になるみたいだね」
「そして、その世界では輝星花は女性のままで、そしてあさってには悟と……」
絵理沙の瞳が潤んでいる!? なんで? 俺は何もしてないぞ?
「結婚するんだね……」
確かに婚姻届だけ見ればそうだけど……。
「ちょっと私に貸して!」
「あっ」
和実がひょいっと輝星花から手紙を奪った。
「和実っ!」
理紗は手紙をとり
「ええと、なになに?」
『本当のルートの野木絵理沙様』
「なにこれ? 輝星花からの手紙?」
『僕の狙いが正しければ、きっと絵理沙がタイムリープを試みるすこし前にこの手紙が届いているはずだ』
「えっ? もしかしてこの手紙って時間転送で送られてきたの?」
一人で驚いて、一人で音読している和実。
しかし絵理沙も輝星花も止めない。二人とも何故か俺の方を見ている。
『まず、絵理沙がタイムリープする前に教えておきたい事がある』
「ねぇねぇ、なんだかこれ、すっごいね。未来からの手紙とかってさ」
と絵理沙と輝星花を見るが、二人は睨み返していた。
少しだけど背中を丸めてビクっとした和実。それでも読み続ける。
『ま、まず……ひつとは悟くんは本当は絵理沙の事が好きだったという事実。絵理沙が馬鹿な間違いをしなければ、きっと悟くんは絵理沙を選んでいた』
「……これってほんとなの?」
絵理沙は答えないが顔がちょっと赤い。
『だが、君は間違った行動を起こした。そして世界の未来は変化した』
「なるほど、タイムリープは成功して、でもその影響で未来は変化したんだ……」
ちらっと全員を見渡す和実だが、誰も何も答えない。
「続けるよ?」
やっぱり返事はない。
『そして、正直に書くが……』
和実がちらりと絵理沙を見た。
絵理沙は不動のまま和実を見返す。
『しょ、正直に書くが、もう君はこの世にはいない。死んで……しまったから。本当に馬鹿だよ。絵理沙は馬鹿……だ……』
ここで和実の顔から血の気が引いてゆく。何も言わないが絵理沙をちらりと見ていた。
「って! これってどういう意味? 絵理沙!」
「和実、続けてくれ」
輝星花は動揺する和実に手紙を読むように命令した。
「読んで、お願い!」
絵理沙も。
和実は小さくうなずくと、少し息を吸い込んでから手紙の続きを読み始めた。
『え、絵理沙のいなくなったこの世界。そして君の狙っていたようにこの世界に魔法世界の干渉は殆ど無く、姫宮悟も男のままだった。そして、僕は悟と結婚をする。もちろん悟は男性で僕は女性だ』
「よ、よくわからないけど……今の世界と全然違う……って、わかってる、読めばいいんだよね」
『この手紙が本物か信じるかどうかは絵理沙次第だ。だけど、絵理沙ならばわかるだろ? これは本物だと。そして解るだろ? 僕は今とても幸せだと』
絵理沙の表情が信号のように赤くなったり白くなったりしてる。
『しかし、この幸せを噛み締められない。なぜならば今の僕には絵理沙のせいでとんでもない記憶が植え付けられているから。それは今そこにいる自分の記憶だ』
全員の視線が輝星花に向けられた。
『そっちの僕も悟が好きだったみたいだね。そして絵理沙の事もすごく大事に思っている。そして……』
和実の動きが止まった。手紙を見て手を震わせている。
「いいから続きを読んでくれ」
「で、でも……これって」
「いいから!」
『絵理沙の記憶から……絵理沙の記憶から消えたDNAレベルでの再生魔法の術式をここに記述する。魔法文字で簡略化しているがちゃんとしたものだ。どうやらこちらの世界の僕の中では、本来は絵理沙が使うはずだったDNAレベルの再生魔法を使えるようになっているらしい。これは絵理沙が死んでしまった影響なのかもしれない。だけど、これで絵理沙は悟を元の姿に戻す事が可能になるだろう』
「……」
『僕は絵理沙に姉として命令する。タイムリープはやめろ。もう必要はない。今その世界できちんと悟を男に戻して、そして自分の気持ちをぶつけるんだ!』
「……」
『別のルートだったとはいえ、僕は悟と結婚ができた事がとても嬉しかった。そちらの僕はどうかわからないが、僕はこの手紙を書いている時も悟を本気で愛している』
輝星花は俯いて瞼を閉じていた。
絵理沙はぐっと拳を握って唇を噛んでいた。
和実は瞳を潤ませて最後の文字列を読み終わろうとしている。
『この世界はきっと終わってしまう。本来のルートへと組み込まれてしまうだろう』
『それでも僕は後悔していない。なぜならそちらのルートに存在している僕も絵理沙も自分であり妹なのだから』
『悟』
『本当にありがとう』
『さようなら……』
「こ、これで終わりっ!!!!」
和実が声を荒げてから、ぐっと溢れる涙を腕で拭った。
「あーもう! 何この安っぽい映画みたいなの! 最悪最低! 音読させたの誰だ!」
お前だろという突っ込みをしたいが、無理っぽい。
「もうっ……やだっ! ほんとこの姉妹はっ!」
和実は泣きながら文句を言いまくり、最後に手紙を絵理沙にたたき付けた。
「はいっ! 万事解決! その魔法で悟くんを元に戻して終わり! もうタイムリープとかやんなくていい!」
和実はずんずんと扉まで進むと。
【ピシャン!】
ドアは激しい音を立てて閉まり、和実はいなくなった。
残ったのは絵理沙と輝星花と俺。
「本当にもうタイムリープの必要はなくなったみたいだね」
チンチンと蛍光灯が鳴っている特別実験室の中。
輝星花は床に落ちている婚姻届を拾いあげた。
「しかし、別のルートでは僕は悟くんと結婚とか……あはは、本当に想像もできない事だね」
そして、輝星花もそのまま部屋からいなくなった。
最後に残ったのは絵理沙と俺。
「ねぇ悟」
「なんだよ?」
「これ、なんなんだろうね?」
「うーん……難しいな……色々と」
「だよね? 私にもよくわからない……でもね?」
絵理沙は俺の横までくると苦笑した。
「私がタイムリープをしたから別の世界での私は死んだ。私が死んだから別の世界の輝星花は私の再構築魔法を使えるようになった。そして、結局は別の世界はタイムリープをしない私がここにいる時点で消滅してしまっている」
絵理沙はじっと手紙の魔法術式を見ていた。
「これってさ、本当に正しかったのかな? 正解なのかな?」
鶏が先か、卵が先か。そういう論点に似ている気もするが、やはり何かが違う。
だけど、目の前にある手紙は消えない。ちゃんと残っている。
「絵理沙、俺はこう考えてるんだ」
そして俺にも俺の考えがある。
「この世の中には多数のIFのルートがあるんだよ。このルートだってそのIFのルートの一つかもしれない」
そう、どれが正解かなんてわからない。
「絵理沙がタイムリープした世界が消滅したのかはわからないし、輝星花と俺が結婚した世界だって消滅したとは思っていない」
だから、どれも正解なんじゃないのか?
「現にその手紙は消えてない。世界が消えたのならば手紙も消えるんじゃないのか? 違うかな? 絵理沙」
絵理沙は手紙をじっと見た。
「そうね、そうかもしれない」
どこか納得いかない表情で手紙を見ている。
「俺たちはこの世界で一生懸命に生きればいいんだよ。結果的に俺は元に戻れる未来が見えたんだから、これはこれで正解だよ」
俺は絵理沙の手を取った。柔らかくってすべすべしている手を握った。
「絵理沙、頑張ろうぜ! 俺たちは俺たちでさ! 別ルートの俺たちがせっかくくれた未来なんだから!」
「悟……」
絵理沙はくるりと俺の握っていた手を廻す。そして……。
「おまっ!」
「えへへ」
これが俗に言う恋人握り!?
指と指を絡めて握り合う!?
「恥ずかしいからやめてくれよ」
「なんで?」
「だから恥ずかしいって言ってるだろうが!」
「うーん? でもさ、ここで練習しておかないと恋人同士になった時に困るよね?」
「い、いや待て! どうしてそういう考えになる? 俺は絵理沙の告白を断った男だぞ? それに魔法使いと人間は結婚できないんだぞ?」
すると、絵理沙はまるで悪魔の宿ったような暗黒の笑みを浮かべたのだった。
ここで一区切りです。
そして、これから終わりに向かって進んでゆきます。
ちなみに、最終章はそれほど長くない予定です。




