149 友達 後編
俺が友達だと認めた台詞を吐いてから数秒後、正雄はゆっくりと顔をあげた。
なんともいえない表情で俺を見ている。
そんな正雄の表情を見てまた胸が痛む。
「正雄、そんな顔するなよ……お前がそんなに意気消沈いてる顔、見たくないんだよ」
「バカ、お前がさせたんだろ……」
「……そっかすまん」
そう、確かに俺のせいだ。
俺が正雄をこんな表情にさせたんだ。
俺が正雄にまで綾香の姿に戻った事を隠そうと思ったから。
「でも、ありがとうな、悟」
なのにお礼を言われてしまった。
「何がだよ?」
「お前は俺を友達だと言ってくれた。悟だって認めてくれた」
ちょっと照れぎみに微笑む正雄。
見ているこちらが恥ずかしくなる。
「何をいまさら? 認めるもなにも、俺を悟だってお前が最初から決め付けてたんだろ?」
「ああ、そうだよ。だってお前は悟そのものだったからな」
「なんだよ? そんなにバレバレだったのか?」
「ああ、見たらすぐにわかった。お前だってな」
「な、なんだと? お前ってどんだけ俺を見極める能力をもってんだよ?」
「いやいや、普通にお前はお前の妹と違いすぎてるから」
「マジカ」
なんだろう? さっきまでの心臓の痛みも震えもすべてが消えていた。
これが安心感なのか? そうか、俺って正雄に正体がバレて安心したんだ。
そしてこみ上げるこのドキドキ感。なんだか嬉しさが溢れてくる。
よかった。正雄にばれてよかった。
さっきまであんなに自分は悟じゃないと否定していたのに俺もつくづく調子がいい奴だ。
「でさ、お前の左手の甲を見せてくれよ」
「えっ? なんで?」
ちらりと自分の左手の甲を見た。
甲にはもちろん妹にあるホクロなんてない。
「いいだろ? もうどうせ正体はバレてるんだからさ」
「いやいや、だったら見る必要ないだろ?」
思わず左手を背中に隠してしまう。
「一応はハッキリ確認したいんだよ。お前が悟だって」
「マジで?」
「ああ、ダメか?」
別にここで左手の甲を見られて何かある訳じゃない。
なのに何でかあまり見せたいとは思わない。
だけど、このなんともいえない後ろめたい気持ちも、きっと左手を見せてしまえば消えるのだと思う。
そうだ、見せてしまおう。
「わかった」
俺がゆっくりと左手を背中から動かしてゆくと。
「あーやっぱり別の場所で確認する」
いきなり正雄が動いた。それも俺に向かって。両手を広げて。
そして、体に衝撃が走った。っていうよりもこれって!?
「!?!?!?!?!?!?!!?」
どうして? なんで? 意味がわからない。
なんで俺が正雄に抱きしめられなきゃいけない?
「正雄!? 何するんだよ! 手の甲は? 手の甲は見ないのか?」
「もういい」
「もういいって!?」
真面目にこの状況になった意味がわからない。
正雄は俺に抱きついて何をしようとしているのか?
「なぁ悟」
「な、なんだよ?」
「もう絶対に放さないからな」
優しげなドキッとする台詞に俺の心臓が跳ね上がった。って何を言いだすんだ?
お前、それってどういう意味だよ? その台詞ってこういうシーンで使うのはおかしいだろ?
そういうのは追いかけていた女を捕まえた時の台詞だろ?
……えっ? まさか俺が追いかけていた女って事?
マジか? マジでそういう事なのか? 正雄!
なんて聞けない俺がいる。
「お前、すっげー柔らかいんだな。あと、すごく良いにおいがする」
「ば、バカ! お前、変態かよ! 匂うとかやめろよ!」
「ん? 知らなかったのか? 俺は結構な変態だぞ?」
「認めるなよ!」
今まで以上に心拍数が急激に上がってゆく。心臓が痛いほどに鼓動する。
さっきとは別の意味で俺の体は緊張感に包まれていた。
「離せ! もういいから離せよ!」
「って、さっきからなに動揺してんだよ悟」
「お前が動揺するような事をするからだろうが!」
「ふっ、甘いな」
正雄は左頬で少し笑うだけで抱いた俺を放そうとしない。
そして正雄の左腕に力が入った。
俺の丁度腰の部分にあった正雄の手がぐいっと俺を正雄の体へと引き寄せる。
完全に密着する体。一気に体中の熱が放出される。
「やっぱり首筋のホクロもないな」
「ホ、ホクロ?」
「そう、ホクロだよ」
「なんだよそれ?」
背中からするりと廻していた右手で、正雄は躊躇なく俺の髪をあげ首を露にしていた。
そして首筋にふっと正雄の息がかかる。
「く、くすぐったい!」
「ん?」
目が合った。
距離にして十数センチまで迫ったところまで正雄の顔が迫っている。
いやいや、これってどんなシチュエーションなんだよ?
「お前は知らなかったのか? お前の妹の首の後ろのここだ。ここにお前の妹はホクロがあるんだぞ?」
つんっとつつかれる。さらにくすぐったい。
「し、知るか! って言うか、くすぐったいって言ってるだろうが!」
「お前ってさ、妹が大好きなのに妹の事をあまり知らないよな?」
「いやいや、その前に何でお前が知ってるんだよ? そうそう首なんて見れないだろ?」
すると正雄は悪気もなく言い放った。
「たまたま春風に煽られて髪がふわったお前の妹がいてな。そのときに見えただけだ」
「いやいや、なんだそれ? お前、いつでも綾香を見ているって言うのかよ?」
「いや、いつでもじゃないぞ? たまたまだって」
「それってたまたまで気がつくレベルか? ホクロだぞ?」
しかし正雄の顔が近すぎる。息づかいを感じる距離すぎる。
そんな至近距離で正雄は俺の瞳を覗き込んだ。
正雄も俺の行動に気がついたのか、俺の瞳をじっと見返してくる。
一秒。
二秒。
…………。
八秒。
九秒。
十秒が経過した所で俺の限界がやってきた。
「こ、こっちみんなよ!」
「お前が見てたんだろ?」
なんで俺が正雄と見詰め合わなきゃいけないんだよ?
くそ! くそーーーーーー! はずかしすぎる!
「お前も見てただろ!」
「お前が見てたからだろ?」
視線を戻すとまた目が合ってしまった。
俺は思わず火照る顔を正雄の胸に押し当ててしまった。
「最低だよ! お前は最低だ!」
「何がだよ?」
「まずな? いきなり女子に抱きつくとかありえねぇだろ!」
「いや、お前は男だろ?」
「だけど体は女だ!」
「確かにそうだな。でも、俺が抱きついたくらいでこんなに動揺するってどういう事だよ?」
「あ、いや……いろいろあるんだよ!」
「もしかして、俺を意識してるのか? って冗談だけどな」
普通なら男子が女子に向けて放つにあたり、躊躇するべき台詞が飛んできた。
そして俺の顔は急激に熱くなった。
別に意識している訳じゃない。正雄を意識なんてしていない。なのに……。
「あ、ある訳ないだろうが!」
体中の熱が顔に集まってゆく。
いやいや、この反応っておかしいだろ?
「そういや、お前、反応が女みたいになってないか?」
「こ、このやろう! 今度はそんな事を言うのかよ!」
正雄の胸から顔を離して顔をあげると、そこには正雄の顔があった。
「ひゃ!?」
「ん? なんだよ?」
すぐに顔を下へ向ける。
【あ、あれ?】
ドキドキドキドキ……。
心臓が引きちぎれそうな程に鼓動した。
やばい、少し動けば唇だって重ねる事が出来そうな距離にドキマキしている俺がいる。
この反応が異性に対する反応だというのは、いくらなんでもわかる。
【ダメだろこれ? なんだよこれ?】
そう、俺は正雄を異性として意識しているらしい。
俺の体が正雄を異性として受け入れているみたいだ。
【正雄にまでこんな……ありえないだろ?】
今までこんな事はなかった。正雄に対してこんな反応を起こすなんてありえなかった。
現に正雄に今までこんな反応をした記憶はない。
前に綾香になっている時だって、こいつにこんな反応をした記憶はない。
なのに、なんで正雄に抱きつかれただけでこんなにドキドキしてんだろう?
おかしい。本気でおかしい。
今日の俺は完全におかしい。
大二郎にも正雄にも……おかしい!
【こんな事があるはずない!】
「は、放せ!」
「おっ!?」
俺は両手に力を込める。そしてそのまま正雄の胸板を突き放した。
さすがは男のパワーが残っているだけはある。
しかし、正雄の体が離れたのに体は火照ったまま熱は収まらない。
「断りもなく勝手に抱きつきやがって!」
「そんなに嫌だったのか?」
「嫌とかそういう前の問題だ!」
なんでこうなるんだ? おかしいだろ? さっきの反応。
俺が正雄を意識してる? なんで? ほんとに何で? って!? この原因はもしかして……。
ふと思い浮かんだ不安材料に俺の熱は急激に下がり始めた。
「悟? どうしたんだよ?」
「いや……え、えっと……」
正雄にこんなおかしな反応をした原因。
考えられる事はひとつ。
それは俺の女性化が進んでいるって事だ。
だから、俺の体と思考が勝手に女性として反応しているのかもしれない。
「正雄」
「なんだ?」
「俺を……も、もう一回だけぎゅっとしてくれないか?」
「えっ? マジか? 嫌なんじゃないのか?」
「嫌だ!」
「だったらやめとけよ?」
「いや、ええと、色々な検証があってあだな……マジで、ちょっとでいいからぎゅっとしろ」
目を細めてじっと俺を見る正雄。
「後悔すんなよ?」
「先にしておくからいい」
「……仕方ない……わかった。後で文句言うなよ?」
正雄がゆっくりと寄ってくる。
近寄るだけでもまた心臓が高鳴る。
やばい、やっぱり俺って女性化してる? これは女としての俺の反応?
だから、大二郎の時も気持ちがあんなに高ぶったのか?
【ギュ】
考え事をしている間に俺は正雄に抱きしめられた。
「ひゃぁぁぁぁ!」
「どっから声だしてるんだよ?」
「あ、いや、うん」
「ええと、もうそろそろいいか?」
やっぱりだ。俺の体は俺の意に反して正雄に反応している。
だけど、いくら女性化してても全ての異性にこういう反応はしていないはず。
そうなると……考えられるのは……。
俺の脳内でとんでもない結論に達した。
「は、はなせ! もういい!」
するっと抜けるように正雄のハグから脱出。
三メートル離れた場所まで移動した。
「どうしたんだよ悟? なんでファイティングポーズなんだよ」
「色々あるんだよ!」
「色々?」
「色々と戦ってるんだよ!」
「……まぁ、うん、そうか」
やっぱり俺って完全な女になりかけている?
これじゃ男だ男だと言い張るただの女だ。
このまま女になって正雄まで……。
いっきに心が締め付けられた。とてつもない不安で。
「ま、正雄? どうしよう? 俺どうしよう?」
「何がだよ? って言うか、どうしたんだよ?」
「俺、やばいかもしれない」
「何がだよ? 何がやばいんだよ?」
「あのな? 俺って意識してないのに女っぽくなってきてるんだよ! お前に抱かれたら心臓がすっげードキドキするんだよ。お前が相手なのに……おかしいんだよ」
正雄の眉がひくりと反応した。
「そうか。でもまぁ、多少は女ぽくなってるかもしれないけど、それでもお前の本質は男のままなんだろ?」
「そうなんだよ! そうなんだけど……それでも俺の女性化は確実に進んでるんだ! わかるか?」
正雄は眉間にシワを寄せて左頬をぴくりと動かした。
「あのさ、悟」
「なんだよ?」
「お前の女性化が進むと何かデメリットがあるのか?」
「デメリット? お前、俺が女になって逆に何のメリットがあるんだよ!」
「あのな? 例え今のお前が女になったとしても、元の男に戻ったら今度は男性化していくんじゃないのか? 男に戻るんじゃないのか?」
「あ、ああ……そういう事か」
確かにそうかもしれない。女になって女性化するんなら男になって男性化だってするかもしれない。
あと、正雄の言っていた女性化が進む弊害をあまり深く考えていなかった。
俺の気持ちが女になってしまう? 俺が女性として異性を好きになってしまう。それだけなんだろうか?
考えてみれば、世の中には百合カップルだっている。
だから女として女を好きになる事だってある可能性もあるんだ。
では、女性化のリスクとは本当に何なんだろうか?
「お前が女の心になっても、俺はお前が男だって認識してるし、男に戻るまでちゃんと傍にいてやるし」
「そ、そっか……そうだよな? 俺が女になる弊害って何なんだろうな?」
「だろ? 別に死ぬ訳じゃないんだろ?」
「そうだよな? 別に死ぬ訳じゃ……」と俺が話しをしている途中で、いきなり別の声色が耳に入ってきた。
「もうそろそろいいですか?」
はっと声の方向を向くとそこには俺の知る女が。って何でここに!?
俺たちから数メートル離れた場所に女の子が立っていた。
彼女はにこりと微笑み、自転車に跨ったままこちらを見ていた。
そう、彼女の名前は「栗橋・サンライズ・南」
俺の妹の別の姿。




