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ぷれしす  作者: みずきなな
前途多難な超展開な現実
148/173

147 二度ある事は?

 夕暮れの田んぼのど真ん中の道で響いた急ブレーキの音。

 いきなり農機具小屋の影から飛び出した男。

 そして、男は両手を広げて俺の行くてを阻む。


 対峙する俺と男。


 全身の毛穴から吹き出る汗。


 一気に上がる体温。


 むちゃくちゃな鼓動になった心臓。


 なんでお前が?


 疑っても無駄だ。


 俺はこいつを見間違えない。と言うよりも見間違える訳がない。


 筋肉マッチョな体格とごっつい両手。


 俺はこいつと一緒の空手道場に通っていた。


 で、なんでお前がここにいるんだよ! 大二郎!


 そう、俺の行く手を阻んだのは大二郎だった。

 清水大二郎という男子だった。


「こ、こんにちは? どうしたんですか? いきなり飛び出すからびっくりしましたよ」


 大二郎と綾香は知り合いじゃない。

 いや、本物の綾香が戻る前までの綾香であった俺はこいつと面識があったし知り合いだった。

 ……知り合い以上の関係だったかもだけど……だけど本物の綾香と大二郎は知り合いじゃない。

 今の俺は本当に妹の代わりなんだ。

 こいつとは普通にしなきゃいけない。動揺なんてしちゃいけない。


「お前に用事があったからな」


 大二郎は両手をゆっくりと下ろすと俺の正面へ歩み寄った。

 そして、俺の体はなぜだか急に体温をあげ、全身からは汗が吹き出、心臓は本気でやばいくらいに強く鼓動してしまう。


 ば、馬鹿か? 今までぜんぜんこいつの事なんて思い出してなかったじゃないか!


 そう言いつつ思い出してしまった。こいつに告白をしてしまった、あの日の事を。

 だけどあれは終わった事。もう終わった事なんだ。だから頑張れよ俺。


「ええと? 清水先輩ですよね? 私に用事ってなんでしょうか?」


 しかし、思った以上にこれはきつい。

 なんて言うか……なんでこいつにこんなにまたドキドキしてんだよ俺?

 早くどうにかここを切り抜けないと。


「んっ……」


 俺を覚えてないのか? と聞きたげに俺を見てきやがったし。

 じゃあ心の中でだけ答えてやるよ。

 覚えてるよ! だけど設定上は覚えてないんだよ! わかったかコラ!


「どうしたんですか? ちょっと怖いです」

「覚えてないのか? まったく」


 俺は周囲を確認した。あたりに人気はない。前にも後ろにも人影は見えない。

 万が一にでも下手な事をしても誰に聞かれるという危険はなさそうだけど。


「いえ、お兄ちゃんと一緒に道場にいたのを見てますから、覚えてはいますよ?」


 大二郎の眉間にシワが寄った。


「だけど、こんな場所で私を待ち伏せるなんて……何か急用なんですか?」


 違和感を出さないように自然に、なるべく丁寧な会話を試みる。


「ああ、そうだ」

「……で、ご用件はどういう事なのでしょうか?」


 ちなみに、冷静を振舞っているが、一言ひとこと交わすごとにドキドキと心拍数が上がっている。

 思い出したくないのに、大二郎との想いでが脳内で再生されまくって俺を混乱させている。


「おい、まず言っておく。姫宮綾香、お前はかわいい」

「へっ?」


 予想外の言葉にカーッと顔が熱くなった。

 真顔で突然なにを言うのかと怒鳴りたくなるが、だけど怒鳴る訳にもゆかない。


「あ、ありがとうございます。だ、だけどなんですかいきなり? ナンパですか?」

「……あ、いや……そうじゃない」


 そして、今さら何を言ったのかを理解したのか、見れば大二郎も顔が真っ赤になっている。

 赤くなるなら言うなよ! 文句が言いたくして仕方ない。


「で、用事って何でしょうか? 私にかわいいって言うのが用事だったんですか? そんな訳ないですよね?」


 懸命に笑顔を振りまく。頬肉が無理をするなってひきつる。

 顔が熱い。すごく熱い。たぶん、俺の顔は赤くなっているはずだ。

 くっそ、はやく逃げたい。こっから逃げ出したい。


「そうだな、用件は別にある。」

「じゃ、じゃあなんですか?」


 大二郎はごほんと咳払いをすると、また真顔になった。

 少し頬に赤みを帯びているが、それでも大二郎の表情は真剣そのものだ。

 同時に俺は不安に襲われる。こういう展開になってたいてい良い事はない。

 ゲームでも小説でもリアルでもそう相場は決まっている。


「姫宮綾香」

「は、はい」

「率直に聞く。もしも間違っていたらすまん」


 大二郎の言葉にごくりと唾を飲み込んだ。心臓はドキドキと高鳴ったまま。

 俺は無意識に胸をぎゅっと右手で押さえていた。


「……な、なんでしょうか」


 すでに俺は理解している。

 こんな反応を本物の綾香がする訳がないって。

 絶対に大二郎は違和感を感じているはず。俺を本物の綾香だと思っているのなら。

 そして、逆に……俺を偽者だと思っているのなら……


「姫宮綾香」


 しかし、登校初日に二度も危機一髪イベントが発生するとは思っていなかった。

 マジでどうしてこうなるんだか、俺はそんなに運がよくないのか?


「お前は……」


 大二郎は相変わらず真剣な表情だ。その中にも何か自信に満ちた笑みが見える。

 俺の瞳をじっと見ている大二郎の瞳を見て、俺は覚悟をした。


「……はい」


 俺は今から大二郎に投げ掛けられるであろう言葉の予想はできている。

 だけどマジでいつ気がついたのか解らない。

 こいつはどこでどう俺を見ていたんだろう?

 しかし絶対に俺の変化に気がついてる。

 佳奈ちゃんですら俺の中身が変わっているのがわかったんだ。

 俺が大好きな大二郎ならきっと……。


 俺を俺だと見極めてくれるはず。


「お前は姫宮綾香だよな? 俺が大好きだった前の姫宮綾香だよな?」


 そして、予想通りの質問がきた。

 同時にキュンと胸が痛くなった。


 ★☆★


 少し時間を遡る。

 日陰の体育館の犬走り。


「どういう事ってまんまだ! あと、お前、さっき元カノとか言ってたけど、俺は知ってるんだぞ? お前と姫宮綾香がつきあってなかったって事を!」


 清水大二郎の言葉に桜井正雄の頬肉がぴくりと動いた。


「そうか、それは綾香に聞いたのか?」

「ああ。そしてその時に姫宮綾香に告白された。俺を好きだってな!」


 ニヤリと微笑む大二郎。眉間にシワを寄せる正雄。

 そして少しの沈黙。

 次に正雄は小さくため息をついた。


「なぁ大二郎」

「なんだよ?」

「お前はBLって知ってるか?」

「ん? ベーコンレタスバーガーか?」


 大二郎はアニメオタクでも漫画趣味でもない。

 こういう単語は本当に知らない。


「違う」

「BL、BL、びーえる? バレンライン?」

「なんだよそれ? 原油がでそうな名前だな」

「な、なんだその言い方は! じゃあ……Bってなんだ? ボーイなのか?」

「ああ、Bはボーイだ」

「ええと、じゃあ、ボーイ……ランチ! 男めしか!」

「ぷっ」


 正雄が小さな声を漏らして笑った。


「お前、笑うな! じゃあなんなんだよ! BLって! 教えろよ!」

「まぁいい。でもあれなんだろ? さっきのは嘘じゃないんだよな? 綾香がお前を好きだって言ったのは」

「あ、ああ……嘘じゃない。本当に俺を好きだって言ってくれたんだ。って、お前は信じるのか?」

「信じるよ……よかったじゃないか、好きな女に好きだって言ってもらって」

「ああ……嬉しいよ」


 少し照れる大二郎。

 そして、大二郎の肩をぽんっと正雄が叩く。


「じゃあ、そう言うことで」


 そして、正雄はそのままゆっくりと大二郎の横を通り過ぎた。

 それを見た大二郎は慌てて正雄を追う。


「ま、待てよ! まだ話は終わってねぇぞ!」


 しかし正雄は止まらない。振り向かない。


「大二郎、俺はあいつの本物の恋人じゃなかったんだぞ? だから、姫宮綾香が前の姫宮に戻ろうが、戻らなかろうが関係ない」


 歩きながらたんたんと話をする。


「なんだよ? お前は気にならないのか? 前の姫宮綾香が戻ってきたんだぞ?」

「ありえるのか? そんなの」

「ありえるんだよ! 俺だって信じられないけど」

「……そこまで自信あるのか?」

「ああ、ある! 俺はあいつを見間違えない!」


 そのまま体育館の横をすぎ二人は駐輪場までやってきた。


「正雄、マジでお前は気にならないのか? どうなんだ?」

「……気にならないって言えば嘘になる。だけど、気にするつもりはない」

「なんでだよ?」

「なんででもだよ」

「でも気になるんだろうが!」

「煩いな、大二郎は何がしたくて俺をここに呼び出した!」

「だから、最後まで話を聞けよ!」


 正雄は自転車に跨って振り返り、強めの口調で大二郎に言い放った。


「俺はな、お前にどうこう言う義理もないし義務もない! そしてお前の意見を聞く義理も義務もない!」

「だ、だが! 正雄だって」

「もう一度言うぞ? お前は姫宮に俺は本物の彼氏じゃないって聞いてたんだろ? お前はあいつに好きだって告られたんだろ? だったらお前の好きにしろよ! お前が玉砕しようが結婚しようが俺には関係ない! そうだろ? それとも俺に何かして欲しいのかよ? 俺に姫宮綾香にアタックして欲しいのか?」

「ち、違う! そうじゃない!」

「じゃあ何だよ? お前の好きにすればいいだろ!」


 正雄が自転車のペダルを踏み込むと同時に大二郎が叫んだ。


「正雄! 俺は知ってるぞ! お前だって前の姫宮綾香が好きなんだろ! おい!」

「……っ!」


 一瞬だけ自転車が止まる。だか、そのまま自転車は走り出した。


「おい! いいのかよ! お前はいいのか!」


 正雄は結局、そのまま自転車を漕いで学校から出ていった。

 駐輪場へ残された大二郎は険しい表情でぐっと拳を握る。


「ああ、わかった……お前がそういう考えならな……俺は俺の好きにしてやる! 後悔してもしらねぇからな!」


 そして立ち去った正雄は別の事を考えながら走っていた。


『悟、おまえ、また姫宮綾香の姿に戻ったのかよ!? くそが! 何やってんだ! おまけに……大二郎に告白したって聞いてねぇぞ!』


 ★☆★


 そして時間は戻る。


 俺は全身の毛穴が全部開いて汗が一斉に吹き出るような感覚に襲われていた。

 周囲には少し冷たい風がながれているのに、全身が熱くてたまらない。

 こういう質問がくるって覚悟をしていたのに……。

 何で俺は嬉しいって思った?


「綾香、答えてくれ。お前は姫宮綾香だろ? 違うのか? いや違わない! お前は俺が好きな姫宮綾香だ! 俺がお前を見間違える訳がない!」


 確かに大二郎の言う通りだ。だが、


「私は姫宮綾香ですが先輩の好きだった綾香だと言われても困ります。何か証拠でもあるんですか?」


 認める訳にはゆかない。認めたら何かが終わる。

 俺は心の中で自分に向かって言い聞かせた。

 姫宮悟、正面の大二郎をしっかり見ろ! これじゃダメだろ!

 頑張れよ俺! お前はこんなもんなのか? お前は半年も姫宮綾香をやってたんじゃないか!

 そう言い聞かせてからぐっと歯を食いしばった。


「証拠ならある!」

「……どういう証拠なんですか?」


 大二郎は右手人差し指で俺の胸元を指した。


「まず、最近の姫宮綾香と今のお前とはリボンの結び方が違う!」


 はっとリボンを確認する。

 いったい何がどう違うのかわからない。


「それに、スカートの長さだって、前の姫宮綾香と同じ位置になってる」


 次にスカートも確認した。

 長さがどうとか気にした事なんてない。

 なんて奴だ。そんな細かい違いで判断してた?

 どう違うんだ? 何がどう違うんだよ?


「み、見間違いじゃないですか? 私は何も変えてないですし……」

「姫宮綾香、知ってるか?」

「何をですか?」

「好きな女は気になるんだよ……好きな女はずっと見ていたいんだ……だから、俺は姫宮綾香の全てを見ていたかったんだ……気にしていたかったんだ……例え記憶が消えてしまおうとも」


 最悪最低な空気が読めない台詞だった。はっきり言ってストーカー宣言だった。

 だけど、こんなストーカー宣言はゲームの中でくらいしか聞けないと思っていた。

 だけど、大二郎は言ってのけた。俺だと絶対に言えないような台詞を言ってのけた。

 ある意味尊敬する。そして……くそっ! なんだよ俺は!


「お前は姫宮綾香なんだろ? 前の記憶が戻ったんだろ?」


 いきなり、ぎゅっと右手が握られた。


「ひゃっ!」


 見れば、俺の右手が大二郎の両手で掴まれている。

 そのごつく硬い手く、覚えのある大二郎の手が俺の手を包んでいる。


「な、なにをするんですか!?」


 心臓が口から飛び出しそうなほどにドキドキしている。

 もしかして手から心拍が伝わったりしてないよな?

 いや、その前に手にいっぱい汗かいてるじゃないか。

 綾香がこんな過剰な反応するはずない。これはどうにかしないと。

 ……いや、ここまできたらもう完全にバレてるのか?

 じゃあ、俺がいくら頑張っても無駄?


 しかし、ここで綾香の顔が浮かんだ。


 いや、頑張らないと。俺がここで頑張らなかったら俺の未来はない。綾香の未来もないんだ!


「姫宮綾香、聞いてくれ!」

「手を離してください!」


 汗をいっぱいかいた手を大二郎の両手から引き抜こうとする。


「嫌だ!」


 しかし手は抜けない。まったく離れない。

 次に俺は自分のふとももをぎゅっつ抓った。

 痛みが脳に伝われば、少しだけど冷静になれるはずだ。しかし、


「お前が俺が好きな姫宮綾香じゃないのならもっとハッキリ否定してくれ! そうじゃないと俺はお前を諦められないんだよ! 未練がましいかもしれないけど俺は今でもお前を諦めてない! 今でも好きなんだ! 大好きなんだよ!」


 ダメだ。こんな状況で冷静になれるはずがない。

 最低だ、お前も俺も最低だよ……。何が大好きだ……お前、俺が男だって……知ってる訳ないよな。


「おい、聞こえてるのか?」

「聞こえてますよ」

「じゃあ、ハッキリ言ってくれ!」

「先輩、これってセクハラですよ? こんなのいきなりひどいです……あと、いきなり好きとか……冗談にもひどいすぎます」


 言葉とは裏腹に俺の心は痛んでいた。

 こうして全面的に大二郎を否定しないといけないはずなのに、俺の気持ちは別の想いで溢れていた。

 そう、それは禁断の想い。


「冗談じゃない。好きだ! マジで好きだ!」


 俺は禁断の想いを断ち切ろうと頑張っているのに、大二郎はぎゅっと俺を抱き寄せやがった。


 大二郎特有の少しだけ汗くさい男子の匂い。

 こんな匂いの中で抱きしめられたって絶対に嬉しくないし、綾香だったら悲鳴をあげるとこだろう。


「離してください! これは完全にセクハラですよ!」


 そう言いながらも俺は拒みきれていなかった。


「じゃあ抵抗しろよ。俺を殴れ。警察に突き出せばいい!」


 こいつマジで馬鹿だ。そんなの出来るはずないだろ? お前を警察に突き出すとか。


「なんだ? 抵抗しないのかよ? お前は俺に抱かれたままでいいのか? って事は認めるのか? お前が俺が好きな姫宮綾香だって」


 懐かしい大二郎の匂いがなぜだろう、安心感を与えてくれていた。

 ぶらりと下ろした両手をこのままあげて、そのまま大二郎の背中に廻してしまいたいとすら思っていた。

 ここで今度は輝星花の顔が浮かんだ。綾香じゃなくって。

 しかし、なんでお前をここで思い出すんだよ? ここは前みたいに綾香な場面だろ? なんでお前なんだよ?

 だけど丁度いいか。お前はどう思う? こんなのダメだって思うか? 思うよな?

 だって、俺はお前を拒んだんだ。絵理沙だって俺は拒んだ。

 なのに、大二郎を……。怒るよな? 腹立つよな?


 ……そうだよな。こんなんやっぱりダメだ。


「し、清水先輩の力が強いから抵抗できないだけです!」


 ああ、解ってるよ。俺だってわかってるんだよ!


「離してください!」


 全力で俺は大二郎を突き放した。

 その瞬間、大二郎の表情が疑念の表情へと変化した。

 疑っている。俺を疑っているんだ。

 もしかしてこいつは本当に好きだった姫宮綾香じゃないのかって疑ってるんだ。


「本当に違うのか?」

「だから違うって言ってるじゃないですか!」


 違わないよ。俺は嘘を言っているんだ。


「本当に違うのか? マジで俺の勘違いなのか?」

「勘違いという前に、私を好きだったってどういう事ですか? 私はぜんぜん意味がわかってないんです! いきなり抱き寄せられて気持ち悪いです! 最低です! 私、先輩のことなんて」


 今はお前に嘘をつかなきゃいけないんだから。


「大嫌いです!!!!!!」


 唖然とした表情で大二郎は俺から離れた。


「そ、そうか……」


 そして、ゆっくりと俯く。

 俺の体は火照ったまま。顔も熱いままだ。


「……お前は俺の好きだった姫宮綾香じゃないんだな?」

「だから違うって言ってるじゃないですか! 気持ち悪い!」

「あはは……そうか」


 次に顔をあげた大二郎の表情は何かを諦めたような表情だった。

 寂しそうな、それでも微笑む大二郎。

 そんな表情を見ていると「お前の言うとおりだ! 俺はお前の好きだった姫宮綾香だ」って言いたくなってしまう。だけど、


「前の私がどうだったか解りませんが、今の私は先輩の彼女でもなんでもないんです。今日はお兄ちゃんの知り合いでもありますし、特別に許しますが、今度やったら本当に警察に通報しますからね」


 ごめんな? すまん。これしか選択肢はないんだよ。


 大二郎はアスファルトの上に土下座をした。


「すまん! 本当に申し訳ない……」


 冷たいアスファルトに頭を押し付けた。


「や、やめて下さい。そんな事をして欲しいって言ってないじゃないですか」


 顔を上げさせようと大二郎の肩を持つ。

 だけどあがらない。頭を下げたまま固まって大二郎は動かない。


「いや、ダメだ! 俺はお前にすごく酷い事をした。悟の妹に失礼極まりない事をしてしまったんだ……」

「解りましたから、もう二度としなければ何も言いませんから」


 締め付けられるような胸の痛みの中で俺の声は震えていた。

 自分でもわかる。きっと大二郎だってわかってるはず。

 だけど大二郎は土下座をやめない。


「姫宮綾香」

「なん……ですか?」

「最後に、俺の独り言を聞いて欲しい……ダメだろうか?」

「ダメ……じゃないです。はい……独り言ならいいですよ」


 正直、もうこれ以上は大二郎と一緒にいたくなかった。いたくないのに……このまま離れるのは辛いって思っている。


「ありがとう……姫宮」


 やっぱり疑いようのない事実だ。

 今の俺は精神的に女になっている。

 女性の部分がどんどん溢れてきている。


「……いえ」


 俺はすっかり楽観的になっていた。

 最近は女性っぽい気持ちも生まれないし、女性化なんて進んでないと思っていた。

 だけど違ったんだ。俺はやっぱり女性化をしてた。


 よく考えてみればそんなの今更だよな?

 だって俺は去年の年末にこいつに告白してるじゃないか?

 あの時から俺は男に戻っているのか? 戻ってないじゃないか。

 ただ、これ以上は精神が女性化しないように頑張ってただけじゃないか。

 そうだよ、こんな純情な乙女みたいにドキドキして、緊張して、焦って……顔もまともに見られなくって。


「今から話す事は流してもらってもいいからな。俺はただ、姫宮綾香という人間に俺の想い聞いもらいたいだけだ」


 これって完全に女だよな?

 大二郎が相手でこんなにときめく俺は完全に女になってんだよな?


「……頭をあげてください」


 だけど大二郎はやはり頭を上げなかった。そして、ゆっくりと落ち着いた口調で語り始める。


「俺は去年の夏、恋をした。そう、相手の名前はお前と同じで姫宮綾香。記憶喪失だった時のお前だ」

「……はい」


「記憶喪失をしていた時の姫宮綾香が俺の初恋の相手だ。信じられないかもだけどな」

「……信じられません」


「だよな? ……で、その馴れ初めは、夏休みに姫宮綾香とお前の友達と揉めたんだ。些細な事が原因でな。でも、あの時は俺が馬鹿だったと思い。そして、最終的に俺は姫宮綾香にパンチを食らって気絶した。初めて女に負けよ」

「……そうですか」


「俺って馬鹿だろ? そんな事で好きになるなよって思うだろ? だけどな? 俺はそんな事が切欠で姫宮綾香という女を好きになったんだ。そりゃ最初はあのくそ生意気な女めって思ったぞ? あ、今のお前じゃないからな? でもな? 生意気だ、生意気だってずっと考えてたら気になって仕方なくなっていた。こんなの初めてだったよ。女なんて今まで意識した事なかったからな」

「……っ」


「俺はな? お前が記憶喪失だった頃の姫宮綾香のあの笑顔に、あの勇気に何度も助けられたんだ。秋に第二校舎で応援してくれた時は俺は心の底から嬉しかった。そして本当にこの女が好きなんだって再確認した。そのお陰で大会でも優勝ができた」


 俺は両手で胸を押さえた。

 大二郎の話の一言ひとことに胸がキュンキュンと痛む。

 大暴れする心臓をかきむしってしまいたい。だけどできない。

 ああ、腹が立つ。こんな女みたいな反応をしている自分の頭をカチ割ってやりたい。

 リセットボタンがあるのなら、脳内の記憶をリセットしてしまいたい。


「そして……俺は……」


 昨日の夜に行った色々なシミュレーションなんて何の意味もなかった。

 本当にこんな想定外な事態が起こるなんて予想してなかった。

 苦しい……マジで苦しい。


「去年の十二月に記憶喪失だった時の姫宮綾香に『先輩が好きです』って言われた事は忘れない。あいつと両想いだったって解って俺は人生最高に幸せだった。だけど、それと同時に不幸まで襲ってきやがった。そう、もう一人のお前にもうお別れだって言われたんだ。もう私は消えますってな……」


 やばい、涙腺が……。堪えないと。


「申し訳ないが、はっきりもう一度だけは言っておきたい。例えお前が俺が好きだった姫宮綾香じゃなくってもな」

「……ど、どうぞ」


 ここでやっと大二郎は顔をあげた。

 そして、大二郎の目の前のアスファルトには黒い染みがいくつもできている。


「ひ、姫宮?」


 そう、俺の涙腺がお前の言葉で崩壊してしまったよ。

 くっそ……またいい訳を考えなきゃいけないじゃないか。


「いいから、もう一人の私に言いたい事を言ってください」

「い、いいのか?」

「……いいですよ。どうぞ」


 じっと大二郎の瞳を見る。じっと瞳が見られる。

 たぶん、これが大二郎から受ける最後の告白。

 俺は女だとは認めたくない。女にだってなりたくない。

 絶対に男戻るんだって誓っている。

 だけど、今回は特別だ……。

 認めたくないけど……。


「姫宮綾香、お前が好きだ。ありがとう、本当にありがとうな」


 ぶわった涙が溢れた。やばいくらいに。

 いやいや、こんなに告白がくるものだとは知らなかった。

 これも女性特有の感情なのか?


「姫宮? 大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。私、ちょっと感動しちゃいました。自分の事じゃないのに……。だけどこれで解りました……あんな変な事を私にした理由が……でも、先輩って、そんなに前の私が好きだったんですか?」

「ああ……大好きだった。今でも大好きだ」

「そうですか……ありがとうございます」

「いや、こちらこそ……ってなんかおかしいよな?」

「あはっ、そうですね。だけどごめんなさい。私は姫宮綾香だけど先輩の好きだった綾香じゃないんです」

「ああ、わかった。だから終わりだ。本当に色々申し訳なかった。すまん」

「……いえ……色々と聞かせてくれてありがとうございました」


 ゆっくりと立ち上がった清水大二郎は笑顔だった。

 それが作ったものか、素なのかはわからないけど。

 だけど、笑顔だった。痛いくらいに。


「じゃあな! 姫宮悟の妹! またいつか逢えるといいな!」

「はい! その時は勘違いしないでくださいね!」

「善処する!」

「せ、先輩!」


 大二郎は、何で気がつかなかったんだ? ってくらいに思いっきり目立つ場所に置いてあった自転車に跨るとそのまま立ち去った。

 そして、田んぼのど真ん中に残された俺。


「まったく、ダメすぎだ。俺ってダメだな」


 悔しい。なんだか自分で自分が悔しかった。

 絵理沙や輝星花が相手にここまで自分の想いが募るならまだしも、なんで大二郎がこんなに想いが募るんだよな? 意味わかんねぇ。

 あんなガタイが良いだけの体育会系の汗臭い男に心を動かされるとか。最悪だろ。

 しかし、まさか俺がボーイズラブの片割れになるとか想像すらしてなかったな。

 あはは、まったく、これって腐女子が聞いたら心躍らせる内容なんじゃないのか?

 小説化? 漫画化? ないない。


 大二郎の去った道をもう一度確認する。

 だが、そこにはもう誰の姿もない。


「あー終わった終わった!」


 そう、これで終わりだ。

 これで大丈夫、大二郎とは完全に終わったんだ。


「くそぉぉぉーー!」


 俺は吼えた。大声で吼えた。


「あーーー! 早く俺を本物の男に戻せーーーーーー!」


 地面に向かって吼えた。


「絶対に……男に戻ってやるからな! 男に戻って彼女を見つけてやるからな! そして、俺の黒歴史を上書きしてやるからな!」


 俺は涙を拭って自転車に跨った。

 振り向いたがやっぱり大二郎の姿はない。

 再び前を向き、すっかり寒くなった田んぼ道を一人で家に向かう。


「あはは……やばかったな。マジでやばかった」


 まだ俺が女になって一年も経過していない。

 本気でこれは俺の黒歴史になってしまった。

 こんなの男に戻っても誰にも言えないだろ。いや、絶対に言わない。


「俺が乙女? 笑える」


 あーあ、いい訳ばっかりで未練ったらしいな俺も。


「……大二郎」


 再び自転車を止め振り向いた。

 日が傾き、空にグラディエーションがかかっている。

 そんな幻想的な夕焼けの中で俺はつぶやいた。


「大二郎、最後だから正直に言っておくぞ。俺もお前が好きだ!」


 そして再び自転車に跨ると俺は再びペダルを漕いだ。と思ったら、また誰かが目の前に!?

 キキーと急ブレーキ。


「お前、その気があったのかよ? 気持ち悪すぎだろ」

「っ!? へっ!?」


 正面を見れば桜井正雄の姿。

 吹き出る汗。跳ねる心臓。今日、三度目のピンチ!

 二度ある事は三度ある? 仏の顔も三度まで? 三度目の正直? ツ、ツナ三度?

 いや、えっと? これってどうなってんだ!? なんで正雄がここに!?


 先ほどの大二郎とのやりとりから数分。

 今度は田んぼの中の道で正雄と対峙した。

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