116 ピンチ 後編
今年の春の事だった。
「お兄ちゃん!手の甲見せて!」
綾香から声をかけられた。
「ん? 甲? なんで?」
「いいから見せてよ」
「……いいけど?」
綾香はじっと俺の左手の甲を見ていた。まるで何かを探しているように。
そして、綾香は左拳を顎に持ってゆき眉をよせた。
「お兄ちゃんは手の甲にホクロが無いんだね……」
「前から無いぞ? でも何でそんな事を聞くんだ?」
すると、綾香は自分の左手の甲を俺に見せた。
「ほら! ここにホクロがあるでしょ? あれだよ? 手の甲のホクロって器用だっていう証拠なんだって」
「あはは、そんなの迷信だろ? いい歳になって占いなんて信じるなよ」
「これは占いじゃないもん。ホクロ診断だもん!」
「はいはい、でもその診断も占いと同じだろ?」
「も~う! お兄ちゃんはそういうのに興味ないから駄目なんだよ!」
「何が駄目なんだよ」
「女の子は占いとかに興味があるんだから」
頬を膨らませる綾香が可愛い。
「でも、興味がないもんはないしな」
「駄目! それって夢がないよ!」
「駄目って言われても困る。俺は占いに夢を託したくないからな」
「だ~か~ら! ダメだよ? そんな事を言っていると、彼女に嫌われちゃうよ?」
「大丈夫だよ。いないし」
今度は腰に手を当てて唇を尖らせている。
うん、これも可愛い。
「そんな事で威張らないでよ! お兄ちゃんはいないんじゃなくって、作ろうとしていないんでしょ!」
「いやいや、彼女が出来るなら今すぐにでもほしいぞ?」
「えっ? 本当に?」
「な、なんだよ? そのニヤケ顔は?」
「ううん。欲しいんだなぁって思っただけだよ? えへへ」
そう、こんな事があったんだ。
☆★☆★☆★☆★
思い出した。綾香にはホクロがあった。
でも、なんで正雄がそんな事を知ってるんだ!?
綾香の手の甲のホクロなんて、そうそう確認する事は出来ないだろうし、正雄は綾香と付き合ってる訳でもないし、接点があった訳でもない。なのに何で?
俺の額を冷たい汗が流れ落ちる。背中にも汗をぐっしょりとかいている。
もし、ここに嘘判定機があれば絶対に俺は嘘をついているってバレるレベルだ。
「おい、悟の妹。入学早々俺と自転車でぶつかったの覚えてるか?」
何だそれ? そんな事は綾香から聞いない。
憶えているとかいう前に知らん!
「いや、覚えてないです……事故のせいかもだけど……」
でも知らないのはまずい。
ここは記憶喪失のせいにしておこう。
「記憶喪失か。そうか……」
「ごめんなさい」
「いや、いい」
「あの、そろそろ手を……」
「ああ……」
正雄はやっと手を離した。
「入学して数日たった日だよ。俺はお前と自転車でぶつかって、そしてお前がぶっこけたんだ。それで俺はお前を起こしてやったんだ」
「そうなんですか」
「お前が勢い余って俺に突っ込んできやがってな」
「えっ?」
「マジで痛かったぜ」
「あ、憶えてないけど、ごめんなさい」
綾香、なんで正雄に突っ込んでおいて俺には何も教えなかったんだよ?
いや、そう言えば綾香が人にぶつかったって言ってた気もするな?
でも、相手は正雄だったなんてまったく聞いてないぞ?
「まぁいい。でも、あと時はまさかお前が悟の妹だってわかんなかったぜ」
しかし、起こしただけで左手の甲のホクロがあったとかよく覚えてるな。
「そうなんですか?」
「ああ、それからしばらく経ってからお前が悟の妹だって知ったんだ」
「そうですか」
しかし、あまりこの会話をしてると墓穴を掘りそうだな。
相槌でなんとか凌げているのか?
「それにしても似てないよな」
「兄とですか?」
「そうだよ」
「よく言われます」
マジで言われるな。似てないって。
で、このまま会話がずれていけば……。
「で、話は戻るけどさ」
お前はエスパーかよ!
「お前の左手の甲にはホクロがあった」
「そ、そうでしたっけ?」
「よく憶えてる。間違いない」
「な、何でそこまで言い切れるんですか?」
「ん? お前が言ったんだろ? 先輩の左手の甲にもホクロがあるんですねって」
「えっ?」
なんだよそれ? 綾香、正雄に何を言った?
「私にもあるんですよって見せてくれたよな」
そして何を教えてるんだよ!?
「それで、先輩は起用なんですか? なんてイキナリ聞きやがってさ。これじゃ忘れたくても忘れられないだろ?」
綾香ぁぁぁぁ……。
俺は両手で顔を覆いたい気分になった。
「でも……今のお前には……ない」
正雄はじっと俺の左手を見た。
俺も自分の左手の甲を見た。そしてすぐに背中に隠した。
確かに俺の手の甲にはホクロは無い。
そうだ、俺は綾香の写真を元に蘇生したんだ。細かい部分まで完全に再現されてる訳はないのか。
という事は、俺の知らない部分で綾香と違う所が他にもあるかもしれないのか?
やばい、これは危険だな。こんど野木に相談しておこう。
「おい」
「は、はい」
「お前さ……」
「はい……」
俺は思わず唾を飲んだ。緊張が走る。
じっと俺を見る正雄の視線が痛い。
「ストレートに聞くけどさ」
「はい」
「お前は、本当に姫宮綾香なのか?」
マジストレートだった!
ドクンと心臓が跳ねた。
先ほどよりもすごい寒気が俺の全身を突き抜けた。
今すぐここから逃げ出したくなった。
でも、逃げられるはずがない。そして、ここで俺が偽者だとばれる訳にはいかない。
ここはうまくというか、無理やりにでも誤魔化さないと。
「み、見たままでしょ? 私は姫宮綾香です」
俺は無理にでも言い切った。
正雄はじっと俺の全身を見た。眉間に皺をよせて俺を見ていた。
もう、胸を見られようが、顔を見られそうが何とも思わない。
ただただ、綾香じゃないとバレないか心配で、心臓が緊張を表現するように強く鼓動を早めている。
「て、手の甲のホクロは……怪我で……消えたのかもしれませんから」
その言葉に疑ったような目つきになる正雄。しかし、
「まぁ……そうだな。そうかもな」
自分を納得させるように相槌を打ってくれた。
もしかして誤魔化せたのか? だったらここから早く逃げないと。
「わ、私もう帰ります!」
俺は慌てて駐輪場から逃げ出した。
後から思った。
逃げ出す事は疑われる事だったと。
それを俺は理解できず、いや、そこまで考えられずに俺は逃げ出してしまった。
俺は慌てて自転車の鍵を外すと駐輪場から逃げていた。
まるで逃亡者の様に思いっきり自転車を漕いで家へと向かった。
途中で何度も後を振り返った。
正雄が追いかけて来そうな気がしたからだ。
でも、正雄は俺を追いかけてくる事はなかった。
しかし、この行為は正雄に決して良い印象を与えていなかった。
そして、この事件から俺は正雄との関係がおかしくなるのだった。




