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「勝正……私は何時、そなたのもとへ……」
孫六の白湯は冷めていた。それでも温めようとするかのように、碗を包む手を離そうとはしなかった。
寂蓮が事の起こりを一通り吐き出し、一同は無言のまま時は流れる。
すると与吉と由蔵は顔を見合わせ、静寂を打ち消した。
「か、可愛そうな話だが、女をなんとかしなければ、村は救われねぇ」
と、同時に本堂から人の呼ぶ声に寂蓮は耳を傾けた。
「頼もう!」
誰かが呼ぶ。
「村のお方が誰か来られたのでしょうか?」
すると孫六がぼやく。
「いや、知らん声じゃ」
寂蓮は孫六の顔を一見すると、足を声の成すほうへ向けた。
「どちら様でございましょう?」
すると雪に塗れた伊右衛門がそこに立っていた。
袖からは着衣に凍みた雪が溶けだし、ひたひたと一雫、また一雫と滴っている。
顎の紐を解き笠を外し、深々と頭を下げた。
「拙者、村上伊右衛門と申します。しばしの休息を願いたい」
寂蓮は脇に太刀を添え、見た目には侍だが、どこぞの知れぬ者にも関わらず、奥の間に通そうとした。
「この雪の夜に雪装もせづに。ささ、中へ」
「忝のう御座る。しかし、白湯を一杯いたたければすぐに去り申す」
寂蓮はそれでも伊右衛門を中へと誘う。
「囲炉裏を灯しておりますし、濡れた着衣を乾かしくだされ」
すると、伊右衛門は押し掛けた上、これ以上寒い場所に尼僧と問答は迷惑と感じ、仕方なしに寂蓮の甘えに応じた。
「忝い」
「私はここの僧で寂蓮と申します」
二人は、そのまま孫六等がいる居間へと進んだ。
寂蓮が障子戸を開け、伊右衛門を中へ通すと、伊右衛門は孫六達に気付いた。
「他の客人も居りましたか。やはり拙者はおいとま致した方が……」
だが、寂蓮にさらに押し込まれ伊右衛門が折れるしかなかった。
伊右衛門は白湯を差し出され、その温さは身体に活力を漲出した。
伊右衛門は孫六や与吉等の顔を一辺見渡すと、寂蓮に寺に来る途中の出来事を語りだす。
「寂蓮様。一つ聞きたき事が御座る」
「はい。何なりと」
伊右衛門は白湯を足元にそっと置いた。
「ここはまだ戦場で御座るか?」
「はて?戦どころか、この地は一度も戦場と成り得た事は御座りませぬが……」
妙な事を口走る伊右衛門に与吉等も顔を覗く。
「如何なされました伊右衛門殿?」
伊右衛門は語るのを躊躇うかのような素振りをするが、そのまま続けた。
「実は先程、此処へ立ち寄る途中、不思議な事がごさった……」
伊右衛門は目の前に武者が現れ言伝を言い残し去っていった事を話した。
「しかし、不思議と思おたのはその後。去った後には蹄の後すら残っておらなんだ……」
寂蓮は即座に聞き返した。
「名を申しませんでしたか!」
伊右衛門は寂蓮の慌てように驚いたが、目を見るや何かあると悟らずにはいられなかった。
「本間道次郎勝正殿と……」
「やはりそうであったか」
寂蓮は孫六の肩に手を差し伸べた。
「勝正殿が……」
孫六は冷めた白湯を飲み干し、その時口元から漏れた一雫が喉元をしたり、皺に滲んだ。
すると、寂蓮は与吉等に話したことを伊右衛門に刻々と告げる。
「なるほど。そうであったか」
何時しか与吉と由蔵は肩を寄せ合い、居間の隅で震えていた。
寒さからではないのは明らかに。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
伊右衛門はそっと白湯をとり啜った。
そして、足元に置いた太刀と脇差を手に取ると勢い良く立ち上る。
「拙者に何が出来るかしらなんだが、勝正殿の思いは承り申す」
すると立ち上がった伊右衛門に与吉が語る。
「お侍様!やめたほうがいい。幾多の者が挑んでは虚しく散ったのをワシ等は見てきた」
伊右衛門は太刀と脇差を帯に通しながら、
「勝正殿との契りと、温い白湯の礼。それと、侍ではなく、今は只の流浪の身分で御座る……」
そんな事を語っていると寂蓮が割ってきた。
「いいえ、立派なお侍様で御座います。伊右衛門殿は……」
それは何か意味ありげな語り口調であった。
伊右衛門は寂蓮に悟られたと感じた。
「伊右衛門殿は鬼の御霊を鎮められる手足れで御座います」
「知り申したようでございますな」
寂蓮は笑みを浮かべた。
「はい」
「何時……」
寂蓮は言う。
「御名は拝見したときからでございます。さらにはその太刀は名立たる名刀『角落とし』とお見受けいたした所存で御座りまする」
伊右衛門は太刀を軽く擦って言う。
「なるほど。ならば尚更、拙者にお任せあれ」
そう言い残し、即座に行動を起こした。
見送りとばかりか、寂蓮はその後を追う。
「その身なりで行かれますか?」
それに返答もなく、無言で草鞋をまとい付け立ち上がった。すると、寂蓮に背を向けたまま言う。
「そなた尼僧ではあるが、少しばかり血の匂いがする。何者で御座る……」
寂蓮は驚きはしなかった。むしろ知られて当たり前のような態度で躊躇なく答える。
「さすがは伊右衛門殿」
だがしかし、屈託の無い、素直で清楚な口振りに裏の薫りを漂わせるものではないと、伊右衛門は気付いていた。