○ 第02話 神様だからって、何でもできると思わないように
「…………ん……」
目を覚ますと真っ先に視界に飛び込んできたのは、白い天井だった。
…………あれ? どうして俺はソファーなんかで寝ているんだ?
俺はソファーから体を起こし、必死になって記憶を引っ張り出す。
確か……桐生と一緒に薬師丸神社に行って……お参りした後に帰ってきて…………えっと…………それから……それから……。
ダメだ。何かとても重要な事を忘れている気がするのだが、どうしても思い出せない。
と言うよりも、頭が思い出すのを嫌がっている感じだ。
思い出したいけど思い出したくない。
そんな居心地の悪い感覚に頭を悩ませていると––––
「のわーーーっ!」
––––唐突に、キッチンから悲鳴が聞こえてきた。
あー…………はい、思い出しました。思い出しましたよ。
音尾 和さんと言う名の巫女服を着た女の子が自分の事を神だと言い張るわ、ここで暮らすと言い出すわ、で俺の頭がオーバーヒートしてしまったんだな。
「け、煙が! 黒い煙が! どうすればいいのだ!」
どうしてだろう、嫌な予感しかしない。
いっその事、聞こえてないふりをして、このまま自分の部屋にこもって明日の朝まで寝てしまおうかとも思う。
しかし、これ以上放置すると家を––––それは大げさかもしれないが、少なくともキッチンを跡形も破壊されかねない気がする。
流石に家を傷つけられるのはまずい。
父さんがローンを組んで買ったマイホームなのだ。万が一、黒焦げになったキッチンを見られでもしたら、俺は三途の川を渡る羽目になるだろう。
幼い頃に暴れて壁を突き破った事があるのだが、普段は温厚な父さんがその時はチェーンソーを持ち出して怒り狂っていた。
母さんがいなければ確実にあの時、俺は天に召されていたはずだ。
子どもというハンデ(?)があって、なおかつ壁を破っただけでも殺されそうになったのだ。
………………これは早くどうにかしないと。
俺は急いでキッチンへと向かうのであった。
「おい! 大丈夫か?」
俺はキッチンに飛び込み、大声で叫ぶ。
リビングにまで響いていた音尾の叫び声が余りにも悲壮だったので、キッチン全体が真っ黒い煙に包まれているのかと思ったがそんな事は全くなく、コンロ周りが少し煙っているぐらいだった。
何を作っていたのかはわからないが、コンロを止めて換気すればそれで事は済みそうだ。
「はぁー……よかった」
最悪の事態は免れている事がわかり、俺はホッと息を吐き出した。
本当によかった。これで明日も太陽の光を拝む事ができる。
「と、冬夢〜」
コンロの周りでオロオロしていた音尾が一目散にこっちにやって来て、そのまま俺に抱きついてきた。
目はウルウルで半泣き状態である。
美少女に抱きつかれる。いつもなら大喜びして一人お祭り騒ぎになるシチュエーションだろうが今はそんな場合ではないのだ。
大事に至っていないが、このまま放置しておくのは危ない。
強く抱きついてくる音尾をどうにかどけて、俺はコンロの方へ向かう。
「あー……なるほど」
何があったのかようやくわかった。
土鍋で調理していて、何かを焦がしたようだ。黒い煙が上がっている。
俺は火を切り、鍋つかみを何枚も重ねて土鍋をつかみシンクまで移動させる。
そして水を勢いよくかけて––––
パリン!
「うわっ!」
水をかけた瞬間に土鍋は木っ端微塵に砕け散ってしまった。
熱された陶器に冷水をかけた為だろう。うっかりしてその事を忘れてしまっていた。
俺は驚きの余り、足を滑らせ近くにあった食品棚に頭を打ち付けてしまう。
「っつー…………」
「だ、大丈夫か?」
音尾が慌てたように走ってこっちにやって来る。
「ああ、大丈夫 大丈夫」
頭は痛い事は痛いが、そんなに騒ぐ程でもない。後で氷か何かでしっかり冷やしておけば大丈夫だろう。
「馬鹿者! 何が大丈夫だ! 頭から血が流れているではないか!」
「え? …………あ、本当だ」
頭をぶつけた所に手を持っていくと、確かにぬらりとした感触があった。
一瞬動揺したが、やはりたいした怪我ではない事に代わりはない。ちゃんと水で洗って、放っておけばそのうち自然に治っていくだろう。
「ちょっとこっちに来て、見せてみろ」
「え、いや、大丈夫だって。たいした怪我じゃないから」
「馬鹿かお前は! 頭から血が流れているのだぞ! たいした怪我でない訳がないだろ! ほら、早く見せるのだ!」
「え、あ、ああ……」
音尾の有無を言わさぬ迫力に気圧され、俺はおずおずと音尾の方に頭を差し出した。
「えーっと……どうだ?」
「うむ。血が流れ出ていたものだから針で縫わなければいけないレベルの怪我かと思ったが……冬夢の言う通りそこまでたいした怪我ではないな」
「だろ? だったらもう––––––––いだだだだだっ! 髪を引っ張るなよ!」
「じっとしていろ。このぐらいの怪我、私が治してやる」
そう言って、音尾は小さな声で一言二言呟く。
すると、ぽわっ温かい何かが俺の頭を包み込んでいった。まるでストーブを当てられているみたいだ。
「何だ……これは?」
「治癒の呪文だ」
「治癒?」
「そうだ。ほら怪我した所をさわってみろ。治っている」
「あ、本当だ………」
恐る恐る手を後頭部に持っていくと、先ほどまで流れていた血が綺麗さっぱり消えていた。
そして、いつの間にか痛みまでもが消えて去っている。
「……お前……神様みたいなヤツだな」
「“みたい” ではなく私は正真正銘本物の神だ!」
さっきまでは全く信じていなかったが……神様って実在したんだな。
「…………すまん!」
「これって地味に物凄い事じゃないか?」などとぼんやり考えていると、急に何の前触れもなく、音尾が土下座してきた。
「ど、どうしたんだ?」
俺は驚いて呆気にとられた。
さっきの音尾の気持ちがよくわかる。
土下座はそう簡単にするもんじゃないな。
いや……そうじゃなくて。
「わかったから、いや本当はわからないけど、取り合えず立ってくれ。話はその後だ」
「あ、ああ……」
おずおずといった様子で、立ち上がる音尾。
「えーっと……急に土下座なんかして、どうしたんだ?」
「勝手に押し掛けて、役に立つ所か迷惑かけて、あろう事か冬夢に怪我までさせて。本当にすまない。こんな奴と一緒には住みたくはないよな? いや、言わないでもわかる。嫌だよな」
いやいや……えーっと、ちょっと待ってくれ。
音尾さんや、いつここに住むって事が正式に決まったんだよ。
しかし、そんな追い打ちにも等しい台詞をこの場でうっかり口にするほど俺も馬鹿ではない。
それに俺はそこまで迷惑とは感じてなかった。ここに住む住まないは別にして。
別に台所が丸焦げになった訳でなく、土鍋が一つ使えなくなっただけだ。
大した損害ではない。
それに頭の傷も治してくれた。
お人好しすぎるかもしれないが、俺の本心なのだから仕方ない。
ただ、一緒に住むって言うのはなぁ。一応俺だって健全な高2である訳だし。
こんな綺麗な女の子と一緒に住むのは、精神的にくるモノがあると言うか、何と言うか。理性が吹き飛んで獣になる可能性も無きにしも非ずな訳で。
そもそも、何でここに住む事になってるんだ? もしかして父さんの隠し子か? いやいやいや、自分で言って何だがそれはないな。いくら美女に目がない父さんでも流石にそんな事はしないだろう。…………しないよな?
うーん……考えても全然わからないし、音尾に聞いてみるか。もしかしたら何かのっぴきならない事情を抱えてるかもしれないしな。
「ところで何で音尾は……ってあれ? 音尾?」
いつの間にか、音尾はキッチンから姿を消していた。
「おーい音尾ー。どこだー? っておい! 何してるんだ」
音尾は玄関のドアを開け、出て行こうとしている所であった。
「これ以上迷惑はかけられない。だから出て行く」
「出て行く? 薬師丸神社に帰るのか?」
俺がそう聞くと、音尾は首を横に振った。
「いいや、あそこは家ではない。ちゃんと家はある。あるのだが…………あるのだが…………」
「何なんだ?」
「いや、何でもない」
再び音尾は首を横に振った。
そうやって首を振る音尾の顔は、見ているこっちが辛くなる程悲しそうな顔をしていた。
「本当に短い間だがお世話になった」
そう言って、音尾は出て行った。
ドアの閉まる音が、頭に強く響く。
…………どうやら音尾は本当に色々と複雑な事情を抱えているようだ。
そうでなければ、あんな悲しみにくれた顔はしない。
となれば、俺のとるべき行動は一つ。
「ったく……世話のかかる同居人だな」
俺は靴も履かずに外へ飛びたした。
「おい、音尾! どこだ!」
思い切り叫び、辺りを見渡す。
音尾が出て行ってから時間は経ってないから、そこまで遠くには行っていないはずだ。
「……いた!」
10m位離れた電柱の下でポツンと佇む音尾の姿を確認する。
俺は全力で走って近寄り、音尾の腕を離すまいと強く掴んだ。
「と、冬夢! どうしたのだ!」
本気で驚いたらしく、目を大きく見開いている。
「お前こそどうしたんだ? 勝手に家を飛び出して。ほら、帰るぞ家に」
そう言って俺は自分の家を指差した。
俺の家に住もうとした理由は依然わからないままだが、音尾が困っているのは確かだ。困っている女の子を突き放すような真似は俺にはできない。
もし、父さんや母さんが今すぐに帰ってきたら俺の人生が終わりそうな気がしないでもないが、それはそれ。これはこれ。
今は困っている音尾を助ける––––つまり、音尾を家に連れ戻すだけだ。
言い訳なんて、後でいくらでも考えられる。
「い、良いのか? 本当に良いのか? あんなに迷惑をかけたのだぞ?」
「あんなの迷惑の内に入らないさ。ほら、早く帰ろう」
「そうか……冬夢、ありがとう、ありがとう」
そう言って、感極まったように音尾は俺にギュッと抱きついてきた。
つまり、一対の凶器が俺の胸に押し当てられる訳で。
…………うわ、柔らかい……。しかもなかなかにデカい。
生きてて良かった…………いやはや、もう最高です、はい。
……って、そっちに意識を集中してどうする俺!
こんな時にそんな不埒な事を考えるとは人としてアウトだろ! 失礼過ぎるだろ! しっかりしろ! 理性で以て平常心を保て!
理性を総動員して本能を抑え込み、何とか意識を一対の凶器ではなく音尾本人に戻す事に成功する。
ふぅ……もう少しで、満月の夜でもないのに狼男に変身してしまう所だった。危ない、危な––––ん?
音尾のこちらを見上げてくる顔を見て、俺はある事に気付いた。
「お前、泣いてるのか?」
「な、何を言うか……泣い……てなど……い……いない」
「泣くな泣くな。俺、湿っぽいの苦手なんだよ」
「だか……か……ら……私は泣いてい……ない……と言って……いる」
「わかったわかった。そう言う事にしておこう。それより、晩ご飯まだだよな? ちょっと遅いけど、今日は盛大に音尾の歓迎パーティーしてやるよ。料理にはちょっとばかり自信あるんだ。音尾の好きな食べ物、材料あったら作ってやるから。だから、こんな所で泣いてないで早く帰ろう」
「……ほ、本当か?」
「ああ、もちろん」
「だ、だったら唐揚げ……鳥の唐揚げが食べたいぞ!」
そう言って、音尾は俺に抱きつく事をやめ、目に涙を浮かべながらも笑った。
ほんと、忙しいやつだ。さっきまでぽろぽろ涙をこぼしていたのに。
でも、やっぱり女の子には泣き顔なんて似合わない。女の子には笑顔が1番似合う。
俺は新しい同居人の顔を見つめながら、そんな事を思うのであった。
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