エルフさんとは仲良くできない?
「ロン爺、戻ったぞ。生きてるか?」
猟師小屋の戸を開けて黒髪黒目のまだ幼い少年が帰還する。小屋の主である老人は、干し草のベッドに横たわったまま皮肉気な声でそれに応じた。
「……折角お迎えが来そうないい心地だったってのに、お前さんのうるさい声で引き戻されちまったよ」
「そうか。ならもっと騒がしくしないとな」
少年はそう言うと手に持った土産を壁に立てかけ、水甕から木製の椀で水を掬い老人の口元に持っていく。
「飲めるか?」
「ああ……」
老人は少年に介助され椀から四分の一ほど水を喉に流し込むと、それだけで疲れたように大きく息を吐いた。
「もう大丈夫だ……悪いな」
「気にするな」
老人はもう長くなかった。この少年がいなければとうの昔に野垂れ死んでいただろう。そして食事から下の世話まで献身的に介護する少年は老人の血縁ではない。
老人は猟師だ。独り身で身寄りもなく、この山奥の小屋で孤独に暮らしていた。少し離れたところに村はあるが、時折獲物を持ちこむ時以外ほとんど接点はない。
そして少年は数年前にその村の者から押し付けられた孤児だ。近くの村が流行り病で滅び、偶々生き延びてしまった彼を、村人たちは縁起が悪いと忌避して老人の元に寄越した。まぁ、ていのいい厄介払いだ。
当時村人からは皮肉交じりに『爺さんも歳だから介護してくれる人間が必要だろう』と言われたが、まさか本当にそうなるとは夢にも思わなかった。
「ん? どうした、ロン爺?」
「……いや、何でもない」
老人は誤魔化すように話題をふる。
「それより、ちゃんと勉強してきたか? 今日は牧師が来る日だったろう?」
「……ああ」
少年の反応が少し遅れたのを見て、老人は「おや?」と首を傾げた。
月に一度村を訪れる牧師の説教を少年が楽しみにしていたことを老人は知っている。だから今日も楽しそうにその話をしてくれると思っていたのだが──
「……村の連中に何かされたのか?」
「そんなんじゃない」
少年はキッパリと否定する。嘘を吐いている風ではなかったので、どうやら村人から嫌がらせを受けたわけではないらしい。
老人が心配そうにしているのを見て、少年はポリポリと頬を掻きながら今日村であった出来事を話し出した。
「今日の牧師様の説教は亜人の歴史と戦争についてだった」
「────」
その内容に老人の心臓が一瞬大きく脈打つ。
「ロン爺は、昔この世界にエルフとかドワーフとか、亜人って奴らがいた話を知ってるか?」
「……ああ、知ってるよ」
人々の間で御伽噺のように語られる亜人の存在。今ではその実在を疑う者も少なくないが、彼らが実在した種であることは揺るぎのない事実であり、老人はそのことをよく知っていた。
「昔は色んな種類の亜人がこの大陸にもいたんだってな」
「……そうらしいな」
「俺たちより長生きで、魔法ってのを使える連中もいたらしい。よく分からんが何もないところから火を出したり空を飛んだり、とにかく色々凄かったんだと」
「……ああ」
魔法とはエルフやノームといった一部の亜人種のみが扱うことができた超常の技で、人間ではどれほど訓練を積んでも習得することのできない失われた力だ。
「だけどそんな凄い力を持ってたのに、亜人は皆死んじゃったんだって。今日の説教はその話だった」
ふむ、と老人は頷き──そして首を傾げた。亜人の滅亡は牧師の説教としてはよく取り上げられる題材だ。特に問題がある内容とは思えないが……
老人の訝し気な表情に気づいて少年は言葉を続けた。
「……牧師様の話が、昔母さんが教えてくれた話と違ったんだ」
「なるほど」
少年の亡くなった母親が話好きで色んな童話や説話を彼に聞かせていたという話は老人も知っていた。
「具体的に、牧師とおっかさんの話はどこがどう違ったんだ?」
「う~ん……」
少年は少し考えてから口を開いた。
「牧師様は、亜人は悪魔と契約した悪い奴らだったんだって。魔法は悪魔の力で、人は神様のご加護で亜人に勝ったって言ってた」
「ふんふん」
教会ではごく一般的な亜人に関する解釈だ。数百年前に起きた人と亜人との戦争の際、少なくとも教会がそう言って人々の戦意を煽ったのは事実だろう。
「じゃあ、お前のおっかさんはどう言ってたんだ?」
「母さんは……人間が亜人に嫉妬して滅ぼしたって」
「……なるほど」
思わず老人の口から苦笑が漏れる。子供向けの説話としては些か毒が強い。どうやら少年の母親は老人が想像していたより大胆な思想の持ち主だったらしい。
「その話、牧師や村の連中には言ってないだろうな?」
「うん」
「ならいい」
聡い子だ。母親の話が人前で話すには問題がある内容だということは理解できている。だからこそ、吐き出すこともできず色々と抱え込んでしまっているのだろうが。
「それで? お前はおっかさんの話が嘘だって言われたみてぇでモヤモヤしてるのか?」
「あ~……というか、結局ホントのところはどうなのかなって」
少年の疑問に老人は顎を撫でて少し考える。何が正解かではなく、どう答えたものかを。
「ホントのところか……亜人が滅んだのは二〇〇年以上前だ。実際に当時のことを知ってる奴は皆死んでる」
「うん」
「で、戦争に勝って生き残ったのは人間だ。今に伝わってる話はどうしたって人間に都合の良いもんになる」
「じゃあ、母さんの話が正しいのか?」
老人は少年を傷つけないよう、言葉を選びながら答えた。
「ん~……まぁ、亜人──特にエルフなんかは寿命も頭のデキも見た目も人間よりずっと優れてたって話だからな。その上魔法なんてものまで使えるとあっちゃあ、人間が嫉妬しねぇ筈がねぇ」
「なら──」
「だけどな。お前のおっかさんだって実際にそれを見た訳じゃねぇんだ。嫉妬は当然あっただろうが、だから戦争が起きたとか滅ぼしたってのはどうなんだろうな?」
少年は老人の言葉を噛み砕く様に少し考える素振りをし、コテンと首を傾げた。
「……どういうことだ?」
「あ~、つまりだ。例えば美味そうなもん食ってる金持ちを見て羨ましいと思っても、普通は殴り倒して奪ってやろうとまでは思わねぇだろ? そんなことすりゃどんな仕返しされるか分かったもんじゃねぇからな。それでも手が出るとすりゃ、よっぽど腹が減ってたり、そいつらの食ってるもんが自分たちから奪ったもんだったり、何か理由がある時だ」
「…………」
「亜人に手を出すとなりゃ人間だって相当な覚悟がいった筈だ。それでも戦争になったってことは、亜人も亜人で人間を見下したり、何か問題があったのかもしれねぇってことさ」
少年は老人の言葉に腕組みしてしばし考え込み、諦めたように嘆息した。
「……よく分からん。結局、誰が悪かったんだ?」
子供らしい反応に老人が苦笑する。
身も蓋もない話をすれば争いごとになった時点でどちらが悪いかを問うことにあまり意味はない。どちらも自分が正しいと思っているから争いになっているのだし、第三者の客観的な意見が正しいという保証もない。老人に言わせればそうなった時点でどちらも間違っていて、その上で負けた方が悪いということになってしまうのだが、子供相手にそんなことを言うのは憚られた。
「……さてな。よく知りもしねぇ俺らが、反論も出来ねぇ死んだ連中のことを今更良いの悪いの評価するのはフェアじゃねぇだろ。つーかお前、何でそんなこと気にしてんだ?」
少年はその問いに少し躊躇うような素振りを見せポツリと言った。
「ん~……それが分かれば、仲良くできたんじゃないかと思って」
「…………」
老人は少年がこの話題に何を思っていたのかを理解し、言葉に詰まる。
少年の気持ちに寄り添い、過去の出来事を取り上げて「あれが悪い」「こうしていれば良かった」と口にするのは簡単だ。だが少年のことを思えば、ハッキリと伝えておくべきだろう。
「……そいつは無理な話だ」
「え?」
「どっちが悪かったか何て今更分かりゃしねぇし関係ねぇ。人間と亜人が共存するなんて最初から土台無理な話だ。何が悪いって言うなら、関わりを持っちまったことがそもそも間違いだったのさ」
「…………」
少年の瞳が真っ直ぐに老人を見据える。
「何でそう思うんだ?」
「……人は自分と違うものに対してとても残酷だからだよ」
老人は少年から目を逸らし、諦念の混じる声音で続けた。
「人は争う生き物だ。国や肌の色、文化、宗教、性別──争う理由は何だっていい。それこそ食べ物の好みとか、見た目や仕草が変わってるとか、どうでもいい理由で幾らでも残酷に、攻撃的になれる。人間同士でだってそうなんだ。人間と亜人、種族が違う者同士が一緒にいて上手くいく筈がなかったのさ」
少年は老人の言葉を聞いて、受け止めて、自分なりに噛み砕いて──
「そんなのおかしい」
ハッキリと否定した。
「違うから仲良くできないなんて嘘だ。だって犬とか馬とか、人とは全然違うけど、人は他の生き物とも仲良くできてるじゃないか」
「……ペットや家畜とこの話を一緒くたにするのは違うだろ。犬っころや馬との友情を否定するつもりはねぇが、その根っこにあるのは『可愛い』とか『役に立つ』とか人間側の都合だよ。大抵の人間は都合が悪くなれば幾らでも残酷になれるんだ。お前の言う仲良くってのは、そういうんじゃなくてあくまで対等の関係のことだろう?」
争いは同じレベルの者同士でしか発生しない。人と獣ではそもそも立っているステージが違うのだと老人は語る。
「…………」
だが少年は納得いかない様子で唇を尖らせた。少年には人が何故争うのか、その根底にある感覚が理解できないのだ。
「……人はお前が思うよりずっと弱い生き物なんだ」
老人は少年に諭すように語り掛けた。
「この世界は限られた席の奪い合いだ。命、食い物、安全、愛情、権力、なんだってそうだ。人は生きている限りその業から逃れることはできん。皆いつ自分の席が奪われるか不安なんだよ。だから自分の席を脅かす存在は認められないし、自分の方が上だと思い知らせずにはいられねぇ」
「…………」
「だけど誰彼構わず攻撃してたんじゃ結局自分が損をする。だから人は仲間を作るのさ。自分と共通点を見つけて仲間を作って、そこから外れた連中を攻撃する。肌の色が黒けりゃ野蛮人で、親が犯罪者ならそのガキもろくでなし。男は何時だって女を搾取する糞野郎で、女は被害者面して権利ばっか主張する能無しだ。信じる神さんが違えば大罪人。魔法が使えりゃ悪魔の使い。そんな連中にゃ何をしたって構やしない──そう言って、違うことが免罪符になると、人は本気で信じることが出来る生き物なんだ」
「…………」
少年は黙って老人の言葉を聞く。理屈は理解できても納得はできない。そんな顔で。
老人は困ったように苦笑して、少年が持ち帰った荷物に視線を向ける。
小屋の壁に立てかけた尖った木の枝に胴を貫かれたヤマドリがぶら下がっていた。少年が村に行って帰る道すがら、偶々見つけて狩ってきた獲物だ。弓も罠も、彼は狩りに必要な道具を何も持ち歩いてはいなかった。警戒心が強く一流の狩人でも狩ることが難しいヤマドリを、ただ適当に折って先端を尖らせただけの棒で仕留める──齢一〇歳にも満たぬ身でそんなことが出来る異能を、老人は彼の他に知らなかった。
生まれついての強者であるが故に少年は弱者の気持ちが──村人たちが彼を恐れる理由が理解できない。
今のところ少年は無暗にその力を振るうような性質ではなく、村人たちに従順だから表立って排斥されてはいない。だがそれはとても危ういバランスだ。いつか必ず破綻する。この少年なら村人たちの敵意など意に介さず跳ねのけてしまえるだろうが、どれほど強くても人は一人では生きてはいけないし、生きるべきではない。だから老人は少年に人の皮を被せた。少年が人に紛れて生きていけるようにと願いを込めて。
けれどやはり、それは彼にとって──
「……違うものと、人は絶対に仲良くなれない?」
「さて……」
老人は少年の未来を想い言葉を探す。
「……本当は人間と亜人が上手く共存する方法だってあったのかもしれん。だが昔の連中はそれを見つけられなかったから殺し合いになった。あるかどうかも定かじゃねぇし、あっても簡単に見つかるもんじゃねぇんだろうよ。それこそ神か悪魔か、些細な違いが馬鹿馬鹿しくなるような何かがいたら、話は簡単だったのかもしれねぇがな……」
神のごとき上位者による統治か、共通の敵でも存在しない限り──そう苦笑する老人の言葉を、少年は噛みしめるように聞いていた。
「ふ~ん……」
「……どうした、急にそんなこと言い出して」
こんな猟師小屋ではなく、村で他の人間と一緒に暮らしたいのか──そんな聞くまでもない問いかけを老人は咄嗟に呑み込む。
だが少年の口から出た言葉は老人の想像とは全く異なるものだった。
「ん~? ほら、俺あんまり詳しく知らないけど、亜人って俺たちとは少し見た目も違ったんだろ? もし亜人と仲良くする方法があったら、ロン爺も村で皆と過ごせるんじゃないかと思ってさ」
「────」
老人は息を呑む。少年が思っていたのは、幼くしてこんな山小屋に押し込められた自分自身ではなく、生まれつきの奇形で周囲から迫害されて生きてきた老人のことだった。
「──馬鹿野郎。俺は騒がしいのが嫌だから、好きでここにいるんだ。余計な気を回すんじゃねぇ」
そのことに老人は思わず顔を逸らして悪態をつく。
「はは、そうだな。偏屈なロン爺の相手が出来るのは俺ぐらいだ。見た目がどうとかの話じゃなかったな」
「やかましい。余計なこと言ってる暇があったら水でも汲んで来い」
「お、そうだな。そろそろ日が暮れる」
少年はそう言って桶を持って小屋を出ていく。
老人は少年の足音が遠ざかっていくのを確認し、少年の前で情けない姿を見せずに済んだことにホッと息を吐いた。
「…………」
老いのせいだろうか。視界が滲む。唇が震え、頬がだらしなく弛んでいるのが自分でもわかった。
老人は己の長く伸びた耳をそっと撫で、長い人生の最期に訪れたこの時間を噛みしめるように、細く長い息を吐いた。
連載中の話の世界観とキャラクターを使った小噺。
本編は魔王みたいなお姫様と、この猟師の少年を主人公とした戦記物です。
興味があれば是非そちらも。




