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半径18mmの穴  作者: Bleuval
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第五章 崩壊

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

第五章「崩壊」をお届けします。


駅のホームで老人の言葉を聞き、自らも「見ないふりをする人間」だったと突きつけられた悠。

舞台は再び、いつもの騒がしく平和な昼休みの教室へと戻ります。


悪意のない「冗談」という名の刃が振るわれたとき、悠の胸の奥で静かに風を通していた「穴」が、ついに大きな音を立てて形を変えます。

彼が選んだ行動を、どうか最後まで見届けてください。

 それが起きたのは、特別な日ではなかった。  

 

何か大きな事件の前触れがあるわけでもない、ただのありふれた、少し退屈な二月の昼休みだった。  

 教室はいつものように騒がしく、弁当の匂いと、行き場のないエネルギーを持て余した高校生たちの笑い声で満ちていた。  

 悠は窓際の席で、母親が作ったシャケ弁当を食べていた。イヤホンはしていなかったが、周囲の雑音は意識の外に追い出していた。

 そのとき、教室の後ろの方から、またあのグループの声が聞こえた。

「なあ」  

 グループの中心にいる男子の一人が、少し大きな声で言った。

「あいつってさ」  

 誰のことかはすぐに分かった。何人かが顔を上げ、声のする方を見た。

「なんでわざわざ日本の学校来たんだろ。日本語もろくに喋れないのにさ」

「知らねーよ。親の仕事の都合とかじゃね?」

「まあ留学生だろ。でもさ」  

 その声は、ニヤニヤとした笑いを露骨に含んでいた。

「向こうの国でなんか問題起こして、居場所なかったから逃げてきたんじゃね? ほら、テロとか危ない国らしいし」

 どっと、小さな笑いが周囲に広がった。  

「おいやめろよ」

「聞こえるぞ」

 とたしなめる声もあったが、それすらも半ば楽しげだった。  

 その笑いは、明確な悪意や憎悪に満ちているわけではなかった。彼らはアリを本気で憎んでいるわけではない。  

 むしろ、ただの軽口。場を盛り上げるための、安易なイジり。自分たちとは違う異質な存在を笑いのタネにして、仲間内の結束を固めるための「ゲーム」だった。

 

しかし、その瞬間。  

 悠の胸の奥で、何かが決定的に崩れ落ちる音がした。  

 半径18ミリの穴。  

 今まで静かに風を通していただけのその空洞の縁が、メキメキと音を立てて裂け、そこに氷のように冷たい、暴力的な風が吹き込んだ。息ができないほどの痛みが走った。 「見ないふりをする人間」という老人の言葉が、頭の中で反響した。

 悠は、無意識のうちに席を蹴立てて立ち上がっていた。  

 ガタン、と椅子が後ろに倒れる大きな音が教室に響いた。

「やめろよ」

 低いが、よく通る声だった。  

 教室のざわめきが、嘘のように一瞬で静まり返った。全員の視線が悠に突き刺さる。 隣の席の真琴が、目を見開いて振り向いた。

「悠……? どうした?」  

 悠は、笑っていた男子グループをまっすぐに睨みつけた。心臓が早鐘のように打っていたが、声は不思議と落ち着いていた。

「そういうの、やめろって言ったんだ」  

 グループのリーダー格が、ばつが悪そうに、しかし反発するように言い返した。

「は? 何マジになってんの? 別に冗談じゃん」

 冗談。  

 その言葉を聞いたとき、悠ははっきりと理解した。  

 差別やいじめは、いつも鬼のような怒りの顔をしてやってくるわけじゃない。漫画やドラマに出てくるような、わかりやすい悪党の顔をしているわけでもない。  

 ときどき、いや、ほとんどの場合。  そ

 れは無邪気な「冗談の顔」をして現れる。  

「いじる側」の無自覚な娯楽として消費され、笑い声というオブラートに包まれて、正当化される。それが一番残酷で、タチが悪いのだ。

 悠は、震えそうになる声を押さえ込み、言葉を探した。

「でもさ」

「何だよ」

「それ、聞かされてる本人がどう思うか、一度でも考えたことあるのかよ」  

 男子は鼻で笑い、肩をすくめた。

「別に。言葉わかんねーんだから、聞いてるわけないじゃん」

 悠は、ゆっくりと振り向いた。  

 教室の斜め後ろ、いちばん隅の席。  

 

アリは、まるで自分が透明人間であるかのように、静かに弁当のスパイスライスを見つめていた。  

 しかし、スプーンを握るその手は、白くなるほど強く握りしめられ、ピタリと止まっていた。  

 彼の背中が、微かに震えているのを、悠は見逃さなかった。言葉が分からなくても、向けられた感情の刃は、確実に彼を切り裂いていたのだ。

第五章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。


「差別やいじめは、無邪気な冗談の顔をして現れる」

この圧倒的な真実に気づき、ついに立ち上がった悠。空気を壊すことを恐れず、震えそうになる声を必死に押し殺して言葉を紡いだ彼の姿に、少しでも何かを感じていただけていたら嬉しいです。


次回(第六章)は、放課後の校舎裏。

悠とアリ、二人が初めて真正面から言葉を交わす「対話」のエピソードです。アリの口から語られる「線」の本当の意味とは……。


もし、悠の勇気に胸が熱くなった、これからも二人を応援したい! と思っていただけましたら、ページ下部より「ブックマークに追加」や「ポイント評価」をしていただけますと、今後の執筆の何よりの励みになります!


3日に1話ずつ、投稿していこうと思っています。

次回の更新も、どうぞよろしくお願いいたします。

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