第四章 沈黙
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
第四章「沈黙」をお届けします。
駅のホームの端で、少しずつ言葉を交わすようになった悠と見知らぬ老人。
冷たい冬の風の中、二人の間に流れる時間は不思議と穏やかなものでした。
しかしある日、老人がぽつりとこぼした言葉が、悠の心に深く突き刺さります。
私たちが日常の中で無意識にしてしまう「見ないふり」について。
どうぞ、最後までお付き合いください。
その日を境に、老人とは駅で何度も顔を合わせるようになった。
塾の曜日である火曜と木曜の夕方。老人はいつも同じホームの端で、電車に乗るわけでもなく、ただ時間をやり過ごすように立っていた。
交わすのは、ほんの短い会話だけだった。
「今日は雪になるかもしれないらしいですよ」
「そうか。底冷えするわけだ」
「テスト近いんですか」
「はい、来週から期末で……」
「無理はするなよ」
それだけの、何気ない世間話。しかし悠にとって、その数分間は不思議と心が落ち着く時間になっていた。
老人は多くを語らなかったが、時折、ぽつりとこぼす言葉には、長い年月を生き抜いてきた者だけが持つ、重い真実が含まれていた。
ある日、少し寒さが和らいだ夕暮れ時のことだった。
ホームのベンチに座り、自動販売機で買った温かい缶コーヒーを二人で飲んでいたとき、老人は遠くの空を見つめたまま言った。
「若い人はな」
悠は、コーヒーの缶から口を離し、顔を上げた。
「今は学校でも教えるんだろう。差別は悪いことだ、偏見を持ってはいけないって。頭ではみんな、よく知ってる」
「……はい。道徳とか、倫理の授業でやります」
「でもな」
老人は、空になった缶を両手で包み込みながら、静かに目を伏せた。
「知っていることと、行動することは違う。いざ目の前でそれが起きたとき、ほとんどの人間は……見ないふりをするんだ」
電車の接近を知らせるアナウンスが、無機質にホームに響いた。
「見ないふり……」
「そうだ。自分に火の粉が降りかからないように、息を潜める。それが一番賢い生き方だと、社会に教え込まれていくからだ」
その言葉は、決して声高な非難ではなかった。むしろ、人間の弱さを許容するような、静かな響きを持っていた。
しかし、悠にとっては鉛のように重かった。
何も言えなかった。
なぜなら、それが真実だと知っていたからだ。教室の隅で一人弁当を食べるアリを見て見ぬふりをしている自分。ホームで孤立する老人を、最初は遠巻きに見ていた自分。 自分もまた、「見ないふり」をする側の人間だったのだ。
第四章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「知っていることと、行動することは違う」
老人の静かな言葉によって、悠は自分自身もまた「見ないふりをする側の人間」だったという痛い真実に直面します。このヒリヒリとした気づきは、きっと悠を次の行動へと駆り立てていくはずです。
次回(第五章)は、舞台が再び学校の教室へと戻ります。
これまで静かに風を通していただけの悠の胸の「穴」が、ついに大きな音を立てて形を変える決定的な出来事が起こります。
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3日に1話ずつ、投稿していこうと思っています。
次回の更新も、どうぞよろしくお願いいたします。




