【6】「今の民主主義はボランティア組織だ」借金まみれの国家を、世界一のキャッシュリッチ企業に変える方法
◆6-1◆ 国家の設計者
2025年2月。ワシントンD.C.の湿り気を帯びた空気が、ホワイトハウスの分厚い石壁に遮断される。
ケニー・サワタリは、西棟の長い廊下を歩いていた。
磨き上げられた床に、彼の革靴が刻む硬質な足音が反響する。
前方を歩くシークレットサービスの男が、重厚なマホガニーの扉の前で足を止めた。
「手荷物とデバイスをこちらへ」
無機質な声と共に、金属探知機がケニーの身体をなぞる。
ケニーは無言で応じ、腕時計とスマートフォンを革製のトレイに置いた。
扉が開くと、そこには歴史の重圧を吸い込んだかのような、静謐なオーバルオフィスが広がっていた。
部屋の中央。19世紀から続く「レゾリュート・デスク」の奥で、ドナルド・"リバーシ"・ブラックウッド大統領が、巨大なモニターを凝視していた。
モニターには、1秒刻みで膨れ上がる「全米債務時計(US Debt Clock)」の数字が、血のように赤い光を放ちながら高速で回転している。
「来たか。座れ、サワタリ」
大統領は顔を上げず、デスクの端にあった小さなプラスチックのケースを指先で弾いた。
ケースは滑らかな弧を描き、ケニーの目の前でぴたりと止まる。
中には、青白く光るホログラムが埋め込まれた真新しいIDカードが収められていた。
ケニーは真新しいIDカードを手に取り、刻まれた文字を親指の腹でなぞる。
『国家市場最適化統括主任(Chief of National Resilience Market Design)』
「今日から、君に与える肩書きだ。ホワイトハウスの組織図に、大統領直轄の新しい席を作らせた」
大統領がようやく顔を上げ、ケニーを射抜くような視線で凝視する。
「学者どもの出す『提言』という名のポエムはもう聞き飽きた。私が欲しいのは、この破綻寸前の合衆国を救うための、冷徹な修理図面だ」
ケニーはIDカードを静かにトレイに戻し、大統領の瞳を正面から見据えた。
「身に余る光栄です。ですが大統領、図面を引く前に、私の『設計思想』を共有させてください」
ケニーの声は、低く、しかしオーバルオフィスの隅々にまで染み渡るような響きを持っていた。
「我々が今、直面しているのは単なる不況や混乱ではありません。真の『ゲームチェンジ』の時代です」
「ゲームチェンジだと?」
「ええ。それは、既存のビジネスルール、市場の常識、そして勝ち負けの構図そのものを根底から覆し、全く別の次元に勝ち筋を強制的に作り出す……システムの『オーバーライド(上書き)』です。やり方、ノウハウ、システム、制度。そして我々を縛り付けてきた『常識』という名の仕組みが、今、根こそぎ変わろうとしている」
ケニーは一歩、デスクへと歩み寄る。
「大統領。これまでの『常識的な大統領』では、もはやこの巨大な合衆国を維持することすら不可能です。古いルールを守ろうとする者は、守るべきものと共に沈むしかない。……だからこそ、盤面をひっくり返す(リバーシ)あなたにしか、この仕事は務まらない。私はそう確信しています」
大統領の口角が、微かに、しかし野心的に上がった。
「……フッ、面白い。常識を捨てろ、というわけか」
大統領は、デスクの上に二枚のグラフを叩きつけた。
一枚は、急勾配で上昇を続ける連邦債務の推移グラフ。
もう一枚は、国家予算における「利払い費」が防衛費を追い抜こうとしている衝撃的な予測図だ。
「財務省の役人どもは、金利を操作するとか、歳出を数パーセント削るとか、そんな微細な調整ばかり提案してくる。だが、それではエンジンが焼き付く。たった一発で、この天文学的な借金を『資本』に変える魔法は無いのか?」
ケニーは表情を変えず、傍らに控えていたソフィア・ヴァンスに微かに顎を引いて合図を送った。
ソフィアは無言で、銀色の薄いブリーフケースから、たった三ページのレポートを取り出し、大統領の前に差し出した。
「解決策は、すでにソフィアと共に精査を終えています。大統領、これは政治的な議論ではありません。純粋な『コーポレート・ファイナンス』の論理です。合衆国という巨大企業が抱える不良債務を、一気に解消し、さらに世界最強のキャッシュリッチ企業に変貌させるための、唯一の合理的なプログラムです」
ケニーはIDカードを胸ポケットにしまい、デスク上の債務時計を指差した。
「この32兆ドルの借金は、もはや税金で返せる額ではありません。ならば借金を上回る『売上』を、たった数年で立てるのです」
大統領は、ケニーが持ち込んだ数ページの薄いレポートを、獲物を狙う鷹のような目で手に取った。その表紙には、冷酷なまでにシンプルな法案名が記されていた。
『特別国籍販売法』――。
「国籍を『神聖な権利』としてではなく、時価で取引される『最高級の資産』として再定義します。即日発行、完全無審査、そして純粋な市場価格による、米国籍のグローバル販売。……通称、プラチナパスポート。これが合衆国というブランドを換金し、累積債務をゼロにするための設計図です」
ケニーの声は、静まり返ったオーバルオフィスに、冷徹なメスのように響き渡った。
◆6-2◆ 禁断の処方箋
大統領は、ケニーが提出したレポートを一枚ずつ、剥製の羽をむしるような慎重さでめくっていた。ページがめくられるたびに、オーバルオフィスに漂うのは、重厚な歴史の香りではなく、火薬のような緊迫感へと変わっていった。
「……即日発行、完全無審査だと? サワタリ、正気か」
大統領が、低く、這うような声で繰り返した。
その視線はレポートの「第4条:バックグラウンド・チェックの即時全廃」の項目に釘付けになっている。
「身元調査すら省くというのか。独裁者、犯罪組織の首領、あるいはテロリスト。金の出所を問わず、誰にでもこの国の『鍵』を渡すと?」
ケニーは椅子に深く腰掛けたまま、ソフィアから受け取ったタブレットを操作し、壁面の大型モニターに新たなグラフを投影した。
「大統領、現在この国が行っている『審査』という名の官僚作業が、どれほどのリスクを回避できているかご存知ですか? 答えは微々たるものです。一方で、その停滞によって失われている『損失』は、年間数兆ドルに達します」
ケニーはレーザーポインターを起動し、真っ赤に染まった財政収支のグラフを指し示した。
*国家というシステムの「末期症状」*
「まず、この数字を見てください。本年度の連邦財政赤字は、約1.8兆ドルに達します。これはもはや『予算の不足』ではなく、国家システムとしての構造的破綻です」
大統領が眉間に深い皺を寄せる。
ケニーは淡々と、しかし容赦のないトーンで続けた。
「新型コロナ以降の巨額支出、そして現在の高金利政策。積み上がった32兆ドルの累積債務が生み出す『利払い費』は、すでに年間1兆ドル規模に迫っています。借金を返すために借金を重ね、その利息を支払うために、国民の安全を守る防衛費や、高齢者のための社会保障費を削らざるを得ない。これが、国家を内側から腐らせる死の連鎖の正体です」
*累積債務という「時限爆弾」*
ケニーは次のスライドに切り替えた。そこには、天文学的な数字が並んでいた。
「累積債務の対GDP比は120%を超えました。これは第二次世界大戦直後をも上回る歴史的異常事態です。戦後、我々は成長で借金を薄めましたが、もはやそのスピードでは追いつかない。このままいけば、ドルは紙屑になり、合衆国は自重で崩壊します」
ケニーはデスク越しに大統領を真っ直ぐに見据えた。
「増税をすれば経済が死に、歳出を削れば暴動が起きる。既存の政治学に答えはありません。だからこそ、私はここにいるのです」
*7兆ドルの衝撃:債務の「一括返済」*
ケニーは立ち上がり、モニターに最終的な解決案を投影した。
「解決策は一つ。国籍を神聖化するのをやめ、『世界で最も希少な金融商品』として市場に開放することです。価格は一律700万ドル(約11億円)。ターゲットは世界中に点在する数百万人の富裕層です」
ケニーは指を一本立て、空中に円を描いた。
「100万枚の限定販売。これで初年度だけで7兆ドル(約1100兆円)のキャッシュを一気に確保します。これは連邦予算の1年分を軽く上回り、累積債務の約4分の1を瞬時に消し飛ばす規模です。アメリカは世界で最もキャッシュリッチな『超・優良企業』へと生まれ変わる。世界の富裕層を『国籍』という商品で釣り上げるのです」
沈黙がオフィスを支配した。
大統領は椅子に深く沈み込み、手元にあった黒いオセロの石を指先で弄んだ。
白と黒の境界線を弄ぶその指が、微かに震えている。
「……狂っているな。だが、あまりに合理的だ」
大統領の口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「ワシントンの連中は『人道』や『誇り』という白い石で盤面を埋めようとして自滅している。だが君は、一瞬ですべてを『利益』という黒い石に変える一手を持ってきた。……即日発行、時価販売。この『プラチナパスポート』こそが、合衆国を再生させるためのIPO(新規公開)だ」
大統領は、震えるような興奮を隠そうともせず、レポートをデスクに叩きつけた。
「いいだろう、サワタリ。この毒薬を飲んでやる。私と君で、この国を世界で最も冷徹で、最も高収益な企業に作り変えてやろうじゃないか」
◆6-3◆ワシントンの怪物たち(インサイド・レジスタンス)
2025年5月。オーバルオフィスでの電撃的な合意からわずか三カ月。
「プラチナパスポート」構想は、国家安全保障上の最優先機密として、ホワイトハウス西棟の地下深くで着々と進められていた。
しかし、実行が近づくにつれ、巨大な「壁」が牙を剥き始めていた。
「……話が違うぞ、ブラックウッド! 移民局のシステムを完全にバイパスし、財務省直轄の決済ゲートウェイを作るだと? そんな越権行為、議会が許すはずがない!」
執務室に怒号が響く。
声の主は、与党の長老であり、長年「国境」と「伝統」を政争の具にしてきた大物上院議員、ヘンリー・マクシマスだった。
彼の背後には、顔をこわばらせた財務長官とCIA副長官が控えている。
大統領はデスクに深く沈み込み、彼らから突きつけられた「勧告書」の束を眺めていた。 公には発表されていない。しかし、情報漏洩はすでにワシントンの深部を駆け巡っていた。
「大統領、ニューヨークのマーケットがこの『噂』に過敏に反応しています。もし、国籍を金で売るような真似をすれば、ドルの信用は失墜し、国債は暴落する。これは経済的自殺です」
財務長官が、冷や汗を拭いながらタブレットを差し出す。
そこには、裏付けのない憶測だけで乱高下を繰り返す、長期金利の不気味なチャートが映し出されていた。
「もういい、下がってくれ……」
大統領は力なく手を振った。重鎮たちが去った後、静まり返った部屋で、大統領は手元のオセロ石を弄んだ。だが、その指は止まっている。
彼は受話器を取り、ソフィア・ヴァンスを通じてケニーに短いメッセージを送った。
『すべて中止だ。ワシントンの怪物達を甘く見ていた。これ以上は、私の政治生命がもたない』
大統領は、まだ誰のサインも入っていない「特別国籍販売法」の草案を、シュレッダーの入り口に差し込んだ。
◆6-4◆ 崩壊する蜜月
大統領からの「中止命令」が届いた翌朝。
ケニー・サワタリは、その命令を「拒絶」としてではなく、「合図」として受け取った。
彼はすぐさま、雨に沈むホワイトハウスへと足を向けた。
ワシントンD.C.は、低く垂れ込めた雨雲に覆われていた。
正面玄関で、シークレットサービスの男が何かを言いかけた。
大統領直轄の「国家レジリエンス・マーケット設計 主任」と刻まれた特製IDカードを、ケニーサワタリは、無言で男の鼻先に突きつけた。
青白く光るホログラムが、雨に濡れたケニーの冷徹な眼光を反射する。
革靴の音だけが、雨に濡れた大理石の床を一直線に貫いていく。
ケニーは一度も振り返ることなく、レゾリュート・デスクへと続く二重扉を押し開いた。
重厚なマホガニーの扉を押し開けると、そこには覇気を失ったドナルド・"リバーシ"・ブラックウッド大統領がいた。
「……もう限界だ、サワタリ。これ以上は、合衆国という船が沈む前に私が引きずり降ろされる」
数ヶ月前、ケニーの提案に飛びついた大統領だったが、現実は甘くなかった。
野党からは弾劾の準備が進められ、党内からも反旗を翻す者が続出。
「財務省も、司法省も、私の味方は一人もいない。昨日、最も信頼していた側近が辞表を出した。理由は『これ以上の狂気には付き合えない』だ」
大統領は、震える手でデスクの上に置かれた一枚の書類を、ケニーの方へ滑らせた。
そこには大統領の直筆で、『特別国籍販売法、施行停止の命』と記されていた。
「これに署名し、連邦議会で謝罪する。」
ケニーはその書類を一瞥だにせず、デスクの前に立ち尽くしたまま、冷徹な声を放った。
「……私は、待っていたのです。既存のビジネスルールや市場の常識、さらには競争の構図そのものを根底から覆し、新たな局面と勝ち筋を強引に生み出せる……そんな規格外のリーダーを。あなたという男が現れたとき、私はようやく出会えたと歓喜した」
ケニーの瞳が、侮蔑を込めて大統領を射抜く。
「ですが、期待外れだったようですね。合衆国の主は、結局のところ、歴史の濁流に飲み込まれるだけの、凡百の政治家に過ぎなかった」
「……何だと?」
大統領の顔が、一瞬で屈辱に赤黒く染まった。
「ここから出ていけ、今すぐにだ!!」
大統領は立ち上がり、怒りと震える拳でデスクを叩きつけた。
水差しが倒れ、書類が宙に舞う。
「君の『理屈』のせいで、私は議会を敵に回した! 私は合衆国大統領だ、君の数式の駒ではない! 警備員を呼ぶ前に、その生意気な面を私の前から消せ!」
大統領は、激しい呼吸を繰り返しながら、デスクの隅にあるオセロの黒い石を忌々しげに弾いた。
石は乾いた音を立てて床に転がり落ちた。
ケニーは、足元に転がってきた石を、無機質な動作で拾い上げた。
その指先には、微かな迷いも恐怖もない。
「大統領。あなたは盤面をひっくり返すと言いながら、まだ『表面の数字』しか見ていない」
ケニーは一歩、また一歩と、権力の中心へ歩み寄る。
「今から特別国籍販売法の裏に私が潜ませた、7つの真意を説明しましょう」
ケニーの瞳が、大統領の絶望した眼差しを正面から捉えた。
その瞬間、大統領は直感した。
目の前の男が差し出そうとしているのは、救済の糸ではなく、世界そのものを書き換えるための「禁忌の鍵」であると。




