【4】合衆国ハッキング開始。エリートを数式で黙らせたら、大統領に召喚されました
◆4-1◆卓越したエイリアンの焦燥
2024年7月。シカゴ。
「あと、4年か……」
シカゴ大学の広大なキャンパスを見下ろすラウンジで、ケニーは手帳に記した「2028」という数字を強くペンで囲った。
「10年以内に国家という存在を、市場という最も残酷で公平な審判に晒す」
2018年の秋、京都大学の講義での宣言から、すでに6年が過ぎ去っていた。
手元のスマートフォンには、弁護士からの無機質なメールが表示されている。
『EB-5(投資家ビザ)のバックログ状況:審査開始まで推定48ヶ月』 2億円の個人資産を築き、
12人の雇用を生み出してもなお、彼は合衆国という巨大なシステムの「入り口」で足止めを食らっていた。
現在の滞在資格はO-1A(卓越能力者ビザ)。
「並外れた能力を持つ異星人」というその呼称は、今のケニーにとって皮肉な響きでしかない。国家は彼の「知能」を認めているが、彼に「決定権」を与えることは拒んでいる。
(このまま、ただの『優秀な滞在者』で終わるつもりはない)
ケニーは立ち上がり、コートを羽織った。向かう先は、学長室だ。
今の自分に必要なのは、運用益の積み上げではない。
システムの中心地、ワシントンD.C.への「侵入口」だ。
シカゴ大学学長、ロバート・ジマースキー。 数々のノーベル賞学者を輩出し、政界のキングメーカーとしても知られるこの男は、ケニーが提出した一通の「非公式レポート」をデスクに置いていた。
「……学長、単刀直入に申し上げます」
ケニーは椅子に浅く腰掛け、真っ直ぐに視線を返した。
「私をワシントンへ送ってください。今の不条理なルールに従うことに飽きました。自分でルールを書き換える側に回りたい」
学長は眼鏡の奥の目を細め、静かに語り始めた。
「ケニー、君のO-1Aステータスは、ホワイトハウスの正面玄関を通るには不向きだ。あそこはまだ、君のような『エイリアン』には敏感すぎる。だが、別の道がある」
学長は一通の封筒を取り出し、デスクの上を滑らせた。
「ワシントンD.C.に拠点を置く『ヘリテージ・フロンティア財団』だ。私が理事を務めている民間シンクタンクでね。ここは今の君にとって、最高の『隠れ蓑』になるだろう」
学長は指を三本立てて、その理由を説明した。
学長室の大型モニターでは、音を落としたまま、大統領選を四か月後に控えた討論会の速報テロップが静かに流れていた。
「第一に、ここは国籍不問だ。政府機関ではないため、O-1Aのままでも即座に『主任研究員』として雇用できる。君のパスポートが何色であるかは関係ない。問われるのは知能の純度だけだ」
ケニーが封筒を手に取ると、学長は声を一段低くした。
「第二に、私の推薦があれば、君をいきなり政策立案の核心部へ送り込める。そして第三に――ここが重要だが、この財団は**『毒薬』の製造拠点だ。ここで作られる研究レポートは、学術誌に載る前に『提言』としてドナルド・“リバーシ”・ブラックウッド次期大統領候補の陣営中枢へ直接流し込まれる」
「次期政権の中枢に……」
「そうだ。彼はまだ当選していない。だが、既存の官僚組織を破壊できる『外側』の知性を、誰よりも渇望している男だ。ワシントンの古い連中が『不謹慎』だと切り捨てるような、君の鋭利な数式こそが、彼にとっての『リバーシ(逆転)』の切り札になる可能性がある」
ケニーの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「民間という立場を利用して、国家の心臓部に毒を流し込む。……最高の立ち位置です」
「期待しているよ、ケニー。君の数式で、あの『リバーシ』が盤面をどうひっくり返すのかをね」
「……最高の立ち位置です」
ケニーは一度言葉を切り、机の上に置かれたリバーシの選挙ポスターを切り抜いた写真を見つめた。
「ですが学長。私がこの財団から大統領へ届けるのは、単なる『政策』ではありません」
学長が眉を動かす。ケニーはさらに身を乗り出し、学長の瞳を射抜くような強さで語り始めた。
「今の世界で『民主主義』というシステムは、あまりに古びたOSです。今のアメリカ政府の国家財政。もし企業であれば、即座に倒産しています」
ケニーの口から語られる「新しい国家運営の在り方」は、これまでの政治学や経済学の常識を根底から覆すものだった。
彼は数分間、淀みなく話し続けた。 既存の国境という境界線を「市場」という概念で溶かし、国家の主権を「流動的な資本」として再定義する――。彼が語るロジックの圧倒的な熱量と冷徹な正確さは、学長室の空気を物理的に変えていく。
話し終えたケニーに対し、学長は長い間、沈黙した。
かつて多くの大統領に助言を与えてきた老学者の指が、微かに震えていた。
「……ケニー。君が今、言ったことが現実になれば、我々が数百年信じてきた『民主主義』も『主権』も、文字通り粉々に砕け散る。それは社会の救済ではない、20世紀という時代の暗殺だ」
「暗殺ではありません、学長」
ケニーは静かに微笑んだ。
「機能不全に陥ったゾンビに、安らかな眠りを与えるだけです。そして、その後に生まれるのは、真の意味で効率的で、一秒の停滞も許さない、完全なる自由競争の社会です」
学長は背もたれに深く体を預け、大きく息を吐いた。恐怖を感じていた。
だが、それ以上に、老いた学者の好奇心と情熱がこの若き「エイリアン」の革命に呼応してしまっていた。
「……わかった。君という劇薬を、私がこの手でワシントンの心臓部に流し込もう。もしこの世界が君の色に塗り替えられたとしても、それを特等席で見届けられるのなら本望だ」
学長は重厚な万年筆を手に取り、ヘリテージ・フロンティア財団宛の推薦状にサインした。
それは、一人の天才が世界をハッキングするための、公式な「侵入許可証」となった。
封筒を握りしめたケニーの瞳には、不安定な滞在者としての焦りは消え、既存の精度を根底から解体する『プラチナパスポート』の構想を形にするための、冷徹な計算が宿っていた。
◆4-2◆エイリアンの宣戦布告
2024年10月。ワシントンD.C.、Kストリート。
ホワイトハウスから数ブロック、権力の中心地に建つ「ヘリテージ・フロンティア財団」のオフィスは、静謐な知性と傲慢な自負に満ちていた。
ケニーが勤務を開始してから3ヶ月が過ぎようとしていた。
「サワタリ君。君の分析は興味深いが、少し……急進的すぎるな。我々ワシントンの人間は、もっと歴史的な前例を重んじるんだよ」
ハーバードのロースクールを首席で卒業した主任分析官、ミラーが、ケニーの提出した資料を指先で弾いた。周囲のデスクに座るイェール卒やスタンフォード卒の「秀才」たちが、クスクスと忍び笑いを漏らす。彼らは一分の隙もないスーツに身を包み、この国の「正解」を書き出すことに人生を捧げているエリートたちだ。
彼らにとって、ケニーは「シカゴ大学から来た、少し頭の切れる一時的な客分」に過ぎなかった。
「能力は認めるよ。だがサワタリ、君は所詮O-1Aのビザ・ホルダーだ」
ミラーは、哀れみすら含んだ笑みを浮かべた。
「君の居場所は、いずれ更新期限と共に消える。この国を動かす『永久的な責任』を負っているのは、我々アメリカ人なんだ。君のようなエイリアン(外国人)に、国家の骨組みを弄らせるわけにはいかない」
ケニーは無表情のまま、ミラーの目を真っ直ぐに見つめた。 その瞳の奥には、京都の黒染めスプレー、シカゴの冷たい風、そしてEB-5のバックログという「不条理」が、青白い炎となって燃えていた。
「……前例、ですか。ミラーさん、あなたが重んじているその『前例』こそが、この国を蝕む致命的なバックログ(停滞)の正体だということに、まだ気づかないのですか?」
ケニーは立ち上がり、オフィスの中心にある巨大なモニターに、自作の数理モデルを投影した。
「現在の移民局、税関、そして投資審査局。これらが抱える未処理案件――バックログの総量は、過去10年で340%増加した。この停滞によって失われた経済機会損失は、米国のGDPの3.8%に相当する。つまり、あなた方が『丁寧な審査』という名の下に積み上げている書類の山は、毎年、空母3隻分の予算を海に捨てているのと同じです」
静まり返るオフィス。ケニーの声は、冷徹なメスのように「正解を出すのが得意な秀才」たちの虚飾を切り裂いていく。
「あなた方はシステムを守っているつもりでしょうが、実際にはシステムの錆でしかない。私は、国家を愛しているから分析しているのではありません。この巨大なマシーンが、あまりにも非効率で、美しくないから、最適化したいだけだ」
ミラーの顔が屈辱で赤く染まる。
しかし、ケニーのアウトプットはあまりに圧倒的だった。
彼が叩き出した「国家の民営化と国籍の時価評価」の精度は、ワシントンのいかなる老練な学者の提言をも凌駕していた。
そのとき、ケニーは確信した。
この部屋にいる誰一人として、来る大統領選挙でブラックウッドが負ける未来を、もはや本気では想定していない――数字も、前例も、すでに“勝者側”に置き換わっている。
◆4-3◆学長が繋いだ『毒薬』の行方——
ケニーが書き上げたレポートの表題は、既存の合衆国という国家そのものの前提を、真っ向から否定するものだった。
『国家の民営化と国籍の時価評価』
彼はこれを、シンクタンクが関与する「政府効率化諮問委員会」の公式議題として提出しようとした。
それは、現政権の制度設計そのものを検証対象にする、極めて挑発的な一手だった。
内容を査読した財団の幹部たちは、一様に顔を青くした。
「サワタリ君、これは……不吉すぎる。君は政府を、ただの非効率なサービスプロバイダー(業者)として切り捨てている。こんなものを提出すれば、財団と政府の関係は修復不可能になるぞ」
上司のミラーは、震える手でレポートを突き返した。
「握りつぶす。これは無かったことにするんだ。君がエイリアン(外国人)だから許される暴論ではない」
——ケニーにとって、それは想定済みの反応だった。
彼はすでに、ミラーのような「守りの秀才」たちがこう反応することを予測していた。
「……構いませんよ。正解を恐れるのは、あなたの自由だ」
その夜、ケニーはシカゴ大学の学長室へ一本の電話を入れた。
「学長。種は撒きました。あとは、あなたの出番です」
数日後。
このレポートが決して現政権に届かないことが確認された時点で、財団の公式な意思決定ルートを意図的に外れ、その写しは学長の手によって、大統領候補者ブラックウッド陣営と水面下で繋がる、非公開の政策準備ルートへと送られた。
表に出ることのない、政策立案と資金、世論操作を束ねる非公式アドバイザールートだった。
学長は知っていた。
次期大統領候補であるブラックウッドが、官僚の整った「正解」ではなく、改革のために世界を壊せる異物を求めていることを。
レポートの表題は、陣営の常識を正面から踏み越えていた。
『国家の民営化と国籍の時価評価』
それは公表を前提とした政策ではない。
選挙に勝った“その先”で初めて意味を持つ、
盤面を根こそぎ裏返すための設計図だった。
◆4-4◆新政権誕生
――2024年11月6日。
開票速報が全米を駆け巡り、深夜を過ぎた頃、勝敗は動かぬものとなった。
ドナルド・“リバーシ”・ブラックウッド、当選確定。
ニュースキャスターが繰り返すその名前を、本人は陣営本部の執務室で、無言のまま聞いていた。
彼のデスクの隅には、すでに何度も読み返された一冊の薄いレポートが置かれている。
既存の政策集ではない。
勝者となった今だからこそ、その毒性が現実味を帯びて見える一冊だった。
「……やっとだ。合衆国を改革できる」
ブラックウッドは低く呟いた。
これは単なる政権交代ではない。
盤面をひっくり返す権利を、国家から正式に奪い取った瞬間だった。
ワシントンD.C. 郊外。
ブラックウッド陣営が非公式に使用している、トランジション(政権移行)本部。
選挙戦を終えたばかりのビルの一室は、まだ仮設オフィスの匂いを残していた。
壁には外されたばかりの選挙ポスターの跡、机の上には山のような政策資料と、速報値のまま更新が止まった支持率グラフ。
勝者となったドナルド・“リバーシ”・ブラックウッドは、それらを一瞥すると、苛立ちを隠そうともせず、まとめて床へと叩き落とした。
「どれもこれもゴミだ!
移民を何人入れるだの、関税を何%いじるだの……ちまちました計算ばかりしやがって。
俺はな、この停滞した盤面を――一手でひっくり返す石を探しているんだ!」
側近たちが凍りつく中、陣営付きの秘書が一通の薄い封筒を差し出した。
「シカゴ大学の学長から、極秘の提言です。
財団の公式ルートは通っていません」
ブラックウッドは鼻で笑い、投げるようにそれを受け取った。
だが、数ページをめくったところで、その手が止まる。
彼の目に、これまで補佐官たちに向けたことのない、獣じみた光が宿った。
「……ハハッ! なんだこれは?」
彼は声を上げて笑った。
「『政府は現在、機能不全に陥った前近代的ボランティア組織である。
真の平等は、国籍に時価をつけ、決済の瞬間に権利を付与する市場の中にしか存在しない』……だと?」
ブラックウッドは椅子を蹴り倒すように立ち上がった。
「おい、このレポートを書いたのは誰だ。
現行制度を丸ごとゴミ箱に叩き込んで、最初から作り直せと言っている。
……最高だ。この“クレイジーな奴”を、今すぐ連れてこい」
「ですが、彼はまだ20代の外国人研究員で――」
「関係ない。この部屋にいるアメリカ人の誰一人として、こんな“毒薬”は作れなかった。
黒塗りの車を出せ。俺の前に座らせる」
2024年12月。ワシントンD.C.
ヘリテージ・フロンティア財団のオフィス前に、サイレンを鳴らさない二台の黒塗りのサバーバンが停まった。
ミラーたちが唖然として見守る中、中から現れたのは、次期大統領専属の警護チームだった。
「ケニー・サワタリ。次期大統領がお呼びだ。同行願いたい」




