93話「はじめての雷とおへそ問題」
第93話「はじめての雷とおへそ問題」
その日、天気は朝から不機嫌だった。
湿気を帯びた空気がじっとりとまとわりつき、窓の外はどんよりとした灰色に覆われていた。空が鳴り出すのは、もう時間の問題だと祐介は感じていた。
「パパ、きょう、おそといけないの?」
「そうだな……お空の機嫌が悪いから、今日はおうちで遊ぶか」
「えーっ」
不満そうな顔をしながらも、ハルナは素直に頷いた。祐介がDVD棚からアニメのディスクを選び、ハルナと一緒にソファに腰掛ける。途中、塗り絵をしたり、パズルをしたり、家の中でできる遊びをひと通りこなしていた。
だが、その時だった。
「……ゴロゴロ……」
「……えっ?」
低く、重たい音が空から響いた。すぐに窓がビリっと揺れ、部屋全体に不穏な空気が広がる。
「……パパ、いまの、なに?」
ハルナの声が一段小さくなった。
「雷だな。雲が怒ってるんだよ」
「くも、おこってるの?」
「まぁ……そんな感じ」
にこやかに答える祐介の隣で、ハルナはじっと窓の外を見ていた。次の瞬間、閃光が走り――
「ビカッ!」
「っ……!」
「きゃぁああああああああああっ!!」
ドゴォォォォンッ!! と家が揺れるほどの雷鳴が落ちた瞬間、ハルナは悲鳴を上げ、すごい勢いで祐介に抱きついてきた。体がぶるぶる震えている。指先が冷たい。
「パパこわいこわいこわい!!」
「大丈夫、大丈夫! パパがいるから大丈夫!」
「やだぁああ!! もうやだぁあ!!」
完全にパニック状態のハルナを、祐介は何度も「大丈夫」と繰り返しながらぎゅっと抱きしめた。やがて、祐介の胸の中で泣き疲れたハルナは、すすり泣きながら少しずつ落ち着いていく。
「……くすん、くも、なんでおこってるの?」
「たぶんね……おへそ出してる子がいたからかな?」
「……え?」
「昔から言うだろ? “雷様はおへそを取っていく”って」
「……ハルナ、おへそ、とられるの……?」
「いやいや、違う違う。ちゃんと隠してれば大丈夫」
「……ほんと?」
「ほんとほんと。……パパがぜったい守るから」
祐介はハルナのパジャマの裾をそっと持ち上げ、ぺたんとおなかに布団をかぶせた。
「これでおへそは取られない。安心して寝な」
「……パパ、いっしょにいて……?」
「もちろん」
リビングの電気を落として、テレビの音も静かにして、祐介はハルナを布団の中でぎゅっと包み込んだ。雨の音と雷鳴が続く中、ハルナはようやくまぶたを閉じ始めた。
祐介はその寝顔をじっと見つめながら、あることを思い出していた。
⸻
――昔、自分も雷が怖かったこと。
実家で雷が落ちた夜、姉貴が自分の部屋に来て「おへそ隠しときなさいよ」と言って、枕で叩いていったのを思い出す。
(……あの時の姉貴の声、案外、安心感あったな)
祐介はそっとため息をついた。
「……ハルナの“安心できる声”、俺でいいのかな」
自問するように、小さく呟いた。
⸻
翌朝、雷の気配はすっかり消え、空は晴れ渡っていた。
「パパー! ハルナ、きょう、げんきになった!」
「お、雷もう怖くないか?」
「ん……こわいけど、パパがいるからだいじょーぶっ!」
にっこり笑うハルナ。その笑顔はまさに太陽そのものだった。
祐介は、心からホッとした。
「よし、じゃあ今日は雷に勝ったご褒美だ。ホットケーキ作ろう」
「わーい! ハルナ、たべるー!」
朝のキッチンに広がるのは、甘い香りと、親子の温かな笑い声だった