89話 「おばちゃん呼び禁止!」
89話 「おばちゃん呼び禁止!」
初夏の夜風が心地よい季節になった。ハルナはいつも通り寝る前の時間を迎え、リビングの小さなテーブルにお気に入りのぬいぐるみを並べていた。俺はキッチンからふとリビングを覗き込み、そこでふと、先日のことを思い出した。
「ハルナ」
俺はやわらかい声で呼びかけた。
パッと顔を上げて、きょとんとした表情をするハルナ。
「さやかお姉ちゃんのこと、これからは絶対に『おばちゃん』って呼んじゃダメだよ。わかった?」
「うん、わかったよ、ぱぱ」
小さな手で軽く頷く彼女の真剣な目を見て、俺は少し安心した。さやかお姉ちゃんが出張前におばちゃん呼びされてショックを受けていたから、俺も少し気になっていたのだ。あの時、ハルナが言った言葉に、さやかは本当に膝から崩れ落ちてしまったからな。
「ありがとう、ハルナ。お姉ちゃんはね、ハルナのことをすごく大切に思ってるんだ。だから、ちゃんとお姉ちゃんって呼んであげてほしいんだ」
「うん!わかった!」
そう答えた彼女の笑顔は、俺の胸を暖かくした。
その夜、寝室でウトウトし始めたところに、スマホが震えた。さやかからのビデオ通話だ。
「もしもし、さやか?」
画面に映る彼女の顔は、疲れも見えたが明るい表情だった。
「祐介、ハルナちゃんは元気?ちゃんと寝てる?」
「うん、さっきまでテーブルでぬいぐるみと遊んでたけど、今はもう寝ようとしてるところだよ」
「そうかあ。出張先はちょっと忙しくてね。でも、毎日こうして話せるのは本当に嬉しい」
「そうだな。ハルナも毎日姉貴のこと話してる。やっぱりお姉ちゃんは特別だなって思うよ」
「そう言ってもらえて嬉しい。ハルナにはしっかりお姉ちゃんらしく接しないとね」
俺たちはそんな話をしながら、出張の大変さや日常の些細なことを共有した。ハルナのこと、保育園の様子、俺の仕事の愚痴、全部。
「祐介、ハルナに『おばちゃん』って言っちゃだめって言った?」
俺は苦笑いしながら、
「言った。もう言わないって約束したから大丈夫」
「それ聞いて安心したよ。ハルナ、やっぱり賢いなぁ」
電話の向こうの彼女は柔らかく微笑み、俺は少しホッとした。
「姉貴、無理するなよ。体調崩さないように気をつけて」
「ありがとう、祐介。帰ったらまたハルナの顔見られるのを楽しみにしてるよ」
「俺もだよ」
そう言って、俺たちはお互いに頷き合い、通話を終えた。
ハルナの寝顔を見ながら、俺は胸の中に熱い決意を再び感じていた。さやかお姉ちゃんも遠くで頑張っている。俺も負けずに、しっかりと家族を守っていかないとな。
初夏の夜は静かに更けていった。