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80話先生と耳

80話「先生と耳」


保育園の午前中は、やさしい光と風で包まれていた。

今日のハルナは、あいりちゃんとしおりちゃんと一緒に、先生に読んでもらうための絵本を選んでいた。

絵本コーナーには色とりどりの本がずらりと並んでいて、ハルナたちはその中からお気に入りの1冊を手に取って、小さな手で大事そうに抱きかかえながら読み聞かせのマットに座る。


「これがいいと思うんだ〜」

「うん、それならみんなで読めるよね」


あいりとしおりが笑いながら話しかけてくれて、ハルナも嬉しそうに頷いた。


そのとき、教室の入り口から須野原先生が近づいてきた。新しく来たばかりの若い先生で、まだちょっと緊張している様子だったけれど、昨日は優しくて、ハルナも少しだけ打ち解けていた。


「みんな、絵本読んでるの? いいわねえ、何の本?」

そう声をかけながら先生がしゃがみ込み、三人の間に入ってきた。


「これね、これっ」

あいりが絵本の表紙を指差すと、先生は「可愛い本ね」と優しく微笑んだ。


だがその時、須野原先生の視線がふとハルナの横顔にとまった。

ハルナの耳――普通の人間のものより、ほんの少し細く、先が尖っている耳だ。普段は髪で隠しているが、今日はお昼の準備のときにちょっと乱れてしまっていた。


「……その耳、どうしたの?」


突然の言葉に、ハルナはびくりと肩を震わせた。


「え……?」


「その耳、もしかして……おもちゃ? つけてるの?」


ハルナは少し戸惑って、そっと自分の耳を押さえた。「おもちゃじゃないよ……」


だが先生は、にこやかなまま、それでもどこか強引に話を続けた。


「外してごらん。そういうのは危ないから、遊びのときにつけてちゃダメよ」


「ちがうの。これ、はずせないよ」


「はるなちゃんの耳はほんとにそうなの!」

横からしおりちゃんが言い、続けてあいりも「ハルナちゃんの耳、かわいいんだよ!」と主張する。


しかし須野原先生の表情はどこかひきつったままだった。


「嘘でしょう……まさか、本当に……?」


先生の手が、唐突にハルナの頭の後ろに伸びた。


「……ダメだってば……!」


そう叫ぶ暇もなく、先生の手はハルナの耳を、ぐいっと引っ張った。


「いったぁぁ……!」


その瞬間、ハルナは思わず涙を浮かべた。耳の根元がピリピリと痛み、顔が真っ赤になった。


あいりとしおりが慌ててハルナの肩を抱いた。


「なにすんの! ほんとに痛いんだから!」


「ハルナちゃん泣いちゃった!」


須野原先生は、自分の手元を見て、まるで幽霊でも見たかのような顔をして一歩引いた。「……人間じゃない……ありえない……」


その声は、子供たちの前で発するにはあまりにも重かった。


ハルナは泣きながら立ち上がり、肩を震わせた。


「……やだ……こわいよ……」


「あ、ハルナちゃん、保健室行こう!」


あいりとしおりが両側から手を取り、保健室へ向かって歩き始めた。けれど、保健室へ向かうには、須野原先生の目の前を通らなければならない。


その瞬間だった。


「なによ……おかしい子たちばっかり……!」


先生の足が、振り上げられた。


「やだ……!」

ハルナが目をつぶった瞬間、強い衝撃が身体を襲った。


──ドン!


ハルナは宙に浮いて、床に叩きつけられた。息ができない。お腹のあたりがジンジンと痛い。


あいりとしおりも転んで、床に手をついて泣いていた。


「なんで……どうして……」


言葉にならないまま、涙が溢れた。視界がぐらぐら揺れて、耳の奥がジンジンして、何も聞こえなくなりそうだった。


他の先生たちが、ようやく異常に気づいたのはその時だった。


「ちょ、須野原先生! 何を……!?」


「ちょっと! どうしたの、何が起こったの!?」


保育士たちが駆け寄り、驚いた表情でハルナたちを囲む。ハルナは小さな声で「いたい……」と呟きながら、うずくまったまま泣き続けた。


先生の一人がハルナを抱きかかえ、保健室へ急いだ。


「お腹に……アザが……!」


誰かの声が遠くで聞こえた。もう、それだけで十分だった。


ハルナの心には、先生の笑顔が一瞬で「怖い人」に変わってしまった。その日、それは強く刻まれた。


──続く

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