71.5話海へ行く3
【第71.5話】海へ行く3
砂遊びがひと段落し、浜辺の一角に設けられたBBQスペースでは、保育園の職員と保護者たちが協力して、次々と焼かれる肉や野菜の香ばしい匂いが広がっていた。ハルナとあいり、しおりの三人は自分たちで作った砂の城に名残惜しそうに手を振ってから、こちらに駆けてきた。
「ぱぱ〜!おにくできた〜?」
「うん、ちょうど焼けたところだぞ。熱いから気をつけてな」
祐介はトングで取り分けた肉を、小さなお皿に分けて三人に渡す。ハルナは嬉しそうに頷いて、「ぱぱありがと!」と笑顔で受け取った。あいりも「ありがとう、おじちゃん!」とぺこりと頭を下げる。その様子を見ていた岡本が「“おじちゃん”はやめようかー?」と苦笑いしつつ、自分の娘に焼きそばを配っていた。
「しおりちゃんも、どうぞ」
祐介が差し出すと、しおりは少し遠慮がちに「ありがとう、ございます……」と受け取り、小さく笑った。
祐介の後ろで、その様子をじっと見つめていたのは岡本の妻。彼女が小さな声でつぶやく。「あの子、ほんとに礼儀正しいのよね……お母さんがしっかりしてるんだと思うわ」
岡本が「へぇ?」と興味ありげに反応すると、彼女は続けた。
「今度また職場に連れてきてって言ってたじゃない。たぶん、あの子のママ、あなたたちの会社の人なんじゃない?」
祐介が手を止めて「……マジか」と呟いた。その瞬間、どこかで見たような笑顔がしおりに重なった気がして、胸の奥がもぞもぞとした。
子どもたちはというと、肉や焼きそば、トウモロコシなどを手に、無邪気に食べていた。
「ハルナ、おにく、だいすき!」
「とうもろこしも、すきー!」
「これ、かあさんがつくってくれたのとにてる……」
しおりの小さな呟きに、祐介はふと視線をやる。微笑んではいるものの、ほんの少しだけ遠くを見つめるような顔。寂しさを包み隠すような瞳が、どこかハルナの初めての夜を思い出させた。
その時だった。
「おーい、祐介! ちょっと手伝ってくれ〜!」
保育士の先生に呼ばれた祐介と岡本は、手際よく食材の運搬やゴミの片づけなどをし始めた。その間、子どもたちはレジャーシートの上に座り、クレヨンとお絵描き帳でお絵描きを始めていた。
「これ、ハルナのおうちー」
「これ、あいりのベッド!」
「これは、……おかあさんと、しおり」
淡いタッチで描かれる色鉛筆の線。保育士たちも時おりしゃがんで「上手だね〜」と声をかける。そのたびに子どもたちは得意げな顔を見せるのだった。
やがて、空は橙に染まり始め、太陽が少しずつ水平線の向こうに落ちていく。波の音が穏やかに響く中、先生たちが一人ひとり子どもを集めていった。
「ではみなさん、そろそろ集合してくださ〜い!最後に記念写真を撮りますよー!」
一列に並んだ子どもたち。保護者がカメラやスマホを構え、先生の合図で、
「せーのっ、はいチーズ!」
シャッター音と共に、みんなの笑顔が写し出された。ハルナは祐介の方を見ながら「ぱぱ〜、たのしかったね!」と笑い、祐介も「うん、パパもすごく楽しかったよ」と答えた。
その後、各家庭ごとに帰宅の準備が始まった。
荷物をまとめ、濡れたタオルをビニール袋に詰め、子どもたちの着替えを済ませ、バスに乗る直前。
「ねぇ、しおりちゃん。こんど、いっしょにあそぼ?」
ハルナがそう声をかけると、しおりは少し目を丸くしてから、ふわりと笑った。
「……うん。また、あそぼ」
あいりも「こんど、わたしのおうちにきてね!」と続ける。三人の笑顔が並んだ瞬間、保育園の先生が「はいはい、みんな乗ってくださーい!」と声をかけた。
祐介は最後に、バスの乗り口でしおりを見送りながら、心の中で呟いた。
(……この子のママ、やっぱり、どこかで見た気がする)
⸻
帰宅後の夜。
ハルナはお風呂に入っている最中も、今日の出来事をずっと話していた。
「ねぇ、ぱぱ。しおりちゃん、すっごくやさしかったの!」
「そっかー、優しい子だったね。お絵かきもすごく上手だったし」
「それでね、それでね、おにくいっぱいたべたのー!」
「ふふっ、ぱぱの分まで食べてたよな?」
ハルナはちょっと得意げに「うん!」と胸を張った。祐介はそんな娘の頭をそっと撫でながら、お湯に浸かる。
(……あの子のママが誰なのか、いずれ分かる日が来るかもしれない。だけど、それよりも今は――)
自分のそばで無邪気に笑う娘と、あの夕陽の中で繋がった子どもたちの絆を思い出す。
「パパー、つぎはうみに、いついく?」
「そうだなぁ……また今度、天気のいい日に行こうな」
「やったーっ!」
無邪気な声が風呂場に響いた。
⸻
この日、ひとつの絆が生まれた。祐介たち大人が知らないところで、子どもたちが心を通わせていく。新しい出会いが、また少しだけ世界を優しくした。
そしてその繋がりは、やがて職場、家庭、未来へと続いていくのだろう。
海の記憶が、そっと胸に刻まれる。次は、どんな冒険が待っているのか――祐介にはまだ、知る由もなかった。