71話海へ行く2
第71話「海へ行く2」
白く柔らかな砂が裸足に触れ、ひんやりとした感触を残す。波が静かに打ち寄せる中、ハルナとあいりは元気いっぱいに浜辺を走っていた。二人とも少し前に保育園で4歳の誕生日を迎えたばかり。似たようなタイミングで育っているせいか、言葉にせずとも自然と息が合う。
「こっちこっちー、あいりちゃん!」
「まってー!ハルナちゃん!」
バケツとスコップを手に、二人は波打ち際へと駆けていく。時折、小さな波に足を濡らされてキャッと笑い声をあげ、今度は水の中へとバシャバシャと入っていく。子ども用のライフジャケットを着ているので、少しの深さなら問題ない。保育士と岡本の奥さんが近くでしっかり見守っている。
「おっきなおしろ、つくるのー!」
「ここに、かめのおへやつくるの!」
浜辺に戻ると、二人はお城づくりに夢中になった。真剣な眼差しでバケツに砂を詰め、ポンと逆さにしては「できた!」と嬉しそうに叫ぶ。見ているだけで微笑ましくなる光景だ。
少し離れた場所で、タバコ休憩から戻った祐介と岡本がその様子を見つめながら、砂浜に腰を下ろす。
「戻ってきたら、もう王国が築かれてるな」
「うちの子は城に地下倉庫を作ってるらしい。なぜか『あいりの宝物』って書いてある棒が立ってた」
岡本が笑うと、祐介も頷いた。
「ハルナの方は……どうやら王様になったらしい。『ぱぱは大臣!』って言ってた」
「お前、左遷じゃん」
「やかましいわ」
ふたりがくだらない冗談を言い合っていると、ふいに後ろから話しかける声がした。
「あのー……すみません、こちらに水を汲んでもいいですか?」
振り返ると、小さな女の子がバケツを抱えて立っていた。5歳くらいだろうか。ショートカットの髪に、淡いピンク色のワンピース型の水着を着ている。少し人見知りしているような口調だったが、礼儀正しさがにじみ出ていた。
「ああ、もちろんいいよ。気をつけてね」
祐介がそう言うと、女の子はぺこりと頭を下げてから、波打ち際へ駆けていった。
「あの子、見ない顔だな。新しく入った子か?」
「たしか最近転園してきたって先生が言ってたな。名前……たしか『しおり』ちゃんって言ってたかな」
「あー、聞いたことあるかも」
その名前に、祐介はどこかで聞き覚えがあるような気がしたが、はっきりとは思い出せなかった。
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その後、しおりという名前の女の子は、しばらく一人で砂遊びをしていた。しかし、あいりとハルナが視線に気づき、興味を持ったのか近づいていった。
「ねー、なにしてるのー?」
「おしろつくってるの? いっしょにやる?」
突然話しかけられたしおりは最初戸惑ったように立ち止まったが、ハルナとあいりの満面の笑みに思わず笑顔がこぼれた。
「……うん」
それからは早かった。三人での砂のお城作りが始まり、ハルナとあいりはしおりにもスコップを渡して、「ここをこうやって〜」と楽しそうに説明する。
「ここにね、すなのおふろ!」
「おふろ、すき!」
「しおりちゃんも、おふろすき?」
「うん。まいにち、かあさんといっしょにはいってる」
そう言ったしおりの目が、ほんの少しだけ寂しげに見えたのを、祐介は遠目に気づいた。しかしそれを気にした風でもなく、子どもたちはすぐにまた遊びに戻った。
「子どもってすげぇよな。初対面でもすぐ友達になれるんだから」
「ほんと、それな」
岡本が缶コーヒーを飲みながらぼそりと言った。
祐介も、自分の缶を軽く振りながら同意する。
「……それにしても、あの子……なんか雰囲気、うちの誰かに似てるような……」
「は?」
「いや、まだいいや。気のせいかも」
そう、祐介はまだ気づいていなかった。この子が自分たちの会社で働く後輩――つまり、自分の“部下”である女性社員の娘であるということに。そしてその母親が、偶然にも今日のイベントには来ていないことも。
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しばらくして、BBQの準備が始まり、親たちは子どもたちのそばで一緒に食事をすることになった。
「ぱぱー!おにくー!」
「はいはい、ちゃんと焼けたら持ってくからな」
「ハルナはピーマンたべる?」
「やだー!それはぱぱたべて!」
「……ぐぬっ」
子どもたちは元気いっぱいに食べて、笑って、全力で遊んでいた。その中で、新しく仲間に加わったしおりも、自然と輪の中に入り笑い声を上げていた。
その姿を見て、祐介は静かに思った。
(ああ……こうやって、少しずつ“家族”が広がっていくんだな)
波の音がゆったりと耳に届き、空はゆっくりと夕暮れ色に染まり始めていた。