69話ぱぱ達、怒られる
第69話「ぱぱ達、怒られる」
「……で、何買ったって?」
その言葉が発せられた瞬間、祐介は悟った。これは逃れられないやつだ、と。
場所は祐介の家。リビングにはさっきまで買い物袋から出して並べていたピンクの浮き輪、ラッシュガード、サンダル、水鉄砲に子ども用の麦わら帽子まで、見事なまでに“散財のあと”が並んでいた。
向かいに座っているのは姉貴――さやか。腕を組み、片眉を上げてこちらを見下ろすような視線。そして、隣にいるのは岡本。その岡本の横に座っているのは、鬼の形相をした岡本の妻だった。
「ご、ごめんなさい……」
「……すみません……」
祐介と岡本、ふたり並んで正座である。まるで小学生が先生に怒られているかのような構図だが、内容は至極真剣だった。
「なんでこう、浮き輪だけで済まないわけ?」
「いや、そ、それは……つい……」
「お前ら、完全にパパバカ加速装置じゃん。ラッシュガードはまだわかるよ?それはね、日焼け防止になるし、実用性あるし。でも水鉄砲って何?」
「いやいや!それは!あいりが欲しいって……」
「そ、それにハルナも……」
「はぁあ……」
岡本の妻が天を仰ぎ、さやかは静かに両腕を組んでいた。それがまた怖い。怒鳴られるより静かな怒りの方が怖いというのは、実際に体験するとよくわかる。ふたりとも仕事ができる女性であるがゆえに、怒る時の論理と正義がえげつない。
「なにが“それも成長だな”よ。LINEで自慢大会してたじゃないの、昨日」
「……見られてたのか」
「ええ、見てましたよ?ふたりで“最近口ごたえが成長の証なんだよな”とか、ちょっと良い話風にまとめてたけど、中身は子どもが浮き輪にチョコつけて大喜びしただけじゃん!」
「…………ぐうの音も出ない」
「あと、祐介、あんたはそれでも“パパ”として立場あるの。甘やかすだけじゃなく、ちゃんと計画的にね?」
「は、はい……姉貴……」
「しかもあんた、支払い全部クレカでしてるでしょ?あとで請求見て後悔するパターンじゃないの?」
「い、今月は……副業もあったから……」
「うっわ、言い訳した」
ピシャリと決まったさやかの一言に、祐介の魂は2ミリほど体から浮いた。隣の岡本も「おれも副業してるけど……」と呟いた瞬間、岡本妻からすかさず「口を慎め」と睨まれていた。もはや勝ち目はない。
そんな中、静かに進んでいたのが――子どもたちの世界だ。
「はい、ぱぱごはんでーす」
「あいりちゃん、おさらあらったよー」
リビングの隅っこに設けた“おままごとスペース”では、ハルナとあいりがいつものように楽しそうに遊んでいた。プラスチック製のキッチンセットに、小さなスプーン、フォーク、食器類。おもちゃの野菜をチョキンと切って、フライパンに入れて炒めるフリをする。
「はるなままは、おさらがじょうずね〜」
「えへへ〜、おかあさんだから!」
「じゃあ、ぱぱは……せんせいでーす」
「せんせい、おちゃどうぞ!」
何とも平和な空間だった。パパ達が後ろで神妙に正座して怒られていることなど露知らず、おままごとの世界に没頭していた。
祐介はその様子をちらりと見て、ふっと口元を緩めた。
「……姉貴。俺さ」
「なに」
「たしかに、買いすぎたかもしれない。でも……あの子の“楽しい”が見たくて、つい、さ。あの顔見たら、もう何でもよくなっちゃうんだよな」
「……」
さやかは一瞬だけ目を細めた。しかしすぐに「言い訳しない」と静かに言って、コーヒーを口に運んだ。だがその目は、ほんのわずかに緩んでいた。祐介は気づかないふりをしたが、きっと岡本も気づいていた。
「はるなー」
「なーに、ぱぱ」
「今日も元気だな」
「うんっ!」
子どもたちは笑っていた。浮き輪を買ったその日の夜、楽しそうに水鉄砲を抱えて寝落ちしたハルナの寝顔が、祐介の脳裏に蘇る。
「俺はな、姉貴」
「なに」
「正座させられても、説教されても、たぶんまたやるわ」
「……バカだな、ほんと」
「うん。バカでいいんだよ、パパって」
その言葉に、さやかと岡本妻は一瞬目を見合わせ、そしてやれやれと肩をすくめた。
「まあ……そうね。じゃあせめて、次は私たちも一緒に行くこと。いい?」
「了解です……」
パパ達の“説教タイム”は、こうして幕を下ろした。けれどもきっと、次に買い物に行ったときも同じようなことをしてしまうだろう。だって彼らは“パパ”なのだから。