66話あいりちゃんと砂場
第66話「あいりちゃんと砂場」
「パパ、あいりちゃんくる?」
ハルナが両手でぎゅっとスカートをつまみながらそう聞いてきたのは、休日の午前九時を回った頃だった。まだ朝の空気に少しだけ冷たさが残る中、祐介はポストに届いた郵便物を整理している最中だった。彼は娘の声に振り向きながら、優しく微笑んだ。
「ああ、来るってよ。岡本からLINE来てた」
「やったぁ!」
ハルナはくるりと一回転してから、家の玄関へ小走りに戻ると、自分のスニーカーを履きはじめた。その姿が、もう何度目かの「休日の公園スタイル」として定着し始めていることに、祐介は小さく笑みをこぼす。まだ三歳と数ヶ月。だけど、日々の生活で彼女の中に少しずつ「自分」が芽生え始めている。
近くの公園の砂場は、朝のうちは人も少なく静かだった。木漏れ日のなか、ハルナと祐介はいつものベンチへ向かう。ほどなくして、岡本家の姿が見えた。あいりは元気よくハルナに手を振り、ハルナも嬉しそうに走っていく。
「おはよー、ハルナちゃん!」
「おはよー、あいりちゃん!」
二人はきらきらした声を弾ませながら砂場へ駆け込む。その後ろ姿を眺めながら、祐介は岡本と並んでベンチに腰を下ろした。
「……平和だな」
「ほんとそれな。会社の疲れ、マジで飛ぶわ」
そんな大人二人の会話をよそに、ハルナとあいりはバケツやスコップを使って、何かを作り始めていた。最初はケーキ屋さんごっこ。お砂糖の代わりに葉っぱ、クリームの代わりに白い小石。次に始まったのはお城作り。二人で黙々と土を固めて、小さな塔を並べ始める。
「パパ!おしろ!できた!」
「おー、でっかいな!」
祐介は思わず立ち上がって砂場の端まで行き、ハルナの作った砂の城を眺める。あいりの分と合わせて、中央に大きな塔、周囲に小さな家が四つ。見ようによっては、二人の王国のようにも見えた。
と、その時だった。
「ちょっと、なにそれ?」
小学一年生くらいの少年が、スケボーを引きずるように持って砂場に入ってきた。彼の目には、楽しそうな二人の砂の城が映っている。険しい予感に祐介は無意識に足を踏み出しかけたが、それよりも早く――
「ダメ!こわさないで!」
ハルナが、いつもより少し高い声を出した。
祐介はその場で立ち止まる。あいりも少し驚いたようにハルナを見つめていた。少年は一瞬ひるんだが、やがて「ふーん」とつまらなさそうに引き返していった。
「……ハルナ、よく言えたな」
「あいりちゃんとつくったの、たいせつだから!」
そう言って胸を張る娘の姿に、祐介の目の奥がじわりと熱くなった。
「パパ、えらい?」
「……ああ、えらい。すごくえらいよ」
その日、二人の砂の城は夕方まで壊されることなく、最後は自分たちの手で丁寧に「おわかれ」された。砂場の端に立って深くお辞儀するハルナとあいり。その光景に、岡本と祐介は、ふっと肩をゆるめて笑い合った。
帰り道、ハルナは小さな手で祐介の指をぎゅっと握りながら言った。
「またつくろうね、あいりちゃんと」
「もちろんさ。次はもっと大きいお城にしような」
「うん!」
夕焼けに照らされたその横顔は、確かに少しだけ、昨日よりもお姉さんに見えた。