48話 ハルナ誕生日
第48話「ハルナ誕生日」
カツン、カツン――祐介は夢の中で誰かの足音を聞いていた。靴音が廊下に響く。その懐かしい音に目を細めながら、ふと視線を上げると、そこに立っていたのは、あの“母親”だった。
「……ハルナの誕生日、明日よ」
たったそれだけを告げると、ふわりと微笑んで、その姿は夢の中から溶けるように消えた。祐介は夢から目覚めた直後、跳ね起きた。
「……え、明日……? 誕生日?」
息が上がる。汗ばむ額を拭いながらスマホのカレンダーを確認する。確かに、数ヶ月前に病院でハルナの誕生日を尋ねられたとき、あの子が自分の口で「よっつのまえ、あした、はるな、うまれた」――そう言っていた記憶がよみがえる。
「やばい! まじか!」
時計は午前四時過ぎを指していたが、祐介はそのままリビングへ飛び出した。何も用意していない。ケーキもプレゼントも、部屋の飾り付けも何もだ。大急ぎでスマホを手に取り、Amazonや楽天を漁りながら、即日配送可能なギフトを探し始めた。
――数時間後。朝の陽ざしが差し込む中、ハルナは寝室のドアを開けて出てきた。
「……ぱぱ?」
「お、おはようハルナ! うん、パパは今日ちょっと早起きしてたんだ!」
「ふぁぁ……ぱぱ、かお、あせ、いっぱい……」
「ハハ……寝汗だよ、寝汗!」
ハルナはくしゃりと笑って、祐介のTシャツの裾をつまむ。そして一言。
「きょう……たんじょうび?」
「……っ!」
一瞬、祐介の心臓が止まったかと思った。しかし、なんとか平静を装い、笑顔で言い返した。
「もちろんだよ、パパがハルナのこと忘れるわけないだろ?」
ハルナは「えへへ」と照れたように笑い、そのままソファへと駆けていった。
⸻
その日、午前中に宅急便が届いた。差出人は祐介の実家。段ボール箱を開けると、中には大量の氷に包まれた見事な一本釣りのカツオがドンと収められていた。そして、祖母の字で書かれた手紙と、いくつかの包装された箱が入っている。
「……さすが実家……仕事が早い……!」
祐介は感謝しながら、カツオをキッチンのシンクに移し、急いで下処理を始めた。刺身、たたき、竜田揚げ、煮つけ……カツオだけでもメニューが豊富になる。昼過ぎには飾り付け用の風船とガーランドも届き、祐介は一人でリビングの装飾に取り掛かった。
「ぱぱ、なにそれ!」
飾り付けに気づいたハルナが、目を輝かせて駆けてくる。
「ふふふ、これはね……パーティーの準備さ!」
「ぱーてぃー……!」
ハルナはリビングをぐるぐると走り回り、バルーンに目を輝かせている。
「パパ、きょう、なんのひ?」
「ハルナのお誕生日だよ」
その言葉を聞いた瞬間、ハルナはふっと動きを止めた。そしてじっと祐介を見つめ、ぽつりと呟く。
「……ほんとうに?」
「本当だよ。パパはちゃんと覚えてた」
「……うれしい……」
涙を浮かべそうになるハルナを、祐介はそっと抱きしめた。
「おめでとう、ハルナ。4歳、おめでとう」
「うん! ありがとう、ぱぱ!」
⸻
夕方には、姉貴からLINEが届いた。
《今日はさすがに我慢してやる。明日は覚悟しとけ、プレゼント持ってくからな》
やはり来るらしい。が、今日はハルナと二人だけの時間にしようと心に決めていた祐介は、そのメッセージに「了解」とだけ返した。
カツオ料理を並べた食卓の前で、ハルナはずっと笑っていた。刺身を見て目を輝かせ、たたきを食べて「おいしい!」と叫び、煮つけを頬張って「これもすき!」と何度も言った。
そしてケーキの時間。実家から送られてきた小さなケーキを前に、ハルナは手を合わせた。
「ぱぱ……はるな、いま、とってもしあわせだよ」
「パパもだよ、ハルナ。パパも今、すっごく幸せだ」
4本のロウソクに火を灯して、二人で「せーの!」と吹き消す。
その瞬間、祐介はふと思った。
――この子に出会えたこと、それがもう何よりのプレゼントだったんだな。