41話 初めての銭湯
第41話 初めての銭湯
――今日は珍しく、早く仕事が終わった。
「よし……今日は定時ダッシュ成功だ」
会社の入り口を抜けた瞬間、スマホを取り出し、保育園に向かう道すがら、今日は何をしようかと考えていた。
金曜日。明日からは週末、予定は空いている。
ハルナも、元気が有り余っているだろう。あの小さな体のどこにそんなエネルギーがあるのかと思うほど、最近の彼女は活発だった。
あいりちゃんと仲良くなってからは、さらに拍車がかかっている。やっぱり年の近い友達っていうのは、何よりの刺激なんだろう。
「ぱぱーっ!」
保育園の門をくぐると、元気な声が飛んできた。
いつものように、先生の手を離れて小走りに駆け寄ってくる茶髪の小さなエルフ――俺の娘、ハルナ。
「おう、ただいま、ハルナ。今日はなにして遊んだんだ?」
「うんっ、あいりちゃんとねー、おすなばで、おやまつくったの!」
「ああ、それは大きいお山か?」
「おおきかった! あいりちゃんが、すっごい、がんばったの!」
にこにこと話すハルナの頭をなでると、彼女は気持ちよさそうに目を細めた。
その姿に、迎えの親たちの視線がちらちらとこちらに向いているのが分かる。
……まぁ、慣れた。
「今日はさ、パパ、ハルナを連れて“おふろやさん”に行こうと思ってたんだ」
「おふろやさん……?」
ハルナが小首を傾げる。その反応は、当然だった。
ハルナは我が家のユニットバスしか知らない。湯船にふたりで入るのが当たり前になっていた。
「大きいお風呂がいっぱいあるとこ。たまにテレビで見るでしょ? 銭湯ってやつだ」
「せんとう……!」
ぱあっと顔を輝かせたハルナが、「いきたい!」と即答するのに時間はかからなかった。
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銭湯に着くまでの道すがら、ハルナはずっと興奮していた。
「ぱぱ、ほんとに、おおきいおふろ?」
「ほんとだって。お風呂が何個もあるんだぞ」
「ほんとのほんと?」
「パパは嘘をつかない」
「じゃあ、はやくっ!」
つないだ手に、自然と力がこもる。
小さな手。やわらかくて、温かい。そしてなにより、安心を求めてくれる存在。
到着したのは、下町にある昔ながらの銭湯。
番台のおばちゃんが優しく微笑んで、「かわいいお嬢ちゃんだねえ」と言ってくれると、ハルナはちょっと照れた顔をして俺の後ろに隠れた。
「ふふ、ありがとう。でも、この子、初めてなんですよ、銭湯」
「あらまぁ、それは大冒険ね」
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脱衣所で服を脱ぐと、ハルナはその耳を少し気にしているようだった。
「だいじょうぶかな……」
「なにが?」
「ひとに、みられたら……へんなのって、おもわれない?」
パパは、何よりも大切なことを忘れちゃいけない。
この子は異世界から来た“娘”だ。
その耳は――長くて、少し尖っている、エルフの耳。
「平気さ。ハルナの耳、パパは大好きだよ?」
「ほんと?」
「ほんと。もし誰かがなにか言っても、パパが全部守る」
「うんっ」
ハルナはにっこりと笑った。
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お風呂場に入ると、そこには本当にたくさんの種類のお風呂があった。
普通の湯船、薬湯、泡風呂、サウナ(もちろん入らないが)、そして水風呂。
「わあぁぁ……!」
ハルナの声が、天井に響く。
そして迷わず、泡風呂に一直線。俺は急いで小走りに追いかけた。
「待て待て、まずは身体洗ってからだぞ!」
「うわーい!」
泡だらけになりながら、ハルナは大はしゃぎ。まるで小さな水の妖精みたいだった。
「ぱぱも、はいろうよ!」
「入るけど……そんなに暴れると溺れるぞー!」
「わかってるー!」
子どもって、ほんとに元気だ。
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その後も、薬湯で「くさい!」と叫び、水風呂で「さむっ!」と飛び上がり、最後は普通の湯船で「ここがいちばん!」と落ち着いた。
「パパといっしょが、いちばん、きもちいいね」
「だろ? 銭湯、気に入ったか?」
「うんっ!」
この笑顔を見るために、パパは今日早く帰ったんだ。
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帰り道、ハルナはお風呂あがりの牛乳を「ぷはー!」とやって、番台のおばちゃんを笑わせていた。
「またおいで」
「うん! ぜったい、くるー!」
外の風が、心地よかった。ハルナの手は、お風呂でふやけて少ししわしわしてる。
「パパ、きょうも、だいすき!」
「パパも、ハルナがだいすきだよ」
家族って、こういう時間の積み重ねなんだな。
そう思いながら、俺はハルナの手を引いて帰路についた。