40話あいりちゃんと公園
第40話「あいりちゃんと公園」
春の日差しがやさしく差し込む日曜日の朝。東京の片隅、小さな庭付きの一軒家で、ハルナが朝から元気に跳ねていた。茶色のさらさらした髪が揺れ、大きなエルフ耳がピコピコと可愛らしく動いている。
「ぱぱー! きょう、こうえん! あいりちゃんとー!」
「はいはい、パパは準備できてるよ。そっちは?」
祐介はタオルで髪を拭きながら、リビングのソファに座ったまま微笑んだ。ハルナは上下ピンクのパーカーにデニムのスカートという、まるで幼児雑誌から飛び出してきたような服装で、足元にはまだ履いていないスニーカーが転がっている。
「くつ! くつはくのー!」
「ちゃんと左右揃えて履けるかな?」
「できるもん!」
リビングに響く笑い声。そんな穏やかな日常は、彼が数ヶ月前まで想像すらできなかったものだ。異世界から来た娘、ハルナ。ある日、夢の中で白髪の美しいエルフに託され、目が覚めると隣に本当にハルナがいた。
それからの生活は怒涛だった。戸籍問題、言葉の壁、引っ越し、保育園の手続き、姉・さやかの突撃──その全てを乗り越えた今、彼女と過ごす時間は、祐介にとってかけがえのない宝物になっていた。
「ぱぱ、これでいい?」
ハルナが両足を揃えて立ち、嬉しそうにくるりと一周した。きちんと靴を履いている。左右も合っている。
「おお、完璧。よくできました!」
「えへへー、あいりちゃん、まってるかなあ」
数日前、同僚の岡島と飲みに行った時、娘の話で盛り上がった。その流れで、週末に家族ぐるみで会うことになり、同僚の娘・あいりちゃんとハルナが遊ぶ約束をしたのだ。驚いたことに、あいりはハルナと同じ保育園に通っており、クラスも同じだった。まだ言葉がたどたどしい三歳児同士ながらも、通じ合うものがあるらしい。
「パパは、おやつ持った?」
「持ったよ。りんごジュースもね。」
「わーいっ!」
小さなリュックを背負ったハルナが、勢いよく玄関を飛び出す。
公園に向かう道すがら、ハルナは何度も空を見上げた。
「そら、あおいね」
「うん。春の空は気持ちいいな」
手を繋ぎながら歩く親子。その様子を通り過ぎる年配の女性が微笑ましそうに目を細めていた。
公園に着くと、既に岡島一家が到着していた。岡島は休日仕様のラフな服装で、奥さんは柔らかな雰囲気のショートカットの女性。そしてその横に、ふんわりしたスカートをはいた黒髪の女の子──あいりちゃんが立っていた。
「ハルナー!」
「わー! あいりちゃん!」
二人は駆け寄って、まるで数年ぶりの再会のように抱き合った。両親たちは笑いながら見守る。
「祐介くん、お久しぶり」
「え?」
奥さんがそう声をかけてきたとき、祐介は少しだけ目を見開いた。どこかで見覚えのある顔。名前を思い出す前に、彼女がにこやかに言った。
「私、中学の時の同級生、覚えてる? 田所美和」
「あっ……!」
彼女は同じクラスだった女子のひとり。地味めだったが、優しくて気遣いのできる子だった。まさか彼女が岡島の奥さんだったとは。
「世間、狭いなあ」
「ほんとよ。娘同士が仲良くなるなんて、なんだか運命感じちゃうわね」
ハルナとあいりはすでに滑り台へ向かい、お互いの言葉の意味を曖昧に理解しながらも、一緒に遊んでいた。二人とも笑顔だ。
「しかし……祐介、お前がパパやってるの、ちょっと信じられんな」
「……正直、自分でも思う」
「でも、すごいな。ちゃんとやってるよ、お前」
祐介は小さく息を吐き、目を細めた。ハルナが滑り台のてっぺんで振り返り、「ぱぱー! みててー!」と叫んでいた。
「……あいつがいると、やるしかないからな。パパは、かっこよくなきゃいけないから」
岡島はその言葉に黙って頷いた。
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昼過ぎ、公園のベンチでお弁当を広げた。手作りのものもあれば、コンビニで買ったサンドイッチもある。ハルナとあいりは並んで座り、ミニトマトを取り合いながら楽しそうに笑っている。
「ぱぱ、これ、すきー」
「はいはい、トマト好きだよな。パパの分もどうぞ」
「えへへー、ぱぱだいすき」
その言葉に岡島が「くぅっ、いいな!」と唸る。
「うちのあいりは、最近ツンが入ってきてなぁ……『パパ、きらいー』って言われた時、ちょっと泣きそうになったぞ」
「……それはきついな」
「でもたまに『パパ、すき』って言われると、もうさ……死んでもいいくらい嬉しい」
「わかるわかる……」
二人の父親は、いつのまにか肩を組みながら熱く語り合っていた。
⸻
夕方、そろそろ解散の時間が近づいてきた。
「またあそぼー!」
「うん!」
二人の娘が小さく手を振る。
帰り道、ハルナは手を繋ぎながらぽつりとつぶやいた。
「ぱぱ、たのしかったね」
「ああ、楽しかったな」
「ぱぱ……ずっと、いっしょ?」
「……もちろん。パパは、ハルナのパパだから」
ハルナはにこーっと笑って、ぎゅっと祐介の手を握った。その小さな手の温もりが、祐介の心に深く染み込んだ。
今日はただの公園遊び。だけど──この日常が、きっと一番の幸せなんだと、祐介は思った。